姓は「矢代」で固定
第7話 無軌道な優しさ
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近藤の元には、美しい景色を謳うような便りが時折届いていた。
慶応元年四月下旬
寒さがなくなり、良い気候になった。
左之助に頼まれて針仕事をしている千鶴と、彼女の代わりに洗濯をしている弥月。今日は泡々をすると言うから、仕事を替わってもらっていた。
「うわやっばい、幸せ過ぎる!」
本気で思っているらしく、その目には涙が滲んでいる。
洗濯女が歌いながら仕事をするならまだ分かるが、男が無償で他人の着物を洗って何が楽しいのかと、左之助は不思議に思っていた。
…とはいえ、桶に入ってニコニコしている弥月を見ていると、それが故郷を思い起こさせるものなのだろうと、左之助は微笑ましい気持ちにもなっていた。
そんな暖かな昼下がりだった。
弥月side
「おっ、左之ここにいたか」
上裸で汗を流しに井戸にきたらしい新八さん。
現在、彼には自隊がなく、あちこちの隊で稽古に参加し、巡察の戦力補充をしていた。根っからの剣術馬鹿の一人で、面倒見の良い真面目な男が故に、遊び惚けるでもなくきちんと隊務をこなしている。
「今からコレ、行かねえか?」
新八は夜は手空きなのだと言い、拇指と示指で輪っかを作って、顎を上げる動作をした。
そうして、千鶴と弥月は自分には関係ないことと知り、それぞれの作業に戻ろうとしたのだけれど。
「弥月もたまには一緒にどうだ?」
「飲み屋ですか? 島原ですか?」
「野暮なこと聞くなよ! …今あの人がいねぇんだからさ」
新八さんは私に巻き付くように肩を組んで、最後は耳元で小声で話した。『あの人』とは、土方さんのことだろう。新八さんは売掛で呑んで、時々屯所に請求が来て怒られている。
酒を呑まずとも飲み会に参加するのは面白いのだが、女性を買うのは正直好きじゃない。綺麗なお姉さんは好きだけれど、如何せん、新八さんが選ぶ遊女さんは価格が高い。お酌もお世辞もそれほど嬉しくないのに、お金を補填させられるこちらの身にもなってほしい。
弥月はそっとその手を除けて、菩薩のように恭しく、片手を肩口に上げる。
「今日は花見に行く予定なので、私はなしで」
「花見ィ? もうとっくに終わりじゃねえか」
「遅咲きなら、まだギリギリ残ってるかもしれねぇけど…今から行くのか?」
「うん。今年は夜の藤見にしようかなって」
左之さんは「藤見…」と不思議そうにしながらも、「まあそれも乙か」と頷いた。
「左之は行くよな!?」
「ククッ…分かったよ。俺が付き合ってやっから、んな顔すんなって」
左之助は手元に広げていた刀の手入れの道具を桐箱に片付けながら、泣きつくフリをする新八へ「可愛くねぇからやめろ」と笑う。
「…良かったら、逆に、こっちに一緒に来ませんか?」
「いや、今日は島原だ! 勝負の日だ!」
…何がどう勝負なんだろうか
拳を掲げる新八さんは、たぶん毎日を一生懸命に生きている。
弥月はしばらく視線を明後日にやって考えた後、フッと笑って肩を竦める。
「じゃあまあ、気が向いたら五ッ頃に壬生寺に来てください。千鶴ちゃんも連れていくつもりなので」
「え?」
「「なんだと」」
パチクリとした眼でこちらを見る彼女に、首を傾げてみせる。一緒に行こうね。
千鶴と弥月は先月に花見の話をしてはいたけれど、まさか藤の季節に、こんな急な誘いだとは千鶴は思いもよらず。けれど、弥月の有無を言わさぬ笑顔を「強制」と汲み取って、彼女は人形のようにコックンと首を縦に振った。
「お前、目の前で抜け駆けしようなんて、いい度胸じゃねえか」
「夜の逢引きに二人で行かせるわけねぇだろう」
「逢引きって…」
いや、まあ、そうなるか…
そのつもりが全くなくても、状況で判断するとそうなる。
「だから最初から一緒に行こうって」
「たりめぇだろ!」
「ちょっと歳が近いからって、いつも良いとこ取りしやがって!」
「はいはい…」
グイグイ前のめりでやってくる大男二人に仰け反って、これ以上近づくなと両手を上げてみせる。
「じゃあ、千鶴ちゃん連れてくるのはお任せします。私、色々準備して行くので、五ッに壬生寺に集合で。北門は開けてもらってるので。あの辺に藤あるでしょ、良いところに茣蓙(ござ)でも敷いて待っててください」
「おう」
新八から食い気味に返事があったが、ふと、左之助は気づいて「けどよ」と訝しむ。
「そんな理由で千鶴連れ出すのは、土方さんが許さねぇんじゃねえか?」
「そういや、そうだな。いない人間に気を遣う必要ねぇって魂胆か?」
「事前に許可もらってるので」
「はあ!?」
「なんで土方さん…!」
「はいはい、一緒に行きましょうね~」
二人の肩をポンポンと叩きながら、千鶴ちゃんにもう一度視線を送る。
彼女は大きな目を半分にして、訳が分からないという顔をしていたが、弥月はただニコリと笑った。
***
原田たちは先に到着していて、後から門を開けて入ってきた人たちを見て驚く。
「あれ、近藤さんらもか」
「そうか、君たちも来たか」
「これでだいぶ変な面子(めんつ)になりましたね!」
弥月は近藤と井上と島田を伴っていて。井上ががん灯持ちをして、弥月は手に大きな風呂敷を抱えていた。島田はきちんと門を閉めたが、錠は下ろさなかった。
「弥月、これで全員か?」
「いいえ、まだ……ちゃんと連れてきてくれると思うので…けど、時間は正確じゃないかも…なので、とりあえず先に始めてましょう!」
含みのある言い方をした弥月だったが、新八がそれを追求する前に、グルンッとその身を翻す。
「おま…っ」
「それ…!」
あんぐりと口を開けた新八と左之助に、弥月は頭をだけ反り返らせて、ニヒヒと笑って両手で自分の背を指さす。
「私のお金の使い方は『こう』です!」
その背にくくりつけられた樽酒。名酒・剣菱の印。
「倒れたら置いて帰りますから、悪しからず!」
銘柄だけは近藤さんに教えてもらったけれど、どれだけ飲むか分からなくて適当に買ってきた。そしたら、さきほど源さんが心配そうな顔をしてたから、人数に対してかなりの量なのだろう。
「お前の奢りか!?」
「もちのロンです!」
二人がうおおおぉとかいえええぇとか雄叫びを上げようとしたところで、ペシペシと口を塞ぐ。
「酒宴ではありますけど。壬生寺、こんな時間に開けてもらってますから、静かにしっぽり飲んでください」
「お、おう」
「そっちで持ってきてもらったのも開けてくださいね」
弥月はテキパキと仕切る、拝殿に無造作に置いてあった箱や提灯を持ちだして。火を移してござの周りを明るく照らし、箱に入っていた小皿や猪口を広げていく。
彼に促されて持ち込んだ荷を開けると、肴になりそうな仕出し料理やら、菓子やら茶やら色々出てきて。かなり入念に準備していたのだと、全員が驚いた。
「暖かいものは出せませんけど」
「いやいや…!これは…」
近藤は軽い晩酌程度と思っていたため、呆気にとられて、広げられたものを見る。
大皿に盛られてはいるが、筍や蕨、桜麩、海老の入った春の山菜の炊き合わせ。色とりどりの花型に盛りつけられた京野菜の浅漬け。さよりや桜鯛が目を引く箱寿司。桜餅に三色団子によもぎ餅などなど。
「やる気の方向性間違ってるだろ…」
「懐具合は大丈夫かい…」
「はい! 普段買い物しないから、お金使うの楽しくなってきちゃって! でも、手に持てる量的に限界がきちゃって、これしかないんですけど」
えへえへと最高に幸せそうな顔をした弥月に、言い募ることはあまりに無粋だと皆が思った。
「む? 来たんじゃないか?」
「あれ? 先に来てたのかな……こっちでーす!」
北門からではなく反対側で動いた明かりに、弥月は手を高く伸ばしてヒラヒラと振る。壬生寺の奥から来た人が、肩口で小さく手を振ったようで、提灯の影がゆらいだ。
横からヒュッと息を飲む音がした。
弥月はパッと手を伸ばして、後退りした千鶴の両肩を優しく押し止める。
「大丈夫、お寺だから」
「大丈夫じゃないです!!!」
プルプルと震えて、小刻みに首を振る千鶴。
向こうから明かりを持って現れたのは、いつも通りの山南敬介。
「よく見て。足ついてる」
「足付いてても大丈夫じゃないです!!!」
千鶴が真っ青になってることなど微塵も気にせず、弥月は「あっはっは!」と豪快に笑う。
「おいおい、あんまり苛めるなよ」
状況を理解した原田は、状況の可笑しさに顔を歪めつつ、千鶴の両肩を握って悪魔のような顔をしている弥月の脳天に、肘を落とす。
「いったーい! あはははっ!」
ガタガタと身体を震わせる千鶴を、弥月はトンと原田の方に押しやり、「後よろしく。生きてることだけね」とニッと歯を見せる。そして山南に駆け寄った。
「山南さん!お待ちしてました、お帰りなさい!」
「ただいま戻りました。案外早い呼び戻しでしたね」
「私、せっかちなんです!」
「短気は損気ですよ。十分にあちこちで怒られたでしょう」
穏やかにクスクスと笑う山南さん。その様子に、この二ッ月変わりはなかったのだと知る。
「沖田さんもお疲れさまでした!」
山南さんの後ろからのんびりと現れた彼にも声をかける。その口元は緩んでいて、どうやらひとしきり笑った後のようであった。
「沖田さん、わざと後から来たんですか?」
「出迎えの場所、こんな変な所を指定するし、寺の人らも誰もいないし、全く状況が分かってなさそうな三人が最初に来たからね。なんか様子がおかしいなぁって」
「ようやく予定通りの人達が現れたと思ったら、どう見ても宴会が始まる雰囲気ですし…沖田君と、これはいったいどういう事かと…」
二人が顔を見合わせて笑っているから、このドッキリは成功と言えるだろう。
「それだけの情報で、千鶴ちゃんへの意地悪を思いつくんですから、もはや天才ですね」
「それを察して、逃がさなかった君に言われたくないね……っていうか、説明してこなかった時点で、そっちこそわざとじゃない」
弥月は「ん?ん?」と誤魔化すように目をくるくると回して、最後は真っ直ぐに沖田を見て「ばれました?」とおどける。
「あなたたちを一緒にしておくのは、これからは別の意味で危険かもしれませんねぇ…」
「混ぜるな危険的な?」
「雪村君も土方君も、気を許した方の話は真に受けやすいですから、揶揄うのはほどほどにということです」
なるほどと思って、私は頷いたのだが。沖田さんはやや不服そうにしていた。この分かりやすい対抗心も、見慣れると可愛いものだ。
「それで、今日はどうして皆さんをお連れして?」
「ついでに花見をと思って」
「…藤も三本ですけどねぇ」
「いいんじゃないかい? お酒を飲めたらそれでいい人がいるんだから」
井上がにこにこと「おかえり、山南君」と。近藤も「久しぶりに飲みながら話そう」と、自分の隣に場所を開けて穏やかに微笑む。
そうして、円になって近藤の乾杯の音頭を聞いた後。
再会の感動よりも、おっかなびっくりの千鶴を見て、弥月は笑って彼女を山南さんのお酌に差し出す。
「本当に、あなたは雪村君には意地悪ですね」
「可愛いんだもん。つい」
「つい、では気の毒でしょう……元気にしていましたか?」
「…はい…山南さんも、お元気そうでなによりです」
たどたどしい千鶴を見て、弥月は肩を震わせる。山南はまだ事態を飲み込めてない彼女に料理を取るように頼んで、「君が注ぎなさい」と弥月を隣に座らせる。
「一応確認ですが、彼女にはどこまでを?」
「隠密部隊の長として、伊東さんに見つからないように動く設定にしようという話なので、御自らいい感じに説明してあげてください」
「…一番肝心なところを面倒くさがってはいませんか?」
「そういうのは得意な方に任せる方がいいと、土方さんのお教えです」
「ということは、その投げやりな設定は…」
「土方さんですね。後は任せるそうです」
山南が一瞬寄りかけた眉間のしわを伸ばすのを、弥月は笑って見る。
「山南君の方が、策には長けているからな。トシも適材適所と思ってのことだろう」
「将又、驚かされたから仕返し、というところだろうね」
「仕返し…とは?」
「沖田君と矢代君にしか言わなかっただろう。トシさん、しばらく拗ねていたよ」
反対側に座った大人たちから、ここにいない馴染みの人のことで話に花を咲かせる。
弥月も笑いながら立ち上がる。そして、門の錠を下ろしに行き、辺りを警戒してくれている島田さんに声をかけた。
「いいですよ、一緒に吞んで。私どうせ飲まないので」
「あれだけ買ってきてですか?!」
島田は驚いた様子で、再び樽…というか、千鶴に酌をさせてそれを浴びるように飲んでいる男たちを見る。
「元々呑むつもりはないのと…お酒は口実ですから。島田さんも一緒に楽しんでもらえると、準備した甲斐があります」
「…そうですか。それではお言葉に甘えて」
仕事中の厳つい顔からフッと穏やかに微笑んだ島田に、弥月はにこりと笑う。
そして山南らが酌を交わすのを横目に、弥月はお茶を片手に新八の横に座って、千鶴の代わりをすると言う。
「馬鹿野郎、可愛い千鶴ちゃんの方がいいに決まってるだろ!」
「いや、いいんですけどね。でも折角準備したんですから、饅頭食べさせてあげてください。千鶴ちゃん、はい。桜餅好きでしょ」
「あっ、ありがとうございます…!」
「次は千鶴に綺麗な着物着せて、こういうのもいいなぁ」
まだ酔いが回る段階でもないから、左之さんは素面で提案しているらしい。全くもって同感だ。
「…次は花火ですかね」
「祇園か。丁度良いな」
左之助は重箱の向こうの穏やかに笑う山南を見てから、弥月と顔を見合わせて笑った。