姓は「矢代」で固定
第6話 命の重さ
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元治二年三月二十六日
暮六つ。日没後の夜間演習を始める前だったが、自主的に稽古に出てきていた隊士がまばらにいた。
「ててててぇへんだあぁぁ!!!」
塀の向こうから聞こえてきた男の叫び声。間もなく現れるだろうその姿を想像して、全員が門を振り返る。
門番をしていた隊士が、走ってきた男に「どうした」と声をかけるが、彼は誰ともなく屯所に向かってまた全力で叫んだ。
「火事ッ!火事だ!」
近くにいた左之助が、険しい顔で問い返す。
「どこでだ」
「祇園!新地!」
「おい! お前、近藤さんに伝えてこい!」
左之助は目の前にいた隊士へ指示を出して、その場にいる全員を見る。
「住人避難させに行くぞ! 付いてこい!」
***
うあああぁぁぁん
弥月は不穏な空気に怯えて泣いている幼児を一人抱え、一人の児童の手を引いて、その母親たちとともに見回り組の誘導に従う。鴨川の向こうへ辿りついて、子どもらを家族に託す。今度は群衆に逆流して再び祇園…北側の火の手へと向かう。
「ィタッ……上、行くか」
必死に逃げてくる人波に抗うのはあまりに無謀すぎた。近くで荷車に家財を重ねているのを見つけて、遠慮なく足場にさせてもらって、一階部分の軒に上がる。
「あ、こら!」
「ごめんね、おっちゃん! 人助けと思って!」
そこから軒を走って、上がれる屋根に飛び移る。
「…広がるかな」
闇夜に赤く光る北側の一帯。煌々とした炎はまだこんなに遠くからでも見えて。その近くに纏い持ちが見えたが、そこで収まるのかどうか。昨年のどんどん焼けの時は、火消しの見積もりよりも、延焼の方が早かった。
住民の避難の方は、火の手から遠方でも判断が早い。今回は逃げ遅れの被害は少なくて済みそうだ。
北はせめて白川までで止まってくれれば…
南側はしばらく水場がない。大通りの四条を空白地帯として延焼が収まるかどうかは、火消しの技量次第になるだろう。
「押すなよ!まだ火は遠いから、十分に間に合う!!」
南から上がってくると、四条通りは荷車と人でごった返していた。橋を渡るために北・東・南から人が合流するため、そこで渋滞していた。とてもゆっくりとしか流れない列に、不安そうな顔をした人々。混乱が生じたが最後、将棋倒しになってしまう。
絶対に押しのけて走らないようにと、隊士や見回り組の面々は、抜刀し、刀を掲げて道々で指示をしていた。
火の手はまだ遠いが、列が八坂の方まで続いている。地上からの誘導では、暗くて奥の方まで見えないだろう。
「女と子どもは先に通せ! 男はいざとなりゃ荷台は捨てて来い!!」
小道から大通りに出てくる角で、声を張っている左之さんを見つけた。
「左之さん! 人は五条に流して! 奥の荷車が間に合わなくなる!」
「! 分かった!」
「弥月、北は!?」
新八さんも近くにいて、大きな荷物を背負うお爺さんを背負って、お婆さんの手を引いていた。人混みでも聞こえるよう、そちらに向けて声を張る。
「南へ! 北はいつまで持つか分からない! 南に行って!鴨川渡らせて!」
「了解!!」
それを聞いていたらしい、他の隊士や見回り組も小道へと人々を誘導していく。
弥月は笛を吹いて「火は北東から!」と叫びながら走り、流れが少しずつ南へ向かうのを見ながら、火の元へと向かう。
ピ――――
この音…!
自分以外の笛の音が聞こえた。
「林さん!」
「矢代!」
纏い持ちのいるギリギリのところで彼を見つけた。今日も祇園にいたのだろう。脚に怪我をしている芸子や老女とともに避難してきたらしい。
「最初の混乱で逃げ遅れたやつらが残ってる! あとガメツイ奴な! 家財はもう無理だ!」
「分かった!」
「無理すんなよ!!」
火の方を見ると、纏い持ちが屋根を飛んで移動してくるのが見えた。数件分、取り壊し範囲を増やすらしい。火はまだ全く収まる気配がなかった。
「そこの! この人連れてってくれ!」
「うわっ、はい!!」
火消しの男から、風呂敷を背負った、ずぶ濡れの初老の女性を託される。男の肩に担がれてきた割には、女性は自分で立てるようで、火消しは彼女をおいてすぐに踵を返してしまう。
「お姉さん、大丈夫ですか?」
手を引いて行こうとしたのだけれど。
えっ……歩くの遅すぎるんだけど!!!?
そういう病気なのかもしれない、腰と膝が曲がって、小刻みにしか歩けないようだ。
「ごめん、お姉さん! 乗って!」
おぶることを提案してしゃがんで背を向けると、彼女はちょこちょこと酷くゆっくりと動いて、両肩に両手をかけた。それを合図に、尻を支えてグンと立ち上がる。
!!?
重い…っ!!
脚が象のように太いのは、腕で抱えて理解したが。それでも身長を考慮すると想定外に重い。
「―――っ、掴まってて下さいね!」
火事場の馬鹿力。今こそ発動しろ
重心を後ろに持っていかれそうになりながら、前かがみで駆け足で進んだ。
***
「ちょ…ごめんなさい。そろそろ歩けますか…」
息切れしながら五条通りまで走り出でて、滑り込むように地面に膝をつき、彼女の脚を地に下ろした。けれど、肩から彼女の手がはずれない。
「……」
まだ背負えってか
「ちょっと待ってくださいね…」
ここまでで膝が限界だったが、鴨川の向こうまでは残り四分の一程ではあった。少し休めば可能だろう。幸い火からは随分と離れた。
五条の人の流れは西へと、ゆっくりだが確実に進んでいる。この流れを止めてはいけない。
「…よし、乗って」
再び背に掛かる重み。腰が重力に負けそうになった。片足を前に出して、地を踏んづける。
「ふぬっ」
「こっち貸して」
「?」
腰を浮かそうとしたところで、聞き知った声に上を見上げると、沖田さんがいた。
「手。出して」
「は? えっ、重ッ!」
ドサリと出した両手に乗っかったのは行李と風呂敷。
「あそこの親子の荷物ね」
反射的に沖田さんが指さした方を見ると、こちらを見ている女性は赤子を、彼女と手をつないだ子どもは犬を抱えていた。母親にペコリと頭を下げられて、コクコクと頷き返す。
「よっ…と」
「あっ、ありがとうございます!」
振り返って見ると、すでに沖田さんは老女を背負いあげていた。
「…なに、このコナキジジイみたいなババア」
「ッフ…」
上手いこと言わないでほしい。笑いそうになった。
もしかして自分に力がないだけかと思ったが、沖田さんでも想定外の重さらしい。やはり見た目の体格よりも随分重い。
「おばさん、手首こっち。僕の肩持たないで、こっちに貸して」
体勢が安定したようで、沖田は悠然と歩きだして人波に乗る。弥月は親子を見失わないよう、慌ててそれについて行った。
「沖田さん、指示の方は?」
「……君さぁ、それ聞く前に飛び出していくのどうなの? 今はうちの所属なんでしょ」
「…すみません」
一番組は夜間巡察の予定があって、私含めて一番組は屯所にいたのだが。私は左之さんの号令に従って出てきた。
「夜間巡察は中止。二から四番組と諸役は屯所警護。七と八は奉行所の手伝い。他は火事現場に」
「あ、よかった」
一番組が火事現場対応なら、私は一足先に来ただけだ。
「違うからね。近藤さんが指示出す前に動き出した、左之さんとか君に合わせて配置したからね」
「…すみません」
シュンとなる弥月を沖田はちらりと見て、ちょっと言い過ぎたかな、と思った。
本当は機動力のある元監察の弥月や山崎を現場に出すことは、近藤から真っ先に指示があったのだ。
弥月は人混みに横からドンと押されて、沖田の後ろ側へ付く。
…それにしても、濡れてる服の重さにしては…
彼らの後ろ姿を見て、ふと気になった、老女の背にある風呂敷。彼女は頭から裾までずぶ濡れなのに、なぜかそれは濡れていない。徐に手を伸ばしてみる。
ジャリ
え?
今度は大きく掴んで揉んでみる。
ジャリジャリ
この大きさ、硬さ、形と音。
全部、お金…?
逃げ遅れていたから、火消しに水をかけられたのかと思っていたのだけれど。それなら、なぜ荷物だけ濡れていないのか。
「あ…」
その荷物の中身が、全てお金だとしたら
「…沖田さん。奉行所」
「ん?」
「この人、火事場泥棒…」
しばらく間があった。
「…おばさん、このまま奉行所直行だからね。逃げられないよ」
両手首と膝裏をがっちりと拘束された女は、身体を揺らして抵抗していた。けれど、沖田は「めんどくさ」とつぶやいただけで、抵抗を物ともしていなかった。