姓は「矢代」で固定
第2話 淡く深く
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
日暮れ後に烝は屯所に戻ってきたけれど、探しても弥月の姿がまたどこにもない。
明日の将軍の上洛の件もあり、新たな任務に出たのだろうかと副長を訪ねた。
「どうしても外せない用事だから、兄のところに行くつって出て行ったぞ。早朝に戻るとは言ってたな」
早朝と聞いて、明日は十五日であることに気付く。
梓月君にあの三角を見せるためか…
それにしても前日から泊まりで過ごすとは、本当に仲の良い兄妹だ。性別が違う兄妹は、大人になればそれなりに距離ができるのが普通と思っていたのだけれど。
…
…従兄妹?
スッと背筋が寒くなる。あの二人は実のきょうだいではない。
さきほど、弥月君はなんと言っていただろうか。いとこは結婚できない国がある云々と話したが、未来でどうとは当然聞いていない。
「俺も様子を見に行っても宜しいですか?」
「…勝手にすりゃいいが、もし山崎に聞かれたら止めてくれと、矢代には言われてる」
「? どういう事でしょうか?」
「…痴話喧嘩に俺を巻き込むな」
「!!?」
ピシリと固まる。
「…まさか……俺はてっきり、いつもの矢代のタチの悪い冗談かと……本当にお前ら…」
俺を刮目して始めは嘆くように、みるみると蔑視するように……副長は飲み込めないという表情で動揺していた。
…これは、女としてではなく…か…
「え、と……違います」
「信じら……いや、いい。すまん。聞いた俺が馬鹿だった」
「いえ、本当に冗談を言ったのだと…」
「ああ、そうか。良いんだ、大丈夫だ。最初から何も聞かなかったことにするから」
そう言い切って、副長は意志の強い確たる瞳で俺を見た。俺を見ていたが、視線は首のあたりを彷徨って、全く合わなかった。
「…弥月君は何と?」
「いや、俺は何も聞いていない」
土方は諸手を組んで、首を横に振った。
…何を言ったんだ、弥月君
袖にするような副長の態度に、大方想像はついた。俺と男同士で契ったとでも吐いていったのだろう。加えて、琴尾のことで喧嘩中だとでも言ったのか。
彼女が悪意をもって人を貶めるときの、晴れやかな笑顔まで想像ができた。
土方さんは二度と言及も追及もする気はないようだった。
……
…まずいな
烝は咄嗟に手の甲で口元を隠して、「失礼します」と退室の礼をする。
弥月君がそんなとんでもない嘘を吐いたのは、俺か土方さんかを困らせるためだろう。そう察したのに、不覚にも俺の口元は緩んでしまっていた。
喜ぶな、俺。副長に男色と思われたんだぞ
ただ、周りにどう思われたとしても、結果として、彼女から唾をつけられたような気になった。
***
弥月side
未だ朝というには早い、朝ぼらけの頃。
弥月が髪を手櫛で梳いて一つに結びながら「行こう」と言って、梓月が頷きつつあくびをしながら診療所の引き戸をガタガタと開ける。
「遅い。貴様ら、俺様を待たせるなど言語道断」
「おはようございます、矢代殿」
戸の向こうに現れた、待ち構えていたらしい見覚えしかない二人組。
弥月は咄嗟に臨戦態勢をとったが、手前の梓月の「おはようございまーす」という呑気な声に、毒気を抜かれる。
「すみません、待たせちゃったみたいで」
「梓月、待って。どういう事?」
「ダメだったか?」
「…どっちかと言うならダメだった」
なんでこの状況にしても良いと思ったのか、逆に教えて欲しい。
「私、この人めっちゃ嫌い。鬼だから腕試しするとか言われて、骨折れるくらいボコられた。超暴力的でマジで危険。同じ空気吸いたくない」
「え!!?」
弥月が富士額を指さすと、即座に天霧は地に膝をついた。
「まさか神子様とは存じ上げず、その節は御無礼を働き、大変申し訳御座いませんでした。如何様にも御処罰下さい」
足元で頭を垂れる天霧を、白い目で見下ろす。何言ってんだこいつ。
人だろうが鬼だろうが、不意打ちで殴りかかってきて申し訳ないで済むわけないだろう。
「矢代弥月。何度も俺が問うたにも関わらず、貴様が名乗らずにいたのが元凶だろう」
「あんたも跪け、風間千景」
ここまでくれば、いっそ全員私に平伏すが良い。
風間は「クッ」とか言って、膝を着くかどうか悩んでいる。ざまあみろ。
「あら、聞いてたよりも大勢ね」
「いらっしゃい、千姫様。お菊さん」
こちらは私のお客様だから、来て良し。
彼女らには事前に今日の場所を連絡しておいた。
「やだッ!風間が!」
「いいでしょ、これウケるでしょ!」
「貴様ら…」
「風間さん、天霧さん、気にせず立ってください…弥月がすみません」
「そのまま終わるまでそこで正座しているがよい」
「クッ…覚えてろ」
覚えていたところで、鬼の序列が変わる訳じゃあるまいし。
鼻息と共に二人を見降ろすと、初めて自分が「神子さま」で良かったと思った。
千姫がコロコロと笑う横で、菊は「弥月様…」と諌めるかどうか迷ってはいたが、言咎めまではしなかった。
「お揃いですけど、自己紹介は時間がないからちょっと後ね」
幸い、今日はとても晴れた日の朝になるようだ。東から明るくなるとともに、西の空が薄明の中で桃色に染まっていた。
「それではいきます」
いっち、にーい、さーん
いつも通り三角に顯明連を振ると浮かぶ、三角の銀の光。それを見て「おおっ」という面々。
「…なんだそれは」
背後で足元の方から説明を求める低い声があった。
「私に呼ばれてない人は喋らないでください。時間の無駄だから。
千姫、やるから。後はよろしく」
「ええ。気を付けて」
千姫、菊と三人で頷き合う。
「せ―――のっ」
えいっ!
「ばッ!!」
ば?
今度は上から声がして。手を突っ込んだまま上空を見上げると、黒いものが落ちてきた。
「なに馬鹿なことをしている!!」
「なんで烝さんいるの!!?」
「出せ!」
文字通り、彼が上から降ってきた。
そして三角に突っ込んだ腕を、掴んで引っ張りだされた。信じられないものを見る目で、私の腕と顔が凝視される。
「一人で危ないことをするなと言っただろう!!」
完全にお説教の雰囲気だった。
いつから屋根上に居たのか知らないが、土方さんが漏らしたのだろう。こうなるから言わなかったのに。
これヤバいやーつ!!
でも、今は時間が惜しい。
「誰か、この人抑えて!」
「畏まりました」
「何を…やめろ!!」
承諾の返事をしたのは天霧だった。烝さんは私から無理矢理引きはがされ、喚いて暴れる。天霧は彼に叩かれたり蹴られたりしながらも、捕まえていてくれる。
急な物々しい雰囲気に、梓月は不安を感じてあちらこちらと視線を走らせるが。妹の自信のある様に、身体の横で拳をグッと握る。
弥月は自分の手を見る。千姫と菊にも見せて、それぞれ握手した。
「いける!?」
「大丈夫そう!」
「お変わりなく」
異常がないならば次へ
「中、何かあったの?」
「何もない! 駄目だ、分からん!」
言葉に勢いだけはあるものの、弥月は神妙な顔で首を横に振る。
「行く?」
「行く! ごめん、烝さん!! だから呼ばなかった!」
「やめ…」
「ごめん!」
肩の高さに作った銀色の正体不明のそれに、弥月はズボッと頭を入れた。
その光景に、場はシンと静まり返った。
肩まで銀の光に埋まった…といえば聞こえがよい方で、パッと見は首が切断されて頭部がない状態だった。
「――ッ、弥月君!」
「あ、声聞こえます。若干遠い気もするけど。何なんだろこれ」
烝の悲痛な叫びに対して、平然と返ってきた声。弥月は頭がないままヒラヒラと手を振った。
「こちらからも少し声が遠い気はするわ。なにか見えるのかしら?」
「見えない…ってか、これ、見えてないのかな?
目開けても銀ギラしてて眩しいだけで、見えてるのかどうか分からない感じですね。温度感もないし、臭いもしないし…」
スポンッと出てきた頭。訝しげな表情はしているが、ついてる目鼻は直前となんら変わりない。
「うん。入れた私的には全然問題なさそ」
「見た感じも特に変わりないわよ」
「そっか、良かったです」
しばらく待ってみるか…
千姫と軽く話をして、弥月が再び頭を入れたときに、ヒュッと息を飲んだのはもう烝だけだった。
「あ、待って。梓月来て」
「え…っ」
弥月はまた首を出して、今度は兄を手招いた。
「梓月も手入れて」
「うん…」
…ん? 揺らいだ? 気の所為?
恐る恐ると梓月が触れた瞬間に、平面が揺れた気がした。けれど、今はもう静かに佇んでいる。
「あっ」
今回も銀の三角は日の出の終わりとともに消えた。無事、梓月の手はこちらに残っている。
「終わり?」
梓月の問いにコクンと頷く。
「うん、終わり」
「なんか分かった?」
「うーん、微妙」
試したいことがいくつかできたが、分かったという程の成果はない。
これってつまり、くぐって降りたら向こう側?
行ったら行ったっきりで死ぬまで銀ギラの世界?
そもそも向こうって空間なのか…でも空間じゃないなら、投げた石とか、鈴はどこいった? 次元の隙間的な?
「なんか今の、あれみたいだな。昔のテレビのザーザーか、機械猫のタイムマシンの空間のぐちゃぐちゃのやつ」
「!! そう!分かってくれるの流石!」
感覚的なものが通じるって嬉しい。
「だからチャンネル?的なの合わせる方法がある気がするんだよね」
「なるほどなー…」
うーんと二人で首をひねる。
そうして全員の会話がなくなったところで、「もし」と天霧は控えめに声をかけた。
「落ち着いたのでしたら、あれは一体何なのか、御説明いただけませんか?」
見ると、天霧はまだ烝さんを羽交い締めにしていた。背後から抱きしめられている彼は、先ほどまでの抵抗はなく、魂が抜けたように呆然と私を見ている。
「さあ? 今月も収穫なしなので、私にもあれが何か分かりません」
「貴様、俺に無駄足を踏ませたというのか」
「私は呼んでない。勝手に見物に来て、文句言うな」
頼んでもないのに、徒労に難癖つけられる謂れはない。
「イチから説明するのヤだし、てか、そんな義理ないし。梓月から言っといてよ。私、この人らと会話したくない」
「弥月…敵対してるのは分かったけどさ、もうちょっとさ……オブラートに包んでくんないかな? 俺すごい申し訳ないし、居た堪れないんだけど」
「……この人らを帰らせるか、私が帰るかどっちか」
上目に三白眼で兄を見る。兄の友達でも、べつに私は友達じゃない。
「…風間さん、天霧さん。すみません、また俺から説明しますから、今日はこれで帰ってもらえますか…」
「わざわざ俺にまた足を運べと言」
「風間、帰りますよ」
天霧に引きずられるようにして、梓月にまだ文句を言っている風間が遠くなっていく。
さすが梓月、私の性格よく分かってる
今の私を帰らせれば、一週間は口を聞かない……この状況だと、しばらく会わないだろうことは明白だった。
しかも、政情のことを考えるなら、未だ新選組は要請を受けていないが、今日にも将軍は大坂城から上洛してくるはずだ。近いうちに、長州出征について何かしら動く可能性がある。
「こちらの人達は?」
「千姫様とお菊さん。鬼の友達」
そう答えると、梓月はホッとした顔をする。絶対、友達いないと思われてた。
三人が「はじめまして」と当たり障りないやり取りをする。千姫らはチラリと烝さんにも視線をやったが、挨拶を求めなかった。
「弥月ちゃん、私達これから用事があって。次の作戦はまたお手紙で教えてもらえるかしら?」
「うん、ありがとう。心強かったです」
「こちらこそ、面白かったわ! あんなの一生に一度と見られない光景よ!」
間違いなく、三角の件ではなく、千景のことを笑っていた。
そうして鬼達が帰っていった後に残ったのは、私たち兄妹と烝さん。これから梓月の意見を聞きたいのだが、彼は烝さんの様子を窺っていた。
さて
「…で。言い訳は」
「ないです。心配かけてごめんなさい」
腕を組んだ烝へ、弥月はペコリと頭を下げる。
そう潔く謝られてしまっては、彼もそれ以上咎められなかった。危険を冒した理由もはっきりしていて、万が一を避けるために、段階を踏んで色々と試してきたのも知っていた。
「本当に身体は大丈夫なんだな?」
「良ければどうぞ」
袖をまくって差し出される腕。烝は念入りに裏返し表返して観察し、握ったり擦ったりしても異常がないことを見る。
「頭は」
「…はいはい」
まるで過保護だとでも言いたげに応じる弥月を、烝はジトッと見つめる。どう考えても君が無頓着すぎるのだと叱りたいところだった。
けれど、一つ深いため息を吐いただけで、見せられた頭頂部を遠慮なく触る。
「…溶けてないな」
「そりゃそうです」
それは軽くホラー
「前を向け」
「はいはい…」
私が前を向くと、目の前に烝さんの顔があった。身長がそう変わりないのだから当然なのだが、思わず片足が半歩後ろへ下がる。
けれど、しっかりと両手でこめかみを挟まれていた。あまりに近くて、視線をどこにやったら良いのか分からない。
「口開けて」
「…」
小さく口を開ける。
ナニコレ恥ずい
「舌出して」
「…」
「目元触るからな」
「…」
「上向いて」
「…」
無言で上を向いて、大人しく診察される。
わざとじゃないんだろうけど、耳さわさわするの止めてほしい。気になる。
心頭滅却
ペタッと首に彼の両手がはりつく。私の首より少し冷たかった。
しばらく待っていたが、その手はそのまま動かない。
「?」
両手で首を覆っているのは、どうも脈を取ってるわけでもなさそうで。
「これ、何診てるんです…」
上空を見上げていたところから、顎を下ろすと、真面目な顔の烝さんと、真正面から目が合う。自然と彼の両手の中に顎が納まり、頬はふんわりと包まれていた。
あまりに顔の距離が近くて、やはりどこに視線を置いたら良いかに困る。けれどあからさまに目を逸らすのも失礼な気がして、彷徨いながらなんとか彼の喉仏に意識を固定した。
頬を包んだままに彼の指が輪郭をなぞると、勝手に背筋が伸び上がる。
彼は至って真剣な表情だったが、診察をされている様子ではなかった。
これわざと? なら、どこからわざと!?
”そういう”雰囲気なのだと理解する。
この前は酔っていたから、そういう……ちょっと女の子が欲しい的な気持ちにでもなったのかと思ったのに。今日はお酒が入っているとは思えない。
頬とともに耳も撫でられて、背が震える。これは間違いなくわざとだ。
勝手に腰が後ろへ下がっていくのにつられて、段々と顔が地面と向き合った。
逃げたい
けれど、どれだけ頭を下げても烝さんが手を離してくれない。全く掴まれてはいないのに、勝手には外れない絶妙な角度で顎を持たれている。
真正面から笑ってる気配がした。私がさらに半歩下がると、一歩前へ進んでくる。
これは…絶対に揶揄われている…!
「付き合ってる?」
ゴッ
「ン゛ッ」
「だ!」
勢いよく顔を上げた弥月の頭と、烝の顎がぶつかった。
梓月が「あ、ごめん」と言う。
「つい。ってか、俺のこと忘れてそうだなって」
助かった…
今のやりとりを見られていたこと自体、恥ずか死ねる。けれど、色々認めるわけにもいかない。今のは全部診察で……たぶん付き合ってない。はず。
「…忘れてない。作戦会議しよ」
弥月はぶつかったおデコを摩りながら、梓月よりも先に診療所へと入っていく。
昨日の仕返しか…
土方さんと会ったということは、土方さんに嫌な対応をされたはずだ。こんな形で仕返しをされるとは思わなかった。
身体全部がそわそわとするのを、繰り返し静かに深呼吸をして抑えた。
日暮れ後に烝は屯所に戻ってきたけれど、探しても弥月の姿がまたどこにもない。
明日の将軍の上洛の件もあり、新たな任務に出たのだろうかと副長を訪ねた。
「どうしても外せない用事だから、兄のところに行くつって出て行ったぞ。早朝に戻るとは言ってたな」
早朝と聞いて、明日は十五日であることに気付く。
梓月君にあの三角を見せるためか…
それにしても前日から泊まりで過ごすとは、本当に仲の良い兄妹だ。性別が違う兄妹は、大人になればそれなりに距離ができるのが普通と思っていたのだけれど。
…
…従兄妹?
スッと背筋が寒くなる。あの二人は実のきょうだいではない。
さきほど、弥月君はなんと言っていただろうか。いとこは結婚できない国がある云々と話したが、未来でどうとは当然聞いていない。
「俺も様子を見に行っても宜しいですか?」
「…勝手にすりゃいいが、もし山崎に聞かれたら止めてくれと、矢代には言われてる」
「? どういう事でしょうか?」
「…痴話喧嘩に俺を巻き込むな」
「!!?」
ピシリと固まる。
「…まさか……俺はてっきり、いつもの矢代のタチの悪い冗談かと……本当にお前ら…」
俺を刮目して始めは嘆くように、みるみると蔑視するように……副長は飲み込めないという表情で動揺していた。
…これは、女としてではなく…か…
「え、と……違います」
「信じら……いや、いい。すまん。聞いた俺が馬鹿だった」
「いえ、本当に冗談を言ったのだと…」
「ああ、そうか。良いんだ、大丈夫だ。最初から何も聞かなかったことにするから」
そう言い切って、副長は意志の強い確たる瞳で俺を見た。俺を見ていたが、視線は首のあたりを彷徨って、全く合わなかった。
「…弥月君は何と?」
「いや、俺は何も聞いていない」
土方は諸手を組んで、首を横に振った。
…何を言ったんだ、弥月君
袖にするような副長の態度に、大方想像はついた。俺と男同士で契ったとでも吐いていったのだろう。加えて、琴尾のことで喧嘩中だとでも言ったのか。
彼女が悪意をもって人を貶めるときの、晴れやかな笑顔まで想像ができた。
土方さんは二度と言及も追及もする気はないようだった。
……
…まずいな
烝は咄嗟に手の甲で口元を隠して、「失礼します」と退室の礼をする。
弥月君がそんなとんでもない嘘を吐いたのは、俺か土方さんかを困らせるためだろう。そう察したのに、不覚にも俺の口元は緩んでしまっていた。
喜ぶな、俺。副長に男色と思われたんだぞ
ただ、周りにどう思われたとしても、結果として、彼女から唾をつけられたような気になった。
***
弥月side
未だ朝というには早い、朝ぼらけの頃。
弥月が髪を手櫛で梳いて一つに結びながら「行こう」と言って、梓月が頷きつつあくびをしながら診療所の引き戸をガタガタと開ける。
「遅い。貴様ら、俺様を待たせるなど言語道断」
「おはようございます、矢代殿」
戸の向こうに現れた、待ち構えていたらしい見覚えしかない二人組。
弥月は咄嗟に臨戦態勢をとったが、手前の梓月の「おはようございまーす」という呑気な声に、毒気を抜かれる。
「すみません、待たせちゃったみたいで」
「梓月、待って。どういう事?」
「ダメだったか?」
「…どっちかと言うならダメだった」
なんでこの状況にしても良いと思ったのか、逆に教えて欲しい。
「私、この人めっちゃ嫌い。鬼だから腕試しするとか言われて、骨折れるくらいボコられた。超暴力的でマジで危険。同じ空気吸いたくない」
「え!!?」
弥月が富士額を指さすと、即座に天霧は地に膝をついた。
「まさか神子様とは存じ上げず、その節は御無礼を働き、大変申し訳御座いませんでした。如何様にも御処罰下さい」
足元で頭を垂れる天霧を、白い目で見下ろす。何言ってんだこいつ。
人だろうが鬼だろうが、不意打ちで殴りかかってきて申し訳ないで済むわけないだろう。
「矢代弥月。何度も俺が問うたにも関わらず、貴様が名乗らずにいたのが元凶だろう」
「あんたも跪け、風間千景」
ここまでくれば、いっそ全員私に平伏すが良い。
風間は「クッ」とか言って、膝を着くかどうか悩んでいる。ざまあみろ。
「あら、聞いてたよりも大勢ね」
「いらっしゃい、千姫様。お菊さん」
こちらは私のお客様だから、来て良し。
彼女らには事前に今日の場所を連絡しておいた。
「やだッ!風間が!」
「いいでしょ、これウケるでしょ!」
「貴様ら…」
「風間さん、天霧さん、気にせず立ってください…弥月がすみません」
「そのまま終わるまでそこで正座しているがよい」
「クッ…覚えてろ」
覚えていたところで、鬼の序列が変わる訳じゃあるまいし。
鼻息と共に二人を見降ろすと、初めて自分が「神子さま」で良かったと思った。
千姫がコロコロと笑う横で、菊は「弥月様…」と諌めるかどうか迷ってはいたが、言咎めまではしなかった。
「お揃いですけど、自己紹介は時間がないからちょっと後ね」
幸い、今日はとても晴れた日の朝になるようだ。東から明るくなるとともに、西の空が薄明の中で桃色に染まっていた。
「それではいきます」
いっち、にーい、さーん
いつも通り三角に顯明連を振ると浮かぶ、三角の銀の光。それを見て「おおっ」という面々。
「…なんだそれは」
背後で足元の方から説明を求める低い声があった。
「私に呼ばれてない人は喋らないでください。時間の無駄だから。
千姫、やるから。後はよろしく」
「ええ。気を付けて」
千姫、菊と三人で頷き合う。
「せ―――のっ」
えいっ!
「ばッ!!」
ば?
今度は上から声がして。手を突っ込んだまま上空を見上げると、黒いものが落ちてきた。
「なに馬鹿なことをしている!!」
「なんで烝さんいるの!!?」
「出せ!」
文字通り、彼が上から降ってきた。
そして三角に突っ込んだ腕を、掴んで引っ張りだされた。信じられないものを見る目で、私の腕と顔が凝視される。
「一人で危ないことをするなと言っただろう!!」
完全にお説教の雰囲気だった。
いつから屋根上に居たのか知らないが、土方さんが漏らしたのだろう。こうなるから言わなかったのに。
これヤバいやーつ!!
でも、今は時間が惜しい。
「誰か、この人抑えて!」
「畏まりました」
「何を…やめろ!!」
承諾の返事をしたのは天霧だった。烝さんは私から無理矢理引きはがされ、喚いて暴れる。天霧は彼に叩かれたり蹴られたりしながらも、捕まえていてくれる。
急な物々しい雰囲気に、梓月は不安を感じてあちらこちらと視線を走らせるが。妹の自信のある様に、身体の横で拳をグッと握る。
弥月は自分の手を見る。千姫と菊にも見せて、それぞれ握手した。
「いける!?」
「大丈夫そう!」
「お変わりなく」
異常がないならば次へ
「中、何かあったの?」
「何もない! 駄目だ、分からん!」
言葉に勢いだけはあるものの、弥月は神妙な顔で首を横に振る。
「行く?」
「行く! ごめん、烝さん!! だから呼ばなかった!」
「やめ…」
「ごめん!」
肩の高さに作った銀色の正体不明のそれに、弥月はズボッと頭を入れた。
その光景に、場はシンと静まり返った。
肩まで銀の光に埋まった…といえば聞こえがよい方で、パッと見は首が切断されて頭部がない状態だった。
「――ッ、弥月君!」
「あ、声聞こえます。若干遠い気もするけど。何なんだろこれ」
烝の悲痛な叫びに対して、平然と返ってきた声。弥月は頭がないままヒラヒラと手を振った。
「こちらからも少し声が遠い気はするわ。なにか見えるのかしら?」
「見えない…ってか、これ、見えてないのかな?
目開けても銀ギラしてて眩しいだけで、見えてるのかどうか分からない感じですね。温度感もないし、臭いもしないし…」
スポンッと出てきた頭。訝しげな表情はしているが、ついてる目鼻は直前となんら変わりない。
「うん。入れた私的には全然問題なさそ」
「見た感じも特に変わりないわよ」
「そっか、良かったです」
しばらく待ってみるか…
千姫と軽く話をして、弥月が再び頭を入れたときに、ヒュッと息を飲んだのはもう烝だけだった。
「あ、待って。梓月来て」
「え…っ」
弥月はまた首を出して、今度は兄を手招いた。
「梓月も手入れて」
「うん…」
…ん? 揺らいだ? 気の所為?
恐る恐ると梓月が触れた瞬間に、平面が揺れた気がした。けれど、今はもう静かに佇んでいる。
「あっ」
今回も銀の三角は日の出の終わりとともに消えた。無事、梓月の手はこちらに残っている。
「終わり?」
梓月の問いにコクンと頷く。
「うん、終わり」
「なんか分かった?」
「うーん、微妙」
試したいことがいくつかできたが、分かったという程の成果はない。
これってつまり、くぐって降りたら向こう側?
行ったら行ったっきりで死ぬまで銀ギラの世界?
そもそも向こうって空間なのか…でも空間じゃないなら、投げた石とか、鈴はどこいった? 次元の隙間的な?
「なんか今の、あれみたいだな。昔のテレビのザーザーか、機械猫のタイムマシンの空間のぐちゃぐちゃのやつ」
「!! そう!分かってくれるの流石!」
感覚的なものが通じるって嬉しい。
「だからチャンネル?的なの合わせる方法がある気がするんだよね」
「なるほどなー…」
うーんと二人で首をひねる。
そうして全員の会話がなくなったところで、「もし」と天霧は控えめに声をかけた。
「落ち着いたのでしたら、あれは一体何なのか、御説明いただけませんか?」
見ると、天霧はまだ烝さんを羽交い締めにしていた。背後から抱きしめられている彼は、先ほどまでの抵抗はなく、魂が抜けたように呆然と私を見ている。
「さあ? 今月も収穫なしなので、私にもあれが何か分かりません」
「貴様、俺に無駄足を踏ませたというのか」
「私は呼んでない。勝手に見物に来て、文句言うな」
頼んでもないのに、徒労に難癖つけられる謂れはない。
「イチから説明するのヤだし、てか、そんな義理ないし。梓月から言っといてよ。私、この人らと会話したくない」
「弥月…敵対してるのは分かったけどさ、もうちょっとさ……オブラートに包んでくんないかな? 俺すごい申し訳ないし、居た堪れないんだけど」
「……この人らを帰らせるか、私が帰るかどっちか」
上目に三白眼で兄を見る。兄の友達でも、べつに私は友達じゃない。
「…風間さん、天霧さん。すみません、また俺から説明しますから、今日はこれで帰ってもらえますか…」
「わざわざ俺にまた足を運べと言」
「風間、帰りますよ」
天霧に引きずられるようにして、梓月にまだ文句を言っている風間が遠くなっていく。
さすが梓月、私の性格よく分かってる
今の私を帰らせれば、一週間は口を聞かない……この状況だと、しばらく会わないだろうことは明白だった。
しかも、政情のことを考えるなら、未だ新選組は要請を受けていないが、今日にも将軍は大坂城から上洛してくるはずだ。近いうちに、長州出征について何かしら動く可能性がある。
「こちらの人達は?」
「千姫様とお菊さん。鬼の友達」
そう答えると、梓月はホッとした顔をする。絶対、友達いないと思われてた。
三人が「はじめまして」と当たり障りないやり取りをする。千姫らはチラリと烝さんにも視線をやったが、挨拶を求めなかった。
「弥月ちゃん、私達これから用事があって。次の作戦はまたお手紙で教えてもらえるかしら?」
「うん、ありがとう。心強かったです」
「こちらこそ、面白かったわ! あんなの一生に一度と見られない光景よ!」
間違いなく、三角の件ではなく、千景のことを笑っていた。
そうして鬼達が帰っていった後に残ったのは、私たち兄妹と烝さん。これから梓月の意見を聞きたいのだが、彼は烝さんの様子を窺っていた。
さて
「…で。言い訳は」
「ないです。心配かけてごめんなさい」
腕を組んだ烝へ、弥月はペコリと頭を下げる。
そう潔く謝られてしまっては、彼もそれ以上咎められなかった。危険を冒した理由もはっきりしていて、万が一を避けるために、段階を踏んで色々と試してきたのも知っていた。
「本当に身体は大丈夫なんだな?」
「良ければどうぞ」
袖をまくって差し出される腕。烝は念入りに裏返し表返して観察し、握ったり擦ったりしても異常がないことを見る。
「頭は」
「…はいはい」
まるで過保護だとでも言いたげに応じる弥月を、烝はジトッと見つめる。どう考えても君が無頓着すぎるのだと叱りたいところだった。
けれど、一つ深いため息を吐いただけで、見せられた頭頂部を遠慮なく触る。
「…溶けてないな」
「そりゃそうです」
それは軽くホラー
「前を向け」
「はいはい…」
私が前を向くと、目の前に烝さんの顔があった。身長がそう変わりないのだから当然なのだが、思わず片足が半歩後ろへ下がる。
けれど、しっかりと両手でこめかみを挟まれていた。あまりに近くて、視線をどこにやったら良いのか分からない。
「口開けて」
「…」
小さく口を開ける。
ナニコレ恥ずい
「舌出して」
「…」
「目元触るからな」
「…」
「上向いて」
「…」
無言で上を向いて、大人しく診察される。
わざとじゃないんだろうけど、耳さわさわするの止めてほしい。気になる。
心頭滅却
ペタッと首に彼の両手がはりつく。私の首より少し冷たかった。
しばらく待っていたが、その手はそのまま動かない。
「?」
両手で首を覆っているのは、どうも脈を取ってるわけでもなさそうで。
「これ、何診てるんです…」
上空を見上げていたところから、顎を下ろすと、真面目な顔の烝さんと、真正面から目が合う。自然と彼の両手の中に顎が納まり、頬はふんわりと包まれていた。
あまりに顔の距離が近くて、やはりどこに視線を置いたら良いかに困る。けれどあからさまに目を逸らすのも失礼な気がして、彷徨いながらなんとか彼の喉仏に意識を固定した。
頬を包んだままに彼の指が輪郭をなぞると、勝手に背筋が伸び上がる。
彼は至って真剣な表情だったが、診察をされている様子ではなかった。
これわざと? なら、どこからわざと!?
”そういう”雰囲気なのだと理解する。
この前は酔っていたから、そういう……ちょっと女の子が欲しい的な気持ちにでもなったのかと思ったのに。今日はお酒が入っているとは思えない。
頬とともに耳も撫でられて、背が震える。これは間違いなくわざとだ。
勝手に腰が後ろへ下がっていくのにつられて、段々と顔が地面と向き合った。
逃げたい
けれど、どれだけ頭を下げても烝さんが手を離してくれない。全く掴まれてはいないのに、勝手には外れない絶妙な角度で顎を持たれている。
真正面から笑ってる気配がした。私がさらに半歩下がると、一歩前へ進んでくる。
これは…絶対に揶揄われている…!
「付き合ってる?」
ゴッ
「ン゛ッ」
「だ!」
勢いよく顔を上げた弥月の頭と、烝の顎がぶつかった。
梓月が「あ、ごめん」と言う。
「つい。ってか、俺のこと忘れてそうだなって」
助かった…
今のやりとりを見られていたこと自体、恥ずか死ねる。けれど、色々認めるわけにもいかない。今のは全部診察で……たぶん付き合ってない。はず。
「…忘れてない。作戦会議しよ」
弥月はぶつかったおデコを摩りながら、梓月よりも先に診療所へと入っていく。
昨日の仕返しか…
土方さんと会ったということは、土方さんに嫌な対応をされたはずだ。こんな形で仕返しをされるとは思わなかった。
身体全部がそわそわとするのを、繰り返し静かに深呼吸をして抑えた。