姓は「矢代」で固定
第10話 その先へ
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
慶応元年六月十五日
「いっち、にーい、さーん」
はい、できました
銀の三角を作るのはまだ二回目だが、失敗する気はしなかった。
刀を収めて、宙に浮かんだそれの周りをぐるりと回る。表も裏もない平面的なもののようだ。
うーん…何も見えない
「なんだ、それは…!?」
あ
***
山崎side
まだ陽も昇らぬ早朝。いつもよりもまた少し早い時間に、弥月君は起きて部屋を出て行った。
しばらくして俺も部屋を出て顔を洗うと、いつもと違う方向から、その声が聞こえた。
「百五十一、五十二、五十三…」
弥月君は誰よりも早くに起きて、朝の素振りをすることを日課にしている。彼女…彼の普段の軽薄そうな雰囲気に似合わず、剣術家としてのその真面目な姿勢は、隊士たちからの信頼の基幹でもあった。
先日も斎藤さんに扱(しご)かれたと言っていたが、教え甲斐のあることだろうな
飛び道具はあまり上手くないが、攻守ともに色々と励んでいるようで、仲間としては心強いことだった。
…俺もたまには竹刀を振るか
そう思って、部屋へと踵を返す。彼女に稽古をつけてもらうのも悪くない。
「いっち、にーい、さーんっ」
…?
数が戻って、止まった。しかも、言い方が馬鹿みたいに軽い。不思議に思って、何となくそちらに向かっていく。
境内の端で彼女を見つけると、弥月君は刀を振り上げた姿勢で止まっていた。
そして、彼女の前にある…空中に浮かんでいる、何か。何かを何かと説明するならば、銀色の三角。
なんだ、それは
「なんだ…それは…」
思ったまま呟く。それ以上の感想がない。
けれど、彼女は見知ったものという雰囲気で、その三角の周りをぐるりと回る。そして首を傾げた。
!!? 分からないのか!?
分からないものに相対しているならば、もっと焦ってほしい。危険なものだったらどうする。
山崎は走って、弥月の元へ行く。
「なんだ、それは…!?」
弥月君がバッと振り返る。驚き、狼狽えた表情をした、
「えっと…」
「危険なものか!?」
「違ッ…待って………ーーっ、後で説明します。見てて良いですから、ちょっと待って」
顔をそちら、こちらへと向けて、至極困ったという表情になる。彼女は俺ではなく、再び三角へ向き合った。
そして、弥月君は地面の石を拾って、三角に向かって投げる。
!?
石は地面に落ちてこずに、三角の中に消えた。
弥月君は先程までより険しい表情をして、今度は傍らに置いてあった物干し竿を掴んで掲げる。そして、それで三角をゆっくりと突く。まるで鍋をかき混ぜるように、竿を回す。
「はみ出たら、こっちか…」
何をしているか、何が起こっているのか全く理解できなかったが、その呟きの意味は分かった。
竿が三角の面の内にあれば、その先端は消えている。けれど面からはみ出すと、姿を現すのだ。
彼女は空を仰いでから、竿を足元に置く。そして懐から紙くずを出して、腰に挟んでいた菜箸でそれを挟む。三角に入れ、そして菜箸を引き抜く。
「消えた…」
紙くずだけが消えた。
今度は菜箸を三角に向けて、その周囲をなぞる。周りを歩いて三六〇度、上も下も菜箸でさらう。先ほどと反対側から差し込んで、菜箸の先端が消えるのを見て、また彼女は首を傾げた。
顔を上げて遠くの空を見る。そして再び竿を持って、三角に差し込む。そのまま動かない。
次に何が起きるのかと、見逃すまいと、山崎もジッとそれを注視していた。
!!
けれど、突然に三角は無くなった。それと同時に、中に消えていた竿の先が現れる。
しばらくそのまま不審な顔で静止している彼女に、声をかけていいものか迷いながらも、俺は意を決して口を開きかけた。けれど、弥月君は急に動き出して竿を転がし、膝と肘を地面について、傍らに置いていた冊子に何かを書き始める。
「持ってる物はこちら、落とした物はあちらってことは……接触してるかどうかより、認識の問題かな…じゃないとブラックホール…」
ブツブツと何か呟く彼女の手元を覗き込む。未来の筆で、今の結果を書き留めているようだった。
弥月がガバッと顔を上げたので、その視線の邪魔にならないよう山崎が身を引けば。弥月は竿を再び掴んで、まじまじとそれを観察する。
「…そのままとも限らない…? 生き物で…ネズミ程度だと違いが分かる気が……物理刺激はないとして…時間、年単位なら危険か……毎回同じとも……そうか、毎秒同じとも…」
竿を置いて、筆のようなものでトントンと紙を叩いてから、再び字を走らせる。
未来の道具も然ることながら、ひらがなや漢字が左から右へ流れていくのに違和感がある。これは西洋式の書き方だ。
「しまった…下向きに作ればよかった…底あったかも…」
すごい打ち込み様だ…
彼女の頭の中で何が展開しているのか、全く理解できなかったが、状況の整理をしているようだった。
普段は大雑把なのに、時々、このような姿を見せるから尊敬する。物事を細分化し、仮説を立てて、あらゆる事態を想定する。恐らく、こうやって幾度か繰り返し、あの穴について研究しているのだろう。
ここに俺がいることを思い出したのか、ふとした瞬間に彼女が気遣わしげに視線を上げた。「切りが良い所で構わない」と伝えると、お礼を述べてまた紙とにらめっこを始める。
山崎はそのまま四半刻足らず、声をかけることなく待っていた。
「…お待たせしました。すみません待ってもらって。書かないと思いついたこと忘れちゃいそうで…」
「気にしなくていい」
とても真剣な表情の彼女を、何もせずに、ただずっと見ていても許される時間だった。
有意義だった
「結論から言いますと、見ていて分かったかもしれませんけど、私もアレが何か分かりません。条件が揃えば、あの銀色の光を作れるだけで、アレが何なのか、何ができるのかを探ってるところです」
「銀色の……条件が揃うとは…作り方は、刀か?」
普段は木刀を振っているはずなのに、手元にそれはない。とすれば、今日素振りをしていた得物は、腰にある刀だろう。
弥月は頷きながら「そうです」と言って、腰のそれをトントンと叩く。
「この刀、私が未来から持ってきたものです。二年前、これを掴んだ瞬間に時間移動をしてきたので、私はこの太刀にはそういう力があるんだと思ってます。
これを早朝に振ると、三角ができることがあります」
「…なるほど? 刀を振ってできた銀の光は、時間移動に関わるもの、と…いうことか?」
想定以上に荒唐無稽な話を始めてくれたが、なんとか流れを飲み込む。弥月君のおとぎ話もどきが本当の事だったのは、鬼の件でよく分かった。
すっかり馴染んでいるが、そもそも彼女は違う世界の人だった。
「たぶんですけどね。三角が時間移動に関わると思って色々試してます。
ただ、銀の光の向こう側が何なのかが分からないので、迂闊に頭を突っ込むのも危ない気がして…慎重に探ってる感じですね」
向こう側?
頭を…突っ込む?
「向こう側…ということは、銀の光に当たると姿形が消えるわけではなく、壁の穴のように、先には別の場所があって……頭を入れたら、先が見えるということか?」
「それも推測で、本当はそうしてみたいって話で…
例えば、時間だけがズレた場所ならいいんですけど……そもそもが宇宙規模のよくわからん話なので、向こうに空気がなかったり、地面が存在しなかったり……法則とか理解の及ぶ場所ですらない可能性があるかなって。
いきなり頭突っ込んで、燃えたり溶けたり、バラバラに破裂したり…なんてことは避けたいなと思ってて」
「そ、れは…頼むから、頭から入らないでくれ」
「なので、色々試して安全かどうか確認してる感じです」
竿でかき混ぜて何をしてるのかと思ったら、とんでもなく危ないことをしていたらしい。
「いつからそんな事を?」
「四月から、まだ二回目ですね、お天気悪かったら駄目とか色々条件があって」
月一回の貴重な機会だったのだと説明してくれる。
時間を移動する刀…
おとぎ話ではない。その証拠に、彼女がここにいる。
弥月君は”鬼の力が関係してそうだどうだこうだ”と説明してれるけれど。俺はその不思議な事象の詳細よりも、知りたくて問いたくて、言葉が喉元で渦巻いた。
その向こう側に行きたいのか?
けれど、怖くなって聞けなかった。
彼女がそれを望んでいると知っているから、訊いて「そうですよ」と肯定されるのが怖い。
時間移動の方法が分かったら、弥月君は帰るんだ
最初から分かってたことだ
自分の手の届くところにいてほしいと思ったのは、彼女の安全のためだった。見える所で元気に笑っていてほしいから。彼女が家族に会いたいと…帰りたいと泣いていたから。
弥月君が笑顔で帰れるなら、俺も本望だ
「そんなわけで最近、万一を考えて、使う用のは別の刀を買おうかなとも思ってて……烝さん? 大丈夫ですか」
不意に、指に彼女の手が触れて、ビクリと身体を跳ねさせる。
「…どうしたんですか?」
どう…
言葉が出てこない。
彼女が待ってくれているのに、何も浮かんでこない。
「ごめんなさい、一方的にしゃべって。調子悪かったですか?」
フルリと頭を振る。考えられない。
屯所内の人が起きてきた気配が濃くなり、そちらへと意識を向ける。
「…すまない、顔を洗ってくる」
「待って」
グッと手を握られる。
「待ってください。今日明日に尾関さんらが戻ってきたら、交替で服部さんと大坂に出るんですよね?」
「あぁ…」
「だから、今、解決しましょう」
解決?
「何が気にかかりましたか?」
「……」
「烝さん」
「…大したことじゃない。また何か分かったら知らせてくれたらいい。危険なことはしないでくれ」
「こっち見て話してください」
弥月君にグイと手を引かれる。
誰一人同じ色をしていない、陽光に輝く髪が心を揺らす。
代わるものは無いのだ、と
「何がそんなに嫌でしたか?」
「―――っ」
嫌、だ
引き止めないで欲しかった。
突き詰めないで欲しかった。
ぐちゃぐちゃになったこの気持ちを、彼女を前にして、今すぐ納める方法が分からない。
俺をまっすぐに見る、心配するような優しい眼差し。
俺を案じる君が、願いを聞いてくれるのではないかと、自分勝手な言葉が口を突いて出そうになる。
嫌だ
ここにいて欲しい
帰らないでくれ
「…―――っ」
掴まれた手を離させる。引っかかっていたもの全てを飲み下した。
「すまない、急ぎの用事を思い出した」
「…」
納得できないという気配がした。けれど、全てを守るために、この場を離れる以外の方法が自分にはない。
願ってはいけないのだと分かっていて、俺は手を伸ばしたのだ
***
拒まれた人の背が消えた。それから、掴んでいたのに除けられた、空になった自分の手をじっと見る。
なんで…
丞さんから、ああいう態度を取られたのは初めてだった。
私が怒っても泣いても、無理を言って彼を呆れさせたとしても、彼から見放されることはなかった。
怒った? 何に…?
危険な事をしていたことか
ここを離れようとする無責任さか
そのきっかけになる事を誰にも…彼に相談していなかったことか
「眼が…」
言いたいことがあると目で語っていたから引き留めたのに、最後の最後で、彼は言葉を飲み込んでしまった。
なんで…
十ほども歳の違う関係だけれど、言いたいことは言える間柄だと思ってた。
最初の頃に喧嘩をしたとき、『納得できないことは価値観から確認しよう』と烝さんが言って、色々な話をした。
どんな風に育てられ、感じて、歩んで、今ここに辿り着いたか知っている。隊士の誰より…土方さんより、烝さんの考え方について詳しい自信がある。烝さんの方もそうだと思っていた。
だから、私が時間移動の方法を探っていることを、彼が納得しない理由が分からない。私がずっと帰りたがってるのを、彼は誰より分かってくれているはずだ。
帰るよ
心の中で宣言して、そこに違和感を抱く。
…帰らないと、思って…た…?
『俺が…』
屯所に鬼が現れた日。あの日も、彼は何かを言いかけて止めた。私も、それにつづく言葉は分からなかった。
けれど、この手を離したくないのだと、訴えかけてくる気がした。この手を繋いでいたいのだと、願われている気がした。
好き?
唐突に、漠然と自分の中に浮かんだ言葉…思慕の恋しさ。
この繋がりに込められた願いを、それだと判断したことと、その言葉の軽さ。驚くと同時に、とんだ自惚れだと否定した。
彼が私に好意的であることは間違いないけれど、浮かんだそれが、男女関係の好意であるはずがない。
だって、私だ
私も彼に好意を伝えた……先輩と後輩、上司と部下…そういう関係での好意、親愛に違いない。
新入隊士がたくさん入って、よりハッキリと分かった。仲間に信頼されて監察方に就いて、私はそれを誇らしく思っている。
そして万が一のことがあっても、烝さんや試衛館組の人たち…みんなは、私の選択を分かってくれる。
『誰よりも信頼してます』
けれど、その親愛の言葉に返ってきたもの。
違う
直観的に思って、けれど直ぐに蓋をした。
仲間としての抱擁じゃないのだと……勝手にそう感じたことを、気のせいと思うことにした。それこそ自意識過剰なのだと。
「まさか」
帰らないでほしいと、思われているのなら
友人として名残惜しいのだと、口にすることもできない
心に秘めておかなければならない理由があるのだとしたら
そこにあるのは、戯れにも無邪気にも語れない、特別な思いだ
「……」
…まさか……ねぇ…?
両腕を抱える。
居たたまれないような、自分の存在を疑うような気持ちだった。
「帰る、よ…」
だから、この手は繋いでいられない
言われてもないことに、返事もできない。
だけど
もし想像通りだとして……そう彼に返事をするのは、あまりに悲しいことなのだと気が付いた。