姓は「矢代」で固定
第3話 長州訊問使
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慶応元年十一月二日
『おやすみなさい』と、いつもどおりに弥月君は言った。明日の変わらない「おはよう」を疑いもしなかった。
間もなく、静寂に聞こえるかすかな寝息。それが円(まろ)やかにこちらの眠りを誘う。
今日みたいな日は良い。外にいて身体も気持ちも疲労しているから、すぐに寝入れるだろう。そうでない時は…
あしひきの山、か
先人の長い夜を想う。
俺は副長のような、風流を嗜む才は持ち合わせていない。上手く言い表せられない心の機微を、伝えられる手段があることを羨ましく思う。
それでも。このまどろみに抑えられた渇望は、彼女の微かな変化をきっと見逃さないと確信できる。まだ見ぬ彼女からの熱を、手ぐすねを引いて待っていた。
恋い慕う気持ちを抱えながら、意識は遠くなっていく。
山崎side
眼を開くより前に、ぼんやりと意識が戻る。瞼の裏のほんのりとした明るさと、人が動く気配に、もうすぐ朝が来るのだと知る。
彼女は早起きだ。まだ暗い内からいつも俺を起こさないように、そっと部屋を出ていく。
障子が閉まる音を聞いてから、うっすらと瞼を開けた。
隣にあるのは、整えただけで畳まれてはいない布団。戯れに手を伸ばしても、ほんのわずかに届かない距離……そこに残った温もりを焦がれた。
そうして再び己の熱に包まれて微睡む。もうしばらく寝ていたい。
陽が昇る前、明るくなると共に屯所はざわめき出す。それに釣られて今度こそ目を覚まし、布団を畳みながら、明け六つの鐘が鳴るのを聞いた。起床時刻だ。
「おはようございます」
「おはよう、弥月君。今朝も早いな」
布団を片付ける手を止めて、帰ってきた彼女と顔を合わせる。
今朝はどこぞを走ってきたのだろう、朝一番とは思えないハッキリとして輝いた目。息切れとわずかな紅潮。
爽やかな青年とはこういう人を言うのだろう。人としての好感があまりに高くて、思わず笑ってしまう。
「どうかしました?」
「いや…朝から元気だな、と思っただけだ。なぜそんなに頑張れるんだ?」
「平隊士に嘗められるわけにはいきませんから! まずは体力!」
…嘗められはしないだろう
すでに彼女は古参の部類に入る。さらには、短期間とはいえ一番組伍長を務め、今は監察として隊内の諸事情に詳しく、何かにつけて土方副長に重宝され、局長や参謀の覚えも良い。
嫉妬から敵対心が起きようとも、嘗めてかかる隊士などまさか居るはずもないのだが。
負けず嫌いだからな
烝が苦笑したのに弥月は気付かず、押入れに布団を押し込みながら「だってね」と話を続ける。
「屋根にへばりついてるだけの任務期間って、我慢と忍耐は鍛えられますけど、筋力とかもろもろ衰える気がするんですよね」
「俺たちは戦闘第一ではないからな。まあ仕方がないだろう」
「でも、剣の技術的な面が劣っても、死なない力?的なのは要るじゃないですか。
それってやっぱり最後は体力勝負な気がしません?」
「それを言うなら気力じゃないか?」
「うーん…? 私としては、気持ちに身体がついてこなくて、立てなきゃ死ぬし。死んだら負けというか…
でも、どうせなら、弁慶の仁王立ちみたいに格好よくありたいなって。あれは負けじゃない」
縁起でもないが、気持ちは分かるし、なんなら俺よりも男前な信条で、些か負けた気分になる。弥月君は逃げと回避を特技にしている割には、無意識に溢すその心根は、武士の様を呈していた。
「君の…勝ちへのこだわりは、誰の教えなんだ?」
「んー…教えてもらってない、かも? 私理論で。 立ってたらまだ負けてないし。逃げても次に勝てば良いかなって」
「…それはなんというか…究極だな」
「ん、まあ。勝ち逃げされるのは、芹沢さん一人で十分です」
咄嗟に返事をしそこなったが、過敏に反応したと思われない程度に、そっと彼女を窺い見る。
以前はその名を出さないようにしていたはずだ。その人の死については、どれだけ弥月君と打ち解けようとも、俺たちの間の消えない確執のはずだった。けれど、今は世間話のように、自分と故人との繋がりを語る。
強く優しく人だ
俺を責めているわけではなく、思い出を口にしているのだと確信できる。きっと彼女なりの優しさであり、俺への赦しなのだ。
「今日、烝さんどこ行く予定ですか?」
「いや、今日は待機だ」
「待機?」
「征長が始まる」
「!!」
「起床の支度が整い次第、全隊士が呼ばれることになっている」
弥月君の息遣いが細く長くなり、纏う空気が変わる。彼女の打てば響くときの姿には、人として惹かれる。
「詳細は未だ?」
「これから全隊士向けて説明がある。ただ、会津からの出兵の要請ではなく、一部の者が特使として幕臣に同行して長州へ向かうだけだ」
「…行きますか?」
君の話だろうか
それとも、俺はと聞いてくれるのか
烝は静かに首を横に振った。
「確定事項としては、俺も未だ聞いていない」
「…分かりました」
俺を真っ直ぐに見ながらも不安げ揺れていた瞳が、睫毛を下ろして隠される。感情を堪えるように、艶やかな唇が引き結ばれるのを見つけて、ほのかに湧く劣情。
触れたい
危険な任務への覚悟をしようと努める君。
今、たゆたう軟らかな心に触れれば、容易く受け入れてくれるだろうか
それとも、この浅はかな情欲を嫌悪されるだろうか
考えて、密かに長い息を吐き出す。
察しの良い彼女だ。今の俺がそうしたのなら、これから通達される内容を感じとるだろう。知らない振りをした意味がない。
視線を上げた弥月は、微かに口の端を上げる。片付いた部屋を一瞥して、鋭い瞳で「じゃあ、行きましょうか」と笑った。
***