姓は「矢代」で固定
第1話 誘われて
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慶応元年七月下旬
突然に視界に映るものが変わった。先ほどまで梓月の視線の先にあったのは、卓上の桐の箱だったけれど、彼の瞬きの間にそれらは畳にすり替わった。
彼はそれに疑問や不思議を感じる前に、ただ、自然と視線を上げる。
気付くと、明治や大正の時代を感じさせる西洋建築が、純粋な日本家屋に変わっていた。
「…は?」
「おんしゃ、今どこから…」
すぐ後ろで声がしたため振り返ると、そこに人がいたが、知らない人だった。
「なん……え?」
「おんしゃ、げに今どこから出てきたが?」
「どこって…」
グルリと首をめぐらすが、知らない場所だった。旅館で見るような書院造りの、床の間のある和室。
???
「…ここどこですか?」
「…薩摩藩邸」
「薩摩藩邸…?」
梓月はしばらく考えて「鹿児島の?」と問うと、「京の」と返答がある。またしばらく考えて、「京都の薩摩藩邸ってどこにありましたか?」と問う。
「ど真ん中にありゆうが…おんしゃ、げにまっことどっから現れた?」
「どこって言われましても…僕的には、僕が移動したわけじゃなくて、場所の方が変わったんですけど…」
「場所が変わったちゅうか…?」
二人して似たような不可解な表情をしていて。分からない者同士で会話をしているのだと、ようやく認識が一致した。
坂本は梓月に敵意がないことを悟り、起座からあぐらに座り直して向き合った。
「少年、ちっくと何があったんか話してみやねぇ」
「はあ…僕、今の今まで、大学の敷地内にいたんですよ。父と祖父と……って、あ。そっか、スマホ」
ポケットに入れていたスマホを取り出す。液晶画面を点けると、日付時刻は全く変わっていなかった。
どゆこと?
なにか衝撃を受けたり意識がぶっ飛んだりして、一種の記憶喪失にでもなっていたのなら、まあそれはそれで納得がいく。けれど、スマホの時計は次の1分を刻み、体感していることは地続きの時間なのだと教えてくれる。
「…ってか、圏外かよ」
地下でもなさそうなのに、いったいどんな山奥なんだと思いながら、スマホを高く掲げて振ってみるけれど、全く電波が入る気配はない。電話も圏外のようでコーリングさえされない。
「すみません、ここってWi-Fiありませんか?」
「わ…?」
「僕のスマホ、全然アンテナ駄目みたいで…」
「なんが駄目ちゅうて……何ぞ、そりゃあ!?」
「え? うちの犬と猫ですけど」
「たまるか!かーいー…って、そうやないき! 何ぞ、その箱は!」
「箱?」
「ホトガラヒーに色がついちゅうは最新式かや!?」
「ホト…?」
「もっと見せや!」
「ちょっ、やめて下さい!」
なんだ?! この人!
サッと手を伸ばしてスマホを遠くへやる。男がそれでも追いかけてくるため、三回繰り返した。
「…おまん、意外とさどいのぉ」
「プライバシーの塊ですよ!何なんですか?!」
「何の塊っちゅうた?」
「プライバシー!」
「プラいばしいっちゅうは何かや?」
プライバシーとは?
「個人、情報…?」
「ホトガラ一枚でおまんの何が分かるっちゅうか」
「…スマホ、使ったことないんですか?」
「すまほ?」
どこの原住民?
今どきアフリカの人だって知っているだろうと思う。アマゾンの奥地の人ならとは思うけれど。
「ここ薩摩藩邸って…京都の元薩摩藩邸なんですか?」
男は梓月とスマホを交互に見つつ、不服そうに口をへの字にして言った。
「元やないき。今の御所の隣にある薩摩藩邸ちや」
「御所…」
御所の隣に薩摩藩邸があったとして、なぜ電波が飛ばない。敷地周囲にジャミングをかけているのか。さすが元皇居。
梓月はすっくと立ち上がって障子を開けると、そこは日本庭園があった。少なくともアマゾンの奥地とは思えないほどには、人の気配がした。
ざわざわと嫌な予感がしていた。スマホを再びポケットにねじ込んで、ずっと片手に持ったままだった紙を強く握る。
この男性に訊いて確認したい事はあったが、見ないと納得できないだろうし、動かないと不安に押しつぶされそうだった。
「おーい、少年、きおうてどこ行きゆう」
「外です」
ここはどこだ
「門ならこっちねや」
広い広い薩摩藩邸とやらで、行き違った家人はちょんまげや日本髪をしていた。ぐるりと家屋の周囲をまわって、大きな門から表に出る。そこには、この藩邸が建つに似合った町の風景が広がっていた。
少し強い風に砂埃が上がる。
「…太秦、映画村?」
「このいに大都会見て、村っちゅうことはないがぞ。おまん、その服といい頭といい、異国からいざったかや?」
ゆっくりと隣を振り返る。
恐らく高知弁のこの人。不躾を承知で上から下まで眺めた。少しくたびれた紋入りの着物に赤い袴、腰には二本の刀。
「…あなたのお名前聞いても?」
「俺か? 才谷梅太郎。おまんは?」
「…矢代梓月」
「梓月はどこからいざったか?」
「さあ…」
不信な顔をされるが、仕方ないだろう。まだ自分も分からないし、納得もしていないし、説明ができない。
「才谷さん、御所がどの辺か教えてもらっても良いですか…?」
そんな馬鹿なと思いながら、もしそうだったらどうしようと思う。まだ事態を全く飲み込めていなかった。
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