姓は「矢代」で固定
第3話 暗示
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京都見廻組は昨年設置された、京の治安維持組織で、その活動は“蛤御門の変”の後くらいから始まった。
見廻組も会津守護職の配下ではあるのだが、彼らは最初から幕臣として任命された武家出身の次男三男たち。所謂、エリートのお役人だ。そのため、新選組の隊士とはどうにも相容れず、巡察する管轄が違うこともあり、普段の交流はほとんどない。
元治二年一月二十六日
新選組は、大坂に潜伏しているであろう土佐勤王派を検挙するべく、予定日を過ぎても、未だ全隊士の三分の一をここ大坂に派遣していた。
そして、未明、夜間の巡察当番を街中に残し、屯所内も静まり返った頃の事。
暗闇の中を走り抜ける一頭の馬が、萬福寺の前を通り過ぎようとしていた。
けれど、騎手が「あっ」と声を上げて後ろを振り返ると。手綱をいきなり引かれた馬は、嘶(いなな)きを上げ、前脚を高く挙げて、その場に踏みとどまった。
キョロと辺りを見回してから馬を降りた男は、寺の前にある脊柱に、灯りを掲げて名前を確認する。そして確信をもって、閉ざされた門をドンドンと騒がしく叩き、大きな声で叫んだ。
「こちら、新選組屯所とお見受けする! 誰かいないか!?」
しばらくすると、門がわずかに開き、隙間から隊士が顔を見せる。
「……誰だ?」
「御免!見廻組より火急の知らせをお持ちした! 局長、以下代理に急ぎお取次ぎ願いたい!」
「見廻組…?」
男を警戒していた隊士は、あからさまに眉を顰める。
ここが京の本隊ならいざ知らず、どうしてこの大坂屯所に見廻組の使者が急ぎで来るのか。
一先ずこれをここで待たせて、どう処理すべきか……大坂屯所に今居る、局長代理にあたるのは、間違いなく山南総長ではあるが……一旦、自身の直属の上司である、谷組長へ相談すべきかを考える。
「見廻組ということは、佐々木さんからでしょうか? 私が代わりにお聞きしましょう」
「山南総長!? 起きて…」
使者の声を聞きつけたらしい山南が、隊士の背後から現れて言った。そして、山南は使者を警戒する様子も無く、門を開け、書状を受け取る。
渡された書状をその場で広げ、使者が灯りを掲げたのにお礼を述べる。
そうして、それほど長くもない書状を読み終わる頃には、山南の表情は普段は見せない緊迫したものなっていた。
「…貴方は、見廻組の隊士ですか?」
「いえ、佐々木様の中間として馬の世話等をしています」
「そうですか……図々しく、貴方には大変申し訳ないお願いなのですが、その馬を使って、急ぎ、一つ頼まれて頂けませんか? 壬生の新選組屯所にも、この書状を見せに行って欲しいのです」
「佐々木様より、その旨、仰せつかっています。他、本陣の方に、何かお伝えすることはありますか?」
山南は目を丸くした後、破顔して「流石、佐々木さんですね」と独り言ちた。
「山南がこれを受け、知らせに従い動くことにした、とお伝え頂けますか?」
「承りました。それでは」
すぐに馬上に上がり、萬福寺に背を向けた男を見送ることもなく、山南はその隊士に指示を出す。
「急ぎ、全隊士を起こし、境内に集めて下さい」
「いったい何が…?」
「兵庫から『六角源氏太夫』の残党が三十程、大坂へ流れた可能性があるとのことです。直ちに、こちらの対応にあたります」
「…信用して良いのですか?」
反目している見廻組の知らせに、どうして素直に従うのか、隊士が疑問に思って問うと。
「佐々木さん…私の知る見廻組の与頭は、下らない策を講じるお人ではありませんし、なにより、会津や幕府の事を真に思っています。
普段、感情的に対立しないようお互いに距離を置いているからこそ、彼が一大事に私たちに協力を求めたことを、彼の誠の忠義によるものと受け取るべきでしょう」
佐々木只三郎は、“壬生浪士組”の前身である、清河八郎率いる“浪士組”の頃に仲間だった男である。
佐々木はかつて壬生浪士組と分かれ、清河八郎とともに江戸に帰還した。それからは、生きているとも死んだとも聞かない名前だったが、半年前、京都見廻組の与頭(組頭)として、再び新選組の前に姿を現した。それから、わずかながらに近藤達との交流はある。
そのため、“浪士組”の頃から残っている試衛館組の彼らだけは、見廻組は兎も角、彼個人の人間性と志をそれなりに信頼していた。
山南の説明に、隊士は「なるほど」と納得する素振りをしつつも、分からないという声で質問を続ける。
「しかし、もしも今の男が見廻組でなく、土佐の回し者で、何かを企てているとしたら…」
「…谷さんは貴方が用心深い人なのを買って、門番に命じているのでしょうね。
しかし、貴方が不用意に門を開けたにも関わらず、無事だった時点で、使者が土佐の者である可能性は殆どありません。彼らは城に火をつけるなどと言う単純な方々なので、邪魔な私たちを策に陥れようなんて、緻密な企てをするはずがありませんから」
山南さんの声はひどく穏やかなものではあったが、隊士は遠回しに嫌味を言われたのだと気づき、表情を強張らせて「すみません」と呟いた。
そして、すぐに寝ている隊士を起こしてくる旨を言い置いて、逃げるようにその場を去っていった。
***
「そっち行ったぞ!!」
「逃がすな!」
「くそおおおぉぉ!!!」
「こいつ縛っといてくれ!」
「縛ったら出せ!邪魔だ!」
「どけえええぇ!!」
「待てやコルァぁ!!」
夜中に山南さんの指示があり、全隊士で探索を始めてから、半日。昼過ぎに『不審な男達が団体でいる』というタレ込みを受けて、新選組はとある宴会場に討ち入った。
その情報は当たりで、二十名ほどの男が、徒党の組頭を失った今、今後の進退について相談していたらしい。
万全の態勢で臨んだ新選組は、難なくその場にいた浪士達を捕縛していく。
立ち上がっている敵の数が減り、場が段々と片付いていくのを、弥月は野次馬の向こうから、建物の陰にいる島田の陰に隠れて見ていた。
「超助かりますね、タレ込み」
「そうですね。町人からのタレ込みに勝る、早い情報はありませんね」
私たちが大坂に到着してすぐの時に、檄文(げきぶん)という…『土佐浪士はこんな悪い事を企てていて、新選組はこう活躍したんだ!』という、主張看板を立てた。
そのおかげか、前回より町人が協力的で動きやすくなったような気がすると、斎藤さんが言っていた。
気だけかもしれないが、新選組の汚名が少しでも返上できたのならば……土佐浪士は捕まえ損ねたが、この大坂出張は立派な成果だったと思う。
「殺すなって指示だぞ!」
「知るか!」
「邪魔だァァ!」
「おい、裏行ったぞ!!」
そして、現状、池田屋を彷彿とさせる光景ではあるが、あの時と違って、人数が同等で始まった戦闘で、かつ、新選組の幾人かは負けるはずのない実力者であった。しかも、敵の方は要となる手練れがいないようだ。
そのため、敵を斬殺するのではなく、戦意を喪失させて、捕縛する余裕がある。多少怪我をする隊士も見られるが、すぐに別の隊士がそれを補うかたちで、着実に一人ずつ敵が減っていった。
「おっ、烝さんの勝ち!」
烝さんは今日は『小荷駄雑具方』の平隊士として、討ち入りに参加していた。滅多に見る事のない彼の実力を、思う存分観賞する。
もちろん、仲間が目の前の戦場にいる緊張感はあるし、加勢に入りたい気持ちもあるが……誰も怪我をして離脱しては来ないし、なんだかんだ冷静に見ていられる状況ではあった。
そんな、その辺の野次馬と変わらず、食いつくように観て「おお」とか「頑張れ」とか言っている弥月に、島田は苦笑いする。
「そろそろ私は一度、総長に報告してきますね」
「了解です。魁さんが行って帰る間に、こっち終わりそうですけど」
「その時は……片付けについて、弥月君が説明できますか?」
何度か自分達がするのを見たはずだからと、島田が確認すると、弥月はコクンと一つ頷く。
「たぶん大丈夫です。でも一応、烝さんに声かけてからしますね」
「そうでしたね、彼がいますし…では、頼みます」
島田が走っていくのを耳にしながら、弥月は戦場に視線を戻す。
…討ち入りなのに血飛沫ないとか、被害少なくて助かるわー…
何度も言うが、片付けとは、片付けである。
いつもの捕り物では、討ち入りで町人らに迷惑がかかった場合、会津公…京都守護職からの補償金をお支払いする旨を説明する。
しかし、畳から襖から、あらゆる物を血塗れにしてしまったり、柱や家具諸々を破壊したりしてしまうので、お金云々を保証できたとしても、申し訳なさが半端ない。可能な限り清掃したり、引越しの手伝いなどをする。
しかも、その日の内に自分らでどうにかせざるを得ないモノがある。
ちょん切れた腕を放置して帰った奴らを、恨んだことは数知れず…
あれは慣れない。落ちてるのを見た瞬間、ぞわっとする。
今日はそういった被害が少ないだろうことをひとまず喜びつつ、討ち入りの成り行きを見守った。
しばらくして、店の表は落ち着き、そこの守りを担当していた原田が、店の中から出て来た斎藤に声をかける。
「中は片付いたか?」
「あぁ、敵一人は死んだが、こちらは手傷程度だ。中に十人、裏に七人捕縛している」
「こっちは六人だ。被害も殆どない」
「そうか……ならば、引き上げるか?」
斎藤がまるで窺うように言ったので、原田はいつも大捕り物をしたときには必ず居る、号令をかける役の土方や近藤が居ないのだと気付く。
「なんだか締まり悪ィな…」
「確かに…」
二人はなんとも言えない気持ちで、ククッと奥歯を噛むように笑う。
自分達は数名の隊士を纏める“組長”ではあるが、大勢を率いて先導していく器ではないのだと思った。
「こういうのは、谷さんに任せとくか」
「あぁ、そうしよう」
頷きあったところで、山崎が「組長」と二人に声をかけた。
「退却ならば、ここの後処理がありますので、俺は残っても…」
「俺としては構わないが、ここは大坂だしな…そこはもう、勝手知ったる八番組に、任せといた方が良いんじゃねぇか?」
よし、未だ!
「はいっ! 呼ばれてないけど、私、弥月が嫌々ですが出て来ましたので、どうぞ使ってください」
終わりを見計らって出て来た弥月は、手を上げて視線を集め、満足気に「おつかれさまです」とニコリと笑む。
「私が島田さんにお片付け任されてるので、烝さんには私の監督として残って欲しいんですけど、討入り組のみなさんは帰ってもらって大丈夫です!」
「それはありがてぇが…お前、目のクマ酷いぞ…」
左之さんに可哀想なものを見る目をされた。
とは言え、みんな今日は、夜中に叩き起こされて働いているから一緒だ。
「はい。だから、私も早く帰って寝たいので、先に寝といてもらわないと、交代で私が寝れないので、とっとと寝に帰ってください」
「…おうよ。じゃあ、後は任せた。河合、全員に捕縛した奴を連れて、表に来るよう伝えてくれ」
原田は近くにいた組下の隊士に命じて、「帰るぞー」と周囲に声をかける。
「…本当に大丈夫か?」
「斎藤さん。後は事後処理ですから、クマごときで大丈夫じゃなかった事はないです。烝さんもいますし」
眠いし、頭は重いし、万全とは言えないけれど、心配するほどの事ではないと笑って応える。
「…山崎、確実に連れて帰ってくれ」
「分かってます」
「えぇ、信用無いなぁ…」
不満気に唇を尖らせてみせるが、心配される前科が幾度とあるので仕方ない。
それよりも、心配されているという事実が、私の心を温かくさせた。
そんな場違いに嬉しそうな顔をした弥月に、言い募ることを諦めた斎藤は、捕虜を中から引っ張り出すべく、店の方へ踵を返した。
それを見送ってから、弥月は今後の段取りを山崎に確認する。
「えっと、店の人達は隣近所に避難してもらってるんで……とりあえずご主人に、今後の補償と破損を確認してもらう所からですよね?」
「そうだ。ただ、全員が帰った後に、見せられないものが落ちてないか、一応先に確認してからだな」
「…そうですね」
恐らく、捕虜も含め全員だと、総勢四十名以上。死者一名。
池田屋の時ほどの派手さはないが、それなりに浅葱色の羽織を黒く汚した人もちらほら居る。指の一本落ちていても、全く不思議ではない。
「じゃあ、この店めっちゃ広いので、それだけは誰かに手伝ってもら…」
その時、雑踏に紛れて消えようとした、薄紅梅色の着物が弥月の目に留まった。
「…ごめんなさい。やっぱりここ任せます」
「待て!どこへ行く!?」
パシッと手を取って止められたが、弥月は行く先から視線は外さずに、山崎に背を向けたまま答える。
「すいません、人を追うので説明は後で。急ぎです」
「…駄目だ」
「は?」
驚いて、反射的に振り返る。まさか断られるとは思いもしなかった。動揺して、行きたい方向と、烝さんを何度も交互に見る。
だが、深く眉根を寄せている烝さんは、冗談でなく、本気で言っているらしい。
「君は一人で行動をすると、大抵、大きな怪我をして帰って来る」
「…それは否めませんけど……ごめんなさい、本当に急ぎなので、問答してる時間も惜しいんですけど」
「…後では」
「駄目です」
「…そっちを俺が」
「私しか顔を知らないので、私が追います。ここは烝さんに任せます」
烝さんはようやく真一文字に閉口したが、手を放してくれなかった。
こちらとしても焦っていて困るのに、彼のその行動が心配しているからだと思うと、苦笑が零れてしまう。
「ちゃんとすぐに帰ってきますから」
「…今日中だ」
「はい、約束します」
「怪我をするな」
「…善処します」
手が一度強く握られてから、名残惜しげに放される。
不安そうな顔をする烝さんに、私は自信があることを目で訴えて、口角を上げた。
「いってきます」
***