姓は「矢代」で固定
第2話 淡く深く
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慶応元年九月十一日
朝餉を食べ終わって食器を洗っている途中、土方さんに話があるから監察方の部屋に戻ってこいと呼ばれた。
仕方なく残りを手早く済ませると、私とご飯を食べていた烝さんだけじゃなく、近藤さんもそこに待っていた。
「肥後藩士の件は聞いてるな。近藤さんに付いて、大阪まで詫びを入れに行ってくれ」
くだんの件とは、一昨日、肥後藩士が多数屯所に詰めかけてきた話だ。
それというのも、深夜巡察組が肥後藩士を不逞浪士と勘違いして連行してきてしまった。幸いにも、伺いを立てた肥後藩から早々に大勢でのお迎えがあって、皆さま傷一つなくお帰りいただいたのだけれど。夜中に屯所は一触即発の大騒ぎになったのだ。
局長の仕事が、隊士の尻ぬぐいなんて残念すぎる…
弥月が悲しい気持ちになった隣で、烝は近藤へ問いかける。
「昨日のうちに、藩邸の方に出かけておられませんでしたか?」
「ああ。すぐに謝罪しに行ったんだが、留守居役が大阪の蔵屋敷にいるそうで、京にはいらっしゃらなくてな。
大阪でよければ会うと言ってくれているんだ。お会いしておいて損はないだろう」
京都留守居役は藩主不在の京の藩邸で、最も権限のある人だ。
近藤さんが手に持っている手紙らしきものは、おそらくその留守居役とのやり取りだろう。
「肥後って、熊本ですか?」
「そうだ、細川家。留守居役は上田久兵衛という男だ」
弥月は日本地図を思い浮かべて、知識が間違ってないことに自信を得たが。
熊本と聞いて思いつくのは、くまモンと阿蘇山だけ。細川家なんてガラシャの名前しか知らん。
「上田殿は容保様とも懇意にされていてな。悪い方ではないはずなんだ」
「へえ…」
「それはつまり、我々の失態を寛容に許してくださるだろうと…?」
「…そうであってほしいと思っている」
どう考えても、怒られるか小馬鹿にされる未来しか見えないのだが。そこが会津公への全幅の信頼なのだろう。
「なんでこの面子ですか?」
不思議な組み合せである。近藤さん、私と烝さん。
「不満か?」
「全く。護衛に私らを付けるのが斬新と思っただけです」
「主は山崎だ。お前は暇だろ、ほぼ毎日兄のところに行くくらいには」
「なんで知ってるんですか…」
暇かどうかはさておき、確かに一日おきに様子を見には行っている。
どうせ薩摩に兄弟だとバレてるのならば、後ろ暗いところはないのだと…堂々と存在感を示している方が良いだろうと思っての判断だ。
「お前の兄なら、そこらの浪人よりそれなりに動けそうだと思ってな」
「勧誘なら止めてください。向いてないからあの人」
「人材として悪くはねぇだろ」
「馬鹿正直で人類に優しい、倫理観溢れる少年なので無理です」
土方さんにない素養を並べる。
私が危惧したことを本当にしてくるとは。鼻の利く嫌な上司だ。
「あとは、総司も一緒に行く予定なんだが…」
「あいつは厠へ行くと言ったきり帰ってこないだけだ」
「左様ですか…」
烝の声がわずかに淀む。その心情を弥月は察した。
私が言うのも何だけどさ…
それはどうにも道中が大変になりそうな組み合わせである。
沖田さんがいつも気分で生きていて、周りの迷惑を気にしないところが、烝さんは気に入らず。烝さんが度々それをチクチクと小言のように指摘するのが、沖田さんは気に入らないようだった。
どっちか外してくれませんかね…
チラリと隣を見るが、さすがに本人の前でそれを言うのは憚られる。ということは。
「土方さん。円滑な意思疎通のために、沖田さ」
スッ
「説明終わりましたか?」
足音どころか、入室の合図をする音もなく開かれた障子。
「早く座れ」
「いいですって。僕は近藤さんの護衛なんでしょう。肥後藩士に怒られても貶されても、ごめんなさいって顔してれば良いんでしょう?」
「まあ、そういう事なんだが…」
「そこのキレやすい人と違って、僕、大人しくしてますから、細かい説明は不要ですよ」
「…」
その煽りに、唇を尖らせてジロリと睨みをきかせるが、返せるほどの言葉はない。私は前科持ちだった。
「今日中に大坂入りするなら、早く行きましょう」
「ああ、それぞれ支度をしてくれ」
完全に時機を逸した。
そうして出発した新選組御一行。伏見から大坂へ下る舟の上は、弥月の予想通り賑々としていた。
「なんで俺がやったことにしなきゃいけないんですか?」
「だって、弥月君じゃないのは明白だろうし。でも僕は怒られたくない」
「俺だって嫌です!」
「んじゃあもう、その面倒くさい『謝り役』と『本人』って考え方やめません? みんなでうちの隊士がごめんなさいってしたら良いじゃないですか!」
モメてる意味が分からん
なぜか浮上した『謝り役』という役柄。聞くに、寺子屋では『やらかした本人』以外の子どもが怒られるという定石があるらしく、沖田さんはそれを適応しようとしている。
「だって、近藤さんが怒られるの納得できない」
「管理者責任ってやつです。それで良いんですよね、近藤さん?」
「そうだ。今度のことは、巡察をしていた彼らの判断が間違っていたとは、俺は思っていない。お互い刀を抜かずに話をして、確認のために屯所に連れてきたわけだからな。
ただ、対外的にはそう言うわけにもいかない。君らには申し訳ないが、幹部として共に謝罪してくれ」
「はーい」
「承知しております」
幹部じゃない私は、とばっちり?
「矢代君もそれで良いかな」
「あ、はい。大丈夫です。分かってます。私はマスコット的な感じですよね」
「…? マスケットかい?」
「確かに命中率は低いが、君を銃に例えるなら短筒の方が…」
「でも確かに、君の例えとして『鉄砲玉』は最適だね」
「!! 駄目だぞ、矢代君! 今日は謝る日だからな。何を言われても冷静に聞き流すんだ!」
「…はい」
ちがう
そうは思ったが、私を生贄にこのやりとりが納まるならと、弥月は仏のような目つきで頷いておく。
「お客さん、着きましたよ」
「ああ、ありがとう」
八軒家浜船着場に着いた。大阪城が近くに見えていて、大坂屯所まではここから半刻程度だ。
ギシギシと人が歩くと鳴く舟が、人が少なくなると段々と川面に浮上していく。弥月は最後にぴょんと桟橋に飛び降りた。
「わお、まだ揺れてる」
半日、舟で揺られていたら、今は地面に立っているというのに足元が揺れている。
ふわっふわっしてる!
やじろべえのように、少し大げさに揺られてみる。面白い感覚だった。
「手を…」
「ありがとうございます」
高く差し出された烝さんの手を取る。楽しみすぎて、桟橋から転げ落ちるのを心配されていた。
「…子どもじゃあるまいし、過保護すぎでしょ」
「過保護なのが烝さんの良いところです。安心と信頼の実績」
「…山崎君、気色悪いからニヤニヤしないでくれるかな」
「してません! 弥月君は大坂は鬼門ですから、念のためです!」
「烝さん、言わないで。伏線回収してくる事に気づいたから」
「絶対、一人でどこかに行くな」
烝さんにより一層強く手を握られて、「気を付けます」と笑っておく。私もそうならない事を願っている。
「橋もう終わりだし。気持ち悪いから、手離して」
「イッた! 腕叩かなくってもいいでしょ!」
その背を叩き返そうとして、沖田さんにサッと避けられる。もう一度、振ったタイミングでまた避けられた。
「甘いね」
「……」
「道端で本気でやり合うおうとするな」
「だって、くやしい!」
先頭を歩く近藤は、山崎君は彼らといると意外とよく喋るのだなあ…と思い、ニコニコしながら振り返る。
「そうだ。あれはもしかして山崎君にもらったのか?」
「あれ?」
沖田さんが相槌を打った。
「この前、洒落た簪を付けてるなあと思ったんだ。男装をしていたから、俺は外し忘れてるのかと焦ったんだが、雅なものだと伊東参謀が甚く感動しておられたよ」
「…あ! やっぱり伊東さんウケは良かったんですね!なら良かった!」
「ああ、遠目にもとても良い品物だろうと言って、いつも質素倹約な君が自分で用意したのだろうかと不思議がっていた」
……
弥月は少し早足になって、近藤の横に着く。満面の輝いた笑顔で。
「えへへ。似合ってるなら良かったです」
「良く似合っていたよ。君さえ良ければ、合う着物も用意しようかと思ったんだが…」
「ええ!? 大丈夫です! 女装は控えろって、土方さんにこの前命令されましたし。お気持ちだけで…!」
「そうか?」
「そうですよ~ 私が許されたら、今度千鶴ちゃんにも用意するのはどうかと思ってて~」
「それは良い案だ! 当然だが、彼女も似合うだろうからな!」
乗り切った!
そのまま近藤さんの隣を歩いて、どんな形の簪が千鶴ちゃんには似合うだろうかと話をする。
二人居るはずなのに、まるで会話のない背後から、視線だけが刺さる気がするが、絶対に後ろは振り返らない。
察しの良い沖田さんがどこまでどう予想を立てたか……それを訊かれる隙を作ってはならなかった。
***