姓は「矢代」で固定
第2話 淡く深く
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慶応元年十月下旬
千鶴side
勝手場でお漬物を切っていると、トトトッと軽快な足音がこちらに向かってきて、背後で止まったことに気付いた。
「千鶴ちゃん、昼ごはん私も欲しい〜 いける?」
振り返った先にいたのは、ここ数日、屯所を不在にされていた弥月さん。
昼餉は朝晩より簡素なものではあるが、基本的に全隊士分用意をしている。出かける人達は調理当番への声かけが礼儀だった。
けれど、基本的に屯所に居ない監察方の分は作らない。当然、ご飯が欲しいと突然に言われても、無いこともありえる。
「おかえりなさい。大丈夫ですよ」
千鶴はニコリと笑う。
多めに用意して良かった
今は人数分のお米を炊いている最中だけれど、季節柄、残っても問題ないだろうと朝に炊いた分がある。
「あ、私、冷ご飯でいいから」
「そんな! お勤め帰りの方に、冷たいご飯なんて出せません!」
「良いのいいの。私、猫まんま好きだから、温かい汁物があればそれで最高。冷ご飯の独特の硬さは、有り寄りのあり」
「大丈夫です! ご飯足りますから!」
弥月は「そう?」と返事しながら土間に下りて、火の消えた、蒸気の出る釜を開ける。それから、朝の残りご飯が入ったお櫃の蓋を開けた。
「…千鶴ちゃん、自分が真っ先に冷ご飯食べるつもりだったでしょ」
「そうですよ?」
「そういうの要らないから……私には。男尊女卑反対。家事も立派なお仕事。せめて半分こしよ」
半分こ…
なんとも断りづらい提案をされる。
それに弥月さんは言い出したら聞かない。素直に「ありがとうございます」と好意を受け取ることにした。
「今日はもうお休みですか?」
「一応ね。張り込み交代しただけだから。また夜に確認に行くけど」
現在、二条城に将軍がいるため、監察方は最低一人はそこに潜伏している。定時連絡のために屯所を往復する役を、今日から数日は弥月が担う。
千鶴はさつま芋の火が通ったことを確認して、出汁に味噌を溶き入れた。そして、味噌樽の蓋を閉めて鍋に向き戻ったときに、樽の側面にトンと手が当たる。
「痛っ」
「え? 大丈夫?」
「いえ、大丈夫です。少しチクッとしただけで…」
何かに引っかかった手の甲を見ると、うっすらと血が滲んでいて、すぐに反対の手で隠した。原因の方へとチラリと目をやると、樽を締める竹の箍(たが)にめくれている所があり、運悪くそこに擦ったらしい。
「あ。ささくれ?」
「…みたいです」
「切れたんじゃない?」
「いえ! ちょっと当たっただけでした」
「見せて」
待…ッ!
私が避けるよりも速く、弥月さんは私の右手首を取っていた。
「手、どけて?」
「大丈夫ですから!」
「? なんで隠すの?」
まだもう少し…!
大したことのない小さな傷だった。このまま待てばすぐに治るはず。その途中は見せられないけれど、治った後ならこの体質にも気付かれない。
「トゲ刺さってるかもしれないから、ちゃんと確認せずにそんなギュッと押しちゃ駄目でしょ?」
「…そうですね」
「見せて」
「ありがとうございます。でも手の甲ですし、自分で見れるから大丈夫です」
「利き手じゃ、トゲ抜きにくいじゃん」
「いえ、刺さってないかもしれませんし、抜く必要はないかもしれないかと」
「……悪魔の証明じゃあるまいし、見せなさい!!」
「やっ」
弥月が両手首を左右に引っ張るため、千鶴は脇を閉めて耐える。
「お鍋ありますから、危ないです!」
「そうだね。だから抵抗せずさっさと見せて」
グッと彼の力が一段強くなる。
「待ってください! ちょっとだけ!待ってもらえませんかッ?!!」
「何を待つの?」
「すぐです! すぐですからッ!!」
「なんで?!」
まだ!? 治った!?
先に自分で確認しておきたいが、これは状況が許さないだろう。確実に治った後までこのまま耐えきるしかない。
不満顔で弥月さんは力を抜いてくれたが、手を放すつもりは無いらしい。私の両腕がブランブランと横に振られる。そうして静かに格闘していると、「何してんだ?」と声がかかる。
「土方さん、緊急事態ですよ。千鶴ちゃんが怪我を見せようとしません」
「怪我してませんから! 見る必要ありませんってば」
「…どこを怪我した?」
「してません」
「手の甲…たぶん!!」
急にまた左右に引っ張られて、咄嗟に手が滑って力負けした。
「あっ!」
両手が離れた瞬間に、弥月はパッと自分の方へと両手共に引いた。そして千鶴の右の甲を裏返してジッと見る。
もう治ってるはず!
「…え?」
一瞬の間の後、彼は極々小さく、けれど戸惑った声を出した。
サアッと血の気が引く。
まだ、だった…?
あの浅さなら十二分に間に合ったと思ったのに、未だジッと注視されている私の手。
私の怪我は普通の人と同じように塞がっていくけれど、時が進むのが異常に速い。まるで身体とは別の意思があるように『修復』されていく。
あるべきものが目に見えて小さくなっていく様を、彼は何を思って見つめているのか。
人間じゃない
キモチワルイ
誰の声でもない、呪い言が聞こえた。
フッと足から力が抜ける。
「えっ!!?」
「雪村!?」
千鶴はペタンと床に膝を着いた。
「どっ、どうしたの!?」
「大丈夫です…」
「大丈夫な訳ねぇだろ! んな、青い顔して!」
二人共が腰を下ろして、千鶴と同じ高さから声をかける。
「手の怪我は!?」
「傷はなかったです」
え?
弥月さんに握られたままだった私の手。目の前に戻ってきたそれを見ると、少なくとも今は、綺麗に傷は塞がっていた。
「部屋連れてくぞ」
「りょ!」
直ぐ様に立ち上がった二人。あれよあれよと言う間に、私は土方さんに抱えられていた。
待ってください! これ恥ずかしい!!!
「あのっ!」
「心配しなくて大丈夫〜 千鶴ちゃんはリンゴ3つ分〜」
…りんご?
唐突に登場した果物。
千鶴の気が逸れたのと同じように、土方もその意味が分からずに、赤い果実を想像しながら「林檎…」と唇で呟いた。
りんご三つ分? 何が?
「調子悪いのか?」
問いかけられて顔を上げると、すぐ目の前にある、土方さんのお顔にドキリとする。
視線を合わせるには近すぎて、焦点をフラフラと他所へ移しながら返事をした。
「そういう訳じゃないんですけど…」
「嘘、ウソ。みんな千鶴ちゃんが本格的に倒れたら困るから、シンドい時はちゃんとシンドいよーって言ってほしいって」
後ろを歩く弥月さんは、明るくそう言った。
気付かれなかった…?
「今日は寝てろ」
土方さんにもそう言われて、これからの予定を思い出す。昼餉を片づけたら洗濯物の取り込みと、広間の掃除、その後は夕餉の準備がある。
夕餉は蓮根と人参があるから、キンピラにするつもりで……今日は豆腐屋さん来る日だから、夕はそれでお味噌汁にして…
「考えるな」
「いえ、でも」
「矢代、布団出せ」
「モチのロン!」
「あっ! あの、まだお鍋の火が…」
「寝てろ」
ぶっきらぼうにそう言いながら、土方さんは敷かれた布団の上に、私をそっと下ろした。
「気になるのはご飯の支度だけ?」
「えっと…色々ありますから」
「良いよ。全部任されるから。もし、夕餉も決まってるなら献立教えてくれる? ちゃんと手配するから。決まってなくても、何とかするよ」
「でも…」
起き上がろうとしたのに、土方さんに布団をバサリと掛け直される。
「お前が休んだくらいで、困りゃしねえよ」
「そうそう。普段から仕込んでくれてるからさ」
弥月さんに布団の上からトントンと肩を叩かれて。二人はまたすぐに腰を上げる。
「配膳、土方さん手伝って下さいね」
「仕方ねぇな」
「赤い前垂れ、あったかな~」
「着ねぇぞ」
ケラケラと笑いながら、ごはん持ってくるねと言い置いて、弥月さん達は部屋を出て行った。
***
弥月side
どこからの血?
手の甲には掠り傷一つ無かったのに、押さえていた反対の手の平にある血液。普通に考えれば、それなりの傷がどこかにあるはずだ。
けれど、指先までくまなく観察しても、逆剥けも水荒れもない、か細い綺麗な手をしていた。
訝しく思いながら見ていると、視界に彼女が下へ落ちていくのが映った。
「えっ!!?」
「雪村!?」
千鶴ちゃんはペタンと床に座り込んだ。
「どっ、どうしたの!?」
「大丈夫です…」
「大丈夫な訳ねぇだろ!! んな、青い顔して!」
慌てた土方さんに「手の怪我は!?」と訊かれて、「傷はなかったです」と答える。
すると、千鶴ちゃんも慌てて自分の手の甲を見て、ホッとした表情をした。
…?
傷が有るか無いか、彼女は引っかけた直後に見ていたはずだ。そして隠すからには「有る」と思ったはずだ。
傷が消えた…?
……
…治った?
傷を見るのを『待って』と叫んだ彼女。なぜ待つのかと思ったけれど。
もしかして、そんなにすぐに治るの? 鬼だから
風間が私たち兄妹のことを『身体能力が人並み』と言ったように。千姫が私のことを『回復力が桁違い』と言ったように。千鶴ちゃんも何か鬼の力を隠しているとしたら、人並みじゃない治癒速度を持っていてもおかしくはない。
彼女を抱えた土方の背を見ながら、弥月は考える。
察した方がいいのか、知らないフリしてる方がいいのか…
報告するか、しないか…
自分で言うのも何だけれど……なんかもう、最近、抱え込み過ぎな気がする。
鬼と頻繁に会ううちに、新たに分かった事がいくつかあるけれど、一つ一つは些細過ぎて、そこから何を報告・連絡・相談するべきか判断しかねていた。
「だから、ちょっと聞いて下さい」
「…ヤだよ。面倒くさそう」
今、私は沖田さんの隣に座っている。
壬生寺で射撃訓練中の組への伝言を頼まれたついでに、八木少年らに声をかけようとしたら、縁側に沖田さんがいて。暇そうにしていたから丁度良かった。
目の前では庭に堀った穴に、木の実を投げ入れて遊んでいる子どもら。私も彼らに言われるがまま、自分が投げる分の松ぼっくりを受け取った。
「南雲薫のことだし、知ってるの沖田さんだけだから」
「…ああ、あの子ね。何か分かったの?」
たまたま行軍中に彼女と会ったことや、色んな鬼に聞いた話を掻い摘んで伝えた。喋り出したら止まらなくて、鬼の神話や、それが羅刹に近いのではないかという、私の想像についても話す。
沖田さんは時々相槌を打ちつつも、ずっと「ふーん」と興味なさげにしていた。けれど、千鶴ちゃんの傷が治ったという話には、すぐに表情を変える。
「それは…」
何か感想を言おうとして、どうにも適当な言葉が見当たらなかったらしい。彼は溜息を吐き、肩を竦めてから斜めに顔を傾けて、上目に私を見る。
「…君にはないの?」
「無いこともないんですけど、無いです」
「…どっち」
「ご存知の通りですね。
首スッパしても、銃弾が当たっても、刀が手足貫通しても生きてましたけど、人並みにしばらく怪我してますから」
袖をまくると都合良く、木刀で叩かれたばかりの新しい痣があった。子どもの頃に転んで怪我をして、色素が残ったところも肘にあるのだと指さす。
あんなすぐ綺麗に治るの、羨ましいなー…
こうなると、彼女のニキビ知らずのツヤツヤな頬は、生活習慣の問題ではなさそうだ。
「君ら、神様のわりには何にもできなくない?」
「神様なので、投げ銭とお供えください。空中浮遊します」
最近、半間ほど跳べるから、いつかはできる気もする。知らんけど。
ユウ坊に順番だと言われて、その場から穴めがけて、松ぼっくりを投げるが、縁に掠りもせずに入らない。
「次、沖田さ…ん? 何探してるんですか?」
沖田さんが袂を探っていた。木の実はそこに置いてある。
「投げ銭とお供え」
「できませんよ!? 空中浮遊!」
「嘘?」
「嘘に決まってるでしょ?!!」
どこまで本気にしたのか。てか、ちゃんと私の話聞いてた?
沖田さんも縁側に座ったまま、木の実を穴へと投げた。穴には入らず、私が投げた松ぼっくりに当たる。
「そんなに煮詰まってるなら、土方さんに言えば?」
「…やっぱり?」
「南雲薫の思惑はともかく、万が一にも戦争に羅刹が絡んでくるなら…」
「なあなあ、総司も金ちゃんも。ちょっとは真剣にやってくれん?」
「ちょっ…」
ユウ坊に怒られ、それをタメ坊が止めようとする。弟は口が達者になり、兄は空気を読めるようになったあたり大きくなった。
弥月が微笑ましく思った横で、沖田は「ごめんごめん」と言いながら、立ち上がる。
「後から『知ってました』って言ったら、また面倒臭い事になるんだろうから、小出しにはしときなよ。神様」
「神さま?」
「そう。神様なんだって、そこのお兄さん」
「金ちゃん、神さまなん?」
「…まあね。時の神様の子どもらしい。すごいっしょ」
「「…へえー…」」
子どもらにも信じてもらえない…もはや、頭のオカシイ人と思われている。
「あとは、まあ…好きにしなよ」
「…結局?」
「誰かに話したかっただけでしょ。どうしたいとも思ってなさそうだし」
そう言われて、そうなのだと気付く。
すべきと思う事はしているし、特に何かを変えたいとも思っていない。
「…現状維持で良いと思います?」
「君の高い志なんか見たことないよ」
「…左様で」
身も蓋もないけれど、確かにと思ってしまったから、相談役は彼で間違いなかったのだと思うことにした。
***