姓は「矢代」で固定
第2話 誰知らず点された火
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元治元年十二月二十八日
伊東甲子太郎の部屋にて。
行灯(あんどん)の煌きより
慰労を歌う
山鳥の声
足を止め聴き入る
「最近作った詩(うた)なのだけれど、これどうかしら?」
「む、ひぃと思ひまふお~。なんか綺麗な詩ですね」
伊東が短冊を心を込めて読み上げたのを、弥月は回転焼きを頬張りながら、ふんふんと聞いていた。
「そうでしょう! でもね、こっちも良いと思うのよ」
今度は少し考える風に、伊東は宙を見定めながら諳(そら)んじる。
秋の暮れ
迷える者を
誘(いざな)いし
道照る瑞穂やは
いつぞ刈り取られぬ
「? 刈り忘れられた稲が、道案内してくれたんですか?」
「ふふふっ、これはね、『いつか刈り取られるだろうか、いやそうではない』って意味でね、貴方のことを詠んだのよ」
「…私?」
「そうよ。貴方みたいな美しい髪(くし)は見たことがないわ。今、貴方の綺麗な黄金色の髪を見て、あの時の情景が浮かんだの。そちら、触ってみても良いかしら?」
「あ、はい。つまらない物ですけど、どうぞー」
にじり寄って揉み手をする彼が触りやすいように、首を回して頭を差し出すと。
伊東さんは最初から準備していたらしい、懐から櫛を出すと、束ねていた髪を解いて、丁寧に梳いてくれた。
「先の詩も“山鳥”が貴方のこと……貴方の声は童ほどにはか細くないけれど、声変りをしていないかのように高く涼やかで、とても聞き心地がいいわ」
束ね直した髪から手を放して、彼が「はい、綺麗になった」と言ったので、私は口に入っていた回転焼きをごくんと飲み込んでから、「ありがとうございます」と、ニッコリと笑う。
「いやあ、そこまで誉められると照れますね」
「あらあら……そう言いながら、言われ慣れてますって顔をするところが、なんだか悔しいわね。高嶺の花の心にはいったいどうしたら届くのかしら?」
「いやいや、そんなお高い花じゃなくて、雑草根性で生きてますよ。
それに、こんなに美味しいお菓子用意して歓迎してくれる、優しい伊東さんのことは好きですよ~」
「もうっ、調子が良いんだから! でも、可愛いから許しちゃう! ほら、まだあるからお食べなさいな!」
「わーい」
ここで何をしているか、自分でもよく分かっていない。
旧総長補佐としての諸子調の任務が一段落して、『とりあえず屯所待機』を命じられた。その折、新しい“二番組組長”に挨拶するように言われて、伊東さんの部屋を訪れると。
私が「初めまして」と挨拶をするや否や、彼は顔を輝かせて「まあまあ、お座りなさいな」と、そこにあった回転焼を勧めてきた。
特に断る理由も無かったので、彼の前にあった座布団にちょこんと座って、ニコニコしながら彼の話を聞いている。勿論、ご満悦。
なんかやたらテンション高いけど、良い人だなぁ…
「私、隊士の皆さんに、新参者としてご挨拶させて頂いていたのだけれど、貴方はお勤めでいらっしゃらないし、幹部の皆さんも『会えばわかる』なんて隠して、貴方について全然教えてくれないから、ずっとお会いしたかったのよ」
「すみません、監察……じゃなくて、行軍世話役の勤めで時々出ているもので…」
「最初に会った時も、そちらの件で動いていたのかしら?」
「…?」
はて
「…失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
ちょっと記憶を辿っても、彼の顔は該当しなかったので、仕方なくそう訊くと。
伊東さんはその切れ長の眼を真ん丸にして、ぱちぱちと瞬かせた。
え?
「え、あれ? え…? すいません。あちこちで色んな人に会うもので、ちょっと覚えが…」
え。これ完全に、超失礼極まってるやつじゃない!?
ヤバいヤバい、思い出せ!と、懸命に心の中で唱えてみても、“伊東甲子太郎さん”とは初対面のはずだ。顔は見たことなくも無いけれど、記憶の中では、似た背格好や髪型の人がぼんやりと浮かぶだけで。
もしかして、歓迎してくれたのは、私じゃない誰かと間違ってて、とか!?
食べた回転焼きをどう戻したものか…とりあえず懇切丁寧に謝罪しようかと思ったその時。
「…ぷっ…ふふふっ!」
薄紫の袂で顔を隠した伊東さんは、身体を震わせながら、声を抑えるようにして笑い始めた。それに困惑した弥月は、しばらくしてそれが少し治まった頃に、恐るおそる「あの…」と声をかける。
「はぁ…あぁ、いえ、ごめんなさい……大丈夫。まさかここに座ってからずっと覚えてなかったのだとは思わなくて、驚いただけよ…ふふっ…」
「すみません…」
身に覚えがあったから、大人しく話を聞いているのだと思われていたらしい。そりゃそうだ。
「こちらこそ、ごめんなさいね。貴方が私の事を知っているものと思い込んでいたし、次に会ったら絶対に詩を聴いてもらおうと思っていたから、私もうっかりしていたわ。
それでなんだけど…朔日に、夜の祇園で、私たちの代わりに商人から喧嘩を買っていったのだけれど、覚えていないかしら?」
「一日…?」
記憶を辿る。
一月近く前の話だからか、すぐにピンとはこない。
その日は、たしか昼から大津を出て、屯所までを往復して…
ポンと手を打って、「あぁ!」と叫んだ。
「あの時の、江戸からの御一行様!」
「そうよ。その節はお世話になりました」
伊東さんに会釈されて、弥月はあわあわと手を振る。
「いえいえ、とんでもない!すみません、あれ伊東さん方だったなら、私全然邪魔でしたよね!! 前に立つだなんてお恥ずかしい!」
「いいえ。私の連れがね、あのままだと騒動を大きくし兼ねなかったから、ああいう風に治めてくださって助かったわ。それに…」
そこで言葉を切った伊東は、弥月をじっくりと見つめ、したり顔でゆったりと微笑む。
「それが分かってて、間に入ったのでしょう?」
……
私を品定めするかのような目。
「貴方が言っていた、新選組の仲間が近くにいるというのも、その場の方便だったのかしら?」
…分かってて、訊いてるよね
今、剣技の実力ではない、思想や主義、判断力を、私は査定されている。
私の役職は『行軍世話役』。隊の半分以上を占める平隊士よりも、戦場では組の進退に関わる。
現状、少なくとも馬鹿だとは思われていないみたいだけど…
「…はい。向こうは見るからに町人でしたから。京の治安維持を掲げる新選組としては、町人の安全が最優先。刃傷沙汰が起きるのは回避すべきと判断しました」
「あら、弥月さんは平和主義なのね」
「…少々、手段が荒っぽかったですが…」
「先に喧嘩を売ったのはあちらなのですから、あれくらいなら仕方ないでしょう。私たちから目を逸らさせたのも、意図してかしら?」
その質問に、弥月は肩をすくめて「まあ、カチンと来てたのは事実ですけど」と答えながら、あの時の事を思い出す。
大津まで往復するところで、土方さんから「ついでに」って祇園にいる川島に伝言頼まれて、相当イライラしてたからなぁ…
「新選組が暴力的で無作法な方ばかりだったら、どうしようかと心配していたのですけど、とても安心しましたわ。これからどうぞ宜しくね」
彼が微笑むと、その切れ長の目がさらに細くなり、薄い唇は優し気に弧を描く。
伊東さんは近藤さんと同じ、他人から慕われ、道を先導するだけの何かを持った人物だ。
けれど、近藤さんとは違って、あんなに直接的に人間を見定める目をする彼は、きっと頭脳労働を得意とするのだろう。
そして、彼が来たから、あの軍隊編成が組まれた。
この人が、伊東甲子太郎
伊東さんと近藤さんがいつか袂を別(わか)つのを、私は知っていた。
「…出自も定かでない剣術馬鹿の集まりで、私を筆頭に失礼することもあるかと思いますが、どうぞご指導宜しくお願いします」
この人が、新選組をどう変えていくのか、私は少しだけ恐ろしく思っていた。
***