姓は「矢代」で固定
第10話 その先へ
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慶応元年六月二十日
足音を立てずに屯所内を歩き、土方副長の部屋の前に坐した。
「報告です」
「入れ」
至極まともに報告をもってくる弥月の姿に、土方は只事ではないのだと筆を置く。
その予想は当たっており、弥月は険しい表情をして、普段より一段低い声で「嫌な情報です」と言った。
「廊下で出くわしたら殺そうと思いつつ、残念ながらここに到着しました」
「…珍しいな」
「なので一応、指示を仰ぎます」
「分かった。打首か切腹かどっちがいい」
「打首」
食い気味に返答した彼を、土方はジッと見て、静かに頷いた。
「理由は」
弥月は一度、コクと唾液を飲みこむ。
それを口にするのも憚られるが、絶対に許さない。羅刹隊の選択すらも許さない。
「鴨川沿いで小さな商いをしている母娘がいます。そこの娘さん十四、五歳の年頃で、とっても綺麗で気立てが良いと評判の子です。
その方を……男二人が半月ほど前に強姦しました」
嫌な話だと、土方も弥月と同じ表情になる。
「それが隊士と……情報源は」
「本人らが飲み屋で自慢話をしていたのが、回り回って、私の耳に入ってきました」
「裏は」
「林さんに依頼しました。自慢話するような奴らの自供は簡単だったそうです。
あと、情報筋からも正確に。向こうの記憶する男らが呼び合っていた名前と、身体的な特徴も一致してます」
被疑者を酔わせて、気が大きくなったところを、自尊心をくすぐって仄(ほの)めかせばいい……そう言って聞き出したのは林さんだけれど。
『自分も興味がある』と言って、同じ穴の貉と思わせたら、男達はするすると自慢げに話しだしたという。
先々月に江戸から上京したばかりの隊士二人の名前を上げると、土方は眉間の皺をさらに深くした。そして「分かった」と応じる。
「だが、先に言っておく。それが未婚の女なら、名目上、打首は無理だ」
「!?」
「奉行所のやり方としては、夫がいれば死罪にするが、相手が未婚の女なら…訴えたとしてもせいぜい追放……最悪、泣き寝入り。
組織としてそれに則るなら……譲歩して切腹か…モノを切り落とすかだな」
「は…」
何を言ってるんだ?
土方さんは「切り落としたところで、離隊は叶えるか…」と、その先の処分について憂慮している。
「本人らが希望すれば、羅刹隊に入れるのは有りか?」
「無しです」
変若水のせいで、もしまた生えてきたらどうするんだ
「なら、切腹だな」
「待ってください。切腹…って、名誉の死なんですよね?」
「そうだ。だが、自分のしでかした事の責任を取る意味もある。それで諦めろ」
「なら死刑を望みます。たとえ死に際でも一欠片の名声も許しません」
「…お前の気持ちは分かった。だが、これは組織としての判断だ」
その確固たる応えに、グッと口を引き結ぶ。
「代わりに、お前に介錯させてやる。それで手を打て」
「…」
首を落として、鬱憤を晴らす機会をくれるのだと。
弥月は自身の襟を手で握る。親しくはないけれど、隊士二人の顔がはっきりと浮かんだ。
その首を、私が落とす
「…私、切腹を見るのも介錯するのも初めてなので、不得手でも構わないということですね」
「…勘違いするな。見苦しくないようにするのが、介錯の役割だ」
下手な振りをして、長く苦しませるのは許されない事だと、土方は弥月を睨んだ。
そういう方法もあったのか
その意図はなく、発した言葉の通り、一太刀で落としきる自信がなくて言ったのだが。被害者の少女の復讐に代わり、最期に苦しみを……などと考えそうだと、土方さんに思われたらしい。
「介錯の作法については、斎藤に聞いておけ。明日には整えておく」
「…分かりました。ついでにもう一件」
「……まだあるのか」
げんなりした顔へ、弥月は今度は溜息を吐きつつ、首を上下に振る。
そして意識的に、先ほどまでよりは気の抜けた声を出した。
「こっちは裏取りがまだですが。ヤな所から入る前に、耳には入れとこうかと」
「なんだ」
「赤髪の長身の男と、体格の良い大男と、浅葱色の羽織を着た小男の三人組が、新選組と名乗って洛中で金を借りている件についてです」
「……」
何かしら即答されるかと思って土方さんを見ていたが、彼は「はあ?」と言いたげに、口を半開きのままにしただけで。
その三人組の特徴で、誰を想像したのかは言わずもがな。
ただ、名を騙った不届き者とは分かっていても、借りているものが金だけとなれば……なんとも有り得そうで。しかし、有り得そうと口にするのは流石に申し訳なくて、口を半開きにしたくなる気持ちはとてもよく分かった。
「ツッコミたい気持ちは分かります。分かりますが、裏取りが未だです」
「…早々に片付けろ」
「承知です」
***
外で組下の稽古していた斎藤さんを、人気のないところへ連れ出す。
「明日、切腹人の通達があります」
「…そうか」
「介錯の仕方を教えてください」
「…あんたがするのか?」
困惑した表情の斎藤さんに、コクンと頷く。
「…向いていない」
「それは技術的な意味ですか。それとも別の意味ですか」
斎藤さんは分かりやすく溜息をついて、「どちらもだ」と。
「どうしてもと言うなら教えよう。しかし、切腹人に指名されたのでもないのなら…代わりを立てるよう、副長に申し入れた方が良い」
「…私が死罪を望みました。誰かが介錯をしなければならないのなら、その重さは私が背負うべきです」
「介錯を誉れと思えぬあんたが、介錯をするべきではない。切腹人の責が元なら尚更だ」
「……」
介錯を誉れと思う
以前、屯所を脱走しようとした時に、打ち首と切腹の違いについて、「斬られる側」の気持ちなら分かった。どれだけ打ち首が惨めかということ。
けれど、「斬る側」に立ったのは初めてだ。そこに重き罪状はあれど、私に項を晒すのは「敵」ではない。今日まで仲間として共に研鑽していた者達。
皆の前で、一分の躊躇いもなく、敬意をもってその首を落とす
斎藤は、苦言を呈しても否と言わない弥月を見て、表情を曇らせた。けれど、諦めたように小さく息を吐いて、誰もいない広間へと移動しようと言った。
「介錯の役割は、たとえどのような切腹でも、それを見事な様に仕立てるもの。こちらに無調法も迷いもあってはならない」
そこに切腹人が座っていることを想定して、解説が始まった。北向きに座った切腹人は、まず給仕された酒を飲むのだと云う。その儀式もややこしかったが、それが終わってようやく介錯人の出番なのだと。
切腹人がどの刀を使ってほしいか問いかける所から始まり。切腹と介錯の手筈について最終確認を行う。そして振り向くときは右回りだの、歩きだすのは右足からだの。
右利きの私は、左側やや後方に立ち、前傾になった第四頸椎上に真っ直ぐに振り下ろす。ただし、最も美しいとされるのは首の皮一枚を残すこと。そうすることで、頭の重みで切腹人が前へ倒れる。
弥月は手順通りに、自分の前に正座した幻へ、刀を振り下ろす。
振り切らず、皮を残す
解剖図で見た頸骨の形を思い出す。今の振りだと、途中で骨に当たった気がした。静かにもう一度、わずかに位置を調整して振り下ろす。
難しい
もし、切腹人の前傾が浅かったら、角度をつけて斜めに
もし、彼が震えていたら、その動きに合わせた目測で
何度か振ってみたが、想像ですら成功する気がしなかった。
斬り合いとは違う……骨のない腹部や喉を狙うときとも、刃こぼれ覚悟で突いて貫通させるときとも違う。何度も斬りつけて、相手が膝をつくのを待つときとも違う。
一刀で
落とせなければ、もがき苦しむ時間を延ばすだけ。そしてのたうち回るほどに、狙って斬るのは難しくなる。けれど、後頚部を斬る以外の方法を、私は選んではいけない。
もし一刀目を失敗したら、その上に重ねて骨ごと叩き折る
もし彼が動き回ったら、追いかけて
その姿を想像しながら幻を斬り続ける。
一刀で
斎藤はその様子を見守る。
しばらくしてから、誰のどのような理由での切腹かを聞き、眉を顰めて「やはり、あんたには無理だ」と今度は鋭い声で言った。
「静かに差し出された項ならまだしも……初めての介錯で、逃げ出しかねない者を、とは…」
「…」
「しかも、二人同時に進めるならば、もう一人介錯人が要る。あんたの代わりに俺がするとして、誰かに…」
すでに斎藤さんの中では、私に代わって自分がすることが決まったらしい。
…
……したい、訳じゃない
本当なら「自分がする」と断るべきだ。
けれど、嫌だと思う自分がいた。それを自ら代わりに負ってくれる彼に、このまま押し付けようとする自分がいた。
中途半端
「…あんたがどうしても介錯したいなら、俺がもう一人に付く故」
「うちの伍長出すよ」
その声に斎藤さんとともに振り返る。
いつから見ていたのか、開けたままの障子に沖田さんが寄りかかっていた。
「総司…」
「僕にその話回ってきたんだけどね。はじめ君が一人斬るなら心配ないから、もう一人は大石さんに経験させるよ。彼なら上手くやる」
居合いを得意とする大石鍬次郎。名実共に、一番組伍長に相応しい剣技の持ち主だった。
「人手が無いわけでもないのに、向いてない事、無理にする必要ないでしょ」
「…」
「武士たるものが首を討てないなんて、それは主の恥だからね。自信がないなら替わりなよ」
「…」
返事をしない弥月を不愉快そうに見て、彼女が抜き身を持っているにも関わらず、沖田はズカズカと近寄っていく。
「…顔に力入りすぎ。どこ見てるの」
片手で両頬をぐっと掴まれる。無理矢理に顎を上げて、視線を合わせさせられた。
「上手くできるか心配して、頭の中グルグルさせて自分の事しか考れないなら、交替。介錯するなら、意識はここに。座った人に」
沖田さんはそこに座るだろう人を指差す。
弥月は返す言葉がなくて、奥歯を噛んだ。
「…大体はじめ君もどうせ儀礼の一から十まで説明して、混乱させたんだろうけどさ。最低限、介錯するところだけ説明すればいいのに」
「儀式の流れに沿っただけだ」
「見たこともない子に、それ全部把握させて完璧にさせようって所に無理があるでしょ」
「手、離してください…」
いつまで掴んでいるつもりか。そう思って少し睨むと、なぜか彼はフッと笑った。
「手順はともかく、大石さんなら切腹人が逃げそうになっても斬るべき時分の見極めはできるだろうからね。明日のは譲ってよ」
翡翠の眼が、静かに私を見ていた。
「……」
見下すわけでもない。怒っているわけでもない。ただ、静かに……でも、困ったような声で。
「いいよね?」
できないと思われて、悔しくて、情けなくて。でも、きっとそれが真実で。
下唇をはんでから、少しだけ口を開いた。
「…分かりました」
「うん」
ようやく、沖田さんはその手を離した。
***
「分かりました」
「うん」
いい子
彼女は自分がどんな顔をしているか、全く気付いていないのだろう。
僕が不躾に顔を掴んですら、弥月君は心ここにあらずで。
しばらくして僕を睨んできた時に、ようやく彼女と目が合って、少し安心した程だ。
そして、部屋で碁でも指しているだろう大石さんを、呼んでくるように彼女に言いつける。
沖田は腕を組んで、斎藤がこっそりと溜息を吐いたのを見た。
「はじめ君はアレの眼が逝ってるのに気づいてて、どうにかしようとしてるの、さすが鬼副長の子分だと思う」
「…何事も経験からだろう」
「まあその場に立つのは自由だけど、切腹人より先に倒れそうなのは問題じゃない? しかも、仕損じそうだし!」
僕がケラケラと笑うと、彼も小さく「確かに」と呟く。
弥月君は自分の前に項垂れる切腹人を想い、像に繰り返し太刀を振り下ろして。想像力と集中力だけで、何度斬った気になったのか、段々と虚ろな眼になっていった。
まばたきを忘れた眼が、そこに実在しない項を追いかけていた。
「結局、向いてないんだよ」
介錯人は、切腹人を前に立ち、待ち構えていたと悦に浸ったり、気の毒さを感じたりしてはならない。逆に、それを物と想えてしまう者も相応しくない。
それは人であるから
弥月君が一心に追いかけた項が、人間だったと気づくのは時間の問題だ。
「どうするのさ、また病んで自害なんてしたら」
「…!!」
驚愕するはじめ君がどうしてその考えに至らなかったのか、不思議でならない。
おそらく、あのまま弥月君に立たせても、介錯は成功するだろう。切腹人が逃げて「見事」とはならなくても、彼女は罪人として元仲間を斬ることができる。
「技術だけならできるとは思うよ。でもさ、斬って…落ちた首を片づけるのは、誰なんだろうって話…」
それは監察方の仕事だ。
彼女はそれも”自分の仕事だ”と動き始めるだろう。そして、その首を抱え、ふと我に返った瞬間に、彼女が壊れてしまうような気がした。
「…あんたがその心配をする日が来るとはな」
「…色々ね。みんな、気にする所が違って面白い」
はじめ君にフッと笑いかける。
「大石には」
「僕が指導するよ。肝心な斬るところは心配ないし、他の作法なんか大体で良いんだから」
「…」
「はじめ君を真似するよう言っとくから問題ないって」
「…やはり俺が指導しよう」
「そう? じゃあ僕、土方さんに言ってくるね。交替したからって」
「…」
さして大石の心配をしていない沖田に、斎藤は違和感を抱いたが。
一番組の伍長が矢代とともに現れ、その引き締まった表情に、その理由を知った。
なるほどな…
ここに来るまで説明もしていないはずだ。それなのに、俺の顔を見た瞬間に、大石は自分の役割を覚悟できた眼をした。