姓は「矢代」で固定
第1話 誘われて
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慶応元年九月二日
「亡くなったのか」
「うん…駄目だった」
昨日、私たちが治療室に駆け込むと、四番組の隊士達が廊下ですすり泣いていて、沸かしたお湯が運び込まれるところだった。大量の行灯が用意された室内で、傷を押さえる土方さんの横には、重さのある赤黒い布が溜まっていて。
千鶴ちゃんが松原さんの脈を確認しながら、「用意できてます」と医師を見た。
「残念だったな」
「うん…」
彼が羅刹になった後、山南さんが改めて話を聞いたそうだ。
事件の晩、酔っていたとはいえ、男の挑発を流せずに自分も刀を抜いてしまい、未熟さ故に男を殺してしまったということ。その先は、以前に女が話したことと相違なかった。彼はそれを女に黙ったまま関係を持ってしまった。
だから、女に怨まれて刺されて死ねるなら本望であったというのに、生き永らえてしまった。嘘を信じ、己の回復を喜んでくれる仲間たちに申し訳なく思っていたと。
だから、土方さん達から切腹の采配があることを、心のどこかで期待していたのだと。
「切腹ってよくあるのか?」
「…滅多にないよ」
「…そっか」
ましてや、切腹人を助けようなんて誰も想像していなかった。本当は助からなかった。
「どんなことしたら、切腹したくなるんだろうな…痛ぇだろうに」
「ね…」
生きていたくないと思ったとき、なのかな…
「俺、武士の忠義とか切腹とかってスゲーなと思ってたけどさ…なんか思ってたのと違ったわ。
理由も知らないけど……あんな皆が助けようとしてて、死ぬほどの事だったのかな?って思ってさ…」
「そうだね…」
きっと、死ぬほどの事ではなかった
酔っていたとしても、松原さんが刀を抜くほどのことだ。侮辱から自分の名誉を守るために、相手を斬ることは武士としては問題ないとされている。女の事もこちらで片をつけていたから、お互いが忘れたフリさえしてくれれば、それで済んだはずだ。
それでも
「それでも、生きられなかった、かな…」
自分の大義に沿わず、人を殺した。それなのに、自分のために嘘を吐いた。嘘の上に、幸せを重ねようとした
血と虚像でできた足場に、松原さんは立っていられなかった。少しずつ溜まっていく罪悪感で、耐えきれなくなる瞬間、楽になる道を選んでしまった気持ちは少し分かった。
「弥月?」
「…ありがとね、梓月。先生と来てくれて」
「いや、俺は何も…」
「火、持っててくれたでしょ」
「いや、持つしかしてないし…」
梓月は止血を試みる先生の手元を、少しでも明るくしようと頑張ってくれていた。段々と日が傾いて暗くなる中、焦りと絶望感が渦巻いていた。
「先生帰ってきたら、明日葬式するからって言っといて」
「…分かった」
梓月は言葉少なな妹に、それ以上どう声をかけて良いか分からなかった。
***
梓月side
昨日のことは、何度も反芻した。
医師に助けを求めてきた男を前に、切腹を想像してただ狼狽えただけの俺と、はじかれたように飛び出していった弥月。その迷いのない姿に、最初はただ驚いた。
屯所には看護師のような女の子がいて。手術するのに足りない物はないかと先生に尋ねた。その横でためらいもなく、弥月は患者に無理矢理に棒を噛ませて、紐でそれを固定する。それから弥月の指示で、先生と俺、女の子と土方さん、そして弥月が室内に残った。
廊下から動こうとしない隊士へ、追加の湯や煮沸した布を持ってくるように指示する妹の姿。先生が手に負えない場合を見越して、会津藩医へ連絡した方が良いか提案したのも弥月で、土方さんはそれに従って動いていた。
そこまでは怒涛のような時間だったが、ふと違和感を抱いたのは、ようやく止血ができて俺が内心ホッとしたところで、弥月が「ちょっと」と言って、土方さんを顎で外へ連れ出したことだった。
その間にも腸の縫合は進んでいたが、しばらく経った後、土方さんは近藤さんと戻ってきた。
『南部先生、松原君は…』
『厳しいな…』
『え…?』
俺は止血ができたから、これで助かるだろうと思ったのに、医師は二人とも首を横に振る。
『出血量が多すぎる。それに二回目だ、癒着も酷くなるだろう』
『前より傷が広いし、切れとる腸も多くて…できるだけの事はしますけど…』
『そうか…』
『このまま意識が戻らないことも?』
『分からない。今は痛みで気絶しているが…体温も低く、脈も弱い。このまま…』
女の子…千鶴さんが俯いて肩で涙をぬぐう。彼女は出血点を探す医師の視界を確保しようと、拭いてもまたすぐに溢れてくる血を懸命にぬぐい取っていた。
局長らは悲痛な表情をしながら、『松原を宜しく頼む』と頭を下げた。その彼らが部屋を後にする間際に、囁き合っていた言葉。
『向こうの用意は?』
『矢代が一旦あんたの部屋に…』
…弥月?
彼らの動きが気にはなったが、梓月の目の前では手術が続いていて、そちらへと意識が向かう。
『先生、輸血って…』
『輸血?』
『…血液の転輸について、私も山崎君から知識としては教えてもらったが、まだそれを試したことがない』
その問いに、会津藩医が答える。
『梓月君だったか。君はそれができると確信しているのか?』
藩医は創部から手は離さずに、厳しい眼をこちらに向ける。それは疑うと同時に、期待をされていた。
けれど、俺は見たこともない輸血をする行程を想像して、言葉をなくした。
リスクが高すぎる
『…できません』
『そうか…』
ガッカリされるかと思ったが、ホッとしたようにも聞こえた。
『コロリへの食塩水の注入は有効とされているが、梓月君はどう思う?』
『えっ、と…』
『南部先生、数日前うちに弟子入りしたばっかりなんどす。あんまり苛めんでやって下さい』
『ハハッ、すまない。松本先生と弥月君の話を、どうにも真似したくなってね』
先生方は手術の山場を越えたようで、手を進めながら、合間にゆっくりと穏やかに話をする。
令和では聞かないような病気の名前ばかりで。治療法を問うと、非科学的なものや『治るのを待つ』に限りなく近しい返答ばかりだった。
ようやく俺は気付いた。弥月が2年、ここで一人で生きてきたことの意味を。池田屋事件から1年以上経っていると言っていた。その前後を新選組で過ごした日々が平穏なわけがないのだと。
「切腹ってよくあるのか?」
「…滅多にないよ」
全てが終わってみれば、一連の弥月の動きは、あまりにも手慣れてすぎていた。少なくとも、ただの下男の動きではなかった。
知られたくない、か
切腹をすることに釈然としない俺と、隣にいる弥月には見えているものが違うようで。
「それでも、生きられなかった、かな…」
それはほとんど呟きで、最後は消え入っていた。
物言わぬ隊士への疑問のようでありながら、どこか確信をしているような声音で落ち着いていた。
昔から、弥月は一つ年下のくせに自分の方が大人ぶって、腹の立つ妹だった。それでも十数年一緒に育ってきて、感覚や価値観が近くて当たり前だった。
けれど、仲間が死んで悲しんでいるだろうと思ったら、そうでもない。かといって、感心が無いわけではない。
今、弥月が何を考えているか、俺には全く分からなかった。