姓は「矢代」で固定
第2話 誰知らず点された火
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元治元年十二月一日
宵の頃、陽も完全に沈んだ後に、京に着いた。
「ここが噂に聞く祇園ですか」
「なんだか、やっぱり都は雰囲気が違いますね、伊東先生!」
まるでここだけ陽がまだあるかのごとく、数多の灯りに煌々と照らされた大通りに、足を踏み入れた。
料理の匂いに混じって、女の色香の匂いさえしてくるのは、きっと気のせいばかりではないのだろう、すると、長旅の疲れも忘れたかのように、色めきだつ同志たち。
今にも走りだしそうな、彼らの青さに内心苦笑しながら、私はにこりと優しく笑いかけた。
「そうね。でも、だからこそ、粗相はしないように気を付けましょうね」
「はい、先生!」
「でも、本当にすごいですよね! どの店が良いのでしょうか、迷ってしまいます!」
「とりあえず大きい店に入ったら良いのでしょうかね? でも先生は小さい落ち着けるようなお店がお好みでしたよね?」
「あー!なんだか臭ぇなァ!」
「あぁ、ホンマに田舎臭え! なんや、えっらい肥やしみたいな臭いがしとる」
すれ違いざまに耳にした、聞こえよがしな声。それが自分達の事だとは思いもしなかったが、チラリとそちらを見ると、大きな声を出した男達は一様にこちらを見ていた。
そして私たちが立ち止まったのを見計らって、酔った男の一人が下卑た笑いを浮かべながら、手近にいた三郎ににじり寄る。
「この臭っせぇのあんたらかァ、あ?」
「あ゛ぁ?」
「…三郎」
売られた喧嘩を躊躇うことなく即座に買おうとした三郎を、小声で言外に諌める。
「折角、俺達が気持ちよう呑んどるのに、ギャアギャア品の無い声が聞こえてきたと思ったらなぁ…」
「ここはなぁ、糞田舎の武左なんかが来て良えとこやあらへんのや」
舐めるようにして、上から下までジロジロと見分される。その視線が気持ち悪くて、ぞわぞわと鳥肌が立った。
品が無いのはあなた達の方でしょう…っ
確かに自分たちは旅装で、奇麗な様相をしているとは言えないが、決して“糞”田舎者でもなければ、貧しくもない。
そう言う彼らが普段どのような生活をしているか……身形をみれば“それなり”であることは分かるけれど、百歩譲っても、男達は「品が良い」とは言えない。言いたくない。
けど、ここは穏便に、ね
「…これは、私の連れが失れ」
「ほんまに!『すっごいですなぁ~』なーんて、おのぼりさん丸出しで、聞いてるこっちが恥ずかしいったらねぇや!なぁ!」
「どうせすました顔で、ぶぶ漬け食うて帰るだけやっちゅうねん!」
「そうやそうや! 腹空いとるから、絶対おかわりしよるで!」
「おかわりかいッ! それはアカンわ!!」
誰一人、伊東が謝罪をしようとしたのが聞こえなかったのか、ギャッハハと下品な笑いが飛ぶ。
ガンを飛ばすだけなら右に出る者はいない三郎は、ずっと睨みを利かせているが、私の言いつけは守り、手を出そうとはしていない。
伊東の線のように細い眉がハの字に歪む。いつもは穏やかに弧を描く唇は、添えられた袖に姿を隠した。
ここで騒ぎを起こすのは得策ではないのよ…
いくら普段は揉め事を避けるとはいえ、これだけ一方的に子馬鹿にされると、相手を言い負かしたい気持ちが首をもたげている。そして、相手が商人だろうと何だろうと、弁で言い負かすだけなら自信がある。
しかし、相手は酔っ払いだ。最後は殴り合いの喧嘩になるのは目に見えている。勿論、それにも勝てる自信はある。
…でも、勝ったところで利はないわ
寧ろ、不利益の方が多い。
「…無視して行くわよ」
「逃げんのかぁ、おい?」
「腰に立派なもんぶら下げてんのによぉ。田舎者は肝っ玉ちっちぇえなぁ!?」
「腰には付いても、あっちは付いてねぇんじゃねェか?」
あぁ、下品
「あぁ、なるほどな!だから二本も腰に下げてるんか」
「知らんかったなぁ、予備まで準」
「お兄はんら、そないな大坂訛りで偉そうにせんといてくれる?」
心を塞いで足早に通り過ぎようとした、私の足が止まる。
私たちの正面から来てすれ違った男……つまり、後方で私たちを背に、下品な男たちに向かい合って、二本差しの男が一人立っていた。
「あ゛ぁ、なんや?」
「江戸の人に京のお作法教えてくれはるんはええけど、大坂とここ、一緒にせんといて欲しいんやけど」
「なんやと…?」
「言うとくけど、大坂の人は下品やて、京の人はみぃんなそう思うてるからな、未来永劫。これガチで」
若い…男の子?
後ろ姿しか見えないが、声は十代そこらで、声変わりしているかも怪しいような柔らかなもの。
二本差しをして袴姿なのだから、彼は武士のはずだけれど……なぜか、頭には町人のように手ぬぐいを巻いていた。
…髪が…白い?
手拭いから垣間見える髪は、その声の張りから察する年齢にそぐわず、随分と色が薄かった。
「小童が偉そうに!」
「そうや! 金もない餓鬼が偉そうにしくさんな!」
「祇園も島原も、あてら商人のお陰で成り立っとんねんぞ!」
「はいはい、確かに、それもそうどすなあ。花街にたくさんお金下ろしてくれはるんに、えろう失礼しました。このとおりや」
流れるような会話の中で、どこで心変わりしたというのか。掌を返してペコリと頭を下げる青年に、一同が面食らう。
そして、青年はその注目を集めたまま、すぐに顔を上げて一際明るい声で言った。
「まあでも、芸子はんらからしたら、お金払うてくれるなら一緒やって話おす。寧ろ、勘違い男は鬱陶しいから早う帰ってくれへん?」
「はあ!?」
「なんやと、てめぇ!!」
カッとなった男一人が護身用の刀を抜くと、青年も腰の物へ手を伸ばす。
え?
またもや、誰もが目を瞬かせる。
青年は鞘ごと刀を抜いていた。
「抜けや、小僧!!」
「いややわ。これ中が竹光やから、抜いたら、そっちので切れてまうもん」
…は?
…
…
……貧乏なのね
どうやら少年は“お飾り”を得物にしているらしいが、抜き身を向けられても、まるで緊張感の欠片も無い。その背に余裕すら感じる。
それをどう受け取ったのか、商人たちは「こいつも口ばっかりの武左衛門か!」と、更に声を大きくして爆笑していた。
「へえ…」
私の隣に居た三郎が、面白いものを見たときの声を出す。
勿論、私にもその意味は分かっていた。
「ほれ、兄ちゃん。かかって来いよ」
「じゃあお言葉に甘えて、ちょいとごめんよ…っと」
「な…ッ」
タンッ
その斬り合いは、一瞬の事と言って相違ない。もはや斬りあうことすらなかった。
右手を打たれた男の得物はすぐに地に投げ出され、男の首に、青年の持つ鞘がトンと当たる。
「おっちゃんら、命は大切にしぃな。しょうもないことで斬られて死にとうなかったら、酔うてるからって、おちょくる相手間違えたらあかんわ」
「何を…」
「…あっ!?」
男五人の内の一人が大声を出し、顔を強張らせて「南蛮の!?」と呟くと。口々に「え?」「は!?」と声があがる。しかし、青年が誰か思い当たらないらしい男は、キョロキョロとして仲間に説明を求める。
伊東一行も、「南蛮の」が示すそれが何かを知る由もなく、男達の会話に耳を傾けていた。
南蛮の…?
「おい、何なんや…」
「このガキがどないしてん?」
全く同じ疑問を持っていた私は、この鞘ごと大立ち振る舞いする青年は、いったい何者なのだろうかと観察する。
「阿保かお前…っ!」
「あれや!新選組の…!」
「はあ?」
「あれがかァ?」
新選組?
その指摘にざわついたのは酔っ払いの男達だけはなく、こちらも同じで、この場の全員の気配が変わった。
「…知ってくれてはる人もいるみたいで、話も早くて助かります」
まさかとは思ったが、本人が肯定するからには本当らしい。ただ、やはり青年は脅しを効かせるわけでもなく、気怠そうな声で言った。
「そこで楽しく飲んでる奴ら呼ぶんも申し訳ないし、普段お世話になってます、おとっつァん方との揉め事は御免やさかい…
…ここはうちに免じて、早ぅあっち行き」
『飲んでる奴ら』とは、つまり『新選組の仲間』ということだろう。
青年がクイと顎を反らすと、男達は小突きあい目配せし合って、足早に去って行った。
それを尻目に青年はフゥと溜息を吐きながら、こちらをチラリと見る。そして私と眼が合うと眦(まなじり)を下げて、淡い笑みを浮かべた。
「災難ですね」
「あなたは…」
歳は十四、五だろうか。口調から考えていた歳よりも、幾分若く見える。
そして、手拭いからはみ出している前髪は、やはり色がとても薄かった。
「すいません。わたし急いでるんで、何かあれば新選組屯所まで」
青年はペコリと小気味よく頭をさげて、私が止めようとする間もなく、すぐに私たちに背を向けた。
しかし、独りでに「あ!」と声を上げて、クルンとこちらを振り返り、近くの看板を指さす。
「あっこのお店やったら、女将はん元々江戸の人やからオススメですよ!」
一瞬何のことか分からなかったが、気付いた私がそのお礼の返事をする前に、彼は再び前を向いて走って行ってしまった。
***