姓は「矢代」で固定
第4話 わたしのお仕事
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慶応元年十二月上旬
陽が昇る前のまだ暗い時刻。冬は夜が長すぎて、朝が来るのが遅い。
いつものように近所を走ってこようと外へ向かうと、門の前で、不寝番ではないはずの人と出会った。
「左之さん、おはよー」
「おはようさん」
「超早いね」
「まあな。出かける予定があってな」
「ふーん。いってらー」
監察方として隊士の行動は気にはなるけれど、どこへとは聞かない。左之さんならば、土方さんに追及されて困るような事はしないだろうから。
弥月が門の外へと再び足を向けたところで、後ろから誰かが走ってくる足音がした。
「待たせた!」
「おう、どうだった」
「やっぱり今日は無理だってよ。迷惑になるから辞めとく、行ってきてくれって」
「生真面目な奴だなあ」
なるほど、誰かと三人連れで出かける予定だったらしい。
なんとはなしに振り返ったのだけれど、不審に思ったことには、新八さんの髪型が妙にきっちりしている。いつもは無重力な寝癖について、『手拭いで巻けば分からない』云々と言っているのに、今日は手拭いの下できちっと整っている。
そう思って左之さんをよく見れば、今日の服は火熨斗がかかっているのか皺が無い。
そんな二人が向かうところと言えば…
「おッ、良いところに。弥月、今日暇か?」
「島原でしょ。行かなーい」
「こんな朝っぱらからそれはねぇだろ…」
時刻はまだ明六つ前で、左之さんのツッコミにそれもそうかと頷く。
「歌舞伎だぜ! 弥月も一緒にどうだ?!」
「二人で? 珍しいね」
「元々三人の予定だったんだが、席が空いちまったんだ」
「今日は特別だぜェ?」
左之助が残念そうな口調で話したのに構わず、ニヤニヤと新八は嬉しそうに口を開く。
「年末恒例の顔見世の日だ。しかも桟敷(さじき)に咲いた花は見放題ときた」
「新八が芝居茶屋で二階席とってもらったんだと」
「一石二鳥とはまさにこのこと!」
「ただ、一緒に行くつもりだった歌舞伎好きの奴が風邪引いててな。ゴホゴホ煩ぇから止めるっつって、空きができちまった」
二人が交互に説明してくれるが、何がそんなに特別なのかさっぱり分からなくて「へー」と相槌を打つ。
「で。暇か?」
左之助に改めて問われて、弥月は「まあ…」と曖昧に応えた。
今日は土方さんの指示がなければ、稽古に出るくらいしか予定がない。暇な日を勝手に非番にしても怒られないくらいには、伍長不在の一番組の巡察に出たり、年末にむけて帳簿の確認をしたり、毎日臨機応変に働いている。
ただ…
「行こうぜ、たまには一緒に! 良いもん食わせてやるよ!」
「場所余らしてんだ。空席があったら申し訳ないだろ。運が良かったと思って付いてこいよ」
「んじゃあ、お言葉に甘え…」
そう言いながら想像した空席……と、千鶴ちゃん。
この時代の芝居小屋は椅子席ではなくて、区画を買う枡席だ。四人用の枡席に三人だろうが、四人だろが構わないはずだから、彼女も行くのはどうだろうか。
ん。でも、この人らと四人席に四人は苦しいか…
想像して辟易した。いくら真冬で寒くても、肩幅ミチミチで観劇したくはない。余裕を持って三人が妥当だろう。
せっかく誘ってもらっているけれど、あまり気乗りはしなかったから、断る丁度いい理由にもなる。
「ありがと。でもやっぱり、それなら千鶴ちゃんを連れてってあげてほしいな」
「…だからよ、顔見世総見なんだって」
「???」
私の提案に対して、何か不都合があるらしい。左之さんが宙を仰ぎ、新八さんが「分かれって」と渋い顔をした。
業界用語を並べられても困ると思って、私が説明を求めると、要は、花街の妓女さんらが桟敷席にならぶ特別な日らしい。新しい役者の顔見世興行というだけで席の競争率は高いが、華やかな総見の日はさらに人気があるそうだ。
つまり、新八さんは鼻の下を伸ばすために、千鶴ちゃんは連れて行きたくないとのこと。
「あーね…なら私行くわ。許可取ってくる」
「おし!」
「じゃあ、先行ってるから。南な」
「おっけー」
そうして、まだ布団で寝ていた土方さんを奇襲し、今日は非番にしてもらってきた。寝起きで思いつかない用事を言いつけたい以外に、彼は何か思うところがあるらしい。やたらにジイッと見られていたが、さほど滞りなく許可は下りた。
それから二人を追いかけて共に到着した祇園。まだ日の出前だと言うのに、南側の歌舞伎座の前には長蛇の列が出来て、徐々に人が中に吸い込まれている。
「この人混みマジ?」
「毎年こんなもんだぜ。先頭は丑の刻くらいから並んでんじゃねえか?」
弥月は唖然とする。
つまり、その人らはこの寒空に2,3時間くらい並んでいる。開演は明六つと同時で、休憩を挟みながら夕前までは続くというから、劇の最中に眠くはならないのだろうか。
それに、自分が以前に来たときは午後から観劇したので、話の途中から着席したり、退席したりが普通なのかと思っていた。値段もさほど高くなく、公演中に小声で話す人もいて、随分気楽で大衆的なものだと思ったものだ。
けれど、今日は小綺麗で洒落た格好をした人が目につく。賑やかでワクワクとした表情の人達…さながら開園直後のネズミーランド。
人々の明るい表情と声がする空気に、こちらまで期待を煽られる。
「いいね、こういうの」
見回しながらそう言うと、意図が伝わったのか「だな」と左之さんが笑って返事をくれた。
「街が元気な証拠だ」
「うん!」
街の治安維持が私たちの本分だ。
並んでいる人達は一階の席で、二階の私たちとは入り口が違うという。
広間で順番に出方さんに案内されるのを待ちながら、今日の演目の流れを新八さんに解説してもらう。古い言葉や独特の言い回しを使うから、流れを知っておかないとうっかり話が分からなくなってしまう。
「そして、新八さんが筋肉担当じゃないことに、毎回驚く」
「分かるぜ」
「お前らな…」
価格の高い二階席や桟敷は、芝居茶屋が席を押さえ、仲介して売っているらしい。『転売じゃん』と思ったけれど、そこから買う利点もあり、幕の内弁当や菓子は一通り用意してくれているそうだ。外に食べに出て並ぶ必要もなく、席でゆったりと過ごせるという。
それでも仕出し弁当の貼り紙を真剣に見ていた弥月は、新八に「おい!」と肩を叩かれて振り返った。
「別嬪がこっち見てるぞ!」
新八さんの視線の先には、舞妓さんや芸妓さんの集団がいて。すると、私が振り返るのを待っていたかのように、こちらに向かって、前後に手を振る綺麗な妓女さん。
誰
「おい、弥月! あれお前にだよな!?」
新八は弥月の肩を掴んでゆすり、芸妓の視界に自分も映ろうと躍起になる。
女は少し広げた扇で口元を隠してニコッと微笑むが、他の娘に話しかけられて、会釈をして向こうに行ってしまった。
新八さんの反対側から、左之さんにも肩を掴まれる。
「弥月、全然興味なさそうな顔して、あんな老舗の良い女買ってたのか!?」
「いや…」
店の外でもお愛想を振ってくれるほど、いいお花代支払ったのは、島原で新八さんの肩代わりをしたときくらいだ。私に馴染みの妓女さんなんて居ない。
私が一方的に覚えられている可能性はあるけれど、あんなに親しげに手を振るだろうか。
「嘘つけ! 今日の上七軒の子らだぜ!?」
上七軒…
伝手はあるけれど、まだ使ったことはない。芸妓さんとの関わりといえば、千姫との泊まりのときに、揚屋で豪華なご飯を並べてもらったくらいだ。あとは年嵩のお上さんに、千姫との連絡を頼んだとき。接待をしてもらったわけでは無…
「…あ?!」
お菊さん?!
誰も居なくなった先を指さす。ピンときたら納得の美しさだった。
「おま…っ、あんな美人掴まえて、誰か忘てれたってことはねぇだろ!?」
「いや、だって…」
忘れていたわけではないし、知らなかったというか。だって顔が真っ白で、髪型とか雰囲気とかが違った。もはや歌舞伎の舞台に上がってても違和感すらない。
「お座敷の外の知り合いというか…」
「はァ!? それで手まで振ってくれるってどんな仲だよ!!?」
「監察か!? そっちの知り合いか!!」
「そうじゃないけど……友達、です」
「「はあぁぁ!!?」」
鬼の知り合いと言うわけにもいかず。
言いがかりで新八さんからドツカれるが、言いたいことは分からなくもない。確かにものごっつ美人だった。綺麗な人の圧が普段の三倍くらいあった。
「痛いってば、分かりましたって。また今度、上七軒で飲み会しましょって、山南さんらと話してたところだったから。連れてけばいいんでしょ」
「あの姉ちゃんも呼べるのか!?」
「いや、それは…」
お菊さんは洛中に常駐しているわけではないだろうから、呼べるかと聞かれたら分からない。
「勿体ぶんなよ!」
「その日に居たらですね。ほら。案内の人来てるから…」
あまりに粗野で騒がしくしていたため声を掛けにくかったのだろう、困り顔をした出方に、弥月はペコリと会釈をした。
***