姓は「矢代」で固定
第7話 無軌道な優しさ
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
慶応元年五月上旬
一番組においての通達はよっぽど急ぎでない限り、組長がふと思い出したら……もしくは、誰かが訊いたら教えてもらえる。
今日の沖田は、寝る前にきちんと思い出した。
「そういえば、近々また大砲使うって言ってたなぁ」
「射撃訓練ですか?」
「そう、薬莢(やっきょう)とかが調達できたから再開するって。一番組は最後でいいって断ったから、暫くは回ってこないだろうけど」
昨年の禁門の変において、長州は密輸入した銃火器を用いて禁裏に攻め入った。新選組もその脅威を知り、会津藩を通して軍備を増やしていく方針で、幾度か申し入れていた。
そうして昨年末頃、一時的に行っていた射撃訓練。まず何名か指導する側の者が必要だと、先駆者を作る流れからできた大砲組だったが。その物資を使い切ったため、最近は名ばかりの組になっていた。
弥月はいつもどおり布団の場所取りだけをして、畳んだままのそれに胡坐をかいて座る。高く結んでいた髪をほどいて、下で結いなおしながら「ふーん…」と物憂げな返事をした。
「射撃したかった?」
「んー…私はいいです」
「意外だね。新しいもの好きそうなのに」
「それはそうです」
否定はできないので、首を縦に振る。
「まあ、新しい銃あるなら、参考程度に見るだけ見てきます」
銃も門外漢だ。
あの痴漢鬼の持つ拳銃がリボルバー式だったから、まず、配給されたのがライフルで驚き。一発ずつ弾込めが必要と言われてまた驚いた。熱をもったそれに装填するのに時間がかかり、待っていられず面倒くさい。
「俺、もし歩兵で持つなら、重いの嫌だからライフルより拳銃かなあ」
蟻通の言葉に、身長がそれほど高くない面々はうんうんと頷く。
「僕は斬る方が好きだし、持ってるだけで嵩張るから、なんも要らないかな」
「そりゃあ沖田組長はそうでしょうけど……飛び道具あった方が、安全だし楽じゃないですか?」
「どうせ使わないし。それに刀で斬ったときの、あの一瞬の表情を見るのが好きだからね。銃だと見えないじゃない?
絶望っていうか……あれ見たら、何か手に入ったような気がしない?」
「…しないっすわ」
「うらもできたら顔見たくはねぇの」
「そう? 僕は見れたら嬉しいけどなぁ。弥月君は…まあ銃派か」
「私は…」
刀か、銃か?
少し考える。
確かに、安全に簡単に敵を倒すなら、間違いなく銃だ。おしゃれだし。使ったことがないだけで、狙い通り当たったら楽しいだろう。
でも、戦場に持って出るなら
「手に感触があるから……何人斬ったか分かる方がいいから、刀かな」
硬く無機質な柄を通して伝わる、弾力のある柔らかいものを突き刺す感触。肉を分け、骨にあたって止まる硬さ。膜を割き、関節の継ぎ目を通り抜ける瞬間。生暖かい返り血。
意志のある生き物だった人間が、ものに変わっていく時間。
自分は人殺しなんだと
ここでは不要な価値観でも、命を握りつぶす罪悪感を忘れたくはない。自分にとっての正義がこれと決め、仕方なく人を斬り殺すのだとしても。
手を握り、拳を開く。二度繰り返す。
傷跡だらけの身体
生きている証
「鬼さ…」
「狂ってる…」
「え?」
物思いに耽っていたところから、顔を上げる。
こちらを見て一様に裏切られたような顔をしている仲間たち。話に混じっていなかった面々まで、化け物でも見るような顔をしている。
「まさか、何人斬ったか数えてはるんか?」
「うん…え、覚えてないの?」
蟻さんがヒョォッと息を呑んで、愕然とした表情になる。
「顔は見たい派?」
なぜかウキウキとした声で聞いてくる沖田さん。
顔…は、見るけど、話はしたくない。為人(ひととなり)が分かってしまうから。
「…語弊があるのは嫌なので言いますけど、弔いの気持ちがあるので、顔は見る派です」
「嘘。勝ったら嬉しいくせに」
「…」
「ほらね、図星」
「…勝負に勝った嬉しさと、斬り殺すのを快感に思うことを、一緒しないでください」
誰とも分からない人を斬り、土に還す。そうして供養するときに、見たのが後ろ姿だけだと、誰を弔ってるのか分からないのだ。そして、なぜか死んでからの顔は覚えられない。
そう伝えると、沖田さんにフッと鼻で笑われる。意地の悪い顔で、彼はなめるように私の顔を覗き込んだ。
「相変わらず偽善者だね。手段が同じなら、結果は一緒だよ」
「…目的が違います」
「目的? 君は町道場じゃもう満足できない人殺しだから、それのことかな。どんな綺麗ごとで固めたって、見てて分かるよ。楽しいんでしょ、真剣で勝負するの」
楽し、い…わけ
目を見開く。
息が止まった。
反論が出てこずに、間近で爛々と輝く翠玉を見つめた。
楽しい
「ほらね、偽善者」
そうだよ、ずっと満足できなかった。ここで、命をやり取りする場で、その覚悟をして、ようやく私は満たされた。
知っていた
気づきたくなかった
未来に帰っても、心が足りる場所はないのだと
「ーーっ」
楽しい
剣術なんて二の次で、強い人にどうにかして勝ったときが一番うれしい。
頬が引き攣る。何か声を出そうとして、口がわなないた。
どんな手でも使って、敵をねじ伏せる。それはスポーツにはない、殺し合い。
それは 楽しい
それは
身震いをする。瞬時に立ち上がって、部屋から飛び出した。
これ以上考えると、自分が泣いてしまうのが分かった。
***
どうしよう
沖田side
まさか、泣くなんて思っていなかった。今までどれだけキツい事を言おうとも、減らず口で散々言い返してきて。「人殺し」も「偽善者」ももう言い尽くした煽りで。
まさか今さら、泣くなんて思わないじゃないか
「あーあ。泣かせてしもたげ」
「!!」
視線だけ動かすと、白けた眼で八十八さんが僕を見ていた。けれど、それ以上言い立てる気はないようで、少しホッとする。
けれど、彼が視線を動かした先で、蟻通さんが居住まいを正して、膝で拳を握って「沖田組長」と。
「あっし、これでも沖田さんのことは、よう人のこと見とると思って、師として、組長として尊敬し信頼しとります」
僕が「組長」になる前から手元にいる彼。いくつか年上だが素朴で従順で、都合の良い男だった。
「矢代さんと沖田さんが水と油なのも分かっとります。けど……今のあん人への発言は納得がいきません。
…楠も、芹沢さんも、あっしは好きだった。あんとき自分に度量がなくて、度胸がなくて、矢代さんに倣わんかったこと、ずっと後悔しとります」
「蟻通さん、止めとき…」
「あの頃、斬った死体は転がしてて当たり前と思っとった……一番組の自覚がありますから……仏さんを片付けたことは、今でも一度もありません。
だけど、斬った相手を背負って歩き、墓に手を合わせに行く人を、あっしは偽善とは思いません!」
震える声で、心底不愉快だという顔を向けられた。
だけど、蟻通さんと視線を交わして、その震えが怒りからだけではなく、僕の反応に臆しているのだと気付く。
楠…芹沢……長く聞かなかった名だ。その名と生き様、最期を知っている者はもう少ない。
「ハァ……うらは矢代さんのこと、別に好きでも嫌いでもないんやざ。死体の片付けも監察方の仕事のひとつと思ってるさけぇ」
八十八はゆっくりと起き上がって、蟻通の横で正座をする。
「けどの、ニ年も一緒におって、あの言い樣はあっきゃァのぅ」
蟻通は矢代の汚名を濯ぐために、浪士組の頃の話まで蒸し返して、幹部の嘘を糾弾してしまった。それはここではあまりに無謀すぎることで。一人よりは二人だろうと、八十八は同期を庇った。
覚悟を決めた顔で居住まいを正した二人を前に、佇む沖田は少なからず驚いていた。
怒られてるの? 僕が、蟻通さん達に?
どの組よりも一番組は実力主義だ。それを全隊士が分かっているから、新参者の伍長が彼らより敬われる。だから、付き合いが長い彼らと気安さはあれど、彼らが感情に任せて僕に反抗することなど今までなかった。
しかも、また昔の話を…
あの頃、幹部の嘘に気づいていて、口を閉ざした平隊士たちがいた。その中でも、土方さんが「口が硬い」といい、僕も「身の程を知ってる」から気に入っていた二人。
二年も黙っていたのに、今さら言いたいことがあったらしい。
「…蟻通さんって、意外と根に持つんだね」
「ハ…!?」
ビクッと身構える彼。
それを見て突然に、容保公のしてやったり顔が脳裏をよぎった。
「…今までずっと飲み込んでた君たちの努力に免じて、謝ってきてあげるよ」
そう言うと、サッサと立ち上がって、開け放しだった障子から沖田は出ていった。
その気配が遠ざかったのを確信してから、蟻通が「あー、生きた心地せんわ」と大の字に転がった。
それを見て、八十八は眉を下げて「ようやる」と口の片端を上げた。
***