姓は「矢代」で固定
第10話 その先へ
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慶応元年七月初旬
行軍編成のころ『馬験』という役職があった。今も屯所外の厩(うまや)に二頭飼っていて、当番制で世話をしている。
ただ、公道で騎乗するのには身分が必要らしく、新選組では局長、参謀と副長のみが許されている。生家で世話をしていたことのある人や、元武家の人は乗る技術があるとも聞くが、基本的には馬はみんなにとっては『乗り物』として使えないものらしい。
あるのに使えないなんて、無駄な規則
「…って聞きましたけど、時々乗ってる人見ますよ?」
「馬子(まご)がいれば問題ない。馬で荷を運んでるのと同じことだ。
騎乗訓練を受けぬ身分の者が、一人で乗ることは許されぬ」
「へー…」
監察方は馬の世話の当番がない。たまたま今日は、これから世話をしに行くという斎藤さんら三番組に付いてきた。
教えてもらいながら厩舎の外に馬を繋ぎなおし、馬糞の乗った干草を回収する。
「でも、いざ伝令って時に乗れたらめっちゃ便利ですよ?」
「あんたは走るのが得意だろう」
「はい、かけっこに自信はあります。でも馬より速く走るのはムリ」
「…当然だ」
ここにいる二頭の、ポニーとサラブレッドの間の大きさの馬。顔の前に拳を出すと、ふんふんと嗅ぐだけで、素直に鼻筋を撫でさせてくれる。
可愛い
「乗っちゃダメ?」
「駄目だ」
「絶対?」
「縄に掛かりたいなら好きにしろ」
「むぅ」
「組長、独りで走らせなかったら宜しいんじゃないですかね?」
三番組隊士の安富さんが、鞍(くら)のほこりを払いながら言う。
「こっちの馬具、久しく手入れしてなさそうです。たまには着せて人乗せて、馬を慣らしてあげなきゃいけません。言う事を聞かなくなる」
局長は黒谷を訪れるときに騎乗して向かっているが、副長は馬に乗るのはあまり好きではないそうだ。副長本人が言うには「乗れるから訓練は要らない」らしいが、馬子を連れている限り、真相は闇の中だ。
安富さん曰く、参謀も籠を好むし、もしかしたら局長は扱いやすい性格の方の馬ばかり乗っているのではないかと。
「でもそれ、上に乗るだけじゃなくて、歩かせなきゃ意味ないですよね?」
「そこらを周るぐらいでしたら、私でよければ後で馬子役をしましょう。馬の訓練にもなりますし、今後のことを考えたら、乗り方を知っている人が多くても損はないはずです」
「教えれはるの!?」
「矢代、安富は馬術師範だ」
「そうだった!」
「乗る方が得意ですが、基本的な事ならお教えできますよ」
「すごい! やったぁ!」
掃除にも気合が入る。とっとと終わらせて、いっぱいよしよしさせてもらおう。
この厩舎は壬生寺にほど近いところにあり、馬糞は寺の裏の畑の肥料にする。一頭桶二杯はあるそれを、弥月はえんやこらと笑顔で運んだ。そして厩舎に戻ってくると、すでに一頭だけには鞍がつけられていた。
「きみが気性荒い子なの?」
先程撫でさせてくれた馬だ。ちっともそんな感じはしない。格好いいというよりも可愛い馬だ。
昔、どこかの牧場か何かで乗馬体験をしたことがあるけれど、その時のサラブレッドと違って、頑張らなくてもヒョイと乗れそうな高さだった。
「乗ってもいい?」
その場に桶を置いて、馬の背に手を着く。腕で身体を上げると、簡単に跨げた。
「流石に足は付かないか」
もしかしたら届くのではないかと思ったが、片足を地に伸ばしてみてもまだ浮いていた。それでも2mほども身長があれば、つま先は地に付きそうだ。
ガラガラガラドーーーン
あぁ。木材が倒れ…って?!
ヒヒヒィーーーン
バキッ
「うっ! わ!」
落ちる! バキって何?!
色んな音と思考と声とが同時に生じたが、身体は安全を最優先に反応した。馬が後ろ足で立ち上がって、弥月は背からに落ちそうになり、咄嗟に股のところにある前輪と馬のタテガミを掴んだ。
不穏な音の正解は、馬が高く嘶いた勢いで、繋がっていた金具を壊した音だった。
そして、馬は走り出した。
「ちょっ、と待ってぇぇぇ!!!」
「えっ!?」
「矢代!?」
瞬く間に斎藤さんらの声は後ろに遠くなっていた。
「待って待って待って!!! 走らないで!」
叫んでも馬は止まらない。止め方が分からない。
ひたすらに直進していく馬に振り落とされないよう、前かがみにしがみつく。片足が抜けたままの鐙(あぶみ)は揺れていて、足先を入れることすら叶わない。脚が跳ばないように、両膝をグッと鞍に押し付ける。
「お願い、止まって!!!」
言っても願っても、馬は走り続ける。
前は見えないが、人通りのある道をまっすぐに駆け抜けている。
「ごめんなさい!! 避けて避けて!」
大声で道行く人に危険を知らせる。これは本当にマズい。
ヤバいから! 蹴ったら人が死ぬから!
扱えないから乗ったら駄目なのに。遊び心で乗って、世間様に大迷惑をかけている。
私が振り落とされるのと、馬が疲れて止まるのと、誰かを轢き殺すのと、どれが先だろうか。
「止まってーーーー!」
ムリムリムリムリ!!!
「よっ、と」
「!!?」
「これで止まるだろ。てか、叫んで煽んじゃねぇよ。ちっと黙ってろ」
突然に、背後に人の気配…というか、人が来た。
乗って…???
見えていなかったけれど、たぶん状況的に、誰かが走ってる馬に飛び乗ってきた。
どうやって???
その男の重量とゆったりとした声かけで、しばらくすると馬はわずかずつ速度を落としていく。
「ここだと面倒だな。もう少し先まで出すぜ。飛ばねぇから身体起こして、タテガミ放してやれ」
その意図は分からないが、良きに計らってくれていい。私も指示に従って男に背を預ける。
そうして人通りの少なくなる所まで来ると、問題なく馬は停止して、弥月はふうと長い息を吐いた。
誰も轢き殺さなくて済んだ。よかった…
お礼を言うべく後ろを振り返る。
「―――っ!」
「大丈夫か?」
不知火
感謝の気持ちと、状況の理解と、立場的な思考がグルグルと回って言葉に詰まる。
「魂抜けたか?」
「…ありがとう、ございました…」
「おー。女の悲鳴かと思ったら弥月で吃驚したぜ」
「あ、はい…」
そんなところまでは気を遣えなかった。ひたすらに叫んでいた記憶しかない。
「お前の馬か?」
「いえ、組のやつで…」
「乗れねぇのに乗ったのか。馬鹿だな」
辛辣だが、返す言葉もない。
不知火は馬から降りて「重かっただろ、すまねぇ」と、息切れしている馬の背を叩く。
「お前も。また走り出したら面倒だから降りろ」
「はい…すみません…」
敵に助けてもらうなんて、恥ずかしいことこの上ない。
跨いでいた脚を振り上げると、両腰を掴まれた感覚がした。
ん?
疑問に思うと同時に、一瞬身体が宙に浮いて、ストンと地に両足が着く。
「…」
持ち上げられたのだと理解した。
「訓練も終わってる大人しい馬じゃねえか。なんで走り出した?」
「たぶん…大きい音でビックリした、かな…? 繋いでた金具が壊れて…」
「ちっとばかり臆病か。でもここまで二人乗せて走れるなんて、元気な奴だな」
不知火は笑いながら、馬を撫でる。
「引いて帰れよ。この紐持って…もっと手前でいい。お前は馬より前にいて、馬が先に出そうになったら鼻の前に手を出して止めろ。もし引き摺られそうになったら、いっそ馬は手放せ。馬鹿はそれで死ぬ」
「…ありがとうございます」
手綱から馬へ、馬から不知火へと視線を移す。親切にされてここまで困ったことはない。
弥月は愛想笑いすらできずに、顔を歪ませる。
この男と会うときはいつも突然で、前触れすらない。聞かなければならない事がある気がするが、まだ心臓がドキドキしてて思考がまとまらない。
「…話の相手してやりたい所だけどよ、オレは用事の途中なんだ。続きはまた今度な」
「用事?」
長州の?
無意識に表情をキリリとした弥月へ、フッと不知火は口の端を上げる。
「まあ人間どもの下らねぇ駆け引きだ。トンボ返りで使い走りなんてのは柄じゃねぇが、京に来る理由になるなら悪くねえだろ?」
「…何をしに?」
「こうして弥月に恩が売りに、な」
「何をしに上京したんですか?」
「…まあ書簡一つを大坂城まで届けただけだ。今から薩摩藩邸に寄るくらいまでなら教えてやってもいいぜ?」
ニヤリと笑って言う事には、征長命令を無視している薩摩藩は、やはり長州と繋がっているということ。おそらくその書簡は、長州藩の討幕派大将に京への招致命令が出ていることと関係しているだろう。
そして。彼はどうやらきちんと長州の味方をして、私を敵方と認識している。
なら、借りはマズい
「…貸し。返してもらっただけだから」
「は? なんも借りてねぇよ」
「銃痕。残ってるから」
「…わーったよ。ただ、オレが嫁に貰ってやるから、傷の一つや二つ心配しなくていいぜ。思う存分じゃじゃ馬してこい」
うざい
一応、言うのは心の内だけにしておく。これでも感謝はしている。
「矢代さん! 無事ですか!?」
「…! 安富さん」
「良かった、真っ直ぐに駆けていて!」
馬で追いかけてきてくれたらしい、私の横に着けた彼を見上げる。
「んじゃな。また寄れたら寄るわ」
「来るな」
反射的にそう返す。話したいことはあるが、屯所に来られるとややこしい。
弥月は苦々しく思いながら遠ざかる不知火の背を見る。馬から降りて並んだ安富さんが「あの方は…」と呟いた。
「見逃して下さい。馬止めてくれただけですから」
「…誰ですか?」
そっか、三番組隊士は見てないか…
「大丈夫、忘れてください」
「…敵さんでしたか?」
「……報告してもらって大丈夫です。彼の名は不知火です」
「申し訳ない。上への判断は斎藤組長に任せます…が、それだと間違いなく副長に伝わりますね」
「それは間違いないです」
斎藤さんの組下の安富さんはとても真面目な人だった。
馬を暴走させていたのは町の人に見られているし、二人乗りしていた所も誰かに見られているかもしれない。ならば、包み隠さず話した方が良いだろう。
しかし、弥月が詳細を話す前に、彼は「引いて帰りましょう」と穏やかに言う。
「…安富さん的に、私、めっちゃ怪しいですよね?」
「それは私が判断することではないので指示に従います。それに…」
安富は笑いをこらえるように、フッと一息だけ溢した。
「斎藤組長は兎も角、副長が信頼してるなら、まあ大丈夫だろうと思っています」
「…それ、どうなんですか」
「うちの組長、騙されやすそうじゃないですか。ちょっと惚(とぼ)けた所ありますし」
驚いた
斎藤さんは元々取っつきにくい所があるが、先日の切腹の介錯役を担って出てからは特に、新入隊士からの評判があまり良くない。技術的な面での尊敬はされるが、その眉目秀麗さと無機的な表情、言葉少なな姿に、冷徹さしか感じ取れないのだと。
「…安富さんは組長のことは好きですか?」
「ええ。こんな言い方をしたら怒られるでしょうけれど…けっこう可愛い所ありますから。芳助伍長や藤堂組長と話している時なんかは年相応に見えますよ。
他の組の奴らには分からないかもしれませんが…組下の特権ですね」
その分、稽古は厳しいですけれど、と笑った。
「組長は動物…馬も、犬猫も好きそうですから……もし、矢代さんが手隙でしたら、また三番組が馬の世話当番の時に来てください。斎藤組長にも一緒にお教えしたいです」
一度、身分不相応だと断られたらしい。私と一緒になら聞いてくれるのではないかと思ったと言う。
「…安富さん、善い人ですね」
「歳いくとね、知ってる事を誰かに教えたくなるんですよ。偉そうで申し訳ない」
そうは言うが、年齢は斎藤さんと少ししか変わらないはずだ。謙虚で真面目で世話焼きなのだろう。
どこにも属さない監察方をしていて良かったなぁと思うのは、こういう時だ。どこかに入り込んで、内側の温かい声が聞こえた時。
「斎藤さんを好きでいて下さって、ありがとうございます」
「こちらこそ、いつもうちの組長を百面相にして下さって、ありがとうございます。
さっき出てくる時も、青くなって慌てて右往左往して走り出したと思ったら、真っ赤な顔で戻ってきて俺に助けを求めるから、とても面白かったです」
「あはは! それは私も見たかった!」
斎藤さんの可愛い話に花を咲かせて、馬を引き連れて歩く。
しばらくして走って追いかけてきたらしい本人が見えたときには、そのホッとした表情に「可愛い」「推し」と、安富さんと頷き合った。