姓は「矢代」で固定
第3話 長州訊問使
混沌夢主用・名前のみ変更可能
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慶応元年十一月中旬
左右で誰も見ていないことを確認して、塀を越えて地に降り立つ。
いつものように食料などを詰めた籠を背負って、羅刹隊の宿舎へと足を運んだ。すると、まだ日暮れ前の時間帯だというのに、建物の外で誰かが動いている気配がする。
誰?
陰から覗い見ると、藍色の上衣にねずみ色の袴の後ろ姿。男は両手に桶を持って、水を汲みに出たようだった。
…後ろ姿、土方さんに似てる
そう思うほどに一見似ていても、土方さんとは対照的に、男はゆったりと上品に歩いていた。間違いようがない。
「酒井さん、おはようございます」
「ああ。今晩は、矢代くん」
「めっちゃ早起きですね」
「…これが早起きなのかどうか…」
嫌味のように受け取られてしまっただろうか。なんの気なしに言ったことに、彼に困り顔で返される。
確かに、夕方なんだけどさ…
先程の挨拶の返事といい、単なる私への気遣いか、普通の人間の時間感覚に合わせたいのか……酒井さんの性格だと後者な気がして、複雑な気持ちになる。
「早起きだと思いますよ。でも、遅寝遅起きの山南さん基準だったので、羅刹的にはもう普通の時間帯ですかね」
弥月が庵を指さしながら上司を物笑いの種にすると。酒井は苦笑して、自分は元々気になることがあると起きてしまう性分なのだと話す。
「今日も食べ物を持ってきて下さったのですか?」
「はい。今日の主菜は六番組作、冬瓜の炊合せです」
「井上さんですか。それは大当たりですね」
フフッと彼は笑った。
去る七月。
私が名古屋へ赴いている間に、屯所でも密かに大きな問題が生じていたらしい。その結果、会計方・酒井兵庫が羅刹となっていた。
他愛のない隊内の話をしながら、井戸で水を汲んだ酒井と共に、弥月は宿舎へ入る。
「お邪魔しまーす」
「話し声がすると思ったら、矢代君でしたか」
松原さんも起きていたらしい。やっぱり山南さんが遅起きなだけのようだ。
彼は米を量ろうとしていた桝を置いて、「いつもありがとうございます」と弥月から籠を受け取り、良い匂いがすると言って嬉しそうな顔をした。
ここ、超過ごしやすそう
穏やか、慎ましやかを絵に描いたような三人で暮らしている。彼ら同士の付き合いも長く、松原さんは山南さんと旧知の仲、酒井さんは私とほぼ同時期の入隊で、気心知れた仲だった。
なにより、山南さんが四六時中一人ぼっちでないことが、私たちとしては安心する。本人は『独りが性に合ってる』とか言いそうだけれど、本当は賑やかな空気を感じているのが好きなはずだ。
その山南さんは…寝てる
引き戸一枚の向こうの人物。いくら遅起きさんとは言えど、来客があると知ると頑張って起きてくるから、敢えて今日は早めに来てみた。
弥月は口に手を当てて「あの」と、甕に水を満たす酒井へ小さく声をかける。
「セクハラなので、答えたくなかったら黙秘で良いんですけど」
「? はい?」
「治療室管理人として、学問的興味として、お伺いしたいんですけど」
「…はい」
「羅刹って、生殖器官は正常なんですか?」
「…? せいしょく?」
酒井が首を傾げるのを見て、弥月は眉間に皺を寄せたが、すぐに視線をスーーーッと上げて、ゆっくりと下ろす。至って真剣な表情のままで、いつもより一段低い声を出した。
「…男女の営みはできるのかとお伺いしたく」
「ん゛っ」
恥じらいを持ってはならない。
これは学問的な知識の共有である
鬼と羅刹の関係性を解くために、必要な情報である
酒井さんが硬直して瞳だけを泳がせるので、私は首を横に振る。落ち着いてくれ、動揺されると私も恥ずかしくなる。
「どうされたのですか?」
「あっ…と」
松原に尋ねられ、酒井が狼狽えたままハクハクと口を開け閉めするので、弥月は渋い顔になって松原を小さく手招いた。弥月の手振りで、三人は上り口でしゃがんで膝を突き合わせる。
「男同士、恥じらわれると私も困ります。あくまで羅刹の研究者の一人としてお尋ねしています」
「すみません…」
弥月が酒井を叱るのを見て、松原は首を傾げる。
「松原さんは」
「はい」
「羅刹になってからも、女性との夜の営みは可能に感じますか?」
「…」
いつも柔和で平然と構えている松原さんの、すごい顔を見た。
いや、私もできるなら新八さんとかが訊きやすかったんだけどさ
この二人がそういう話を喜ばないのは分かってるから、とっとと事実だけ答えてほしい。個人的な性の事情なんて想像したくないから、時間的な隙を与えないでほしい。
そう思って彼を睨むと、松原さんはやむなくという顔で首肯した。
「可能、かなとは」
「酒井さんは?」
「…そう、ですね」
「なるほど」
弥月はコクンと頷き、「ご協力ありがとうございます」と話を締めくくる。
ガラッ
「…おられますよね?」
「おはようございます、山南さん」
「聞こえた声が急に途絶えたので。どうかしましたか?」
「いいえ? 特に何もないですよ」
質問ににこやかに答える弥月に対し、半笑いで気まずい顔をしている男二人。彼らは立ち上がってそそくさと散っていく。
「では、三人揃ってそこで何を?」
「…山南さんの寝起きをいかに良くするか、文殊の知恵を絞ってただけです」
「…それはそれは。仮にそうだとしても、相手に伝えることではありませんね」
「ええ。でも、毎日共に寝起きするお二人の気持ちを考えると、私が指摘してあげるのが親切だと思」
「矢代君!」
「山南さん!私達そのような事は思っておりません!」
再び桶を手にした酒井と、米揚笊を持った松原は慌てて止めに入る。
まるで自分らが被害を訴えたかのように、あまりに勝手に遮蔽物にされそうになった。
「では、あなた方は何の話を?」
二人は口を結んで、弥月を見下ろす。
えー…流石に言いにくいんだけど…
弥月がなぜ言い渋るのか、当然男二人は知る由もなく。相応の理由があるのだろうと、本人からの自供を待つ。
「…お二人に困り事はないか、お聞きしてただけです」
「……」
「ほら、上司に言いにくい事ってあるじゃないですか。ここ、真面目な上司に、真面目な部下ばっかりで。たまには下らない人間の意見も聞きたいかなって」
「なるほど? その下らない貴方が、私の寝起きの悪さ以外の、一体何を改善しようと?」
「…艶っぽい都々逸(どどいつ)とか春画とか?」
「ーー…」
山南さんは虚を突かれた顔をした。
そして半端に開いた口が、しばらく『あー』や『んー』やと形だけを変えるが、最終的に、彼は無言のまま片手で頭を抱えた。
「ほら。私が言ったら、そういう反応するでしょ?」
「…お止めなさい」
「でも、二人の話聞いてあげられる人なんて限られてるじゃないですか。
沖田さんや土方さんはそんなこと思いも付かなさそうだし、新八さんなんかは下世話過ぎて話しにくそう」
「……貴方のすばらしい配慮は分かりました。酒井君、松原さん、詳細はまた後でお聞きしますので…」
山南が対応に苦慮しているのを見て、二人は目配せしあい、命じられてもいないが宿舎から出ていく。それを確認するかのように、山南はジッと戸を見てから、ハァと溜め息を吐いた。
「…貴女は本当に勘が冴えていますね」
「え」
需要あったの?
さも『意外』という顔でキョトンとする弥月を見て、山南は「違います」とその考えを否定する。
「松原さんのことで…土方君にご相談に行こうと思っていたところでした」
「松原さん?」
思わず戸を振り返るが、姿はもうない。
「最近、羅刹化の間隔が短くなっています」
!!
それは不味い。早く止めないと、完全に正気を失って戻ってこれなくなる。
私がそれを実際に見たのは、最初に出会った羅刹だけだったけれど、あの状態になるのなら看過できない。繋いだ命をまた絶つなんてしたくない。
でも…なんで? 一番後に変若水を飲んだ、松原さんからなのは…
「我々の仮説通りだとしたら、本人が自覚できるのが助かる点でもあり、一番厄介なところですね」
「…どういう事ですか?」
「間隔が短くなっていることへの焦りで、悪循環に陥っているようです」
それは山南さんと私が立てた仮説…満たされない渇望が、羅刹化を早めるという話だった。
「助かるというのは?」
「本人が話してさえくれれば解決しうることかもしれません」
しうる?
話の概要は掴めたが、今ひとつ核心に触れない。土方さんと話をするつもりと言うわりには、山南さんらしくなく、前提条件となる情報を詰められていないような気がした。
「都々逸ですよ」
私の脳内を『ベンベン』と三味線の音が掠める。
「あ」
「彼自身がどうにもすべき事でないと、決心されているのでしょうね。こちらから仄めかしても何も仰いませんから、如何したものかと悩んでいたところです」
「…絶対それなんですか?」
「絶対とは言いませんが、他に思い当たることがあれば」
教えてほしいと言われても……仏僧のような人柄と見た目の松原さん。
ああいう不祥事が起こったこと事態、私が調べ上げたものの、天地がひっくり返るほどに驚いたのだが。
ふぅと息を吐きながら、山南は眼鏡を押し上げる。
「なんとか出来ますか?」
「また無茶ぶりィ…」
そもそも、それは何をどうしろという命令なのか。
「えー…っと、それはつまり、やっぱり私に艶本を買って来いとい」
「違います」
ピシャリと切り捨てられる。そんなに怒らなくてもいいじゃん。
「私もできるだけ外に出ないようにしてはいますが、流石に、三人で籠りっぱなしというのに限界を感じていたところです」
「…寧ろ、よく保ってるなあって私は感心してましたよ。山南さん、引き篭もりの才能あるなぁって」
山南さんは半年を越え、酒井さんは四ヶ月、松原さんは二ヶ月。羅刹隊の外出といえば、深夜に人気のない外をウロウロするか、山南さんが稀に屯所に来るのが唯一で。それで文句も不満も言わずにずっと過ごしていた。
私には無理。アタマおかしくなる
「それも踏まえて、考えうる解決方法について、土方君に相談しようと思っていたのです」
弥月は相槌程度に首を縦に振る。
「彼を外に出しましょう」
「…」
「我々の仮説を検証する時がやってきたのです」
「…マジですか」
そのノリ本気?
神妙な声をしているが、心なしか楽しそうだ。
「幸い、彼が一番陽の光に鈍感ですから、夕刻や早朝ならば普段通りに活動することも可能です」
「へー…」
羅刹は日中…特に陽の下では、酷い倦怠感があって動きにくいというのは知っての通りだが。今の話で言うと、若干の個人差があるらしい。
「やはり、あまり気乗りしませんか?」
「…良いんですけどね」
あなたの知的好奇心に、松原さんが良いように使われそうな事以外は
そうは言っても、他に妙案が思いつきそうにもないので、とりあえず土方さんに相談しようということで頷いておいた。
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