姓は「矢代」で固定
第2話 淡く深く
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***
「千鶴ちゃん、起きてる?」
「…はい」
もう寝ているかと思って、極々小さな声で呼んでみたら、すぐに中で人が動く気配と返事があった。
「具合どう?」
「ありがとうございます。全然体調は悪くなくて……あの、弥月さんに話したいことが…」
障子が人幅にだけ開いて、困り顔の千鶴ちゃんと目が合う。袖を引っ張られため、なんの気なく「はいはい」と中へ入っていこうとしたが、片足が敷居を跨いだところで、ピタリと思い止まる。
「あー…っと。夜半だから、千鶴ちゃんの名誉のためにここ開け放しにするか、もう一人連れてくるかの方が良いんだけど…」
仮にも男女二人きりで締切の部屋は宜しくない……違うんだけどさ。
それを理解したらしい彼女が更に困るのを見て、弥月は「話、明日にする?」と問い直す。けれど、千鶴は袖を握ったまま承諾も否定もせずに、考え続けていた。
つまり、それなりに急ぎで、あまり他の人に聞かれたくない話……これはもしや、愛の告白…
…だったら、無防備すぎるから駄目でーす
誰かに勘違いされると不都合なのだから、そういう類の話ではないはずだ。
つまり、だ
「あのさ。もし傷の話なら、他に話聞く人いちゃダメ?」
「…!」
バッと顔を上げた千鶴ちゃん。目が合うと、怯えて泣きそうな顔をした。
彼女が鬼だとは教えなくても良い事と、土方さんに言われていたし、追及されないならそっとしておくつもりだったけれど。こんな顔をするほどに知られたかどうか不安で、曖昧なままにもできない事らしい。
こっちこそ潮時というか、良い機会か…
この様子だと、ずっと隠して生きてきて……もしかしたら、私がすでに誰かに話したのではないかと、心配していたのだろう。
けれど、彼女が思っているほど皆に悪い風にはきっと思われないから、下手に隠そうとするよりも、知ってもらった方がこれから生きやすくなるはずだ。
「土方さんと沖田さん、連れてきても良い?」
いつもの面子なら誰でも良いような気はしたが、あまり人数の圧があっても心に優しくない。
「信頼、できるでしょ?」
沖田さんは兎も角
この夏、千鶴ちゃんが背中に蝉を入れられて、悲鳴を上げていた記憶は未だ新しい。
人は悪いけれど、沖田さんは彼女が気にするような過剰な反応もせず、偏見なく受け入れてくれるのは間違いない、
弥月からは旋毛(つむじ)しか見えなかったが、千鶴が小さく頷いたので、その頭を一撫でして「待っててね」と言い置いた。
「さて。選抜してお呼びしたわけですが、空気がお通夜になりそうなので、私が仕切りますね」
千鶴ちゃんは既にものすごく暗い。
あとは、何事かと眉間に皺を寄せている土方さんと、全てを把握してるのに『我関せず』という雰囲気を醸す沖田さん。沖田さんは寝入りばなに起こされたので、多少機嫌が悪いのは仕方ない。ここは私が道化になって、明るく楽しく率先して話すしかないだろう。
「じゃあまず前置きで。
私、鬼だから、最近調子良いとき半間ほど縦に跳べるんですよ。すごくない?」
「…便利そうだな」
「マジ便利です。てか、本物の忍者って全員鬼じゃないか説まである」
「そうか」
男達に話を振ると、幸いにも土方さんが空気を読んで相槌をくれた。これで本題が何かを理解してくれていたら幸いだ。
「あの鬼さんら、屋根から飛び下りてくるし、ピョンと跳んで塀の上乗るじゃないですか。超スゲーと思ってたんですけど、私もそのうちできそうで。水の上走る練習とかしてみようかなって」
「そうか」
「諸士調的に最強だし、給料上げてくれていいですよ」
「できてから言え」
「君、自信過剰なんだから、馬鹿なこと挑戦しないでよ」
意外なことに、沖田さんからすかさず注意をされて、「はーい」と軽く返事をする。私は川で溺れた人だった。
「…弥月さん、鬼なんですか?」
ようやく話題に乗ってきてくれた彼女。待ってました。
「らしい。角とか無いんだけど、鬼っていう種族で。人間じゃないらしい」
「人間じゃない…?」
「そう。私、150年後の世界から来たんだよね」
「…?」
千鶴は目をパチクリして、しばらくしてコテンと首を傾げた。
「えっ…と?」
「割とそのままの意味で。二年前、神隠しにあって、未来からこの世界に飛んできました。梓月もそう」
千鶴ちゃんはそれを理解しようとまたしばらく考えていた。そして、私からの説明ではなく、土方さんへ視線を送って補足を求める。
ただ、さすが土方さん。打ち合わせもなかったものの、話の本題を察したらしい。私を止める気も全くないようで、ただ深く頷いた。
「で、千鶴ちゃんも鬼らしいです」
「…」
「唐突にごめんね。でもこの話、ほぼ確の事項でさ。
鬼には人間にはない特殊な力があるらしんだけど、心当たりない?」
返事はなかった。けれど、長い長い時間の後、千鶴は身体を小さくしてコクンと頷いた。
「傷が…すぐに治ります」
「だよね。さっきの手の事も、最初は血が出てたんだよね?」
今度はゆっくりとだが、すぐに頷いた。
「物心ついた頃から備わっていた力です。父からは…他の人に知られてはいけないと言われてきました」
そう説明を始めても、誰とも視線を合わせようとしない彼女へ、弥月は直観的に声をかける。
「嫌?」
俯いたままくしゃりと顔を歪めた千鶴に気付いて、弥月は「ああ、ごめん。違って」と言い直す。
「傷がすぐ治るの、そんなに嫌かなって?」
「気持ち…悪い、です」
「治るのが?」
「普通じゃないです…」
普通、か
自分もそれを何度願ったか。
率直に共感した事を伝えるか、落ち込む彼女へ、大した事じゃないのだと軽く受け流す方が良いか。
「こいつ見てみろ。普通な所なんかねぇぞ」
弥月が少し迷った間に、土方から投げられた励ましの言葉。比較して他人を貶めるとは…と、彼を見咎めたが、視線が合って、いつもの調子を求められているのだと気付いた。
土方さんにとっての私の立ち位置を理解して、弥月は苦笑しながら、親指を立てて自分を指さす。
「私、鬼の上位互換で、神様だからね。皆もっと敬うがよい!」
普通じゃなくても、弥月で良いって思ってくれる人達がいる
ニイッと男達に笑いかけると、沖田さんは鼻で笑い、土方さんは一瞬訝しむ顔をしたもののすぐに興味を失ったらしい。二人とも千鶴ちゃんへと視線を戻した。
「弥月さん、鬼って…何でしょうか?」
「んー…まあ、ちょっと特殊能力あるくらいじゃない? 正直、なんで風間があんなに偉そうなのか、私には理解不能」
「…」
「…千鶴ちゃんは、私のこと、鬼だったら関わりたくないなって思う?」
「!? 思いません!」
千鶴ちゃんがようやく顔を上げた。
「だよね。私もちょっと前に自分が鬼って分かったんだけど。誰も扱い変わらなかったもんね、土方さん」
「おう。水の上でも火の中でも走って来い」
「無茶ぶりすぎる」
「自分で言ったんじゃねえか」
くだらないやり取りをして、「こんな感じ」と彼女に話をふる。
「気持ち悪く」
「ないよ」
「ない」
つい食い気味で答えてしまったが、土方さんもほぼ同時だった。
私らの方こそ助けられてる
物理的にも精神的にも。それは私だけではないはずだ。
「てか、土方さん、もしかして知ってました?」
傷が治る話をしていたときに、彼が大して驚いてもいない気がしていたので問いかける。
「え?」
「いや……だが、合点がいった」
土方さんはフッと優しい顔をした。
「天王山でお前、腕を怪我しただろ」
「あ…」
「あの血の量だ。それなりに斬れたはずと思ったんだが、その後も変わらず隊士を介抱してくれてたからな。随分、我慢強い女と思ったんだ」
「…血は少し出ましたが、あのくらいの傷なら立ち上がる頃には、もう治ってて…」
「そうか…なら、良かった。あの時はすまなかったな。怪我させちまって」
「いいえ!たまたま飛んできただけで、土方さんが謝られるようなことでは…!」
私は知らない話だったが、二人が解れた表情をしたから、一息吐く。
二人がしている話を知ってるかと、沖田さんへ首を傾げて問うたら、彼も首を振っていた。
「お前のその力、他の奴らに知られねぇようにしろ」
「はい」
ん?
千鶴ちゃんは素直に返事をしたが、私としては納得がいかない。鬼のことを知る人達とは、情報として共有しておく方が無難だと思っていた。
「なんでですか?」
「怪我してもすぐ治るなんざ、危ないとこ放り込んでくれって云うようなもんじゃねえか」
「…あーね。それ、私の仕事だ」
「そうだ」
「こんなところ辞めてやる」
「それにこの話を…もし、山南さんが聞いたらどう思う?」
退職宣言は全く本気に思われなかったらしい。
山南さん?
「…どうか思いますか?」
「千鶴ちゃんてさ、薬のこと、どこまで分かったの?」
「―――っ!?」
バッと弥月と土方は、沖田へ振り向き、何を言い出すのかと視線を送る。けれど、彼が鋭い眼差しで千鶴を捉えている意を汲み、すぐに千鶴へと向き戻り固唾を飲んだ。
千鶴は沖田、土方、弥月をそれぞれ順番に見て、瞼を伏せた。
「…父様が研究していた『傷がすぐ治る』けど、アヘンのように『心を壊す』薬だと」
知ってたんだ
私もかなり驚いたけれど、土方さんも知らなかったようで、「なんで知って…」と呟く。
「近藤さんと、松本先生が教えて下さいました」
私達が知る限りではその三人で会っていたのは、隊士全員が診察を受けた日だけだった。それはもう半年も前の話である。
「あんな研究に手を染めたことも、父には何か理由があったと思うんです。私のこの体質と関係があるのかも…と」
「何か知ってるの?」
「いいえ」
「本当に?」
沖田さんは尋問していたけれど、そこに敵意はない。今さら彼女への疑いが増えることはないし、寧ろ、口の堅さを確認した。
これは…全部問いただすべき?
そこまで分かっているなら、彼女が山南さんの怪我について疑問を持たないとは思えない。だって少し前に『研究に使う』と説明して、彼女の血をもらった。
弥月がどうしようかと思いあぐねたところで、土方は全員の注目を集めるほどの特大の溜息を吐く。
「知っちまったなら仕方ねぇな」
そんなヤクザさんみたいな……みたいなもんだったわ
「それも含めて、他言は禁止だ。
分かっちゃいるとは思うが、薬…変若水に関して、知っているのは極々一部の人間だけだ。組長や参謀でも知らないことと思って行動しろ」
「変若水…」
千鶴はその名を繰り返した。
「約束できるなら俺が護ってやる」
決意の固い声だった。
不思議なことを言うものだと思った。だって、彼女は多少の怪我をしてもすぐに治るのだから。痛みはあるのだとしても、それも傷が治ると同時に引く。
それでも『護る』と思うのは
彼女を大切にしたい気持ちがあるから
痛みの一つも、憂いの一つも減らしたいから
「鬼だから特別に何かしろとは思ってねぇ。今まで通り、自分のできる事をして、ここに居たら良い」
「私、ここに居ても…」
「鬼だろうが、神だろうが……ここは壬生狼と呼ばれた狼の巣だ。まともな人間なんて端っからいねぇんだよ。お前が居たいなら居りゃいい」
居たいなら…
……
…居てほしいって言えばいいのに
本当は『居たいかどうか』個人の意見なんて重要視されない。ここはそういう組織だ。
そして、新選組が戦に兵隊として出るのなら、副長がその身を賭して護らなけばならない人物なんて、抱えている余裕はない。
それでも自分が抱えるから、居たいと思ってほしいのなら
「私、ここにいます」
「そうか」
彼女のその答えを望んでいると思ったのに、複雑な表情をした土方さん。
…そっか
千鶴ちゃんの選択を守ることが、新選組副長としての彼の精一杯の思いなのだと気付いた。幹部は屯所外に家を持てる決まりだけれど、それでは自分が彼女を守ることができない。彼女も望んでいないなら、押し付けて願おうとはしない。
揶揄う気が起こらないほどに、それはあまりに優しく甘い……触れると壊れてしまう宝物を護るような、繊細な慕情だった。
ごめんね、土方さん
さっきのさっき、全力で揶揄ったことを心の中で謝る。
尊い
このまま壁になって空気になって、私など居ないことにしてほしいけれど、沖田さんと物理的に撤退するしかない。
「問題解決ということで、私と沖田さんはこのへんで…」
不思議そうに「え?」とこちらを見た千鶴ちゃん。そりゃあ土方さんを残す宣言なんて、貴女にとっては不思議だろうとも。
でも、沖田さんが土方さんを玩具にする前に、私は責任をもって、彼を引っ張り出さなければならない。
「…もう寝ろ」
私が障子を開けると、土方さんもすぐに立ち上がって、素直に「はい」と返事をした千鶴ちゃん。それは間違ってるんだけど…いいよ、そのままの君で。
沖田さんの腕を引っ張りながら、顔を隠して笑いをこらえる。駄目だ、これ面白いけど、笑っちゃダメなやつだから。
「…君って、本当、性格悪いよね」
声がニヤニヤしてる沖田さんに言われたくないけれど、顔面と震える肩を落ち着かせられない私は、返す言葉が無い。
廊下を進むと、後ろから「矢代」と声をかけられる。
「…大丈夫、私はただの防波堤…壁だから気にしなくていいです。沖田さんも、ね?」
「僕はそうだな…面白い句が増えるのは楽しみかなぁ」
「……」
腕を組んで歩く二人が何を言っているのか、当然、土方は正しく理解した。
理解したけれど、追及するだけ墓穴を掘りに行くのだとも分かって、二人の後ろで足を止めて、奥歯を噛んだ。
「千鶴ちゃん、起きてる?」
「…はい」
もう寝ているかと思って、極々小さな声で呼んでみたら、すぐに中で人が動く気配と返事があった。
「具合どう?」
「ありがとうございます。全然体調は悪くなくて……あの、弥月さんに話したいことが…」
障子が人幅にだけ開いて、困り顔の千鶴ちゃんと目が合う。袖を引っ張られため、なんの気なく「はいはい」と中へ入っていこうとしたが、片足が敷居を跨いだところで、ピタリと思い止まる。
「あー…っと。夜半だから、千鶴ちゃんの名誉のためにここ開け放しにするか、もう一人連れてくるかの方が良いんだけど…」
仮にも男女二人きりで締切の部屋は宜しくない……違うんだけどさ。
それを理解したらしい彼女が更に困るのを見て、弥月は「話、明日にする?」と問い直す。けれど、千鶴は袖を握ったまま承諾も否定もせずに、考え続けていた。
つまり、それなりに急ぎで、あまり他の人に聞かれたくない話……これはもしや、愛の告白…
…だったら、無防備すぎるから駄目でーす
誰かに勘違いされると不都合なのだから、そういう類の話ではないはずだ。
つまり、だ
「あのさ。もし傷の話なら、他に話聞く人いちゃダメ?」
「…!」
バッと顔を上げた千鶴ちゃん。目が合うと、怯えて泣きそうな顔をした。
彼女が鬼だとは教えなくても良い事と、土方さんに言われていたし、追及されないならそっとしておくつもりだったけれど。こんな顔をするほどに知られたかどうか不安で、曖昧なままにもできない事らしい。
こっちこそ潮時というか、良い機会か…
この様子だと、ずっと隠して生きてきて……もしかしたら、私がすでに誰かに話したのではないかと、心配していたのだろう。
けれど、彼女が思っているほど皆に悪い風にはきっと思われないから、下手に隠そうとするよりも、知ってもらった方がこれから生きやすくなるはずだ。
「土方さんと沖田さん、連れてきても良い?」
いつもの面子なら誰でも良いような気はしたが、あまり人数の圧があっても心に優しくない。
「信頼、できるでしょ?」
沖田さんは兎も角
この夏、千鶴ちゃんが背中に蝉を入れられて、悲鳴を上げていた記憶は未だ新しい。
人は悪いけれど、沖田さんは彼女が気にするような過剰な反応もせず、偏見なく受け入れてくれるのは間違いない、
弥月からは旋毛(つむじ)しか見えなかったが、千鶴が小さく頷いたので、その頭を一撫でして「待っててね」と言い置いた。
「さて。選抜してお呼びしたわけですが、空気がお通夜になりそうなので、私が仕切りますね」
千鶴ちゃんは既にものすごく暗い。
あとは、何事かと眉間に皺を寄せている土方さんと、全てを把握してるのに『我関せず』という雰囲気を醸す沖田さん。沖田さんは寝入りばなに起こされたので、多少機嫌が悪いのは仕方ない。ここは私が道化になって、明るく楽しく率先して話すしかないだろう。
「じゃあまず前置きで。
私、鬼だから、最近調子良いとき半間ほど縦に跳べるんですよ。すごくない?」
「…便利そうだな」
「マジ便利です。てか、本物の忍者って全員鬼じゃないか説まである」
「そうか」
男達に話を振ると、幸いにも土方さんが空気を読んで相槌をくれた。これで本題が何かを理解してくれていたら幸いだ。
「あの鬼さんら、屋根から飛び下りてくるし、ピョンと跳んで塀の上乗るじゃないですか。超スゲーと思ってたんですけど、私もそのうちできそうで。水の上走る練習とかしてみようかなって」
「そうか」
「諸士調的に最強だし、給料上げてくれていいですよ」
「できてから言え」
「君、自信過剰なんだから、馬鹿なこと挑戦しないでよ」
意外なことに、沖田さんからすかさず注意をされて、「はーい」と軽く返事をする。私は川で溺れた人だった。
「…弥月さん、鬼なんですか?」
ようやく話題に乗ってきてくれた彼女。待ってました。
「らしい。角とか無いんだけど、鬼っていう種族で。人間じゃないらしい」
「人間じゃない…?」
「そう。私、150年後の世界から来たんだよね」
「…?」
千鶴は目をパチクリして、しばらくしてコテンと首を傾げた。
「えっ…と?」
「割とそのままの意味で。二年前、神隠しにあって、未来からこの世界に飛んできました。梓月もそう」
千鶴ちゃんはそれを理解しようとまたしばらく考えていた。そして、私からの説明ではなく、土方さんへ視線を送って補足を求める。
ただ、さすが土方さん。打ち合わせもなかったものの、話の本題を察したらしい。私を止める気も全くないようで、ただ深く頷いた。
「で、千鶴ちゃんも鬼らしいです」
「…」
「唐突にごめんね。でもこの話、ほぼ確の事項でさ。
鬼には人間にはない特殊な力があるらしんだけど、心当たりない?」
返事はなかった。けれど、長い長い時間の後、千鶴は身体を小さくしてコクンと頷いた。
「傷が…すぐに治ります」
「だよね。さっきの手の事も、最初は血が出てたんだよね?」
今度はゆっくりとだが、すぐに頷いた。
「物心ついた頃から備わっていた力です。父からは…他の人に知られてはいけないと言われてきました」
そう説明を始めても、誰とも視線を合わせようとしない彼女へ、弥月は直観的に声をかける。
「嫌?」
俯いたままくしゃりと顔を歪めた千鶴に気付いて、弥月は「ああ、ごめん。違って」と言い直す。
「傷がすぐ治るの、そんなに嫌かなって?」
「気持ち…悪い、です」
「治るのが?」
「普通じゃないです…」
普通、か
自分もそれを何度願ったか。
率直に共感した事を伝えるか、落ち込む彼女へ、大した事じゃないのだと軽く受け流す方が良いか。
「こいつ見てみろ。普通な所なんかねぇぞ」
弥月が少し迷った間に、土方から投げられた励ましの言葉。比較して他人を貶めるとは…と、彼を見咎めたが、視線が合って、いつもの調子を求められているのだと気付いた。
土方さんにとっての私の立ち位置を理解して、弥月は苦笑しながら、親指を立てて自分を指さす。
「私、鬼の上位互換で、神様だからね。皆もっと敬うがよい!」
普通じゃなくても、弥月で良いって思ってくれる人達がいる
ニイッと男達に笑いかけると、沖田さんは鼻で笑い、土方さんは一瞬訝しむ顔をしたもののすぐに興味を失ったらしい。二人とも千鶴ちゃんへと視線を戻した。
「弥月さん、鬼って…何でしょうか?」
「んー…まあ、ちょっと特殊能力あるくらいじゃない? 正直、なんで風間があんなに偉そうなのか、私には理解不能」
「…」
「…千鶴ちゃんは、私のこと、鬼だったら関わりたくないなって思う?」
「!? 思いません!」
千鶴ちゃんがようやく顔を上げた。
「だよね。私もちょっと前に自分が鬼って分かったんだけど。誰も扱い変わらなかったもんね、土方さん」
「おう。水の上でも火の中でも走って来い」
「無茶ぶりすぎる」
「自分で言ったんじゃねえか」
くだらないやり取りをして、「こんな感じ」と彼女に話をふる。
「気持ち悪く」
「ないよ」
「ない」
つい食い気味で答えてしまったが、土方さんもほぼ同時だった。
私らの方こそ助けられてる
物理的にも精神的にも。それは私だけではないはずだ。
「てか、土方さん、もしかして知ってました?」
傷が治る話をしていたときに、彼が大して驚いてもいない気がしていたので問いかける。
「え?」
「いや……だが、合点がいった」
土方さんはフッと優しい顔をした。
「天王山でお前、腕を怪我しただろ」
「あ…」
「あの血の量だ。それなりに斬れたはずと思ったんだが、その後も変わらず隊士を介抱してくれてたからな。随分、我慢強い女と思ったんだ」
「…血は少し出ましたが、あのくらいの傷なら立ち上がる頃には、もう治ってて…」
「そうか…なら、良かった。あの時はすまなかったな。怪我させちまって」
「いいえ!たまたま飛んできただけで、土方さんが謝られるようなことでは…!」
私は知らない話だったが、二人が解れた表情をしたから、一息吐く。
二人がしている話を知ってるかと、沖田さんへ首を傾げて問うたら、彼も首を振っていた。
「お前のその力、他の奴らに知られねぇようにしろ」
「はい」
ん?
千鶴ちゃんは素直に返事をしたが、私としては納得がいかない。鬼のことを知る人達とは、情報として共有しておく方が無難だと思っていた。
「なんでですか?」
「怪我してもすぐ治るなんざ、危ないとこ放り込んでくれって云うようなもんじゃねえか」
「…あーね。それ、私の仕事だ」
「そうだ」
「こんなところ辞めてやる」
「それにこの話を…もし、山南さんが聞いたらどう思う?」
退職宣言は全く本気に思われなかったらしい。
山南さん?
「…どうか思いますか?」
「千鶴ちゃんてさ、薬のこと、どこまで分かったの?」
「―――っ!?」
バッと弥月と土方は、沖田へ振り向き、何を言い出すのかと視線を送る。けれど、彼が鋭い眼差しで千鶴を捉えている意を汲み、すぐに千鶴へと向き戻り固唾を飲んだ。
千鶴は沖田、土方、弥月をそれぞれ順番に見て、瞼を伏せた。
「…父様が研究していた『傷がすぐ治る』けど、アヘンのように『心を壊す』薬だと」
知ってたんだ
私もかなり驚いたけれど、土方さんも知らなかったようで、「なんで知って…」と呟く。
「近藤さんと、松本先生が教えて下さいました」
私達が知る限りではその三人で会っていたのは、隊士全員が診察を受けた日だけだった。それはもう半年も前の話である。
「あんな研究に手を染めたことも、父には何か理由があったと思うんです。私のこの体質と関係があるのかも…と」
「何か知ってるの?」
「いいえ」
「本当に?」
沖田さんは尋問していたけれど、そこに敵意はない。今さら彼女への疑いが増えることはないし、寧ろ、口の堅さを確認した。
これは…全部問いただすべき?
そこまで分かっているなら、彼女が山南さんの怪我について疑問を持たないとは思えない。だって少し前に『研究に使う』と説明して、彼女の血をもらった。
弥月がどうしようかと思いあぐねたところで、土方は全員の注目を集めるほどの特大の溜息を吐く。
「知っちまったなら仕方ねぇな」
そんなヤクザさんみたいな……みたいなもんだったわ
「それも含めて、他言は禁止だ。
分かっちゃいるとは思うが、薬…変若水に関して、知っているのは極々一部の人間だけだ。組長や参謀でも知らないことと思って行動しろ」
「変若水…」
千鶴はその名を繰り返した。
「約束できるなら俺が護ってやる」
決意の固い声だった。
不思議なことを言うものだと思った。だって、彼女は多少の怪我をしてもすぐに治るのだから。痛みはあるのだとしても、それも傷が治ると同時に引く。
それでも『護る』と思うのは
彼女を大切にしたい気持ちがあるから
痛みの一つも、憂いの一つも減らしたいから
「鬼だから特別に何かしろとは思ってねぇ。今まで通り、自分のできる事をして、ここに居たら良い」
「私、ここに居ても…」
「鬼だろうが、神だろうが……ここは壬生狼と呼ばれた狼の巣だ。まともな人間なんて端っからいねぇんだよ。お前が居たいなら居りゃいい」
居たいなら…
……
…居てほしいって言えばいいのに
本当は『居たいかどうか』個人の意見なんて重要視されない。ここはそういう組織だ。
そして、新選組が戦に兵隊として出るのなら、副長がその身を賭して護らなけばならない人物なんて、抱えている余裕はない。
それでも自分が抱えるから、居たいと思ってほしいのなら
「私、ここにいます」
「そうか」
彼女のその答えを望んでいると思ったのに、複雑な表情をした土方さん。
…そっか
千鶴ちゃんの選択を守ることが、新選組副長としての彼の精一杯の思いなのだと気付いた。幹部は屯所外に家を持てる決まりだけれど、それでは自分が彼女を守ることができない。彼女も望んでいないなら、押し付けて願おうとはしない。
揶揄う気が起こらないほどに、それはあまりに優しく甘い……触れると壊れてしまう宝物を護るような、繊細な慕情だった。
ごめんね、土方さん
さっきのさっき、全力で揶揄ったことを心の中で謝る。
尊い
このまま壁になって空気になって、私など居ないことにしてほしいけれど、沖田さんと物理的に撤退するしかない。
「問題解決ということで、私と沖田さんはこのへんで…」
不思議そうに「え?」とこちらを見た千鶴ちゃん。そりゃあ土方さんを残す宣言なんて、貴女にとっては不思議だろうとも。
でも、沖田さんが土方さんを玩具にする前に、私は責任をもって、彼を引っ張り出さなければならない。
「…もう寝ろ」
私が障子を開けると、土方さんもすぐに立ち上がって、素直に「はい」と返事をした千鶴ちゃん。それは間違ってるんだけど…いいよ、そのままの君で。
沖田さんの腕を引っ張りながら、顔を隠して笑いをこらえる。駄目だ、これ面白いけど、笑っちゃダメなやつだから。
「…君って、本当、性格悪いよね」
声がニヤニヤしてる沖田さんに言われたくないけれど、顔面と震える肩を落ち着かせられない私は、返す言葉が無い。
廊下を進むと、後ろから「矢代」と声をかけられる。
「…大丈夫、私はただの防波堤…壁だから気にしなくていいです。沖田さんも、ね?」
「僕はそうだな…面白い句が増えるのは楽しみかなぁ」
「……」
腕を組んで歩く二人が何を言っているのか、当然、土方は正しく理解した。
理解したけれど、追及するだけ墓穴を掘りに行くのだとも分かって、二人の後ろで足を止めて、奥歯を噛んだ。