姓は「矢代」で固定
第4話 欠けているもの
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***
「ふくちょー、入って良いですか?」
副長の部屋…つまり、私と山南さんの部屋でもあるのだが、挨拶は人としてちゃんとする。間もなく中から応答があったので、徐に障子を開いた。
「定期報告です。言われた通り、西本願寺だけに絞って監視および潜入を行ってます」
土方さんからの返事はないが、続きを話せということだろう。
弥月は腰を落ち着けて、懐から書付を取り出す。
「では、記録を読み上げますね……一日目、梅が見頃を迎えている。今朝の鐘突きはうっかり寝坊でもしたのだろうか、慌てて楼に登っていった。心なし次の鐘までの間隔も短かった気がする。なんだかのんびりしてて良いなあ。今日は参拝客も」
「簡潔に言え」
「前回から特に変わりないっす」
「…」
「いやいや、そんな怖い顔されても、変わりないことを報告するのも立派なお仕事ですよね。お西さんは今日も平和でしたから」
彼と目を合わせたまま、パタパタと手を振る。お寺さんは毎日愉快な事件が起きたり、斬ったり張ったりする場所じゃない。
「…長州浪士は紛れてそうか?」
「いいえ、やっぱり浪士らしき人を匿ってる風はありませんね。門徒さん含め、寺内には新選組大っっっ嫌いな人が山のようにいますし、金回りもちょっと怪しいんですけど、武力を溜め込んでる様子はないです。
だから、検挙がてら押入りして、もののついでに土地強奪するよりも、ここは敢えて穏やかに交渉した方が良いと思いますよ」
「馬鹿言え。折り目正しく『貸してください』つって、『はいどーぞ』ってなる訳ねぇんだから、実力行使に決まってるだろうが」
「まあ、それはそうなんですけどー…で、ここ数日に特に変わりはないんですけどー…」
弥月は話しながら途中で立ち上がって、押入れにある自分の行李からゴソゴソと、手のひら大の布包みを取り出す。
「何してんだ?」
「とっときの金平糖。食べます?」
「…いらねぇ」
「そうですか。変わりはないんですけど、朗報はありますよ」
勿体ぶって、金平糖を一粒つまんで口に入れていると、「なんだ?」と返事があった。
「毎日熱心に拝むふりして、門主様に近い奉公人さんと仲良くなったんですよ。そしたら、一年以上前の話が聞けました。あの人も西本願寺、狙ってたみたいです」
「あの人?」
口の中で転がして、溶けて消えた甘さを補うために、次の一粒を入れながら、上目に土方さんの表情を観察する。
「芹沢さん」
驚いた顔
「で、当時、寺の一部を貸すようゴリ押ししてたみたいで、内々に『北集会所なら』って話にまではなってたらしいんです。けど、芹沢さんは『本堂も渡せ』って、ごねてたらしくて」
けれど、芹沢さんが死んで有耶無耶に…というか、交渉があったこと自体を、新選組は誰も知らなかったから、実質白紙になった。
土方さんは最初はただただ驚いた顔をしていた。そのうちに悔しいような、哀しいような……嬉しいような複雑な表情をする。芹沢さんの存在と、今の自分がここに到る経緯を想起して、重ね合わせでもしたのだろう。
その変貌をジッと見ている私に気付いて、土方さんはわずかに視線を逸らす。
そのまま私に話の続きを促すかと思ったが、幾分の間の後、彼は「まだ、先を行くか」と溢した。
「まだまだ先ですね。私、一生勝てない気がしてますよ」
「…お前、あの人に傾倒してたろ。どこまで知ってたんだ?」
それは探るような問いではなく、ただ疑問を訊いているだけの様子で。
「…今さら語れることは何も。ただ、あの日、奇襲を受けることを芹沢さん自身が知ってたことを、私は知っていました」
彼の最期の願いを知っていた。ただそれだけ
願いを背負って走り続けているのは、私ではない
彼の人の屈強な背を思い出して、弥月がゆったりと微笑むと、土方もわずかに目を伏せ、「そうか」と落とした。それから、フッと小さく笑う。
「じゃあまあ、その素地をありがたく使う他ねぇよなあ」
「はい。ゴリゴリに圧せば、多少譲ってくれることは間違いないみたいです」
「芹沢さんが圧してた本堂とやらは無理そうか?」
「んー…本堂は無理でも……ちょっと地図書きますね……この辺が北集会所なので、ウィィ―――ンと境内をこう…この門の周囲までゴリゴリしちゃっても良いかなぁと」
「…お前も性格変わったな。かなりアクドイ方に」
「土方さんに似たんです」
土方の評価を、弥月は褒め言葉と受け取ってニヤリと笑った。それを見た土方は、かなり嫌そうな顔をして返答を渋った後、「山南さんだろ」と応える。
それから土方がしばらく無言になり、思案顔で何かを考えているので、弥月も夕餉のことなどをぼんやりと考えていた。
そして唐突に「矢代」と呼ばれた。
「良いだろう、よくやった」
土方さんの会心の笑み
「明日には動き出す。お前は子細の報告書のために…」
土方さんは腰を上げかけた姿勢のまま、私を見た。そして目が合った。
あ、やば
「なに泣いてんだ!!?」
土方さんはギョッと剥いた目で、私を注視する。涙は零れたわけではなく、目の淵を潤しただけだったので、バレないかと思ったのだけれど。やはり彼は目敏い。
とはいえ誤魔化すことでもないため、弥月は破顔して、勢い頬を伝ったそれを、笑いながら指で無造作に拭った。
「いやぁ…すいません。びっくりしたもんで」
「は…?」
「いえ、くだらない事なんですけど……気付いて、ホントびっくりして。自分がビックリしたことに動揺して…動揺しすぎて、思わず涙が」
「何に、だ…?」
泣いたと思ったら、笑い始めた弥月を、土方は相当訝しげな顔で見ていた。
弥月は指についた水滴を袴で拭いとる。そして深呼吸をして、喉と表情を引き締めてから、彼と再び視線を合わせる。
「初めてですよ、土方さんに褒められたの。だから、嬉し泣きです」
再び土方が、鳩が豆鉄砲を食ったように間の抜けた表情をするため、弥月も引き締めた表情を再び崩さずにはいられなかった。
「そういうわけで、頑張ってきて良かったなぁ…って、じんわりと感動してました」
今まで色んな仕事をしてきたが、途中失態を侵したり、怪我をしたり……労をねぎらわれることはあっても、手放しで褒められるような、個人的な成果をあげたことはない。そして、今回は比較的簡単な任務ではあった。
けれど、それを“簡単”と思えるだけの努力はしてきたつもりだ。そしてそれを誰よりも厳しい人が認めてくれた。
弥月の言いたいことを、理解はしたらしい土方は、再び渋い顔をしていた。
「ありがとうございます。また頑張ってきます」
「――ったよ」
「…え?」
一瞬、舌打ちでもされたのかと思ったが、土方さんは面倒そうな顔をしつつも、悪態をついた様子ではなく。
「?」
「…――悪かったよ」
「……なにがですか?」
本当に、何を謝られたのか分からなかったから、問い返しただけだったのだが……なぜか今度こそ舌打ちされて睨まれた。ちょっと怖いから止めてほしい。
疑問と恐れを同時に抱いた弥月が、それ以上は何も言わず、大人しく座っていると。
土方は徐に正座を崩して胡座をかく。本格的に雑談の姿勢になるらしい。
「してきたことを間違ってたとは思ってねぇが、お前の隊士としての働きを、不当に評価してたことは謝る」
一呼吸置いて、彼は眉間に皺を寄せて、私を睨みつけたまま言った。
「悪かった」
今度は弥月が驚きに眼を瞬かせる番であった。
悪かったって……え、私に謝ってるの? え、あの土方さんが…?
私が何をするにも難癖つけてきた、あの土方さんが
そのくせ面倒極まりない仕事を押し付けて来る、あの土方さんが
謝っている
…
……
…なら、なぜ正座を解いた
土方さんは『言ってやった。文句はあるか』と言わんばかりに、腕を組んで、真顔で私を睨みつけている。その様子に、彼の殊勝な言葉をからかう気も失せた。
「…どこに踏ん反り返って謝る人がいますか」
「うるせぇ」
弥月は次の言葉がでてこずに苦笑する。
「…遠慮しなくていいんですよ。私、褒められて伸びる派なんで、どんどん褒めてください」
「調子にのるな。縮んどけ、鬱陶しい」
クスクスと弥月は笑うが、それについても咎めてこない。
そしてその後、お茶を淹れて一緒に休憩する提案にも反対しなかったのには、さすがに「明日は雨ですね」と言わずにはいられなかった。
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「ふくちょー、入って良いですか?」
副長の部屋…つまり、私と山南さんの部屋でもあるのだが、挨拶は人としてちゃんとする。間もなく中から応答があったので、徐に障子を開いた。
「定期報告です。言われた通り、西本願寺だけに絞って監視および潜入を行ってます」
土方さんからの返事はないが、続きを話せということだろう。
弥月は腰を落ち着けて、懐から書付を取り出す。
「では、記録を読み上げますね……一日目、梅が見頃を迎えている。今朝の鐘突きはうっかり寝坊でもしたのだろうか、慌てて楼に登っていった。心なし次の鐘までの間隔も短かった気がする。なんだかのんびりしてて良いなあ。今日は参拝客も」
「簡潔に言え」
「前回から特に変わりないっす」
「…」
「いやいや、そんな怖い顔されても、変わりないことを報告するのも立派なお仕事ですよね。お西さんは今日も平和でしたから」
彼と目を合わせたまま、パタパタと手を振る。お寺さんは毎日愉快な事件が起きたり、斬ったり張ったりする場所じゃない。
「…長州浪士は紛れてそうか?」
「いいえ、やっぱり浪士らしき人を匿ってる風はありませんね。門徒さん含め、寺内には新選組大っっっ嫌いな人が山のようにいますし、金回りもちょっと怪しいんですけど、武力を溜め込んでる様子はないです。
だから、検挙がてら押入りして、もののついでに土地強奪するよりも、ここは敢えて穏やかに交渉した方が良いと思いますよ」
「馬鹿言え。折り目正しく『貸してください』つって、『はいどーぞ』ってなる訳ねぇんだから、実力行使に決まってるだろうが」
「まあ、それはそうなんですけどー…で、ここ数日に特に変わりはないんですけどー…」
弥月は話しながら途中で立ち上がって、押入れにある自分の行李からゴソゴソと、手のひら大の布包みを取り出す。
「何してんだ?」
「とっときの金平糖。食べます?」
「…いらねぇ」
「そうですか。変わりはないんですけど、朗報はありますよ」
勿体ぶって、金平糖を一粒つまんで口に入れていると、「なんだ?」と返事があった。
「毎日熱心に拝むふりして、門主様に近い奉公人さんと仲良くなったんですよ。そしたら、一年以上前の話が聞けました。あの人も西本願寺、狙ってたみたいです」
「あの人?」
口の中で転がして、溶けて消えた甘さを補うために、次の一粒を入れながら、上目に土方さんの表情を観察する。
「芹沢さん」
驚いた顔
「で、当時、寺の一部を貸すようゴリ押ししてたみたいで、内々に『北集会所なら』って話にまではなってたらしいんです。けど、芹沢さんは『本堂も渡せ』って、ごねてたらしくて」
けれど、芹沢さんが死んで有耶無耶に…というか、交渉があったこと自体を、新選組は誰も知らなかったから、実質白紙になった。
土方さんは最初はただただ驚いた顔をしていた。そのうちに悔しいような、哀しいような……嬉しいような複雑な表情をする。芹沢さんの存在と、今の自分がここに到る経緯を想起して、重ね合わせでもしたのだろう。
その変貌をジッと見ている私に気付いて、土方さんはわずかに視線を逸らす。
そのまま私に話の続きを促すかと思ったが、幾分の間の後、彼は「まだ、先を行くか」と溢した。
「まだまだ先ですね。私、一生勝てない気がしてますよ」
「…お前、あの人に傾倒してたろ。どこまで知ってたんだ?」
それは探るような問いではなく、ただ疑問を訊いているだけの様子で。
「…今さら語れることは何も。ただ、あの日、奇襲を受けることを芹沢さん自身が知ってたことを、私は知っていました」
彼の最期の願いを知っていた。ただそれだけ
願いを背負って走り続けているのは、私ではない
彼の人の屈強な背を思い出して、弥月がゆったりと微笑むと、土方もわずかに目を伏せ、「そうか」と落とした。それから、フッと小さく笑う。
「じゃあまあ、その素地をありがたく使う他ねぇよなあ」
「はい。ゴリゴリに圧せば、多少譲ってくれることは間違いないみたいです」
「芹沢さんが圧してた本堂とやらは無理そうか?」
「んー…本堂は無理でも……ちょっと地図書きますね……この辺が北集会所なので、ウィィ―――ンと境内をこう…この門の周囲までゴリゴリしちゃっても良いかなぁと」
「…お前も性格変わったな。かなりアクドイ方に」
「土方さんに似たんです」
土方の評価を、弥月は褒め言葉と受け取ってニヤリと笑った。それを見た土方は、かなり嫌そうな顔をして返答を渋った後、「山南さんだろ」と応える。
それから土方がしばらく無言になり、思案顔で何かを考えているので、弥月も夕餉のことなどをぼんやりと考えていた。
そして唐突に「矢代」と呼ばれた。
「良いだろう、よくやった」
土方さんの会心の笑み
「明日には動き出す。お前は子細の報告書のために…」
土方さんは腰を上げかけた姿勢のまま、私を見た。そして目が合った。
あ、やば
「なに泣いてんだ!!?」
土方さんはギョッと剥いた目で、私を注視する。涙は零れたわけではなく、目の淵を潤しただけだったので、バレないかと思ったのだけれど。やはり彼は目敏い。
とはいえ誤魔化すことでもないため、弥月は破顔して、勢い頬を伝ったそれを、笑いながら指で無造作に拭った。
「いやぁ…すいません。びっくりしたもんで」
「は…?」
「いえ、くだらない事なんですけど……気付いて、ホントびっくりして。自分がビックリしたことに動揺して…動揺しすぎて、思わず涙が」
「何に、だ…?」
泣いたと思ったら、笑い始めた弥月を、土方は相当訝しげな顔で見ていた。
弥月は指についた水滴を袴で拭いとる。そして深呼吸をして、喉と表情を引き締めてから、彼と再び視線を合わせる。
「初めてですよ、土方さんに褒められたの。だから、嬉し泣きです」
再び土方が、鳩が豆鉄砲を食ったように間の抜けた表情をするため、弥月も引き締めた表情を再び崩さずにはいられなかった。
「そういうわけで、頑張ってきて良かったなぁ…って、じんわりと感動してました」
今まで色んな仕事をしてきたが、途中失態を侵したり、怪我をしたり……労をねぎらわれることはあっても、手放しで褒められるような、個人的な成果をあげたことはない。そして、今回は比較的簡単な任務ではあった。
けれど、それを“簡単”と思えるだけの努力はしてきたつもりだ。そしてそれを誰よりも厳しい人が認めてくれた。
弥月の言いたいことを、理解はしたらしい土方は、再び渋い顔をしていた。
「ありがとうございます。また頑張ってきます」
「――ったよ」
「…え?」
一瞬、舌打ちでもされたのかと思ったが、土方さんは面倒そうな顔をしつつも、悪態をついた様子ではなく。
「?」
「…――悪かったよ」
「……なにがですか?」
本当に、何を謝られたのか分からなかったから、問い返しただけだったのだが……なぜか今度こそ舌打ちされて睨まれた。ちょっと怖いから止めてほしい。
疑問と恐れを同時に抱いた弥月が、それ以上は何も言わず、大人しく座っていると。
土方は徐に正座を崩して胡座をかく。本格的に雑談の姿勢になるらしい。
「してきたことを間違ってたとは思ってねぇが、お前の隊士としての働きを、不当に評価してたことは謝る」
一呼吸置いて、彼は眉間に皺を寄せて、私を睨みつけたまま言った。
「悪かった」
今度は弥月が驚きに眼を瞬かせる番であった。
悪かったって……え、私に謝ってるの? え、あの土方さんが…?
私が何をするにも難癖つけてきた、あの土方さんが
そのくせ面倒極まりない仕事を押し付けて来る、あの土方さんが
謝っている
…
……
…なら、なぜ正座を解いた
土方さんは『言ってやった。文句はあるか』と言わんばかりに、腕を組んで、真顔で私を睨みつけている。その様子に、彼の殊勝な言葉をからかう気も失せた。
「…どこに踏ん反り返って謝る人がいますか」
「うるせぇ」
弥月は次の言葉がでてこずに苦笑する。
「…遠慮しなくていいんですよ。私、褒められて伸びる派なんで、どんどん褒めてください」
「調子にのるな。縮んどけ、鬱陶しい」
クスクスと弥月は笑うが、それについても咎めてこない。
そしてその後、お茶を淹れて一緒に休憩する提案にも反対しなかったのには、さすがに「明日は雨ですね」と言わずにはいられなかった。
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