姓は「矢代」で固定
第3話 暗示
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元治二年一月十日
「矢代、どこだ!!」
朝早い人が起きだしてくる頃に、土方の怒鳴り声が、比較的静かだった前川邸に響いた。
道場で竹刀を交わしていた永倉と弥月は、手を止めて顔を見合わせ、いやーな表情をする。
「おまえ何かしたのか…?」
「えぇ、身に覚えありすぎて困るー…」
とはいえ、年末の調査報告書はちゃんと出した。正月から、巡察も各組に同行したが、特に何もなかった。
治療室の薬の補充に関する会計処理も、千鶴ちゃんと二人で確認したから問題ないはずだ。
今さら年始に変えた部屋割りの文句はないだろう。
屯所外では……随分前だけど、除痘館での福澤さんへの失態とか……でも、それを大事にはしないよね?
うーん…
…あ、今朝の部屋のゴミ出し忘れた
「矢代!」
やぁだ、紙ゴミ製造機が呼んでるよ…
「ほら、呼んでるから行ってこいよ…」
「えー…新八さん行ってきて下さいよー…」
「なんで俺が…」
「だって、怒られるの分かってて行くの嫌だ」
「なら、怒るようなことすんなよ」
「新八さんに言われたくなーい。謹慎中のくせに」
「おまっ…今それとこれとは話が別だろ…」
行きたくなくてウダウダ言っていると。声はだんだんと近づいてきた。
「矢代はどこだ!」
バンと荒々しく戸が開いて、現れた土方の鬼のような形相に、その場にいた平隊士全員が凍りつく。
土方はこれだけ人が居るのに、誰一人として返事をしなかったのを訝しむと同時に、その目立つ金髪の人物を見つけた。
「おい、いるなら返事しやがれ!」
「部屋のゴミ出し忘れてごめんなさい。でも、一回目だから優しく叱って欲しい」
「ゴミはいい! 下らねえこと言ってねぇで、仕事だ!来い!」
「わんわん」
犬だって怒鳴られてばっかりだと言うこと聞かないぞ、と言外に訴えてみたら、土方さんはチラリと視線だけはくれた。
そうして、トコトコと後ろを付いて歩く私に、土方さんはそれほど怒っている訳ではない様子で話し出す。
「谷弟がありえねぇ報告書持って来やがった。人数集めるから、事実確認と後処理してこい」
「私、山南さんの小姓なんです」
「暇だろ。こっちの仕事やれ」
「鬼門なんです、大坂」
「知るか。仕事してこい」
そろそろ近藤さんに建白書だそうかな
「…事実確認って?」
「一昨日、谷らが土佐の勤王浪士一人捕まえて、大坂城に火をつけて乗っ取る計画を聞いたらしい。会合場所から、多少の武器弾薬も押収した」
谷組長率いる八番組は、大坂の治安維持のために、度々大坂屯所に駐留している。そして、昨秋ごろからも常駐していて、特に土佐の不審な動きに注意し、牽制するよう通達されていたはずだ。
ん、ということは…?
「谷組長、お手柄じゃないですか。なんでそんな怒ってるんですか?」
「四人で会合場所に斬り込んで、捕まえたのが一人だとよ。それを意気揚々と報告してきやがって…! しかも、丸一日も経ってからとか、ふざけてんのか!!」
「…一人ですか?」
「一人だとよ!!」
なるほど、それでご立腹なのか
会合場所に斬り込んだということは、その周囲はもう使われない可能性が高い。そして逃がした残党狩りも、今からだと丸二日も経ってしまっている…ということは、捜索がほぼ一からやり直しだろう。
私も一度、収穫0人をやらかした事があるが、”敵は一網打尽派”の土方さんからしたら、ありえない失態だろう。
「時々ペラッペラの報告書上げてきやがると思ってたら、いざって時にこれだ!
長州の戦争がまだ長引きそうだから、武器の動きに気を付けろとは言ったが、誰も勝手に行動しろとは言ってねぇだろうが!」
「そうでしょうね。残り何人捕まえれば良いんですか?」
「重役が少なくとも四いるのは確実だそうだ。五が四に減ったとこで、同じこと考えるに決まってるだろうが!馬鹿か!」
「…私に怒らないでくださいよ」
怒り易いのか知らないが、ほぼ八つ当たりだ。
その情報がどれほどアテになるのか分からないし、一からの調査だから、長期戦になることは必須だろう。
あぁ、やだな、大坂
大坂、というか、山南さんの怪我の一件以来、個人的に谷組長が苦手だ。
「…あれ? その報告書を持ってきた、谷弟さんはどこに?」
そういえば、当たり前のように近藤さんの部屋に来たが、そこに局長本人も、谷弟さんも居なかった。近藤さんは布団があるから、顔でも洗いに行っているのだろうけれど。
「即刻帰らせた。すぐに応援を出すから、諸々準備しとけってな」
「りょーかいです。私の他に誰を?」
「島田と齋藤…いや、島田と四番組…と、源さんの三番組丸々つけてやるから、半月めどで片付けてこい」
「え、マジっすか」
大坂には八番組が居るから、この事態に組の三分の一を割くことになる。
そんなに手厚く、私に補助付けてくれるなんて……土方さんツンデレかっ!
そうではなく、早急に処理しないことには、成果を上げられないからなのだろうけれど。とりあえず、虱潰しに探れるだけの人手は有難い。
「あ、新八さんも暇そうなので貰ってって良いですか?」
「好きに持ってけ」
「あざーす。じゃあ、先達に私行って諸々の準備をしとくので…」
そこで言葉を止めた弥月は、一度考えるように宙に視線を這わせてから、土方の方へ戻す。
「四番組だけは真っ直ぐ大坂に向かってもらって、島田さんと三番組は、対象が東に逃げている場合も考慮して動くようにと伝えてください。全員の出立は朝餉の後で良いです」
「…後で良いのか?」
「はい。新入隊士さんもいるので、イイ感じに経緯を説明して、心の準備も整えさせてから送り出してもらえると助かります」
「分かった」
まだ入隊一ヶ月の新人がいる中で、失態に焦っている古参組と幹部の姿は、あまり心に宜しくないと思われる。説明不足も避けた方が良いし、少し余裕を持って準備させるべきだ。
そうは言っても、どうせさっきの土方さんの声で、急務の問題が生じたことは、隊士全員が察してると思うけれど。
「よし。じゃあ、私もちょっと私着替えてから行くので、部屋覗かないで下さいよ」
「頼まれたって覗かねぇ」
「じゃあ、いってきます」
「おう」
***
今日も山南さんは研究室で朝を迎えたのだろう。
弥月は誰もいない部屋で忍装束に手早く着替え、忍刀を背中に背負い、小道具も揃えて、パタパタと部屋を出る。
とりあえず、水筒に水汲んで……朝ごはんできてるかな…
私も朝餉が未だだから、行く前に食べたいし、可能ならおにぎり何ぞ持たせてもらえると、実はとても助かる。
「千鶴ちゃん! ごめん、食べるものある?」
「おはようございます。まだ……って、あ。お仕事なんですね、すみません! ご飯とお味噌汁だけでもすぐに出しますね!」
「ごめん、ありがとう。お米炊けてるなら、貰って行って良い?」
「はい、もう大丈夫かと!」
出来立てのご飯が熱いので、一掬いをお椀に移して、そこに切り分けてあった漬物を二、三種類放り込み、振って巨大な塊を作った。そして、それを二個笹に包んで、荷物に放り込む。
「お味噌汁どうぞ! ちょっと熱いですけど」
「ありがとー」
千鶴に渡された味噌汁にご飯を入れて、立ったまま猫まんまを食べ始めた弥月に、朝餉当番らしい沖田が、暇そうに声をかける。
「さっきの土方さんの声、こっちまで聞こえてたけど、何だったの」
「これです、今から行く大坂出張。谷組長の失態を、何故か私が怒られたんです。私、やっぱり谷さん苦手です」
別にそれに関しては、必ずしも谷さんが悪い訳ではないけれど、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いから仕方ない……って言うと、毎回言葉の使い方を間違ってる気もする。
「君一人で行くの?」
「とりあえず、先達です」
ズズッと味噌汁を飲み込んで、具を噛みながら、空になった器と箸を置くところを探す。
「後続には道中の捜索を…って、え。あ、ありがとうございます」
空になった器を、沖田さんが受け取ってくれた。
「後続に壬生から応援も出すことになってて。後で土方さんから全員に説明あると思いますけど、斎藤さんと井ノ上さんの組が大坂派遣になるので、屯所の人数めっちゃ減るので、留守番宜しくお願いします」
「言われなくても」
「弥月君!」
呼ばれて振り返ると、廊下をバタバタと走って来る全身黒い人。
ぶつかりかねない勢いで突進してきて、急に止まったかと思うと、大した距離も走っていないだろうに、肩で息をするような動作をしつつ、私の手を取って項垂れた。
「え。烝さん、どうかしました?」
「よかっ、まだ居て……島田君だけじゃなく、俺も行くことになった」
「烝さんが…?」
彼の格好が忍装束だったので、見た瞬間にまさかとは思ったけれど。
「小荷駄の方、放っておいて良いんですか?」
今回は実質『行軍世話役』の仕事。
烝さんが元諸士調とは知らない新入隊士は、彼が特別任務ばかり就いていることに納得しないだろう。そうすると、小荷駄雑具方内の監察がしにくくなるかもしれない。
「副長の許可は取ってきた。そっちは原田さんの目が行き届いているから、今のところ問題はないだろう、と。
それに、大坂での任務ならば、俺がいた方が何かと都合が良いはずだ」
「それは…そうかもしれませんけど…」
だからと言って、大坂での任務の度に一々外していたら、烝さんを小荷駄雑具方の平隊士扱いしている意味がない。
弥月は自分が考える程度の事が、彼らに分からない筈がないからこそ、納得しかねて首を傾げる。
「急ぎの件だと聞いた。準備ができてるなら、油を売ってないで行こう」
もはや有無を言わさず、一緒に行くらしい。まあ、彼がいて困ることは無いどころか、ありがた過ぎるくらいだから、止めはしないが。
なにせ、私の先達一人では、谷組長を操縦できる自信は全くない。
そんな中、私自身が一人で先に行くことを決めたのは、土方さんの言う『後処理』の方法が、私に委ねられていたからだ。私が状況確認と隊士への指示のために、先に行く必要がある。
なので、烝さんが手を引っ張って行こうとするのを見て、考えることを止め、「ありがたや~」と思った。やっぱり相棒って大事ですよね、杉下さん。
シュッ
「ったぁ!?」
弥月が内心和みかけていた所に、手首あたりに小さな痛みが生じた。
それは、たまたま何か重たい物が落ちてきて、手首にぶつかったのかと思えば。私と烝さん以外に動いたのは、沖田さんで……詳しく言うと、沖田さんの手が動いて……何故か唐突に、手刀をくらったらしいことを、私は理解した。
山崎は掴んでいた弥月の手が突然放れ、悲鳴が聞こえたため、驚いて振り返っていた。
そして、三者が無言で僅かな間を立ち尽くしたが、考えても考えても、起こった出来事を理解できなかった弥月は、不審な表情で沖田を見る。
「え? 何ですか、痛いんですけど…」
「…ちょっと手が当たっただけで痛いとか、鍛練が足りないんじゃない?」
「…は?」
ん? 私は鍛錬云々の話をしていただろうか?
しかも、ちょっとだと? 明らかにわざと手刀降り下ろしといて……それも結構痛かったし…
私がやや大袈裟に打たれたところを摩りながら、沖田さんへ非難する目を向けるが。彼はそんなものどこ吹く風で、台所作業に戻ってしまう。
「ちょっ…」
咎めて追及しようかと思ったが、時間の無駄な気がしてやめた。
とはいえ、最初はただただ驚きが先行していたが、意味の分からない痛みは、やはり苛立ちにしかならなかった。
「何…」
…マジで、ちょっと待って。沖田さんとの会話史上最高に意味が分からない
…
…いい。なかった事にしよう
どうせ大した意味もないのだろう。腹は立つが、この程度の彼の奇行を気に留めていたらキリがない。
「…問題なければ、とりあえず行こう」
その気持ちが通じたのだろう。烝さんと頷きあって、早足で玄関へ向かった。
***