姓は「矢代」で固定
第1話 誘われて
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慶応元年八月八日
弥月と烝が屯所に帰還したのはお昼過ぎのこと。それからしばらくして、また急に外が騒がしくなったかと思えば、武田組長率いる五番組が血塗れの男一人を引き摺っていた。
不逞浪士かぁ
男の出立ちは町人ではなく武士のようだったが、縄で縛られたその扱いが下手人のそれであった。
「副長! 土方副長はおられますかな!」
武田組長の声が境内に響く。わざわざ副長を表に呼び出して、堂々と報告をする彼の人の姿。
彼のような血の気の多い隊士は最近、あちこちで手柄を求めてはどこぞの藩士と揉めてしまい、諸藩だけでなく会津からも抗議文が届くと聞く。
伊東さんが参謀となり、軍師としての立場が弱くなった武田さんの必死の売込みなのだろう。弥月は「肩書きが欲しいと大変だなあ」と、その光景をおにぎりを食べながら眺めていた。
しかし、弥月が他人事でいられたのはほんの僅かの瞬間だけだった。すぐさま土方のよく通る声で、「矢代!源さん!」と呼び出しがかかる。
その呼び方は、大概が通常業務ではない『面倒臭い案件』だと、幹部なら誰しもが察した。
「二本松の薩摩藩邸へ事態を知らせに行って、その足で向こうの藩士と蹴上で目撃者を探して来てくれ」
武田組長率いる五番組が金の押借りをしていた薩摩藩士と斬り合いになり、一人を殺してしまったらしい。もう一人は屯所に連れ帰った男だが、かなりの深手だという。
土方の命令に、井上は「分かったよ」と返事をしたが、弥月は眉を顰めた。
「私はヤですよ。なんで私が尻拭いを…武田さんに自分で行かせたら良いじゃないですか。私、今さっき草津から帰ってきたとこ」
元伍長をしていた一番組のしでかしならまだしも、いくら武田さんとは池田屋突入時からの付き合いとはいえ、怨みを代わる謂れはない。その場で怒りを買って斬り合いになる事もありえるというのに。
「向こうがどう出てくるか分からないが、会津の顔を潰すわけにはいかねえ。できたら穏便に済ませたいが、あの男に行かせたらどうなると思う?」
「……自分の意見が絶対正しい人ですから、まあ速攻で揉めますね」
武田さんらが嘘を吐いている風はなかった。だから本当に薩摩藩士側から抜刀したのだろうとは思うけれど、敵方に行って、こちらの意見ばかりを主張したところで…だ。
これからすべきことは、薩摩藩へは死なせたことへの謝意は一応示ししつつ、まずは事実の提示をする。そして三条蹴上の茶屋あたりで、町人の目撃者を確保する。向こうが納得するまで、挑発や喧嘩腰の対応は危険だ。
「てゆーか、とりあえず医者に診せません? せめてもの誠意に」
「雪村に言われて、今平助が走ってる」
「おっけー」
さすが千鶴ちゃん
彼女にとって、屯所内にいる傷病者に、敵も味方もないのだろう。
そういえば、烝さんもさっき昼寝しているのを誰かに叩き起こされていたから、そっちに駆り出されているはずだ。
「ところで私、今日明日は非番です」
「俺も休みのつもりだった」
「…ご愁傷様です」
なんだそれ、ズルい
同情させてくるなんて反則だ。土方さんが滅多に休もうとしないのは、誰でも知っている。
「今、西郷が京にいるから、早々に大きな揉め事になることはないとは思うが。気を付けてくれ」
「あいよ」
「源さんが一緒だと、超優しいの酷い」
扱いが違いすぎる。たぶん斎藤さんが帰ってきてたら、『行ってこい』『ワン』で終わりだった。
***
最悪…
薩摩藩側から目撃者探しに出された二名のうち、一名が天霧だった。
私としては武田さんの主張を信じて淡々とこなしたい任務なのに、なぜか天霧が目を皿のようにして私を観察している。その視線がうっとおし過ぎて、事件と関係ない問題が起こりそうだった。
そう心配しながら、共に三条蹴上の件の茶屋に向かったが、到着すると問題は早々に解決した。
「助かりました! ありがとうございます!」
五番組に助けを求めたらしい張本人と茶屋の主人が、私達の羽織を見てぺこぺこと頭を下げたのだ。
そうして薩摩藩士は藩邸に急ぎ知らせるとのことで、一人は走って戻っていった。
が、一人残ったのは…
「貴方は本当に鬼ですか」
そら来た
「今、関係ないですよね。それ」
「今まで個人的に貴方と話をする機会がありませんでしたから。今回の件についてはこちらも納得しましたし、帰り道ならば好都合でしょう」
隣を歩く井上さんをチラリと見る。
彼もある程度事情は知っているし、これが秘密の話だと理解しているはずだ。席を外す気もないようだけれど、新選組の進退に関係のない範囲なら、彼は聞き流してくれるだろう。
「鬼でも人でも、私的にはどうでも良いです。私、はぐれ者らしいので鬼の里がどうとか興味も関係もないです」
「八瀬の姫は、貴方が希望さえすれば迎え入れると言っていました。力を隠しているようですが、それほどの才があるのでしょう?」
「…それは前に断りました」
「私は先日聞いたばかりですが、姫の方はそうは思っていませんでしたよ」
千姫…
ある意味ではありがたい話だけれど、それで問題になっているらしい。
「矢代家は八瀬の傍系ですか?」
「まあね」
「風間の血も?」
「まあね」
雑に答える。この人の質問に私が真面目に答える義理はない。
「今、八瀬の傍系の子どもをこちらでお預かりしていますが、お知り合いでは?」
「知りませんね」
「髪の半分だけが緑色の子どもですが」
「知りません」
ちょっと想像してみたが、そんな変な頭の奴はマジで知らん。そんなのYouTuberか国民的無免許医しか知らん。
後ろを歩く天霧に振り向く。
「こっちからも質問していいですか?」
「どうぞ」
「雪村網道さんがそちらにいると聞いたのですが、それはどこに、どういう立場で?」
「…風間ですか」
それは嫌そうな声だった。彼が話していたのは想定外だったのだろう。
「確かに、我々が匿っております」
源さんの視線が鋭くなるのを見る。私達の会話で色々疑問に思うところがあるだろうに、話を止めずにいてくれるのはありがたい。
「なぜ?」
「あの薬の解毒剤を作るというので、研究費を補填しています」
「解毒剤…?」
「擬い物の薬がすでに幕府にあるのでしょう。例えそれを廃絶したとて、異国から持ち込まれるものがあるなら、元を絶つ方法を探す方が理に叶っている」
「…なるほど」
羅刹の完成を推進していた幕府から離れた理由がそれだとすれば、網道さんが行方をくらました事の理解はできる。
ただ、元々それを幕府に持ち込んだのは網道さんの方だと聞いている。
改心しました的な?
「千鶴ちゃんと連絡を取らない理由は?」
「あれは雪村千鶴の父を名乗っているのですか?」
「…」
その質問は…
見ると天霧は不快な表情をしていた。その質問の意図は、親子のどちかが不相応な存在ということだ。
「父親ですよ、正真正銘。雪村千鶴を育てたのは雪村網道です」
少し苛立ちを乗せて牽制する。
もしかしたら血の繋がり云々言いたいのかもしれないが、千鶴ちゃんが物心ついた時から父様だと言った。ならば彼女の父親は網道さんだ。
「鬼は血筋を大事にすると、八瀬の姫から聞いてはいませんか?」
天霧からの調子の変わらない問いかけだったが、どこか自分が下に見られている気がした。話の伝わらなさに胸のモヤモヤが重くなり、息が詰まる。
「純血の雪村千鶴に、あの者が父親と名乗るなど恐れ多いことです」
「血統と、育てた者が父親かどうかは関係がないだろう」
源さん…
腹に据えかねているらしい、彼も明らかに怒っていた。
「人間の価値観で鬼を語ることはできません。雪村家の当主…純血の鬼は雪村千鶴だけです」
「…一人だけですか?」
「…?」
知らないんだ
土佐藩内もまた勢力図が変わってきそうではあるが、南雲薫の存在を知らないということは、現時点で薩摩と土佐は、直接的な繋がりは薄いと思って良いだろう。
「千鶴ちゃんが高貴な鬼というのなら、女鬼だから配偶者に連れ帰るというのは、雪村当主にとても無礼なのでは?」
「東の里はもうない上、あの娘は当主を務めるには弱すぎる。鬼は生来争いを好みませんし、共に西に来る方があの娘にとって良いでしょう」
「この状況で、代理戦争も好まないと仰る?」
「…それはどういう意味でしょうか?」
鬼は明らかに人間を下に見ている。
戦争の当事者になるつもりもないのに、人間の各勢力の重要な立場にいて、鬼の都合の良いように情報をやり取りしている。
それが里のためという名目を置くなら、雪村千鶴を当主として雪村家を存続させれば良いのに、幕府が傾いてることを言い訳に、それを考慮すらしない。
「雪村当主は生きてるのに。このまま幕府が倒れたら、西の鬼に随分都合がいいですよねって話です」
「…東の里が焼けたのは、我々には関係のないことです」
「嫁には欲しがるのに、随分と薄情なんですね」
「…貴方は本当に、鬼のことを分かっていない」
「私は私ですから」
フッと笑ってやる。鬼とか人間とか関係ない。
「狼に育てられた人間が、狼であるはずが無いでしょう」
「ええ。でも狼の命を、人間よりも大切に思うでしょうね」
「…」
理解したらしい天霧からは、それ以上の質問は来なかった。
薩摩藩邸の前を通りすぎるときに、弥月と源三郎は「それじゃあ」とだけ声をかける。
「…狼とは戦場で敵対することがないことを祈りますよ」
「ええ。ド田舎者の島津殿によく言い聞かせておいてください、ポッと出のキラキラ外国人選んで、二五〇年の恩義を忘れるなよって」
横で源さんが微かに失笑する気配がした。