姓は「矢代」で固定
第3話 長州訊問使
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***
仕事請負中の彼女は家からあまり出てこないが、買い物があったらしい。翌日、その帰りがけに声をかけようとすると、女は木戸の前で立ち止まった。
「こんにちは」
「…」
声をかけられるのを予想していたのだろう。女は恐ろしく冷ややかな眼で、私を見る。
やっぱり肝の据わった人だ
人を雇わずに、直接声をかけたことは間違いではなかった。
「お渡ししたい物があります」
弥月は胸元からズシリとした重みのある巾着を取り出して、腕を伸ばして差し出す。握り直した弥月の手の中で擦れて、ジャリと音が鳴った。
「伝言はありません。ただ、これを受け取っていただきたい」
「…」
松原さんの依頼通り、両替をして使いやすい貨幣に替わったそれは、量ばかりが増えて、まるで彼の気持ちのようだった。
「納得はいかないでしょうけれど、それはそれ。これはこれです」
「…」
「施しではありません。損害の賠償として、あなたの権利として受け取ってください」
中身が見えずとも、これが何かは分かっただろう。それでも女は受け取ろうとしない。
喉から手が出るほど欲しいはずだ
以前、土方さんが渡そうとした手切れ金を、彼女は受け取らなかった。それがどれだけ感情に任せた驕心だったか、そろそろ現実は見えただろう。
元々の親子三人の暮らしも決して裕福ではなかったはずだが、今の母子の暮らしはその比ではない。これだけあれば彼女の収入だけでも、子どもの薬を買うお金を心配する必要はなくなる。
松原さんは羅刹になったことを後悔はしていなかった。けれど、夫を殺した贖罪の気持ちと彼女への恋情は、彼の中から消えなかった。一目会いたいとも口に出さない彼の一番の願いは、彼女がお金に苦心しないこと。
「…お断りしました」
「ええ。ですが、今回はお金の出所が違います」
「…関わらんとって言わはったのは、そちらどす」
「ええ。でも事情が変わりました」
女は言い返してこなかったが、その歪んだ顔で言いたいことは分かった。私も思う、『なんて勝手なんだ』と。
「人を殺めて稼いだお金なんて要りまへん」
……
そうではないと頭で否定しても、私の心にチクリと刺さった。
会津藩からの給金は、京の都の治安改善に努める者への危険手当を含めた報酬だ。ただ、犯罪抑制という名分で、こちらも暴力を奮っていることを、私は否定することができない。
「関わりたくないんは、うちも同じやから、もう来んとって」
女は踵を返して木戸をくぐった。
難しい
もしこれを置いていったら、彼女はどうするだろうか。それでも任務を果たしたことにはなるだろうか。
求められている成果はそうではないと思い直して、弥月はまた長屋を背にした。
***
表の掃き掃除をしていたらしい、箒を持って玄関外に立っている兄。幕末ではかなり高身長の彼だったが、横に並べる珍しい相手と談笑していた。
「梓月」
「うわ、弥月か。誰かと思った!」
「うわ、とか言わないで」
「なんその恰好」
「これが普通。よく考えて。これが正解」
「髪は墨塗ってるのか?」
「そう。梓月は随分切ったね」
「塗るの面倒だったからな。根元3㎝くらい生えたから切ってもらった。明治の先取り」
最初から丸刈りという手もあったのだが、それは彼の美的センスが許さなかったらしい。随分とスッキリした頭をしていた。
なんで梓月は髪伸びるの?
納得がいかない。私はずっと伸びないままなのに。
口を尖らした弥月は、手に持っている箱が何かと兄に聞かれて、素っ気なく「琵琶」とだけ答える。
「で。沖田さんはなんで居るんですか」
「別に僕がどこにいても、君には関係ないでしょ」
今日は例の満月の日でもなく、真昼間に兄の様子を見に来ただけだったのだが、なぜか沖田さんがいて、梓月と話していた。
「誰か急病人ですか?」
「違うよ。喋ってただけ」
「ですよね」
そんな時に、沖田さんを呼びに寄こすわけがない。
ということは、だ
「勧誘もやめて下さいとお願いしてたはずですけど」
「…喋ってただけだって言ったでしょ」
彼のイラっとした声色と不満そうな表情から、本当にそうらしい。頷いて「なら良いんです」と返す。
「君と違って、流派のこととか詳しかったから、話してて面白かったよ」
「あー…ね」
「弥月はそっちの座学的なとこ、全然興味なかったもんな」
「だって使わないじゃん」
学校の勉強ならテストで点数に直結するから、座学にやる気を出さざるをえないけれど。目録やら免許やらは師範に『まだ早い』と言われて、試験をする見込みもないのに、覚える気なんて起きるはずもない。
「弥月君は切紙もないの?」
「うちはそもそも無いです。門下生かどうかの次は目録。学生の間はまだ早いって師範の方針で」
「十八で早いって…」
「長寿なんです。未来は人生百年時代で、自分らまだ成人式もしてなくて」
「百…って」
沖田さんに妖怪でも見るような顔をされたが、事実なのだから仕方ない。
梓月が説明をしてくれたが、剣の実力だけじゃなくて、精神的・社会的に自立し自律しているかを求められるのが、今も未来も変わらない武道だ。自分らはまだ大人じゃない。
「君ら元服も未だなの?」
「俺は今年だけど、弥月はまだ…なのか?」
「二年半こっちで過ごしたから、実質、成人じゃない? もはや二十歳も目の前」
兄妹で首を捻る。
どっちでもいいから気にもしていなかった。酒も煙草も選挙も、ここでは何も関係が無い。
「もう年増になるのに?」
「……」
「…ちょっと刺さったな、今の」
「…刺さってない。振袖は着るタイミング逃したかなって。お母さんが成人式にって考えてくれてたから」
「あれって結婚するまで着ていいんだろ?」
「まあね。気持ちの問題」
振袖が未婚女性のものなのは江戸時代も変わらず。ただ、未婚でも元服は二十歳には終わらせるらしいから、ここで着る機会ももうない。着ても良いが、世間の目がイタイ。
今回の女装で島田髷じゃなく丸髷にしたのも、年齢を自覚しての選択だった。
沖田は弥月がそれを兄に説明するのを聞きながら、どうでも良さそうに「ふうん」と溢した。
「ところで弥月君は、いつ戻ってくるの?」
「何か用事ですか?」
「梓月君と手合わせしようって話してて。見たいでしょ」
「…見たいですけど……じゃあ、明後日には一旦戻ります」
「弥月、屯所にいないん? そういえば、なんでそんな恰好してんだ?」
「…休暇中。趣味の練習に明け暮れてる」
手にある箱を少し掲げる。咄嗟についた嘘だが、梓月は「そういや昔やってたな」と納得してくれた。
「良いじゃん? 服も、髪も」
「…ありがと」
思いがけず梓月に褒められて、まんざらでもなくフフッと笑う。
気の置けない兄だが、女子…私に対して『可愛い』などという言葉を聞いたことがない。金髪はよく羨ましがられるが、それとはまた別なのだろう。兄なりの恥ずかしさを圧した気遣いを感じた。
「馬子にも衣装ってやつだよね」
「…馬験はなくなりましたから、私が近藤さんの使番ですけど。何か?」
沖田さんをジロッと見る。すると彼は目を三日月にして、諸手を組み、愉快そうな表情で私を見た。
「衣装着たら女の子に見えて、それなりに可愛いって褒めてるじゃない」
「いや、それ全く褒めてないし。もはや言わない方がマシまでありますから」
「可愛いよ、相撲優勝も確実の大女さん。全財産賭けても損しなさそうだから、久々に壬生で興行するのも有りじゃない?」
相撲って
もはや女装の悪口ですらない何か……この人は私を怒らせたいだけだと察して、弥月は唇を戦慄かせる。
「使番って、どんな仕事なん?」
「…お遣いする係。水持ってこいとか、肩揉めとか」
「パシリか」
あー! 面倒くさい!
「梓月ッ、またね!」
「え、うん」
「じゃあ、僕も帰るね」
「着いてこないで下さい!」
「僕もこっちに用事あるだけだよ。自意識過剰」
「間合いが嫌っていつも言ってるでしょ!」
「幼気(いたいけ)な町娘さんは斬らないよ」
「大女は含まれないって言いたいんですよね!!?」
やいやい言って、叩いたり避けたりしながら遠くなっていく二人を見て、梓月はポカンとする。
「あの『沖田総司』と仲良いとかスゲー…」
坂本龍馬だとか西郷隆盛だとか、歴史に名を連ねる偉人たちと話してきたけれど、やっぱり自分はどこか他人で。近藤勇と竹刀を交え、入隊はどうかと声をかけられたときも、『俺が?』という違和感が拭えなかった。
それなのに、怒ったり、笑ったり、照れたり……家族や友達と同じように親しくある弥月の姿。
弥月、分かってるんだろ…?
新選組の行く先を知らないはずがないと、梓月の胸はザワリと波立った。
仕事請負中の彼女は家からあまり出てこないが、買い物があったらしい。翌日、その帰りがけに声をかけようとすると、女は木戸の前で立ち止まった。
「こんにちは」
「…」
声をかけられるのを予想していたのだろう。女は恐ろしく冷ややかな眼で、私を見る。
やっぱり肝の据わった人だ
人を雇わずに、直接声をかけたことは間違いではなかった。
「お渡ししたい物があります」
弥月は胸元からズシリとした重みのある巾着を取り出して、腕を伸ばして差し出す。握り直した弥月の手の中で擦れて、ジャリと音が鳴った。
「伝言はありません。ただ、これを受け取っていただきたい」
「…」
松原さんの依頼通り、両替をして使いやすい貨幣に替わったそれは、量ばかりが増えて、まるで彼の気持ちのようだった。
「納得はいかないでしょうけれど、それはそれ。これはこれです」
「…」
「施しではありません。損害の賠償として、あなたの権利として受け取ってください」
中身が見えずとも、これが何かは分かっただろう。それでも女は受け取ろうとしない。
喉から手が出るほど欲しいはずだ
以前、土方さんが渡そうとした手切れ金を、彼女は受け取らなかった。それがどれだけ感情に任せた驕心だったか、そろそろ現実は見えただろう。
元々の親子三人の暮らしも決して裕福ではなかったはずだが、今の母子の暮らしはその比ではない。これだけあれば彼女の収入だけでも、子どもの薬を買うお金を心配する必要はなくなる。
松原さんは羅刹になったことを後悔はしていなかった。けれど、夫を殺した贖罪の気持ちと彼女への恋情は、彼の中から消えなかった。一目会いたいとも口に出さない彼の一番の願いは、彼女がお金に苦心しないこと。
「…お断りしました」
「ええ。ですが、今回はお金の出所が違います」
「…関わらんとって言わはったのは、そちらどす」
「ええ。でも事情が変わりました」
女は言い返してこなかったが、その歪んだ顔で言いたいことは分かった。私も思う、『なんて勝手なんだ』と。
「人を殺めて稼いだお金なんて要りまへん」
……
そうではないと頭で否定しても、私の心にチクリと刺さった。
会津藩からの給金は、京の都の治安改善に努める者への危険手当を含めた報酬だ。ただ、犯罪抑制という名分で、こちらも暴力を奮っていることを、私は否定することができない。
「関わりたくないんは、うちも同じやから、もう来んとって」
女は踵を返して木戸をくぐった。
難しい
もしこれを置いていったら、彼女はどうするだろうか。それでも任務を果たしたことにはなるだろうか。
求められている成果はそうではないと思い直して、弥月はまた長屋を背にした。
***
表の掃き掃除をしていたらしい、箒を持って玄関外に立っている兄。幕末ではかなり高身長の彼だったが、横に並べる珍しい相手と談笑していた。
「梓月」
「うわ、弥月か。誰かと思った!」
「うわ、とか言わないで」
「なんその恰好」
「これが普通。よく考えて。これが正解」
「髪は墨塗ってるのか?」
「そう。梓月は随分切ったね」
「塗るの面倒だったからな。根元3㎝くらい生えたから切ってもらった。明治の先取り」
最初から丸刈りという手もあったのだが、それは彼の美的センスが許さなかったらしい。随分とスッキリした頭をしていた。
なんで梓月は髪伸びるの?
納得がいかない。私はずっと伸びないままなのに。
口を尖らした弥月は、手に持っている箱が何かと兄に聞かれて、素っ気なく「琵琶」とだけ答える。
「で。沖田さんはなんで居るんですか」
「別に僕がどこにいても、君には関係ないでしょ」
今日は例の満月の日でもなく、真昼間に兄の様子を見に来ただけだったのだが、なぜか沖田さんがいて、梓月と話していた。
「誰か急病人ですか?」
「違うよ。喋ってただけ」
「ですよね」
そんな時に、沖田さんを呼びに寄こすわけがない。
ということは、だ
「勧誘もやめて下さいとお願いしてたはずですけど」
「…喋ってただけだって言ったでしょ」
彼のイラっとした声色と不満そうな表情から、本当にそうらしい。頷いて「なら良いんです」と返す。
「君と違って、流派のこととか詳しかったから、話してて面白かったよ」
「あー…ね」
「弥月はそっちの座学的なとこ、全然興味なかったもんな」
「だって使わないじゃん」
学校の勉強ならテストで点数に直結するから、座学にやる気を出さざるをえないけれど。目録やら免許やらは師範に『まだ早い』と言われて、試験をする見込みもないのに、覚える気なんて起きるはずもない。
「弥月君は切紙もないの?」
「うちはそもそも無いです。門下生かどうかの次は目録。学生の間はまだ早いって師範の方針で」
「十八で早いって…」
「長寿なんです。未来は人生百年時代で、自分らまだ成人式もしてなくて」
「百…って」
沖田さんに妖怪でも見るような顔をされたが、事実なのだから仕方ない。
梓月が説明をしてくれたが、剣の実力だけじゃなくて、精神的・社会的に自立し自律しているかを求められるのが、今も未来も変わらない武道だ。自分らはまだ大人じゃない。
「君ら元服も未だなの?」
「俺は今年だけど、弥月はまだ…なのか?」
「二年半こっちで過ごしたから、実質、成人じゃない? もはや二十歳も目の前」
兄妹で首を捻る。
どっちでもいいから気にもしていなかった。酒も煙草も選挙も、ここでは何も関係が無い。
「もう年増になるのに?」
「……」
「…ちょっと刺さったな、今の」
「…刺さってない。振袖は着るタイミング逃したかなって。お母さんが成人式にって考えてくれてたから」
「あれって結婚するまで着ていいんだろ?」
「まあね。気持ちの問題」
振袖が未婚女性のものなのは江戸時代も変わらず。ただ、未婚でも元服は二十歳には終わらせるらしいから、ここで着る機会ももうない。着ても良いが、世間の目がイタイ。
今回の女装で島田髷じゃなく丸髷にしたのも、年齢を自覚しての選択だった。
沖田は弥月がそれを兄に説明するのを聞きながら、どうでも良さそうに「ふうん」と溢した。
「ところで弥月君は、いつ戻ってくるの?」
「何か用事ですか?」
「梓月君と手合わせしようって話してて。見たいでしょ」
「…見たいですけど……じゃあ、明後日には一旦戻ります」
「弥月、屯所にいないん? そういえば、なんでそんな恰好してんだ?」
「…休暇中。趣味の練習に明け暮れてる」
手にある箱を少し掲げる。咄嗟についた嘘だが、梓月は「そういや昔やってたな」と納得してくれた。
「良いじゃん? 服も、髪も」
「…ありがと」
思いがけず梓月に褒められて、まんざらでもなくフフッと笑う。
気の置けない兄だが、女子…私に対して『可愛い』などという言葉を聞いたことがない。金髪はよく羨ましがられるが、それとはまた別なのだろう。兄なりの恥ずかしさを圧した気遣いを感じた。
「馬子にも衣装ってやつだよね」
「…馬験はなくなりましたから、私が近藤さんの使番ですけど。何か?」
沖田さんをジロッと見る。すると彼は目を三日月にして、諸手を組み、愉快そうな表情で私を見た。
「衣装着たら女の子に見えて、それなりに可愛いって褒めてるじゃない」
「いや、それ全く褒めてないし。もはや言わない方がマシまでありますから」
「可愛いよ、相撲優勝も確実の大女さん。全財産賭けても損しなさそうだから、久々に壬生で興行するのも有りじゃない?」
相撲って
もはや女装の悪口ですらない何か……この人は私を怒らせたいだけだと察して、弥月は唇を戦慄かせる。
「使番って、どんな仕事なん?」
「…お遣いする係。水持ってこいとか、肩揉めとか」
「パシリか」
あー! 面倒くさい!
「梓月ッ、またね!」
「え、うん」
「じゃあ、僕も帰るね」
「着いてこないで下さい!」
「僕もこっちに用事あるだけだよ。自意識過剰」
「間合いが嫌っていつも言ってるでしょ!」
「幼気(いたいけ)な町娘さんは斬らないよ」
「大女は含まれないって言いたいんですよね!!?」
やいやい言って、叩いたり避けたりしながら遠くなっていく二人を見て、梓月はポカンとする。
「あの『沖田総司』と仲良いとかスゲー…」
坂本龍馬だとか西郷隆盛だとか、歴史に名を連ねる偉人たちと話してきたけれど、やっぱり自分はどこか他人で。近藤勇と竹刀を交え、入隊はどうかと声をかけられたときも、『俺が?』という違和感が拭えなかった。
それなのに、怒ったり、笑ったり、照れたり……家族や友達と同じように親しくある弥月の姿。
弥月、分かってるんだろ…?
新選組の行く先を知らないはずがないと、梓月の胸はザワリと波立った。