第2話 誰知らず点された火

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 監察方の下っ端・川島(先輩)によると、大坂で、蘭学の私塾のそばに種痘館というものがあった。そして同じような『除痘館』が京にもあるらしい。

 千鶴ちゃん曰く、『除痘館』自体は、蘭学を敬遠していた幕府が、最近ようやく江戸では直轄の医学所として認めた施設らしい。土方さんの反応を見る限り、ある程度は市民の認知もあるものと思う。


 生物の授業で覚えた『天然痘』と、この時代で言う『痘瘡』が私の中で結びついたのは、ある意味奇跡だ。


「そうして、ちゃーんと事前情報を集めてやって参りました、除痘館のつもりが…」


 人伝てに聞いて向かった三条新町に、てっきり西洋建築でもあるかと思いきや、そこには焼けた落ちた建物が、瓦礫のまま残っていた。



  まじか



 どんど焼けの被害にあった可能性に道々気付いてはいたが、まさか瓦礫そのままで、何も、誰もいないとは思っていなかった。



  それなりに悩んで決心して、やっと暇をもらって来たというのに……なんてこった



 そうしてしばらく途方に暮れていたが、目の前を通り過ぎようとした町人を捕まえて、弥月は「ここに除痘館がなかったか」と訊いた。


「除痘館? あぁ…なんや十年程前にそんなんあったような気もすんなぁ…」

「え、十年?」

「確か、牛がどうやって言う話やったけどな、怪し気やったさかい誰も近付かへんかって、すぐ店たたみはったわ」


 唖然。

 「ほんならな」と向きを変える町人に、お礼を言って、弥月も真っ白な頭のままその場を立ち去ったのだが、それで諦められるほど、現状に対して楽天的ではなかった。



 そうして、次の日の昼間には大坂の淀屋橋に来ていた。そして辿り着いた『適適斎塾』と掲げられた看板のある建物。先日の下阪の折に、長州兵の隠れ蓑として挙げられていた場所のひとつである。つまり、川島の情報の源。

 木格子窓の隙間から中を覗くと、文机で写本をする若い男達が見えた。



  …診療所っぽく無くない?



 蘭学の私塾と聞いているし、書いてある。塾と言うからには、きっと勉強する所なのだろうとは思っていたが、やはり医学所ではないのだろうか。


「すいませーん。ごめんくださーい」


 ひとまず戸を開けて声をかけてみると、パタパタと中から誰かが来る足音がした。


「はー…!?」


 若い男は元気の良い返事をしながら出て来たのだが。私と顔を合わせるや否や、口をあんぐり開けたまま固まってしまった姿には苦笑いしてしまう。
 蘭学に精通しているところだと聞いていたが、私を見た反応は、なんらその辺の町人と変わらない反応だった。


「あの」
「福沢先生、ちょっと来てください!!」



  いやいや、慌て過ぎだから…



 私が声をかけるのも聞かず、転げるようにして部屋に戻ってしまった男に、なんとも言えない気持ちになる。


「君ね、客人の私にいったいどうして客人の相手を…」

「横に付いて下さるだけで構いませんから、お願いします!」


 なんだなんだと中は大騒ぎにしてしまったらしく、先ほどの青年を止めなかったことを後悔する。
 そして連れ立って出てきた妙齢の男も、私の姿を認めてキョトンとした顔をした。しかし、すぐにニコリと満面の笑みを浮かべ、他の男たちより前に歩み出で、両手を広げて歓迎の意を示した。


「HALLO? HELLO?」


 思わず、私もへらりと笑う。


「すみません、私の方が日本語でお願いしたいのですが…」

「OH!?」
「えぇ!?」

「それに、私は種痘館の場所を聞いたら、帰るつもりだったので、なんか大騒ぎにしてすみません」


 アハハと笑うと、また男達全員はポカンとした表情で私を見た。





 除痘館は適適斎塾からすぐ近くにあって、五日間、そこで滞在することになった。本来は十日ほど過ごすらしいが、土方さんとの約束があるから仕方ない。背(痘瘡)に腹(切腹)は代えられぬ。

 さきほど挨拶をした身形の良い妙齢の男は、福澤諭吉さんらしい。言われてみれば、万札の面影があったし、あの【諭吉さん】に会えるとか、今更ながらマジすごい拝む。
 ただ、今現在どれくらい凄い人かよく分からなかったので、主治医に訊いたら、今は幕府で翻訳の仕事をしてたりするらしいから……とりあえず、偉い人なのは分かった。
 


  …だが、目の前にいるこの人は本当に【諭吉さん】だろうか



「塾生の中に知ってる者がいたのでな。君はあれだと、新選組なのだろう?」

「…そうですね」

「そうかそうか! 幕吏の中でも攘夷と鎖国を混同し、蘭学までも批判する輩が多いと言うのに、まさか新選組の中に蘭学の価値を理解できる者がいるとはなあ! 新選組は農民出の野蛮な浪士集団と聞いていたから、これは認識を改めねばならんな」

「…庶民なので、流行りものと、お買い得には目敏いだけですよ」


 この人は何を茶飲み友達宜しく、私の目の前で気さくに笑っているのだろう。


「はっはっは、君は面白いことを言うな! いやはや、ただの武左衛門というのは間違いのようだ。君も攘夷派と言っても、蘭学がもたらす国益について理解あるのだろう?」

「…福澤さん、中津藩帰るところなら、こんな所で油売ってて良いんですか?」

「なあに、縁あれば千里と言う。みどもは縁を大事にするし、これでも幕臣だからな、元々新選組とは遠からずだ。ほれ、これ貰ったから食べね」


 そう言って、彼が懐から出したのは、でっかいサクランボ…


「…じゃない、林檎?」

「なんだ、林檎を知らないのか」

「いや、林檎にしては小さいなぁと…」



  あ、林檎飴のりんごか。所謂、姫りんご



 諭吉さんに「ほれ、食ってみ」とホイと渡されて、通常の四分の一ほどの体積のそれを、眺めまわしてからカブりつく。


ザリッ
「シャグ……酢っぱ!? なんかちょっと渋いし!」

「ははっ、そうか!」


 酸っぱい、酸っぱいと文句を言いつつも、シャリシャリと食べ進める。こんなに真っ赤に熟れてるのに、この酸っぱさは詐欺だと思う。
 けれど、林檎自体が久しぶりだから嬉しい。リンゴ風味の酸っぱい林檎を、楽しく味わって食べる。

 私の変顔を笑う福沢さんだって、酸っぱい顔をしていて、なんだか楽しくなった。


「ただ林檎は好きだけど、これはもはや別物…」

「大玉の甘いのが好きか?」

「そうですね」



  ん? そういえば、林檎って冬の果物じゃなかったっけ?



 今の時期はかろうじて秋。スーパーじゃあるまいし、年中林檎があるわけないから、この姫りんごは全く違う品種なのだろう。


「新選組は身分を問わずとは聞いていたが、おまえさん、見た目どおりの混血児か、将又、実は良いとこの庶子か、どっちだ?」

「いえいえ、突然変異の日本人です」

「隠す必要は無い、誰も聞いておらん。みどもは誰にも言わん」

「そう言われても…」


 外国人であることを期待されすぎた結果、勘違いされている。



  最近、不死身と勘違いされたりもしたし……みんな、たかが金髪に期待しすぎじゃん?



「強情な男だな……ほれ、この林檎。甘くて、このくらいの大きさの林檎ってのは、みどもは出島と外国でしか見たことないぞ」



  …

  ……


  ……林檎って、輸入物だったっけ?



 笑顔がすっと消えた。歪みそうになる表情筋を固定しつつ、背に冷や汗を伝わす。


 言い訳をするならば、平成の野菜との違いは、斎藤さん達や千鶴ちゃんから聞いて覚えた。水菓子も青屋で時季ごとに、ミカンやスイカ、柿や梨、李(すもも)を見た。
 けれど、品種改良前のそれは、高価な割に期待してたほど美味しくない。一般庶民は果物は買わず、枇杷だったりイチヂクだったりが、家先に生えてる人から貰うものだと知ってる。



  林檎


 
  うっかり うっかり



 青屋に並んでないから気付かなかった。


「あははははは」


 【ココ】に無いものを言っても、私が笑えば誤魔化されてくれる人がいる。不思議そうにするだけの千鶴ちゃんや、勘違いしつづけている隊士さん達。逆に事情を知っているから興味津々で聞いてくれる山南さん達。

 しかし、諭吉さんはそうは問屋が卸さないらしい。


「まさかSPIONか!?」

「そのスパイっぽいものでは無いです」


 その間違われ方は非常にマズい。引っ立てられて死刑確定。


「…実は庶子です」

「その取って付けた言い訳以外の者であることは確からしいな」

「ああああぁぁぁ、ゴッホゴホッ!あぁ、熱が出だした!辛くてキツイから、もう寝ます!おやすみなさい!」

「…おまえさん、もうちょっとましな言い訳はできんのか」


 
  大坂は鬼門に違いない



 山南さんの怪我といい、勝海舟といい、この人といい……大阪に来ると碌な事がない。

 布団を頭から被ってしまうと、刀の柄でぐりぐりと脇腹を突かれる。


「ほれ、正直に吐かんと縄掛けるぞ」

「~~~っ! 日本生まれ日本育ち両親は日本人ですし、京都弁と日本語しかほぼ喋れないので勘弁してください! ちょっと隔世遺伝かなんかしちゃっただけなんです!!」


 それを布団の内から小声で叫ぶように言うと、脇腹を抉っていたものがピタリと止まる。


「…隔世遺伝とな?」

「曾祖母か誰かが金髪だったらしいんです!でも私は日本人!!」

「…それだけでは僅かでも異国語が分かる説明がつかんな」

「趣味です、趣味!」

「ほう、それはまた高尚な趣味だの」


 再びグリグリと腰を突かれ始める。



  きっと、浦島太郎の亀ってこんな気持ち…!



「先生、時間がそろそろ…」

「む。もうそんな時間か」



  お?



 どうやら付き人らしい男が言う事には、そろそろここを出ないと、中津へ帰る船の時間に間に合わないらしい。


「…おい、矢代弥月とやら。みどもは行かねばならんが、また聞きにいくからな。首を洗って待っとれ」

「はーい。じゃあ、お元気で~」


 布団から顔だけ出して、ヒラヒラと手を振って見送る。
 今、ここから動けない状況さえ乗りきれば、後からなら逃げも隠れも出来る自信がある。



  あー、初日から焦るわー…



 それから七日間、ここに新選組がいるらしいと噂を聞いたらしい人が、時々パンダを見るが如くもの珍し気に見物に来たりはしたが。

 弥月が恐れていたような騒動はなにひとつ起こることなく、静かな休暇を過ごすことになった。



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