姓は「矢代」で固定
第4話 欠けているもの
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***
弥月side
期待と悲しみを込めた眼差しを、私は向けられていた。
「……」
私は何か答えようとして口を開いたけれど、南雲薫に向けられる視線に、応えられるだけの回答を弾(はじ)き出せなかった。
勿論、単純に考えて、元治二年の十三年前…つまり、南雲が言うのは江戸時代の話だ。私が生まれているはずはない。
ただ、それが私の可能性は全くのゼロではないのかもしれない。突然、この時代に現れた経緯がある。十三年前というと、自分は四、五歳だろう。その頃の事をハッキリと違うと言えるだけの自信がない。
それに、そもそも時間的感覚は同じで良いのか…?
「……違う、と、思う…」
色々考えた結果、なんとかそう返す。
南雲が焦れて歯噛みするように顔を歪めるのに、どう応えて良いかが分からなかった。
「思うって何。どこに思い当たる節があったの」
「その…ひとつ訊きたいんだけど、『弥月』が消えたって言うのは…?」
「『弥月』は二、三日家にいたけど、夜更けに母親を求めて屋敷を飛び出した。僕は追いかけたけど、朝霧の中で見失って…誰も見つけられなかった。
最初に現れたのは屋敷の中で……たしか、床の間だったかな。血塗(まみ)れで倒れてたって」
血、塗れ…?
十三年前
血
床の間
十三年前
大量の血
弥月は口元を隠すように、手を顔に押し当てる。
安易に声を出してしまえば、ぼんやりと現れた大事なことを忘れてしまいそうだった。知っていることを思い出せと、記憶の箱が揺れていた。
思い出したくない
思い出せないことに、涙が出てくるから
忘れてはいけないのに、夢のようにおぼろげな幼い日の記憶は、繰り返し考える内に、自分が想像で作り出したものの気さえして。
思い出せる映像は何もない
あるのは人伝に聞いた事実の記憶だけ
「…――っ」
ほら、今もこの記憶が事実かさえ分からない。
「…――私っ、じゃないかもしれない」
事件の次の日、私は当時住んでいた所から離れた場所で、警察に保護されたと聞く。そんな、親が死んだのを見た子どもの話が、大人にどう受け取られたのかは分からない。
誰かが私に訊いた、連れ去った人物を『覚えていないのか』と。それに答えたら、『夢を見ていたんだろう』と。母親の下敷きにされた後、『夢を見ていた』のだと、誰かが言った。
『夢』だから消える。仕方ないことだ
そうして十三年の間に、『夢』を私は忘れてしまった。
だけど、あの時、一緒にいてくれた人達がいたはずだ。絶望に堕ちる直前の子どもを、看ていてくれた人達がいた。
彼らは消えていない
彼らは誰だった
「…私、昔は髪の毛もう少し茶色かったんです」
血で汚れていたなら、洗われただろう。髪を梳いてくれた人がいたはずだ。
「『弥月』は色の薄い、長い髪をしてた」
「うん、伸ばしてて…そう、昔はもっと茶色に近かったんだよね……事件が夜だったから、たぶんパジャマで……変な服着てたんじゃないかな」
「…それはたぶん燃えたよ。あんたが消えた夜、里で大きな火事があった。ただ、桃色の不思議な柄の服が干してあるのを、僕は見た」
「そっか……名まえ、その子の名字は何て言ってました?」
「覚えてない。少なくとも、矢代ではなかったけどね」
「そうですね…父方の名字を言ったかもだから…」
答えあわせのように問答を重ねても、決定打はない。彼女も私も幼くて、記憶が曖昧で、自分に都合の良いように、話してしまいそうになる。
だから、『弥月』は私ではないかもしれないけど、その正否を決められない理由を、彼女にはきちんと話さなきゃいけないと思う。
「私、鬼かどうか自分でも分からないんです。角もないし、髪が白くもならないので。でも、未来から来たんです」
驚きと、意味を分かりかねるという顔をした彼女に、文字通り以上のことを説明するのは難しい。それを証明するだけの何かを今すぐには提示できない。
「自分で決めて時間を移動できるわけじゃなくて、今、一年半も、帰り方が分からないまま、この時代にいるところで…」
帰れない自覚をすると、いつも泣きそうになる。ここに居たくて居てても、いつでも思えば帰れるのと、帰れないのでは何かが違った。
けれど、今、憂うべきはそれじゃない
「その、あなたの言う『弥月』は……可能性だけど、父と母が死んだ時、もしかしたら、私があなた達の所へ行ったのかもしれない。この時代に来たのは、今が初めてじゃなかったのかもしれない」
その時、私は泣いていただろう。彼女らを困らせただろう。
「忘れててごめんなさい」
貴方は私の代わりに覚えててくれた
「あなたにもう一度会えて良かった。あの時、助けてくれてありがとう」
あなた達にお礼を言うために、私は戻って来たのかもしれない
そう思うと、初めてこの時代に来た、本当の意味を見出せた気がした。
***
弥月side
期待と悲しみを込めた眼差しを、私は向けられていた。
「……」
私は何か答えようとして口を開いたけれど、南雲薫に向けられる視線に、応えられるだけの回答を弾(はじ)き出せなかった。
勿論、単純に考えて、元治二年の十三年前…つまり、南雲が言うのは江戸時代の話だ。私が生まれているはずはない。
ただ、それが私の可能性は全くのゼロではないのかもしれない。突然、この時代に現れた経緯がある。十三年前というと、自分は四、五歳だろう。その頃の事をハッキリと違うと言えるだけの自信がない。
それに、そもそも時間的感覚は同じで良いのか…?
「……違う、と、思う…」
色々考えた結果、なんとかそう返す。
南雲が焦れて歯噛みするように顔を歪めるのに、どう応えて良いかが分からなかった。
「思うって何。どこに思い当たる節があったの」
「その…ひとつ訊きたいんだけど、『弥月』が消えたって言うのは…?」
「『弥月』は二、三日家にいたけど、夜更けに母親を求めて屋敷を飛び出した。僕は追いかけたけど、朝霧の中で見失って…誰も見つけられなかった。
最初に現れたのは屋敷の中で……たしか、床の間だったかな。血塗(まみ)れで倒れてたって」
血、塗れ…?
十三年前
血
床の間
十三年前
大量の血
弥月は口元を隠すように、手を顔に押し当てる。
安易に声を出してしまえば、ぼんやりと現れた大事なことを忘れてしまいそうだった。知っていることを思い出せと、記憶の箱が揺れていた。
思い出したくない
思い出せないことに、涙が出てくるから
忘れてはいけないのに、夢のようにおぼろげな幼い日の記憶は、繰り返し考える内に、自分が想像で作り出したものの気さえして。
思い出せる映像は何もない
あるのは人伝に聞いた事実の記憶だけ
「…――っ」
ほら、今もこの記憶が事実かさえ分からない。
「…――私っ、じゃないかもしれない」
事件の次の日、私は当時住んでいた所から離れた場所で、警察に保護されたと聞く。そんな、親が死んだのを見た子どもの話が、大人にどう受け取られたのかは分からない。
誰かが私に訊いた、連れ去った人物を『覚えていないのか』と。それに答えたら、『夢を見ていたんだろう』と。母親の下敷きにされた後、『夢を見ていた』のだと、誰かが言った。
『夢』だから消える。仕方ないことだ
そうして十三年の間に、『夢』を私は忘れてしまった。
だけど、あの時、一緒にいてくれた人達がいたはずだ。絶望に堕ちる直前の子どもを、看ていてくれた人達がいた。
彼らは消えていない
彼らは誰だった
「…私、昔は髪の毛もう少し茶色かったんです」
血で汚れていたなら、洗われただろう。髪を梳いてくれた人がいたはずだ。
「『弥月』は色の薄い、長い髪をしてた」
「うん、伸ばしてて…そう、昔はもっと茶色に近かったんだよね……事件が夜だったから、たぶんパジャマで……変な服着てたんじゃないかな」
「…それはたぶん燃えたよ。あんたが消えた夜、里で大きな火事があった。ただ、桃色の不思議な柄の服が干してあるのを、僕は見た」
「そっか……名まえ、その子の名字は何て言ってました?」
「覚えてない。少なくとも、矢代ではなかったけどね」
「そうですね…父方の名字を言ったかもだから…」
答えあわせのように問答を重ねても、決定打はない。彼女も私も幼くて、記憶が曖昧で、自分に都合の良いように、話してしまいそうになる。
だから、『弥月』は私ではないかもしれないけど、その正否を決められない理由を、彼女にはきちんと話さなきゃいけないと思う。
「私、鬼かどうか自分でも分からないんです。角もないし、髪が白くもならないので。でも、未来から来たんです」
驚きと、意味を分かりかねるという顔をした彼女に、文字通り以上のことを説明するのは難しい。それを証明するだけの何かを今すぐには提示できない。
「自分で決めて時間を移動できるわけじゃなくて、今、一年半も、帰り方が分からないまま、この時代にいるところで…」
帰れない自覚をすると、いつも泣きそうになる。ここに居たくて居てても、いつでも思えば帰れるのと、帰れないのでは何かが違った。
けれど、今、憂うべきはそれじゃない
「その、あなたの言う『弥月』は……可能性だけど、父と母が死んだ時、もしかしたら、私があなた達の所へ行ったのかもしれない。この時代に来たのは、今が初めてじゃなかったのかもしれない」
その時、私は泣いていただろう。彼女らを困らせただろう。
「忘れててごめんなさい」
貴方は私の代わりに覚えててくれた
「あなたにもう一度会えて良かった。あの時、助けてくれてありがとう」
あなた達にお礼を言うために、私は戻って来たのかもしれない
そう思うと、初めてこの時代に来た、本当の意味を見出せた気がした。
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