姓は「矢代」で固定
第3話 長州訊問使
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
松原side
山南さんはあれから屯所に何度か赴いていたけれど、何がどう決まったのか知らされないまま、私は酒井君と出かけている。
「ハー…冷えますねぇ」
「本当に。身を隠すのにはありがたい季節ではあるけれどね」
いつもの二倍くらいに着膨れしている酒井君を見て、思わず笑いが溢れる。彼は意外と寒がりらしく、夏は裸足でも、冬は二枚も足袋を履くそうだ。
「また笑って…そろそろ見慣れて下さいよ」
「ハハッ、すまない」
「松原さんこそ、寒くはないんですか?」
「私は暑がりなくらいでね。年中同じ格好をしていても大して気にならないよ」
「羨ましいです。どうにも冬は動きづらくて…」
それだけ重ね着していればね
本人も分かっているだろうから、敢えて指摘はせずに声を殺して笑う。
それに私も変装も兼ねて、袷羽織を着て、頭巾と手縫いを巻いている。日光に直接当たらないことで、身体の気怠さが随分とましだった。ただ、これは今の季節だから良いものの、夏だと厳しいだろう。
まだ陽は高い時刻。
体感的な事ではあるが、近頃、益々陽光が平気になってきている。山南さんと酒井君はそうでもないと言うから、私と何が違うのだろうか。
山南さんより、矢代君に聞いたほうが答えをくれそうだな…
変若水や吸血衝動を抑える薬の製造に関して、山南さんの全幅の信頼を得ているのは、彼…彼女のようだった。
性別を知って驚きはしたが、色々と合点がいった。山南さんや雪村君との関係性について、本当なら酒井君にも共有したいところではあるが、酒井君は態度に出るだろうとの判断で不可らしい。
その時ふっと、松原は隣にいた酒井の歩みが遅れたことに気付く。彼が振り返って見ている視線の先には、絵草紙屋があった。
版画…
「私を気にせず見ておいで」
「! すみません!」
「謝らなくて構わないよ。折角の外出だからね。好きなんだろう?」
随分と前に、好きな絵師の初摺りを買えたと言って喜んでいる姿を見たことがある。
我々三人の中では一番歳下で、生真面目で遠慮がちに過ごす酒井君だからこそ、こちらからも気にかけてあげたいと思っていた。
酒井は視線をあちらこちらと動かしてから、申し訳なさそうに「すぐ戻ります」と敬礼をして、店へと向かっていった。
店の外に立って、街を眺める。寒さに身を縮めて、人々が足早に進んでいく。千歳飴を握った女の子と男の子が、目の前を楽しそうに走っていった。それを急ぎ足で追いかける母親も通り過ぎる。
七五三か
あの人は子どもの晴れ着を仕立てるために、自分の食事を削ってでもと生活を切り詰めていた。少し無理をして買ったという反物は、着物に仕上がっただろうか。
季節は移り変わっていく。彼女と見に行こうと思っていた紅葉も、もう全て枯れてしまった。
「お待たせしました!」
戻ってきた酒井君は何も持ってはいなかったが、少し晴れやかな表情をしていた。
「買わなかったのかい?」
「迷いましたが…次に期待です」
短時間だったがそれなりに悩んだのだろう。惜しそうに眉を顰めながらも口元が笑っていて、外出を楽しんでいる様子にこちらも嬉しくなる。
刻を告げる鐘の音が鳴った。出発して四半時ほど経ったようだ。
「そこの店で休憩しようか」
屯所からここまで動くのは辛いはずだと、松原は酒井を気遣ったが、酒井は目を細めて首を横に振った。
「私はまだ大丈夫です。松原さんも問題なければ、先に香を買いに行きましょう」
「そうかな」
目的がなければ出かけにくいだろうと、山南さんから遣いを頼まれた。山南さんを筆頭に、最近我々の間では香が流行りで、好いものがあれば買ってきてほしいと言われている。
そのきっかけは冬至のころ、風呂に浮かべた柚子。その香りに反応したのが矢代君らで……行動原理に女性陣が絡んでいるのだから、我ながら単純な生き物だと恥ずかしくはある。
そうして必須の買い物をすませて、ゆったりとした時間を過ごした、その帰り道。雪隠に行った酒井を待って、松原は茶屋の軒の椅子に腰をかけてくつろいでいる。
胸元にある思い袋に触れて、ジャリと音が鳴る。
思うところがあれば、と持ってはきたが…
行きたいと、会いたいと思わなかったといえば嘘になる。会いに行くだけの時間はあるだろうと、心の迷いを振り払えずに、こうして渡す物の準備だけはしていた。
けれど、そうしないだけの理由は、自分の中にもう十二分にあった。
「ひったくり!!」
誰かが叫んだ。
反射的にそちらを見て、走ってくる男との距離を測る。けれど、腰を探った左手が何にも触れないことに気付く。前方に傾けた重心を後ろに下げて、頭巾を目深にかぶり直し、襟巻を引き上げる。
関わってはならない
目立つことは御法度だ。どこで誰が見ているか分からない。椅子から立ち上がらずに、こちらに向かってくる罪人を感じる。
グッと奥歯を噛んだ。
「どけ!!!」
「わっ!」
「キャッア!?」
罪人を避けようとした男が、近くの女にぶつかったらしい。目の前で倒れこむ女性。頭に手拭いを巻いて、半纏をしっかりと着込んだ冬の装いをした人だった。
さすがに放っておくのも不自然なので、椅子から腰を上げて、声をかける。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
聞き覚えのある声に、ドッと胸が鳴った。
「――っ!」
「駄目です!!」
横からガッと肩を掴んだ酒井君が、何を言いたいのか分かった。身体の中で何かがうごめくこの感覚を、私が一番よく知っていた。
羅刹化
女から顔を逸らして、フーッと長く息を吐いた。カタカタと手が震えている。
落ち着け……薬は飲んできた
渇きはない
いつもは羅刹化をしてから飲むが、今日は山南さんから「事前に」と、出かけに勧められた、血の味がする粉末。羅刹を知る幹部たちの血液からできている薬。
彼らの献身の上でつないでいる生命。無様に終わるはずだった、続きを許された私の生き様。
忠義に残りのすべてを捧ぐを決めた
今度こそ曲げない
伏せていた顔を上げる。彼女は「まさか」という、驚きに満ちた表情で、私と視線を合わせた。
***
弥月side
どこまでが仕込みか、どこからが偶然か……敢えて語るなら、全部仕込みで終わるはずだった。
当然、万が一を考えて尾行は付いていたし、酒井さんに休憩する頃合いと茶屋は指定したし、ゴロツキを金で雇ったし、松原さんの目の前で女が倒れたのも偶然ではない。
けど、ここからはお任せします、松原さん
あくまで偶然を装った作戦。今後彼らを日中外出させるにあたり、土方さんは”羅刹を試す”という意味で承諾した。山南さんも酒井さんも、彼にその命運を託した。
キチッ
「まだです」
弥月は手を挙げて、後ろの土方を制する。明らかに動揺した松原を見て、弥月の予想通り、酒井がすかさず止めに入った。
私達よりも羅刹同士の方が、その気配に敏感らしい。あの様子だと羅刹化しかかっていたのだろう。
だけど、松原さんらは武器となり得るものは持っていない。他方に斎藤さんや左之さんらも控えている…ギリギリまでは信じて見守りたい。
「松…」
女はハッとして口を噤み、静々と頭を下げた。そして、歯を食いしばり堪えるようにして、「おおきに」と吐息だけで発する。そうして視線を地に落としたまま、踵を返して立ち去ろうとする。
「待ってください」
松原の声に、女は足を止めなかった。
「生きていて、申し訳ありません」
……
聞いている私の方が、ズクリと胸を抉られたような気持ちになった。彼は自業自得と戒めつづけて、それでも恋しい人を想って、最初に出てきた言葉がそれというのか。
一瞬、女の歩調が緩む。
「どうしても受け取ってはもらえませんか」
「…うちは」
女は背を向けたまま立ち止まった。華奢な小さな身体から、響くような低い声をだした。
「あんたはんの事なんて知りまへん」
「…」
「知らん人からお金は受け取れまへん」
「…そうですか」
女は顔を上げてまた歩を進めた。
賢い人だ
きっと色んな感情を飲み込んだ。些か、矜持が高すぎると思わないでもないけれど、彼女の中ではもう終わった話としたいのだろう。
当初の目的は果たせなくても、これで松原さんも納得がいくだろうか。
松原は女の背をただ見つめる。
これで終わり
「待ってくれ!!」
!!? 新八さん!?
その声とともに、突然に女の前に飛び出した男。
こちらも腰が上がりかけるが、なんとか中腰で物影に潜んだまま、バッと土方さんを振り返る。彼も驚いた表情で、ふるりと首を振った。
どう…
どうしよう、どうしてと思いながら、再び始まってしまった舞台を止めるか決められず、固唾をのんで見守る。土方さんも動く気配がないから、それで構わないということだろうか。
小細工の嫌いな新八さんには、今日の話を伝えていなかった。これで松原さんを斬ることになろうとも、出来事と結果さえ知れば、仕方ないと諦めてくれるだろうと。
女は慄きたじろいて半歩下がった。
「松原さんは本当に許されないことをした。あんたが仇討ちをしたことも……仕方ないことだって、俺もそれは重々分かってる」
「…うちは知りまへん。壬生狼が物騒な言いがかりつけんといて」
「頭一つ下げて、水に流してくれなんて思ってるわけじゃねえ。旦那の命を金で買おうとも、それで罪が消えるとも思っちゃいねぇ」
誰も止めに入って来ない…
同じように新八さんを見守っているのか、控えているはずの幹部達。彼の登場は、不確定要素がある作戦を嫌がった、私と土方さんが知らなかっただけだろうか。
「それでも金だけが、あんたと子どもにできる唯一の詫びなんだ。松原さんはきっと何度でもあんたに命を差し出せるけど、あんたはもうそれを望んじゃいないんだろう?」
「…」
「たかが金。されど金だ。
憎い男が金で罪を償おうとするのが許せなくて、受け取らない気骨のあるあんたを俺は尊敬はする。けどよ、子どものためにと思って受け取っちゃくれねぇか?」
……
必死の説得だった。松原さんの心の在りようを、私たちの思いを、彼はこれ以上なく真っ直ぐに伝えた。
すごい
どう言ったらいいのか分からないけれど、新八さんがするそれを、私はできなかったのだと知った。自分は意地悪でひねくれ者だったらしい。
永倉は女を通り過ぎて、松原へと近づく。そして狼狽える彼の腕を引っ張って、彼女の前に出した。永倉に促されて、松原は懐にあったものをゆっくりと取り出す。
「どうか」
「……」
松原は巾着を掲げたまま頭を下げた。
往来でのやり取りは限界を迎えていた。道行く人が何事かと彼らのことを見ている。新選組隊士は近寄らないように気を配ってもらっているが、これ以上は見過ごせない。
「止めます」
「待て」
私の肩を掴んだ土方さんは鋭い眼で、彼らを見続けていた。
そのとき、女が両手でそれを受け取った。
!
女はどちらへともなく、ゆっくりと頭を下げた。そして、彼らと交わってまた家路へと歩き出す。
それを目で追っていた松原が、身体を反転させる頃に、彼女は歩みを止めた。
「お達者で」
女は振り返らなかった。
松原は拳を身体の横で握り、深く深く頭を下げる。彼女の姿が消えるまで、その背を泣きたそうな顔で見ていた。