姓は「矢代」で固定
第2話 淡く深く
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慶応元年十月十五日
早朝はザーザーと強く雨が降っていた。仕方なく、雨足が弱まってきたころに、弥月は三日ぶりに診療所を訪ねた。
「おはよーご…」
「ようやく来たか」
開いたばかりの戸に、弥月はそのまま手を付いて寄りかかる。
今度は風間か…
梓月の所に通えば、また会うこともあるだろうと思っていたけれど。今の口振りからすると、来るかどうか分からない私を待っていたのだろう……たぶん早朝から。
「そろそろ犬小屋の方へ出向こうかと思っていたところだ」
「…ヒマか……何の用ですか?」
弥月はシレッと悪口を挟んだが、風間は一瞬渋い表情をしただけだった。
「角も無いはぐれ鬼ならば俺の知るところではないと思っていたが、時渡りの神子ならば話は別だ。貴様ら兄弟、西の里で保護してやる」
「しーづきー!変わりなーい?」
「あれ? おはよ。雨降ってるから今日は来ないと思ってた」
「うん、別件。ちょっと忙しくなりそうでさ。またしばらく来ないかも」
「ふーん…気を付けてな」
最近は諸士調の仕事があるけれど、移動するついでに診療所に寄るようにしていたら、なんやかんや相変わらず二、三日おきに兄の様子を見に来てはいた。
「おい、貴様。俺を無視するとはいい度胸だ」
「純血の鬼ィ様たちより私が位が高いと聞いてますから。何か文句でも?」
「…」
「違うんだって、弥月。風間さんコミュ力低いだけだから。今のは『自分とも喋ろうよ!』って言いたいんだって」
……
…えっと
絶句、とはこの事を言うのだろう。
梓月から風間へ、もう一度梓月へと視線を動かして、私が返答する番なのだと確認する。それでも、どの程度ツッコむべきか「えっとぉ…」と視線をさ迷わせた。
今のは本人を前にして言うには、すごい悪口だった。その点は風間には分からないだろうけれど、彼も空気を感じてか変な顔をしている。
「そうかもしれないけどさ……キャラが、誰?ってなってるし…」
「でもそういうことじゃん?」
「梓月、勝手な解釈を加えて、俺の尊厳を踏み潰すな」
「ちょっと違いました? じゃあ、『無視しないでよ!』くらいかな」
それなら原文ありきだけどさ…
本人には分からない悪口を言えるのは、悪気しかないのだろう……梓月のことだから、もしかしたら悪口と思っていない可能性もあるけれど。
半ば諦めの心で、上り口の風間の隣に座る。彼がちょっと可哀想になった。
「…分かった。梓月を屯所に放ってってくれた事、間接的には感謝してますよ、風間さん」
「…まさか神子の身体能力が人並みとは思いもしなかっただけだ」
「あーね。私もそうだから、不意打ちで殴ってくるとかマジで勘弁してほしい」
最近、段々と人間離れしているような気はしているが、ここは黙っておこう。
「あと、私は暇じゃないので端的にお願いします。何でしたっけ? 西の里で保護?は、不要です」
「西の里は、国で最も栄え豊かな鬼の里だ。そこで俺の側近として迎えてやろうと言っている」
「…よろしいなぁ。うちら京都駅前の戸建てが実家の無機質都会っ子やから、お国はきっと実り豊かに見えますえ。ねぇ、梓月」
「俺に振るなよ…」
「だって、梓月は薩摩藩の里山に興味あるのかな?って、一応さ」
「んー。無い」
「何故だ?」
断られるのがさも不可解というように風間は訝しんだ。私達としては、まともに利点を売り込まれていないのに、何故そんなに自信満々なのかが不思議だ。
梓月は腕を組んで、うーんと首を捻る。
「この先考えたら、薩摩はビミョー。長州も会津もビミョーだから、京にステイで」
「…ちょっと待って」
頭を抱えながら、静止の手を挙げた。
なぜそんな際どい事を言うのか。西南戦争がどうだとかまで言い出しかねない。
「長州は言わずもがな、今行く場所ではないが。西の里は気候も穏やかで肥沃な土地だ。雪深き東は既に燃え落ちて何もない。八瀬ほど気忙しい里は類を見ない。
大久保も会津を見限った。貴様も松平に付いていても、もう良い事などなかろう」
風間に掌を差し出され、どうやら『ほらごらん』と言いたい風だが、特に御覧要素は増えてない。雪は降らなくても、そっちは台風と火山灰が来るだろ。男尊女卑の巣窟より、気忙しい方がましだ。
…と、大久保が見限った?
その名はあまり表には出てこないが、薩摩藩主の御側役をしている男だ。私が元々知っている数少ない偉人の一人だから、同行は把握している。
大久保は一橋慶喜を将軍にと押し上げていた、公武合体派…徳川擁護派だったはずだ。その藩主の意向を支えているはずで、会津と対立しているとは聞いたことがない。
情報をどう引き出そうかと考えた弥月よりも先に、梓月が「大久保利通?」と聞き返した。
「そうだ。愚直に働く、根気だけは感嘆に値する男だったが、ついに徳川に愛想を尽かしたらしい」
「大久保利通って確か朝廷寄りでしたよね?」
「寄りも何も、すでに薩摩には時代遅れの佐幕攘夷派など居ないに等しい。妥当な考えだな」
「まあそうですよねー。薩英戦争も終わってるなら」
……?
スラスラと現状と歴史を一致させていく、梓月の姿に違和感を抱く。
自分を取り巻く時代の流れを、私は飲み込むのに時間がかかって、紆余曲折している間に新選組にどっぷり浸かっていた。けれど、兄はまるで傍観者のように、現状を把握していた。
それなら私が新選組にいることは、どう思って…
訊こうかどうしようかと考えたときに、ザリと砂を踏む音がした。
敷居との間でバサリと傘を閉じて、振り返った女性は、金髪の男二人が並んでいるのに面食らってあたふたとする。
「あ。二人共、患者さん来たからどいてどいて」
「ごめんなさい、どうぞ。私らお喋りしてただけなので」
「そ、そう…おおきに……ご免ください。先生、おいやすか…?」
「こんにちは、居てはりますよ。うち来はるのは初めてどすか?」
梓月はニコッと人懐こく笑う。
弥月は風間をつついて、「邪魔になるから出よう」と言った。
梓月へ手を振ってから、ポツポツと雨が降る中、傘を広げて風間と隣を歩く。
油を塗った傘が水を弾く音は、ビニルのそれよりも柔らかい。
「梓月のこと心配してくれてるなら、ありがとうございます」
兄の様子から、それなりに風間と親しくしているのは感じた。
「…礼を言われる謂れはない。貴様ら…特にあの者は、非力なくせに供も連れずに無防備すぎる」
「人間と思ってるから仕方ないです」
「ほう。自分はそうではないと云った口振りだな」
「……」
弥月は答えなかったが、風間はハアと溜息を吐いて、言葉を続けた。
「あの女鬼もそうだが、鬼を知らなかったのなら、矜持が無くとも致し方ないと思う面はある。しかし、自覚して尚、貴様らは時代遅れの人間とともに居て、何を目指している」
何を…目指す?
「何も目指してません」
「何…?」
「生きるのに、語れるほどの高尚な理由がなくちゃいけませんか?」
居たいから居るのだと思う。きっと千鶴ちゃんも。
「鬼としての…特に貴様は上位の者として、あれは女鬼としての責務があるだろう」
「責務…」
あるだろうか…と少し考えたが、特にない気がした。
ただ、それは風間らの場合は違うのだろうと察する。千姫も里長としての責任感が強かった。
「生まれの性質はそうかもしれませんけど、育った環境がその責務を課さなかったですから……今更言われても、って感じです。
恩恵ももらってないわけですし、その価値観は私達には無いかな」
説明してみて、自分で納得した。風間や千姫と、私達の違いを。
「理由が無いのならば猶の事、暮らし好い場所に住めば良いのではないか? 梓月と同じく、貴様もどちらが勝つかは分かっているのだろう。
身命を賭しても実を結ばぬ人間に、神子が力を貸す必要はあるまい」
その問答は不知火や天霧ともしたなぁと思う。
…そういえば、不知火ってどこまで私の事知ってるんだろ?
梓月に会ってから、不知火には会っていない。長州に戻ったのだろうか。
答えるのを面倒くさがって、私は思考に耽り始めていたけれど、風間は意外にも私の返事を待っていた。
鬼の里の長として私達の保護をしたいという彼を、納得させるだけの答えを持っていない気がした。
「んー…何ていうかなぁ……鬼とか人とか関係なく、私が新選組に居たいんですよね。今したい事をやりきったら、その結果で起きる事は仕方ないとも思ってて。
…梓月には言わないでほしいんですけど、もう新選組として死ぬ覚悟もできてるかなって」
「…帰れぬことに絶望して、死に場所を選んだというのか。己の本来の力を奮うことすらせずに。
この時代に来たばかりの梓月の方が、自分の立場をよく弁えている。見習うべきではないか?」
「…言わんとする事は分かりますけどね」
天霧と違って、私を叱ろうという雰囲気でもなければ、今日は嫌味っぽくもない。
風間をただのコミュ障だと思えば、彼は自分から見えている事実を提示しているだけなのだと理解した。
「別に死にたいわけじゃないし、生きる気しかないし、仲間にも生きてほしいですけど…
…未来の結果だけを並べても、現状がどうにかなるものでもないんですよね。色々あったんですよ、これでも」
答えが定まらず、手遊びにグルンと傘の柄を回すと、ピシャピシャと雫が周りに跳んだ、
「おい」
「ごめん」
悪意はなかった。すぐに手を止める。
「風間さんの用事がそれだけなら、この辺りで」
「貴様が死ぬのは勝手だが、あの女鬼は貰い受ける。もし貴様が伴侶と決めているのなら、貴様が死んだ後にそうしよう」
…変な譲歩
なぜかフンッと風間は鼻を鳴らした。
「誘拐と強姦は絶対許しませんけど、もし彼女が死にそうな場面だったら、まあ…本人に訊いてください」
皆、きっと最期まで千鶴ちゃんを護ろうとしてくれるだろうけれど。
最期は
「貴様…男として、自分が妻を生涯幸せにしようという気概はないのか?」
「…メルヘンなんですね。風間さん」
「め…?」
南雲薫よりは、まだマトモそうかな
風間を不遜で勝手な男だと思っていたが、考え様によっては頼れる…使える男だと感じた。こういう考え方をするとき、ちょっとだけ自分が嫌になる。
分かれ道になるだろう辻に辿り着いたが、足を止め傘を上げて、彼を見る。
「南雲薫のこと、御存じですか?」
「…唐突に。南雲家の後継だったか。就いた時分に傍系だと聞いたが、表舞台に上がらずに分相応に暮らしている女鬼だろう」
「もうちょっとそこ深堀りしといてもらっても良いですか?」
「…分かった」
「……命令じゃないですからね」
素直に応じられたことを薄気味悪く思った。
「意味があるのだろう、時の神の子」
「…まあね」
それとは関係ないけれど、簡単に信用を得られるならばありがたい。
それじゃあと別れを告げて、私は身体の向きを変えたけれど、躊躇いがちに「梓月が」と再び声がかかる。
「…気を揉んでいる。早めに手を引け」
半身で風間と向き合ってそれを聞いた。
私はどう答えてよいか分からず、「ありがとう」とだけ返事をして、また屯所までの道を進んだ。