姓は「矢代」で固定
第3話 暗示
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***
主要街道から外れてはいたものの、人通りある道から少し上がったばかりの位置に、私は居たようだ。
新八さんは土方さんに言われて、壬生から一人で応援に向かっていたところで。ただ、監視の目が無いからと気を抜いて、寄り道をしまくった結果、京街道から外れたところにいたらしい。
そこで人の叫び声のような不気味な音がしたから、少し山に足を踏み入れて様子を窺っていたと言う。
その状況でその正体を確認しようと思うなんて、正義感強すぎて、マジで尊敬する。
おかげで、生きて、大坂屯所の山南総長用の部屋に着いた。
「土佐の協力者の女性と接触し……現状、彼らがここに戻る事はないと云うような内容でした」
「それは本当に信用して宜しい情報でしょうか?」
「直接言われたわけじゃありません。けど、彼女が土佐をよく思っておらず、情報を流していた事等々を統合すると、その可能性は高いかと」
「交換条件は何ですか」
聡い山南さんは、“情報を渡し、敵を生かして帰した”事に理由があるはずだと踏んだ。
「……」
「…あなた個人への要求ですか?」
間違ってはいないが、そうとも言えない。
条件は“雪村千鶴に手を出さない事”
これを言ってしまうと、千鶴ちゃんの立場が悪くなる可能性がある。けれど、南雲薫の話しぶりから、千鶴ちゃんは土佐の間者ではないと、私は思う。
だけど、その勘みたいなのを…どう説明したら良いか…
なにせ聞いた私も、疑問の方が多く残っている。
鬼
後から冷静に考えても、日本昔話に出てくる、角が生えた「鬼」のことを訊かれていたのだと思う。
「何かを知っても、貴女は話せない事だったのですね」
「…すみません、色々混乱してて……話したい気持ちもあるんですけど、少しだけ待って下さい」
それで納得してもらえるとは思わなかったが、意外な事に山南さんは「分かりました」と。
「貴女の事情が複雑なのは、私もよく知っていますからね。
ですが、あなたが謝罪しなければいけないのは、任務を山崎君に押し付けてまで行った、その成果を報告できなかった事だと覚えておきなさい」
「…はい、申し訳ありません」
山南さんのお叱りはいつだって耳に痛いものだった。
***
なんとか壁伝いに歩いて、島田さんと私に宛がわれた部屋に戻ってから、分からないことを図示して考える。
たぶん、この世には『鬼』がいるのだ、と仮定して。
南雲は鬼…というか、鬼畜…
「…ということは、千鶴ちゃんは鬼」
まずはここを確かめるべきか。
「…そうだ。風間って、池田屋でもう一人…」
私が蛤御門に居た日に、各所で、池田屋にいた人物が現れたと聞いた。それが風間の他に、二人いたはずだ。
記憶を辿って、その風貌を思い出す。それぞれ味方をしている藩が違うようであった。
南雲薫は土佐
天霧は薩摩
風間は薩摩か…長州ではなさそうだったんだけど…
銃のやつ……たしか、不知火は長州
雪村は…どこかと手を結んでいるのだろうか…いや、父親の綱道が新選組にいたことを踏まえると、会津か…?
……
「…これ……千姫も、か?」
気に留めていなかったが、初めて会った時に、千姫は風間と天霧が里長仲間だと言っていた気がする。
もしかしたら、『鬼』仲間じゃなくて、ただの友達かもしれないけど…
鬼の、仲間………鬼の…
…鬼の、子ども…血縁…
薫が鬼なら、千鶴も鬼で…
私は千姫と血縁…
…―――っ!
「違う…っ」
気付いてしまった。仮定すると、色々な疑問が噛みあってしまった。
「…私、か…」
私は、鬼だ
仮に、千姫が鬼ならば、私も鬼だ。理由は分からないが、私は彼女より血の濃い“時渡りをする神子”と言われた。
それを事実とすると、何度も風間が私に確認した「人間か?」という質問は、的を射ていたことになる。私は「鬼」かどうかを問われていたのだ。
人間らしくない奇妙な気配をしているのは、彼らだけじゃなくて、私もなのだ。
私は人間じゃない、『鬼』か…?
「…っ」
千姫…っ、いや、千鶴ちゃんに確…
「―――-ッ、っっったあああああぁぁ!!!」
立ち上がろうとして踏ん張った脚の、激痛に撃沈した。バンバンと畳を叩いて、痛みを堪(こら)える。痛い痛い馬鹿だ痛い。
黒頭巾を巻いた応急処置の後、そのままだった事に、今さらながら気付いた。
「矢代、帰ったのか? 声が聞こえたが…?」
障子に影を映したのは、斎藤さんだった。さすが、私のお母さん。
「居ますいます! ちょいとそこ開け下さって、ヘルプミー!」
「一体、何を騒いで…」
「すみませんが、谷弟さんに頼んで、包帯何本かと、綺麗な布があればもらって来てくれませんか? 立てなくて、取りに行けない」
「…は?」
障子を開けた彼は、私が畳を這って身悶えているのを、不審な顔で見ていた。
黒装束ではどこを怪我したのか、パッと見では分からないのだろう。
「ついでに、井戸まで肩を貸してもらえると、めっちゃ助かります」
「…どこを怪我した」
うろん気な顔をして立ち尽くす彼を、ちょいちょいと手招く。そして、下履きの裾を太ももまで捲って、縛っていた布をゆっくりと外してみる。
「…うん。イケるイケる」
「!? なんだそれは!」
はずした布の内側がべしゃりと重さを訴えたのを、斎藤さんに見咎められる。
「短刀がガッツリ刺さりました。腕のも見ます?」
「見せろ」
「いや、こっちはまだマシな筈なんですけど……え゛、こっちの方が見た目悪ぅ…」
もしかしたら、さっきの衝撃で脚の傷が再出血したかも、と思っていたが、そっちは案外大丈夫だった。
より見た目が酷い腕は、広く内出血になって腫れていた。
南雲薫の技量を測れず、早いうちに逃げる判断し損なったのは、普段の心がけが不足しているからだろう。
「斎藤さん、京帰ったら鍛錬してください。前みたいに、私を殺す勢いでお願いします」
「その話は後だ。山崎は一緒ではないのか?」
「まだ後処理から帰ってないらしいです」
「? あんたはそれを担当して、山崎と残ったのでは…いや、それは後だ。先にこの怪我の手当を…」
手を借りて立ち上がると、斎藤さんは肩を借りるのに丁度良い身長だと思った。
「でも、これ超バランス悪い…」
怪我をしていない右腕を彼の肩に回すと、左脚に重心は置きづらい事に気付く。それを察してか、斎藤さんが腰に手を回してくれたので、起立は安定したが、どうにも歩行がし辛くなった。
…ってか、結構気になる。腰…
こんな時になけなしの乙女心を発揮している場合ではないが、肩ではなく腰を持たれると、腰回りが少しそわそわする。
「歩けるか?」
「…歩けますが、杖の一本でも見繕った方が良いかもしれません」
「そちらの脚で立とうとする故、安定しないのではないか? 俺の方に体重をかけてみろ」
……
グイと腰を寄せられて、なんとも言えない…恥ずかしい気持ちになる。たぶん0.1℃くらい体温上がってる気がする。
今さら、だから、今さら、だから…
意図なく、悪気なく、何度となく、色んな隊士に触られてきた。襟元だったり、腕だったり、袴帯だったりを、掴んで投げられたことは数知れず。無遠慮に尻を握られたこともある。
そうじゃない斎藤さんの手が、いつもと違って優しい手だからと言って、今さら意識する方がおかしい。
「弥月、怪我大丈夫か?」
「新八さん、ナイス! 運んで!」
咄嗟に哀願の声が出た。ごめん、斎藤さん。嫌な訳じゃないけど血圧が上がる。
新八さんは肩を竦めて「しゃあねぇなあ」と面倒くさそうにするが。
先程屯所まで運んでもらった時に、その隆々たる筋肉と、彼の正義感たっぷりの人情を褒めそやしておいたので、すげなく断られはしなかった。
左之さんも顔を出して、「怪我したのか、弥月」と。さっき叫んだから、みんな様子を見に来てくれたらしい。
「…ならば、俺は谷さんから薬などを受け取って来よう」
「すいません、お願いします」
斎藤は肩に回されていた弥月の手を、永倉へ渡して、部屋を出て行く。
そして、弥月が永倉に背負われる時、原田は晒されていた弥月の脚を見て、「げっ!」と驚きの声をあげた。
「おまえ…討入り終わってんのに、どうやったらこんな怪我できんだ?」
「分かってますって、私が阿呆なんは。勝ち気で行ってボロクソに負けて、結構かなり悔しいので、治ったら修行付き合ってください」
そう言いながら、南雲薫の剣技のことを思い出す。
…でも鬼って、なんか違うよね
剣技が凄いわけでは無い。風間もそうだったが、ただひたすらに動きが速い。そして、見た目よりも力が強い。
「新八が助けたのか?」
「いや、オレは弥月を拾っただけだ。相手にも手傷負わせてたから、引いてくれたらしいぜ?」
「はー、そりゃ敵の情けに命拾いしたな。
…ってことは、敵は一人か。強かったのか?」
「一人だったんですけどね……速すぎて、見切れませんでした。速い敵相手って、どうやって戦ったら良いんですか?」
私が溜息交じりに答えると、二人とも「そうだなあ」と思案する。
「俺は槍で近づけないことが前提だけどなぁ…」
「相手に技決めさせずに、力勝負に持ち込んだら良ぃんじゃねえか?」
「確かに、新八さんならそれで良いんでしょうけど、私には無理です…」
それに関して言えば、この筋肉の塊が羨ましいと思わなくもない。
戯れに「ずるい」と、新八さんの首の後ろに頭突きを食らわせると、後頭部で頭突きを返された。
「なら、やっぱ技しかねぇよなあ……あれはどうだ? 弥月、最初に隊士と手合わせした時にやってたろ? 相手の腕を巻き取って刀落とす、みたいなの」
「あれ、鍔迫り合いに持ち込めたときしか使えないんですよねー…今日はそこに辿りつけなかった」
「そんなに凄かったのか…まじでお前、よく生きて帰ってきたな」
「…まあね」
苦しい嘘だったとは自分でも思う。
「…そういえば、ちょっと姑息だが、土方さん。砂かけみたいなん得意だぜ?」
「だいぶ姑息だけどな」
「かなり姑息ですね」
居ない人をネタにして、ケラケラと三人で笑った。
寺町の共同で使用している井戸の近くまで運んでもらって。バシャと新八さんに脚に水を掛けられては、「痛ぃいい!!冷たいぃ!!」と叫ぶ。左之さんは水が掛からないよう離れて笑って見てるから、なんだか腹立たしい。
「ほら、弥月。腕も出せ」
「う゛うぅぅぅ」
「犬じゃねぇんだから、呻るなよ。沁みて痛くても洗えつったん、お前だろ」
「う゛ぅ、池田屋の恨みが今ここに…!」
「まあな。よくもあの時はいってぇのに容赦なく洗いやがって!」
「ぎゃあ! 関係ないとこ掛けないでよ!!冷たいわ、馬鹿!」
「ククッ…俺、拭くもん取って来るわ」
ふざけ合っているから問題ないと判断されたのだろう。左之さんに放置された私が、一人では逃げられないのを良いことに、私を弄ぼうとする新八さんだったが。それはすぐに斎藤さんに止められる。
「新八、今は冬だ。あくまで怪我人だから、止めてやれ」
「正真正銘の怪我人です」
「そこまで元気なら問題ない」
「さっきまで死にそうでした。内臓破裂したかと思った」
気になって上衣をぺラリと捲ると、自分でも初めて見たが、ここも酷い内出血になっていた。それも、いつもの稽古でできる痣とは規模が違う。なんかめっちゃ腫れてる。
「え…ヤバくない? これ…」
「おいおい、それ大丈夫か?」
「…痛くないのか?」
流石に、それを見て二人とも心配になったらしい。私も急に怖くなってきた。
「はい。最初痛かったのが、今全然なので…たぶん、大丈夫かと…」
そう言って、ふと気付く。
そうか、鬼か
首が治った時もそうだったが、高い治癒能力とやらが働いたのか。
…死にかけたら、発動?
「矢代…?」
「あぁ、大丈夫です…とりあえず痛くないし、様子見ましょ」
左之さんが戻って来て、手ぬぐいで水気をとってから、また新八さんに背負ってもらう。
死なない、なんてことがあるのだろうか
「――…」
「あ? 弥月、何か言ったか?」
私を背負う新八さんが、わずかに振り返って、私に問う。
「ううん、何でもない」
死なない、なんてことがあるはずがない
それはもはや生き物ですらない
***
主要街道から外れてはいたものの、人通りある道から少し上がったばかりの位置に、私は居たようだ。
新八さんは土方さんに言われて、壬生から一人で応援に向かっていたところで。ただ、監視の目が無いからと気を抜いて、寄り道をしまくった結果、京街道から外れたところにいたらしい。
そこで人の叫び声のような不気味な音がしたから、少し山に足を踏み入れて様子を窺っていたと言う。
その状況でその正体を確認しようと思うなんて、正義感強すぎて、マジで尊敬する。
おかげで、生きて、大坂屯所の山南総長用の部屋に着いた。
「土佐の協力者の女性と接触し……現状、彼らがここに戻る事はないと云うような内容でした」
「それは本当に信用して宜しい情報でしょうか?」
「直接言われたわけじゃありません。けど、彼女が土佐をよく思っておらず、情報を流していた事等々を統合すると、その可能性は高いかと」
「交換条件は何ですか」
聡い山南さんは、“情報を渡し、敵を生かして帰した”事に理由があるはずだと踏んだ。
「……」
「…あなた個人への要求ですか?」
間違ってはいないが、そうとも言えない。
条件は“雪村千鶴に手を出さない事”
これを言ってしまうと、千鶴ちゃんの立場が悪くなる可能性がある。けれど、南雲薫の話しぶりから、千鶴ちゃんは土佐の間者ではないと、私は思う。
だけど、その勘みたいなのを…どう説明したら良いか…
なにせ聞いた私も、疑問の方が多く残っている。
鬼
後から冷静に考えても、日本昔話に出てくる、角が生えた「鬼」のことを訊かれていたのだと思う。
「何かを知っても、貴女は話せない事だったのですね」
「…すみません、色々混乱してて……話したい気持ちもあるんですけど、少しだけ待って下さい」
それで納得してもらえるとは思わなかったが、意外な事に山南さんは「分かりました」と。
「貴女の事情が複雑なのは、私もよく知っていますからね。
ですが、あなたが謝罪しなければいけないのは、任務を山崎君に押し付けてまで行った、その成果を報告できなかった事だと覚えておきなさい」
「…はい、申し訳ありません」
山南さんのお叱りはいつだって耳に痛いものだった。
***
なんとか壁伝いに歩いて、島田さんと私に宛がわれた部屋に戻ってから、分からないことを図示して考える。
たぶん、この世には『鬼』がいるのだ、と仮定して。
南雲は鬼…というか、鬼畜…
「…ということは、千鶴ちゃんは鬼」
まずはここを確かめるべきか。
「…そうだ。風間って、池田屋でもう一人…」
私が蛤御門に居た日に、各所で、池田屋にいた人物が現れたと聞いた。それが風間の他に、二人いたはずだ。
記憶を辿って、その風貌を思い出す。それぞれ味方をしている藩が違うようであった。
南雲薫は土佐
天霧は薩摩
風間は薩摩か…長州ではなさそうだったんだけど…
銃のやつ……たしか、不知火は長州
雪村は…どこかと手を結んでいるのだろうか…いや、父親の綱道が新選組にいたことを踏まえると、会津か…?
……
「…これ……千姫も、か?」
気に留めていなかったが、初めて会った時に、千姫は風間と天霧が里長仲間だと言っていた気がする。
もしかしたら、『鬼』仲間じゃなくて、ただの友達かもしれないけど…
鬼の、仲間………鬼の…
…鬼の、子ども…血縁…
薫が鬼なら、千鶴も鬼で…
私は千姫と血縁…
…―――っ!
「違う…っ」
気付いてしまった。仮定すると、色々な疑問が噛みあってしまった。
「…私、か…」
私は、鬼だ
仮に、千姫が鬼ならば、私も鬼だ。理由は分からないが、私は彼女より血の濃い“時渡りをする神子”と言われた。
それを事実とすると、何度も風間が私に確認した「人間か?」という質問は、的を射ていたことになる。私は「鬼」かどうかを問われていたのだ。
人間らしくない奇妙な気配をしているのは、彼らだけじゃなくて、私もなのだ。
私は人間じゃない、『鬼』か…?
「…っ」
千姫…っ、いや、千鶴ちゃんに確…
「―――-ッ、っっったあああああぁぁ!!!」
立ち上がろうとして踏ん張った脚の、激痛に撃沈した。バンバンと畳を叩いて、痛みを堪(こら)える。痛い痛い馬鹿だ痛い。
黒頭巾を巻いた応急処置の後、そのままだった事に、今さらながら気付いた。
「矢代、帰ったのか? 声が聞こえたが…?」
障子に影を映したのは、斎藤さんだった。さすが、私のお母さん。
「居ますいます! ちょいとそこ開け下さって、ヘルプミー!」
「一体、何を騒いで…」
「すみませんが、谷弟さんに頼んで、包帯何本かと、綺麗な布があればもらって来てくれませんか? 立てなくて、取りに行けない」
「…は?」
障子を開けた彼は、私が畳を這って身悶えているのを、不審な顔で見ていた。
黒装束ではどこを怪我したのか、パッと見では分からないのだろう。
「ついでに、井戸まで肩を貸してもらえると、めっちゃ助かります」
「…どこを怪我した」
うろん気な顔をして立ち尽くす彼を、ちょいちょいと手招く。そして、下履きの裾を太ももまで捲って、縛っていた布をゆっくりと外してみる。
「…うん。イケるイケる」
「!? なんだそれは!」
はずした布の内側がべしゃりと重さを訴えたのを、斎藤さんに見咎められる。
「短刀がガッツリ刺さりました。腕のも見ます?」
「見せろ」
「いや、こっちはまだマシな筈なんですけど……え゛、こっちの方が見た目悪ぅ…」
もしかしたら、さっきの衝撃で脚の傷が再出血したかも、と思っていたが、そっちは案外大丈夫だった。
より見た目が酷い腕は、広く内出血になって腫れていた。
南雲薫の技量を測れず、早いうちに逃げる判断し損なったのは、普段の心がけが不足しているからだろう。
「斎藤さん、京帰ったら鍛錬してください。前みたいに、私を殺す勢いでお願いします」
「その話は後だ。山崎は一緒ではないのか?」
「まだ後処理から帰ってないらしいです」
「? あんたはそれを担当して、山崎と残ったのでは…いや、それは後だ。先にこの怪我の手当を…」
手を借りて立ち上がると、斎藤さんは肩を借りるのに丁度良い身長だと思った。
「でも、これ超バランス悪い…」
怪我をしていない右腕を彼の肩に回すと、左脚に重心は置きづらい事に気付く。それを察してか、斎藤さんが腰に手を回してくれたので、起立は安定したが、どうにも歩行がし辛くなった。
…ってか、結構気になる。腰…
こんな時になけなしの乙女心を発揮している場合ではないが、肩ではなく腰を持たれると、腰回りが少しそわそわする。
「歩けるか?」
「…歩けますが、杖の一本でも見繕った方が良いかもしれません」
「そちらの脚で立とうとする故、安定しないのではないか? 俺の方に体重をかけてみろ」
……
グイと腰を寄せられて、なんとも言えない…恥ずかしい気持ちになる。たぶん0.1℃くらい体温上がってる気がする。
今さら、だから、今さら、だから…
意図なく、悪気なく、何度となく、色んな隊士に触られてきた。襟元だったり、腕だったり、袴帯だったりを、掴んで投げられたことは数知れず。無遠慮に尻を握られたこともある。
そうじゃない斎藤さんの手が、いつもと違って優しい手だからと言って、今さら意識する方がおかしい。
「弥月、怪我大丈夫か?」
「新八さん、ナイス! 運んで!」
咄嗟に哀願の声が出た。ごめん、斎藤さん。嫌な訳じゃないけど血圧が上がる。
新八さんは肩を竦めて「しゃあねぇなあ」と面倒くさそうにするが。
先程屯所まで運んでもらった時に、その隆々たる筋肉と、彼の正義感たっぷりの人情を褒めそやしておいたので、すげなく断られはしなかった。
左之さんも顔を出して、「怪我したのか、弥月」と。さっき叫んだから、みんな様子を見に来てくれたらしい。
「…ならば、俺は谷さんから薬などを受け取って来よう」
「すいません、お願いします」
斎藤は肩に回されていた弥月の手を、永倉へ渡して、部屋を出て行く。
そして、弥月が永倉に背負われる時、原田は晒されていた弥月の脚を見て、「げっ!」と驚きの声をあげた。
「おまえ…討入り終わってんのに、どうやったらこんな怪我できんだ?」
「分かってますって、私が阿呆なんは。勝ち気で行ってボロクソに負けて、結構かなり悔しいので、治ったら修行付き合ってください」
そう言いながら、南雲薫の剣技のことを思い出す。
…でも鬼って、なんか違うよね
剣技が凄いわけでは無い。風間もそうだったが、ただひたすらに動きが速い。そして、見た目よりも力が強い。
「新八が助けたのか?」
「いや、オレは弥月を拾っただけだ。相手にも手傷負わせてたから、引いてくれたらしいぜ?」
「はー、そりゃ敵の情けに命拾いしたな。
…ってことは、敵は一人か。強かったのか?」
「一人だったんですけどね……速すぎて、見切れませんでした。速い敵相手って、どうやって戦ったら良いんですか?」
私が溜息交じりに答えると、二人とも「そうだなあ」と思案する。
「俺は槍で近づけないことが前提だけどなぁ…」
「相手に技決めさせずに、力勝負に持ち込んだら良ぃんじゃねえか?」
「確かに、新八さんならそれで良いんでしょうけど、私には無理です…」
それに関して言えば、この筋肉の塊が羨ましいと思わなくもない。
戯れに「ずるい」と、新八さんの首の後ろに頭突きを食らわせると、後頭部で頭突きを返された。
「なら、やっぱ技しかねぇよなあ……あれはどうだ? 弥月、最初に隊士と手合わせした時にやってたろ? 相手の腕を巻き取って刀落とす、みたいなの」
「あれ、鍔迫り合いに持ち込めたときしか使えないんですよねー…今日はそこに辿りつけなかった」
「そんなに凄かったのか…まじでお前、よく生きて帰ってきたな」
「…まあね」
苦しい嘘だったとは自分でも思う。
「…そういえば、ちょっと姑息だが、土方さん。砂かけみたいなん得意だぜ?」
「だいぶ姑息だけどな」
「かなり姑息ですね」
居ない人をネタにして、ケラケラと三人で笑った。
寺町の共同で使用している井戸の近くまで運んでもらって。バシャと新八さんに脚に水を掛けられては、「痛ぃいい!!冷たいぃ!!」と叫ぶ。左之さんは水が掛からないよう離れて笑って見てるから、なんだか腹立たしい。
「ほら、弥月。腕も出せ」
「う゛うぅぅぅ」
「犬じゃねぇんだから、呻るなよ。沁みて痛くても洗えつったん、お前だろ」
「う゛ぅ、池田屋の恨みが今ここに…!」
「まあな。よくもあの時はいってぇのに容赦なく洗いやがって!」
「ぎゃあ! 関係ないとこ掛けないでよ!!冷たいわ、馬鹿!」
「ククッ…俺、拭くもん取って来るわ」
ふざけ合っているから問題ないと判断されたのだろう。左之さんに放置された私が、一人では逃げられないのを良いことに、私を弄ぼうとする新八さんだったが。それはすぐに斎藤さんに止められる。
「新八、今は冬だ。あくまで怪我人だから、止めてやれ」
「正真正銘の怪我人です」
「そこまで元気なら問題ない」
「さっきまで死にそうでした。内臓破裂したかと思った」
気になって上衣をぺラリと捲ると、自分でも初めて見たが、ここも酷い内出血になっていた。それも、いつもの稽古でできる痣とは規模が違う。なんかめっちゃ腫れてる。
「え…ヤバくない? これ…」
「おいおい、それ大丈夫か?」
「…痛くないのか?」
流石に、それを見て二人とも心配になったらしい。私も急に怖くなってきた。
「はい。最初痛かったのが、今全然なので…たぶん、大丈夫かと…」
そう言って、ふと気付く。
そうか、鬼か
首が治った時もそうだったが、高い治癒能力とやらが働いたのか。
…死にかけたら、発動?
「矢代…?」
「あぁ、大丈夫です…とりあえず痛くないし、様子見ましょ」
左之さんが戻って来て、手ぬぐいで水気をとってから、また新八さんに背負ってもらう。
死なない、なんてことがあるのだろうか
「――…」
「あ? 弥月、何か言ったか?」
私を背負う新八さんが、わずかに振り返って、私に問う。
「ううん、何でもない」
死なない、なんてことがあるはずがない
それはもはや生き物ですらない
***