姓は「矢代」で固定
第6話 命の重さ
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***
スッ
「ただいま…あれ、寝ちゃった?」
いつの間にか寝てしまっていた千鶴は、弥月が戻ってきた物音と声で意識を取り戻した。
「起きてます…」
「あぁ、ごめんね。寝てていいんだよ」
「…雪村君、うつ伏せになっても痛くはないか? 横向きでも構わないが」
「大丈夫と思います」
千鶴がゴソゴソと寝返りをうつ音と、山崎が次の鍼を用意する音だけがした。部屋の隅に置かれた行灯の明かりで、ほんのりと薄暗い室内、
烝さんが「少し痛む」と言う。
「あっ…」
「ここも」
「ん…っ」
なんか…
……
…えっちぃ
鍼が始まる前に、帰ってきて良かったと思う。
医療にそういう目線を持ち込むべきじゃないし、烝さんが何かするとも思わない。けれど、ただ、これはムズムズする空気だ。
「やっぱり鍼って痛いの?」
「刺した瞬間にちょっとだけ。でも、慣れてくるかも、です」
「…腎も弱ってそうだな。ふくらはぎを少し触るぞ」
「痛ッ…」
「なら、こっちは痛くないだろう?」
「あれ、本当ですね…すごい…」
「え。烝さん、私もしてほしい。面白そう」
「また今度な」
「やった!」
無邪気な彼の声を聞いて、千鶴は口の端を上げながら、そっと目を閉じる。
「そういえばさ、千鶴ちゃん、最近元気ないって左之さんが心配してたよ」
「…」
「体調ずっと悪かった?」
「いえ…」
「なんか嫌なことあった?」
フルフルと首が横にふられるのを、山崎だけは見ていた。弥月はフッと「そっか」と息を溢す。
「私はあったよ」
弥月は閉めた障子の外に、視線を送る。
「嫌なこと、というか…無力感というか、ね。
いっつも気掛かりはあって、仲間とか家族とか、社会とか。何とかなってほしいってずっと心にあるのに、結局自分は大したことできなくて、目の前のありのままを受け入れるしかない…って話」
「…」
「大した人間じゃないの分かってて、なんで、私は何者かになりたいのかなぁ…」
子どもの頃の万能感。頑張れば何かが変わるものだと、良くなるものだと思っていた。自分が正しいと、正しいものが正しいと思っていた。
けれど、人の価値観は多様で、見えていないものはたくさんあって。
自分一人の願いでは変えられないものがあると、手の届かないものがあると知りながら、まだそれを抱えている。
願わなければ、叶わないから
膝を抱えて丸くなる。
たくさんの失敗と後悔と罪悪感と。たくさんの達成感と喜びと希望と。全部が私のものだ。全部抱えて生きていく。
私は 私にとっては何者か
「わ、たしも…」
しばらくの後、千鶴は臥せったまま、小さな声を出す。
「…弥月さん達の辛さに比べたら大したものじゃなくて…」
「…うん」
「色々あるんだろうな、って言うのは分かってるんです。ここでお医者様の真似事はさせて頂いてますけれど、私は何者なんでもないんですから…
だけど、ちょっと……寂しかったんです。皆さんと一年以上ご一緒して……幹部の皆さんに優しくしてもらって、色々任せてもらって……たぶん勘違いしてしまってたみたいで…」
「山南さんのこと?」
千鶴は頷いた。山崎も手を止めていて、障子に写る影はわずかも揺れなかった。
「私には武士のことは分かりません。
ただ、自ら命を絶つことを選んだのは、山南さんで……それだけ、刀を振るえないことが辛いことで、ずっとずっと独りで耐えてきたんだなって……今更、知って……それでも…」
ごくりと唾を飲み下す。今日まで何度も飲み込んできた言葉。
「それでも生きてほしいと、なぜ願ってはいけないのかと…
…でも、一命を取り留めたとして、また辛い思いをするのは、山南さんだと分かってはいるんです……それでも…っ」
「生きててほしかった、よね」
「フッ…―――っ、だって、だれも望んでなかった!」
死んでほしいなんて望んでない。死にたいなんて望んでない。
それなら、なぜ助けようとしなかったのか
「死なせてあげようなんて、納得できません…っ!」
震える手で拳を握って、畳をトンッと叩く。
「まだ……まだ、できることがあったはず…っ、ここじゃなくても…生きてさえいれば…!」
「うん…それでも、山南さんはここに居続けたかった」
「―――ッ、分かってます!」
何度も「分かってます」と、千鶴はつぶやき続ける。
「生きて…それでも、生きてほしいと思うのが間違いなら、どうして私は…」
治療が及ばなくても、「ありがとう」と笑って逝った隊士さんたち。
最期の瞬間まで、彼らが生きることを願い、できることをすることに意味があるのだと思っていた。そのために治療室を作って、私がここにいるのだと感じていた。
それを
「間違いじゃない」
すぐ傍でした男の声に、千鶴はわずかに後ろへ顔を向ける。
山崎はギリリと歯を食いしばって、詰めていた息を少しずつ出すように話した。
「雪村君の命を貴ぶ思いは間違いなんかじゃない。
間違いがあるとすれば……その行為で誰かが大切なものを失うのだと慮(おもんばか)らなかったこと……それほど大切な人なのに見逃しつづけていたこと……見逃していたことを仕方がないように結論づけること」
「それなら…っ」
「…それでも、後悔は次に生かすしかない」
弥月は衝立越しに山崎を見る。今のは、千鶴に向けての言葉ではなかったように感じた。
「意見が食い違うことは何度だってある。君は、君の大切なことを貫き通せばいい」
「でも、だって…私はただの居候で…仕方なく置いてもらってるだけで…」
「え、そうなの土方さん?」
「……」
…
…まさか
「…ただの居候に、勝手場と治療室と帳簿の管理まで任せるわけねぇだろうが」
「弥月さん!?」
「ごめんな、千鶴。俺もいる」
「原田さん!?」
「ごめーんねっ」と、明るく言う弥月さんは、一切自分には悪いところは無いとでも云うかのようで。
衝立越しに、彼へ批難の視線を向ける。
「なんでも一人で飲み込もうとしなくていいんじゃない? 千鶴ちゃんに異見…文句言われて怒る人は、千鶴ちゃんが信頼している人にはたぶんいないよ」
「そういう問題じゃ…」
「秘密の話だと思ってたよね、ごめんね」
「――っ、山崎さんも分かってて黙ってたんですか!?」
「…すまない」
「千鶴」
ビクッと身体を震わせる。
障子が開いて、外の冷気が入ってきた。
山崎は裾が捲くれたままだった千鶴の衣服を整えて、座るように促す。千鶴が襟元を整え夜着を羽織ると、山崎は衝立を避けて、向こう側にいた人たちと対面させた。
土方は千鶴と同じように正座をして、真っ直ぐに彼女を見る。
「女のお前を隊士として数えることはできない。それは分かるな」
「…」
「けど、お前とお前の仕事を軽んじてるわけじゃねえ。山南さんの事は……言いたいことは分かったから、今回は納得してくれ」
「…」
「ちーがーう! ごめーんねって言うんだよ。こういう時は!」
「弥月、ちょっと緊張感をだな……千鶴、除け者にしたつもりはなかったんだ。俺らにも説明する余裕がなかったし…
…すまねぇ、言い訳にしかならないけど、どうするのが正解だったのか…いまだに俺には分かんねぇんだ」
「…」
お互いが居心地の悪い顔で、完全に膠着状態に入ろうとしていた。
大きな大きな隠し事がある男達が、怒りの表情のままの、涙目の彼女に勝てるわけがなかった。
「千鶴ちゃんは、これからどうしたい?」
「私は…」
これから先を考えると、色んな選択肢がある。
けれど、私は彼らにどうしてほしいのか
どうしたら大切なものを見逃さずに、大切にできるのか
「…相談してください。私も考えますから…」
なんとか声を絞り出す。彼らも自分も納得できるためには、これしかないと奥歯を噛み締めた。
自分はそんな立場ではないのからと、今までずっと思っていたけれど、声を出してみようと思った。
すると、重々しく「わかった」と頷いてくれる土方さんに、ちょっと泣きそうになる。
それなのに、何故かフハッと笑った弥月さんを、私は睨みつける。
最も信用ならないのはこの人かもしれないと少しだけ…本当に少しだけ思った。
スッ
「ただいま…あれ、寝ちゃった?」
いつの間にか寝てしまっていた千鶴は、弥月が戻ってきた物音と声で意識を取り戻した。
「起きてます…」
「あぁ、ごめんね。寝てていいんだよ」
「…雪村君、うつ伏せになっても痛くはないか? 横向きでも構わないが」
「大丈夫と思います」
千鶴がゴソゴソと寝返りをうつ音と、山崎が次の鍼を用意する音だけがした。部屋の隅に置かれた行灯の明かりで、ほんのりと薄暗い室内、
烝さんが「少し痛む」と言う。
「あっ…」
「ここも」
「ん…っ」
なんか…
……
…えっちぃ
鍼が始まる前に、帰ってきて良かったと思う。
医療にそういう目線を持ち込むべきじゃないし、烝さんが何かするとも思わない。けれど、ただ、これはムズムズする空気だ。
「やっぱり鍼って痛いの?」
「刺した瞬間にちょっとだけ。でも、慣れてくるかも、です」
「…腎も弱ってそうだな。ふくらはぎを少し触るぞ」
「痛ッ…」
「なら、こっちは痛くないだろう?」
「あれ、本当ですね…すごい…」
「え。烝さん、私もしてほしい。面白そう」
「また今度な」
「やった!」
無邪気な彼の声を聞いて、千鶴は口の端を上げながら、そっと目を閉じる。
「そういえばさ、千鶴ちゃん、最近元気ないって左之さんが心配してたよ」
「…」
「体調ずっと悪かった?」
「いえ…」
「なんか嫌なことあった?」
フルフルと首が横にふられるのを、山崎だけは見ていた。弥月はフッと「そっか」と息を溢す。
「私はあったよ」
弥月は閉めた障子の外に、視線を送る。
「嫌なこと、というか…無力感というか、ね。
いっつも気掛かりはあって、仲間とか家族とか、社会とか。何とかなってほしいってずっと心にあるのに、結局自分は大したことできなくて、目の前のありのままを受け入れるしかない…って話」
「…」
「大した人間じゃないの分かってて、なんで、私は何者かになりたいのかなぁ…」
子どもの頃の万能感。頑張れば何かが変わるものだと、良くなるものだと思っていた。自分が正しいと、正しいものが正しいと思っていた。
けれど、人の価値観は多様で、見えていないものはたくさんあって。
自分一人の願いでは変えられないものがあると、手の届かないものがあると知りながら、まだそれを抱えている。
願わなければ、叶わないから
膝を抱えて丸くなる。
たくさんの失敗と後悔と罪悪感と。たくさんの達成感と喜びと希望と。全部が私のものだ。全部抱えて生きていく。
私は 私にとっては何者か
「わ、たしも…」
しばらくの後、千鶴は臥せったまま、小さな声を出す。
「…弥月さん達の辛さに比べたら大したものじゃなくて…」
「…うん」
「色々あるんだろうな、って言うのは分かってるんです。ここでお医者様の真似事はさせて頂いてますけれど、私は何者なんでもないんですから…
だけど、ちょっと……寂しかったんです。皆さんと一年以上ご一緒して……幹部の皆さんに優しくしてもらって、色々任せてもらって……たぶん勘違いしてしまってたみたいで…」
「山南さんのこと?」
千鶴は頷いた。山崎も手を止めていて、障子に写る影はわずかも揺れなかった。
「私には武士のことは分かりません。
ただ、自ら命を絶つことを選んだのは、山南さんで……それだけ、刀を振るえないことが辛いことで、ずっとずっと独りで耐えてきたんだなって……今更、知って……それでも…」
ごくりと唾を飲み下す。今日まで何度も飲み込んできた言葉。
「それでも生きてほしいと、なぜ願ってはいけないのかと…
…でも、一命を取り留めたとして、また辛い思いをするのは、山南さんだと分かってはいるんです……それでも…っ」
「生きててほしかった、よね」
「フッ…―――っ、だって、だれも望んでなかった!」
死んでほしいなんて望んでない。死にたいなんて望んでない。
それなら、なぜ助けようとしなかったのか
「死なせてあげようなんて、納得できません…っ!」
震える手で拳を握って、畳をトンッと叩く。
「まだ……まだ、できることがあったはず…っ、ここじゃなくても…生きてさえいれば…!」
「うん…それでも、山南さんはここに居続けたかった」
「―――ッ、分かってます!」
何度も「分かってます」と、千鶴はつぶやき続ける。
「生きて…それでも、生きてほしいと思うのが間違いなら、どうして私は…」
治療が及ばなくても、「ありがとう」と笑って逝った隊士さんたち。
最期の瞬間まで、彼らが生きることを願い、できることをすることに意味があるのだと思っていた。そのために治療室を作って、私がここにいるのだと感じていた。
それを
「間違いじゃない」
すぐ傍でした男の声に、千鶴はわずかに後ろへ顔を向ける。
山崎はギリリと歯を食いしばって、詰めていた息を少しずつ出すように話した。
「雪村君の命を貴ぶ思いは間違いなんかじゃない。
間違いがあるとすれば……その行為で誰かが大切なものを失うのだと慮(おもんばか)らなかったこと……それほど大切な人なのに見逃しつづけていたこと……見逃していたことを仕方がないように結論づけること」
「それなら…っ」
「…それでも、後悔は次に生かすしかない」
弥月は衝立越しに山崎を見る。今のは、千鶴に向けての言葉ではなかったように感じた。
「意見が食い違うことは何度だってある。君は、君の大切なことを貫き通せばいい」
「でも、だって…私はただの居候で…仕方なく置いてもらってるだけで…」
「え、そうなの土方さん?」
「……」
…
…まさか
「…ただの居候に、勝手場と治療室と帳簿の管理まで任せるわけねぇだろうが」
「弥月さん!?」
「ごめんな、千鶴。俺もいる」
「原田さん!?」
「ごめーんねっ」と、明るく言う弥月さんは、一切自分には悪いところは無いとでも云うかのようで。
衝立越しに、彼へ批難の視線を向ける。
「なんでも一人で飲み込もうとしなくていいんじゃない? 千鶴ちゃんに異見…文句言われて怒る人は、千鶴ちゃんが信頼している人にはたぶんいないよ」
「そういう問題じゃ…」
「秘密の話だと思ってたよね、ごめんね」
「――っ、山崎さんも分かってて黙ってたんですか!?」
「…すまない」
「千鶴」
ビクッと身体を震わせる。
障子が開いて、外の冷気が入ってきた。
山崎は裾が捲くれたままだった千鶴の衣服を整えて、座るように促す。千鶴が襟元を整え夜着を羽織ると、山崎は衝立を避けて、向こう側にいた人たちと対面させた。
土方は千鶴と同じように正座をして、真っ直ぐに彼女を見る。
「女のお前を隊士として数えることはできない。それは分かるな」
「…」
「けど、お前とお前の仕事を軽んじてるわけじゃねえ。山南さんの事は……言いたいことは分かったから、今回は納得してくれ」
「…」
「ちーがーう! ごめーんねって言うんだよ。こういう時は!」
「弥月、ちょっと緊張感をだな……千鶴、除け者にしたつもりはなかったんだ。俺らにも説明する余裕がなかったし…
…すまねぇ、言い訳にしかならないけど、どうするのが正解だったのか…いまだに俺には分かんねぇんだ」
「…」
お互いが居心地の悪い顔で、完全に膠着状態に入ろうとしていた。
大きな大きな隠し事がある男達が、怒りの表情のままの、涙目の彼女に勝てるわけがなかった。
「千鶴ちゃんは、これからどうしたい?」
「私は…」
これから先を考えると、色んな選択肢がある。
けれど、私は彼らにどうしてほしいのか
どうしたら大切なものを見逃さずに、大切にできるのか
「…相談してください。私も考えますから…」
なんとか声を絞り出す。彼らも自分も納得できるためには、これしかないと奥歯を噛み締めた。
自分はそんな立場ではないのからと、今までずっと思っていたけれど、声を出してみようと思った。
すると、重々しく「わかった」と頷いてくれる土方さんに、ちょっと泣きそうになる。
それなのに、何故かフハッと笑った弥月さんを、私は睨みつける。
最も信用ならないのはこの人かもしれないと少しだけ…本当に少しだけ思った。