姓は「矢代」で固定
第1話 誘われて
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慶応元年八月九日
「弥月君、この後、暇なら一緒に出かけないか?」
それは一緒に洗濯物を洗っていて、終わりかけの頃、烝さんに言われた。
えっ…と
まさか「それはデートですか?」と聞けるわけもなく。
確かに予定がなかった私は「いいですよー」と応えたのだが、果たしてちゃんと笑えていただろうか…
***
山崎side
思わず笑いそうになった。
彼女が「いいですよ」という前に、かなり間があった。そして、一瞬の困惑した表情を払拭する、いつも通りの明るい笑顔とわずかな頬の赤らみ。
弥月君は正しくその意味を理解してくれていて、自分が意識されているのだと……それでも今まで通り一緒に出かけてくれるのだと、嬉しくて可笑しかった。
出かける支度をするのにも同じ部屋に向かっていくのだから、この小さな幸せがいつまでも続けば良いのにと思う。
「行こうか」
「はーい」
どこに行くとも聞かないのは、信用されているからか、ただ暇だからなのか……割と半々な自信がある。
今の時季は祇園祭と秋の小さな例祭の合間で、街のどこも落ち着いた様子だった。
特に用事があるわけではなく、河原を歩いて明るい紅色…萩の花を見つけては、秋の七草について話した。今月は中秋だから月が綺麗だろうと、まだ明るい空を共に見上げる。錦市場では豆腐田楽を咥えながら、サヨリだかサンマだかを買うかどうかを話し合う。
彼女は以前「秋刀魚を食べたい」と雪村君に話したが、江戸から来た皆は「貧乏人が食べるもの」と思うらしく、そういう理由であまり食卓に上がらないそうだ。それは我々上方の者は不満だと意気投合した。
つい一昨日までも同じように語らいながら旅をしていたのに。ふとした瞬間に彼女の瞳に俺が映っていることが、今までの何倍も胸を高鳴らせた。
弥月君が前を歩くと、後姿でようやく見える、キラリと光る簪。
そういう所なんだが、な…
朝は着けていなかったから、出かける準備のときに用意したはずだ。俺に隠れてそれを挿したのだろう彼女の姿を想像して、つい頬が緩む。
そういう律儀なところも好ましいのだと、言ってもまた不可解な顔をしそうだ。
もし弥月君が女性の格好をしていたら、こうして俺の前を歩くことはないだろう。まして未婚の男女が伴に外を散策するなんて、人目を憚ることだ。
俺にとったら、君の男装は役得か…
市場の端が見えて来て、弥月はくるりと烝を振り向いた。
「烝さん、南部先生のとこ寄ってもいいですか?」
「ああ。まだ松本先生が京におられるか、俺も気になっていた」
「そそ。昨日の件、早々に薩摩が患者引き取りに来たじゃないですか。薩摩藩医が困ること見越して、こっちから松本先生にお願いしといたら、薩摩に恩着せれるかなって」
それは…
……褒めるべきか?
たまにズル賢いところがあるから、今のは言葉通りなのか、本心は患者への心配かを判断しかねた。
弥月君は「手土産はお菓子でいっかなー、南部先生は辛党かなー?」と言いながら、また店を物色していた。
結局、松本医師は大坂に赴いているらしく不在にしていたため、万一のときの言付けだけ残して会津藩医宅を後にする。それから帰るまでの休憩にと、茶屋の外の座敷に腰かけて、葛湯を飲みながら人の往来を眺めた。
「今、大坂城の方ってどうなってるんですか?」
「長州にはもう一度、上京するように勅命を出したそうだ。だから引き続き、軍は待機だな」
「朝廷って案外優しいんですね。一回目の無礼は聞かなかったことにするって事でしょ? 家茂さんもよく三ヶ月も大坂で我慢してますね」
「当然、家茂公は軍を待機させてるからな…士気の低下や備蓄の観点から、早々に出征したいとは思うんだが……征長に待ったをかけている朝廷と、その顔を立てようとしている禁裏御護守衛総督との折り合いが悪くなる」
「元将軍後見の慶喜さん?」
「そうだ、一橋慶喜公」
彼女の言う通り、将軍が上京してから暫く経つのだが、まだこの状態が続きそうだ。
「将軍って生きてる間に辞職して、十五代に代わる事ってあるんですか?」
「あるが?」
「ふうん……ああ、国によっては王様は亡くなるまで王位に就いてて、王太子はお爺さんになっても王太子って仕組みの国もあるんですよ」
烝が質問の意図を不思議に思って首を傾げると、弥月はその説明をする。
それから彼女は「慶喜さんねぇ」と呟きながら、思案するように瞼を下ろした。
綺麗だな…
万人受けするかと問われたら違うのかもしれないが、男性に間違われるだけのことはある精悍な雰囲気だと思う。
なにかを考えているらしいが、こちらを見てほしくて、その頬に触れたくなる。
「次、長州は来ますかね?」
「…来ないだろうな」
「まあ来ねぇわなァ」
!!?
「しら…ッ!」
「よお、よく会うな。まあお前が目立つから、見つけやすいのは助かるぜ」
バッと彼女の前に立つ。咄嗟に名前までは出てこなかったが、二条城で見た鬼だと理解した。
「あ? 誰だお前。人間に用はねぇんだが」
「彼女に用なら俺が承る」
「あ゛…?」
「烝さん!ここ!外! 人、居るから!男! 私、男!」
背中を引っぱられコソコソと言われて気付く。今のは完全に失態だった。
烝はコホンと咳払いをしてから、改めて男を睨みつける。
「…長州の人間がよく堂々と歩けるものだ。まして俺達に声をかけるなんて、どういうつもりだ」
「てめぇに用はねぇんだって。そっちの…弥月にデートに誘われてるからな」
「誘ってない。デートじゃない」
でぇと?
「それはデートか?」
「……」
それ…?
弥月君を肩越しに振り返ると、その質問を無視したというよりも、彼女は言葉に詰まっていた。
「…やっぱりな」
「……」
「色気のない話してるから、まさかなと思ったんだけどよ」
不知火は顎を上げて鼻から息を吐きだした。何を問い詰められているのか、弥月君が顔を隠して頭を抱えた。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
「大丈夫…何も訊かないで…」
何が…?
「じゃじゃ馬が多少の火遊びするくらいなら、まあ大目にみてやるけどな。オレと約束しといてそれは無いんじゃねぇか?」
「―――っ、関係ないじゃん! 不知火、あんたに関係ないから!」
「関係ねぇってことはねぇだろ? 求婚してる男に対して」
「きゅ…っ!?」
「…だろうなァ。言わねぇよなあ?」
ニヤニヤとする不知火目掛けて、弥月は走り出でて腹に拳を突いた。しかし、彼は「おっと」と言って掌で受け止める。
「変態呼ばわりした仕返しにしちゃ優しいだろ?」
「ちょっと見直したのに! もう感謝しないから!」
「馬のことか? そういや全然肉ついてなかったな。もっと太れって言ってるだろ」
「関係ない!」
今度は下から顎目掛けて拳を振り上げたが、それも止められていた。
彼女が両手を掴まれている姿に、胸がざわりとして、彼女を引っ張ってもう一度後ろに隠す。
「彼女はこのままで良いんだ。可愛いし、綺麗だ」
「あ゛ぁ? どうせ触ったこともねぇんだろ。そいつ骨と皮しかねぇんだぜ?」
「触った? くだらない嘘を吐くな。触ったというなら分かるだろ。無駄のない引き締まった長い手足をしている。あの脚線を骨と皮だなんて失礼にも程がある」
「ちょっ」
「…見ただけか? ハッ…ガキかよ!」
「…彼女の背筋について話してやればいいのか?」
「待って! 烝さん、もう喋らないで、恥ずか死ぬ」
「本当のことだ」
「死ぬから」
「弥月、お前趣味悪いな。こんな女に肉付けさせる甲斐性のない男やめとけよ。安心してガキ作ることもできねぇだろ」
「―――ッ、喋んな!! あんたら、もう喋んなっ!!!」
叫びながら弥月は片腕をブワンと大振りに振って、大股で歩き出す。
俺もか!!?
葛湯代をそこに置いて、慌てて彼女を追いかける。
「弥月く…」
「帰る!ムリ、知らん!帰る!」
「おーい、俺はまだしばらく居るから、話したいなら会いに来いよ」
彼女はそれに返事をしなかった。
「弥月君…!」
ズンズンと突き進む彼女の手を取る。
驚いたのかビクッと猫のように飛び上がるから、手を離した方が良いかと思ったが、歩調が緩んだだけで振り払われることは無かった。
どうしたものか…
聞きたいことはハッキリしていたが、くだらない言い合いをしてしまった。この状態の彼女に問いかけて、許されるか分からない。
怒ってるのか……怒るよな…
足を止めない彼女に歩調を合わせてしばしば歩く。
二条城警護の日に教えてもらったのは、『女鬼だから伴侶に望まれる』ということ。具体的に誰が誰にという話はなかったが、どうやら不知火が弥月君に申込みをした後ということが分かった。
……
心中穏やかではないのだが、そっと弥月君の顔を窺い見て、嫉妬するだけ馬鹿馬鹿しくなった。
真っ赤な顔で、眉間に見たことのない深い深い皺を寄せていた。
「…鬼は三人居るのを知っているが、今の…だけ、か?」
「…」
返事くらいはもらえると思ったのだが、それが全く無くて。
またしばらく歩いた後に、彼女は首を縦に振った。気にしていたからその動きに気付いたが、危うく見逃すところだった。
「…すまない。つい…」
少しの間の後、ブンッと手を振り払われた。
とんでもない一日の終わりになった。