姓は「矢代」で固定
第7話 無軌道な優しさ
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慶応元年五月九日
昨日、副長から局長宛てに、二,三日中に帰京するとの報せが届いた。それとともに、新編成の草案が届いて、諸子調兼監察方が組として再設置することが山崎に伝わった。
そのため山崎は、林にしばらく管理を任せきりにしていた,監察方の長屋の様子を見に行くことにする。
山崎side
中に誰かがいる印があったので、取り決めどおりの手順を踏む。つっかえ棒が外れる音がしたので、外から戸を開けた。
「!?」
「あ、私です」
そんなことは分かっている
「…なぜその恰好を?」
「今から湯屋に行くところで」
「なるほど…」
もしかしたら中にいるのは弥月君かもしれないとは思ったが、まさか女装をしているとは思わなかった。しかも、その恰好で太刀を構える姿には、なんとも違和感がある。
「烝さんは?」
「ここをしばらく放置していたからな。掃除を」
「あー…今使うところは綺麗にしましたけど、他は手付かずです…すみません」
「いや、構わない」
サッと見渡して状況を把握する。そもそも、島原以外での生活をここでしているはずの男があるのに、床に埃が積もっていることが問題なのだ。
「一緒にします」
「間に合うか?」
湯屋の閉店時間に、と問う。
「髪できてますし、顔は…いつも大体ですから、パパッと片づけたら全然大丈夫です」
そう言って襷をかける彼女に甘えることにする。
ある程度の生活物品は揃えており、箒やはたき、雑巾などの掃除道具を出す。水桶を満たして、それぞれに作業を始める。
「一番組はどうだ?」
「鬼ですね。正直、剣術どころじゃありません。死なないよう逃げるのに精一杯です」
「だから、こっちにしておけば良いと言っただろう。着替えるのにも気を遣うのだから」
「でも楽しいですよ。いつまた潜入捜査とかしても、生きて帰る自信になります」
「何を呑気な…」
そちらに配属が移るとなったとき、反対はしていたのだが。
自分が知ったのが、もうすでに部屋を移った後だったのと、弥月君に危機感がなく、二カ月程度ならどうにかなればと願うしかなかった。
「それに、寝起きする程度なら意外とバレませんよ。むしろ、烝さんが気にしすぎて、左之さんが変な顔してたこと気づいてます?」
「…頼むから、あれは止めてくれ」
「はーい」
不意に思い出させてくれるな。
その気がなくとも、身体の線が脳裏に焼き付いてしまっていた。あれが男の恰好の時でよかった。あれは男だ、男だ。
「そういえばね。私、鬼らしいんですよ」
……
山崎は箒の手を止めて考える。パシャパシャと雑巾を絞る水音がした。
この脈絡のない唐突な感じも久しぶりだな。いや、『鬼』繋がりなのか?
「…なんの話だ?」
「私の話。人間じゃなくて、鬼らしくて」
「それはどういう意味だ?」
「桃太郎の鬼です。角生えてて鬼退治される鬼」
「…子どもらとの遊びの話か?」
「いえ、私の属性の話で。人間じゃなくて、鬼」
「人間じゃなくて、鬼…」
「そう。人間じゃなくて、鬼」
問答してみたが、さっぱり意味が分からない。
面倒くさがっているのか、分かってもらえたつもりなのか、弥月君の説明は雑なことが多い。それを聞き流して、碌なことになった試しがない。
「…属性とはなんだ?」
「んー…性質? この場合は生い立ち、かな? 人間と思って育ったんですけど、どうにも鬼らしいんです」
「生い立ちが、鬼…」
繰り返される、鬼、鬼、鬼。
山崎の中でのその言葉の意味は、厳しい性格だとか、仏教での地獄の悪鬼とか、お伽噺の悪役等を現すのだが。どうにもそういう単純な話ではなさそうで。
スイッと視線を彼女の頭上に上げたのだが、そういう類のものはない。その視線に気付いた弥月は、自分の頭をなでる。
「角が出ないんですよね。だから私も実感なくて」
「出る、出ないの話なのか? あれは生えてるものではないか?」
「どうやら出し入れできるものみたいで。出せないんですよね」
「…?」
最近、医学書以外の歴史書物を読んでいると思っていたが、話の根拠はそこからではなさそうで。
「誰かに聞いたということか?」
「そうです、鬼を見ました」
「鬼を…?」
「仕組みは分かんないんですけど、角がニョキッって生えるんですよ」
「???」
「そしたら銀髪金眼になるし、ちょっと羅刹に似てます」
「…それは…羅刹では、ないのか…?」
キョトンとした顔で、俺の顔をみる。
「えっ」
「…え、とは?」
「同じかもって考えたことがなくて……え? 私、天然モノの羅刹? 山南さんは養殖の羅刹?」
「…海苔じゃあるまいし……それに、君は羅刹ではないだろう」
「で、ですよね? 鬼ですから…?」
馬鹿力とか治癒力とか、共通項がありすぎるのだと、疑念を抱いた弥月の気持ちは知らなかったが。山崎は埃を外に掃き出して、完全に棚を拭く手が止まった弥月を見る。
「鬼か羅刹鬼かどちらかとしても、君は血が欲しいどころか、あげられるんだろう?」
「…この19年、欲しくなったことはないですね」
「なら、問題ないな」
「不死身でも?」
「俺が見てなくても、生きていてくれるなら有難いことこの上ない」
「あはは!」
いつもいつも、どれだけ心配かけてくるか
「ふふっ…いや、ホントに大好きですよ。烝さんも」
「!?」
だっ!!?
す!?
…?
「…も?」
も、とはなんだ
「斎藤さんもね、死なない鬼ならいくらでもこき使えて、副長が喜ぶだろうって」
「…そうか」
不用意に昇りかけた気持ちを諫め、上がりかけた頬も横に引き延ばす。
「死なない自信があっても、危険なところには一人で行くな。勝手に死にに行くんじゃない」
「分かってまーす」
その軽い返事に本当に分かってるのかと、山崎が睨むようにそちらを向くと。
弥月君は真顔から急にニヤリと笑って、トトトと近づいてくる。誰かに似たそのあくどい笑顔に、悪い予感がして思わず一歩たじろく。
「生きて帰ってきますよ」
「…当然だ」
「烝さんが泣いて喜んでくれるなら」
「…そ、…っ」
至極嬉しそうに
意地悪をされているのだと分かったが、勝手に耳が熱くなるのは止まらない。
大切なものが、この腕の中にかえって来た日
相も変わらず、悪戯っぽく笑っているから、絶対に揶揄われている。
この手の話だと自分が優位と知っていて、無邪気な顔をするのは狡い。その理由を知らないのも狡い。本当に狡い。
「…冗談が過ぎる」
「本気ですよ。好きですから」
「!?!?」
違う。これは違うやつだ
「…あっちこっちで言ってるなら、やめた方がいい」
「そんな、人を遊び人みたいに…」
「…違うと言うのか?」
「思ってることは、ちゃんと相手に言おうと思っただけですよ。千鶴ちゃんを見習って」
少なくとも思ってくれてはいるらしいが、これは違うやつだ
「…やめた方がいい」
「好きって?」
「…やめた方がいい。弥月君は言い過ぎる」
「ふむ……昔言ってたアレ…美徳ってやつですね、分かりました」
確かにそれはそれとして言ったような気もするが。それも含めて、やっぱり分かっていない。
山崎は顰め面で雑巾を絞り、床を拭き上げる。弥月も倣おうとしたが、「もう行く準備をするといい」と促した。
「これと~、これと~、赤しかないのは寂しいけれど~」
「…楽しそうだな」
「へーーんしんッ!って感じがして、黒髪女装は面白いです」
「…」
それでいいのか?
なんとも言えない気持ちになったが、鏡の向こうで、段々と仕上がっていく彼女に見惚れる。
眉に墨が入り、目尻と頬に赤が差す。指で救った紅をトントンと唇にあてる。目をパチパチとさせて、少し気の強そうな顔で自分に向かって笑んだ。それから、こちらに顔を向けてニッと笑う。
「おっけー! どうですか?」
「どう…」
「どうですかっ!?」
「…綺麗だ」
「ありがとうございます!」
失敗した…世辞と思われた…
どうしても圧に負けてしまう。目力が強くなるのだから、勢いつけて来ないでほしい。
可愛いなんて言えるはずがない
思ってしまったら、二人きりがこんなに辛いのに
「烝さんも一緒に湯屋行きませんか?」
「俺は…」
水浴びでいい、と言いかけた。
「…いや、行く。待ってくれ、着物を変える」
「そのままでも」
「俺が一緒に歩いているのを見られると、君と知られる可能性がある」
「なら、後から」
「すぐ着替える」
「…そう、ですか?」
弥月は「まだ話したい事があるのかな?」と思う。まさか自分と並んで歩く姿を想像して、山崎が弾んだ気分になっただけということは、弥月は想像だにしなかった。