姓は「矢代」で固定
第九話 それぞれの一歩
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元治元年四月中旬
千鶴side
「千鶴ちゃーん!」
「はあい?」
洗濯物を干している最中のこと。
遠くの方から名前を呼ばれて、そういえば弥月さんはずいぶん前に『ちょっと出てくる』と言ってから、ずっと席を外したままだったことに気付く。そして、返事をしながら後ろを振り向けば、大きな笊(ざる)を抱えて走ってくる弥月さんの姿があった。
「これ見て!!」
「わあ!どうしたんですか、こんなにたくさんの小梅」
「八木さんから、おすそ分けのおすそ分けなんだけど…千鶴ちゃん、宜しく頼んだ!」
「…! 了解しました! 全部、小梅漬けにしちゃいましょう!!」
何を宜しくされたのは言わずもがな。彼は時々どこかしらから食材を持って来ては、私に調理してほしいと頼まれる。
さすがに、牛のお乳の使い方は分からなかったけど…
どうしてそれを食べる気になったのかは謎のままだけれど、弥月さんと一緒に“牛乳煮”なる不思議な料理を作った。意外にとても美味しく、幹部のみなさんにも好評だったので、最近よく献立に登場するのだ。
一先ず井戸で梅を洗い、灰汁抜きに水に浸して置く。それから洗濯物を一緒に片づけてから、彼と勝手場へ向かった。
弥月が盥の水に入った梅を、千鶴が空になった笊を持って歩く。
「千鶴ちゃんってさ、十六歳だったよね」
「はい」
「旦那とかいないの?」
「だっ…!ま、まだいないです!!」
千鶴はブンブンと首を横に振る。弥月はそれをチラリと見て「ふーん」と言いながら、「あ、でも」と続けた。
「蘭方医の娘ってイイとこの子でしょう? 許嫁ならいるのか」
「いないです、いないです!」
「彼氏…恋人…思い人、付き合ってる人…情夫?」
「いないです!!」
最後の方はもはや言いがかりに近いような気さえする。
確かに適齢期ではあるけれど、父様がきちんとした男性を見つけてくるからと、勝手に相手を決めないようにきつく言われていた。万一、好い人ができたなら、キチンと話すようにと。
「そっかあ。気立ても良いし、家事なんでもできるし、可愛いし、どこにでも今すぐにでも出せるのになぁ」
「そんな事ないです、私なんてまだまだで…貰ってくれる人なんて誰も…!」
「それこそ、そんな事ないわー…引く手数多の華の十六の娘さんを、ここで過ごさせるなんて本当ありえない。十六なんて、もっとキラッキラに過ごして良いと思うんだよね」
「いえ、私はそんなに…」
キラキラ過ごすって、どういうのだろう…
「いやいや、千鶴ちゃん。閉じ込められてても、感覚麻痺させちゃ駄目だよ。こんな老い先短い甲斐性もない男達の世話することを、当たり前に思っちゃ駄目だからね。目標は外だよ、外。夢のマイホーム…じゃなくて、幸せいっぱい花嫁さん」
「……」
みなさんの世話というか、家事全般をしていることについて、弥月さんは事あるごとに労(いた)わり労(ねぎら)って下さるが、おそらく彼が想っているほど、私にとっては全く苦痛ではない。
寧ろ、料理や裁縫は好きだから、やりがいというか、達成感というか……任せて貰えることに嬉しさを感じる。
確かに、家事が好きとか、得意な男のかたは少ないもんね
なんというか…実は最近は、住み込みの女中をさせてもらってるような感覚でいる…と言ったら、たぶん弥月さんを心配させるだろうから言わないけれど。
屯所内をウロウロするのにも監視が必要なので、それなりに気は遣うが、弥月さんが付いてくれている時なんかは、現状も大して苦痛ではない。
敢えて言うなら、自分で外へ出れず、買い物などを頼まなければならないことを不便に感じるくらいのものだ。
「そういう訳で、そこここに肉食系がいるから気を付けてね。そうそう簡単には奴等にあげないけど」
「え…?」
「え、じゃないよ。しっかりして!」
「あ、はい…え、すみません…?」
訳も分からず、とりあえず謝ると、弥月さんは何故か困った風に笑った。
勝手場の床に、梅の入った盥(たらい)を置いた弥月は「さて」と話に区切りをつける。
「まあそれは良いとして、何が要る?」
「塩と、焼酎とにがり…このくらいの大きさの樽、落とし蓋、つけもの石…あと、ヘタを取る用に竹串を」
「了解。大体はあるけど…にがりは八木さん家からもらってくるね。あ、焼酎が切れてるから…新八さんの部屋の押入れの右奥にあるやつ、こっそり持って来といて」
「え!? それはちょっと…」
「おっけ、大丈夫。冗談だから。私が盗ってくる」
千鶴がホッとしたのも束の間、再び「え…」と心配する彼女を見て、弥月はカラカラと笑い、「大丈夫」と言いながら勝手場を出て行く。
ひとまず千鶴は、必要な材料をそろえて、彼の帰りを待った。
……
「祝言、かぁ…」
先程の彼との話を振り返る。
確かに気付けば適齢期で、うっかりしていると行き遅れになってしまうのが現状で。年頃になれば、父様の選んだ誰かと結婚するんだと思っていたが、どうにも父様にそういう素振りがなく。
子どもの頃は、他人に傷が治る体質を知られたくなくていつも大人しく過ごしていたし、物心ついてからも、父様の後ろをついて回ってばかりいたから、同年代の友達もあまりできず……男の子の友達なんて以ての外だった。
恋愛結婚に憧れはするけれど、てんでアテがない。
初恋は…無いこともないけど……あれも数に入れていいのかなぁ…
七つか,八つの頃の遠い記憶を引っぱり起こすが、正直に言って、もうその方の顔も名前も覚えていない。父様が一度だけ診た患者さんで、その淡い気持ちを口に出したこともなかったから、忘れてしまったのは仕方がないのだけれど。
なんとなく、弥月さんみたいな人だったような気はするんだけど…
「ん、どうかした? 難しい顔して」
「あっ…いえ。なんでもないです」
一升瓶を抱えて帰ってきた彼が、不思議そうに私を見るから、少し恥ずかしくなって笑って誤魔化す。
その人はかなり年上だったと思うから、彼では無いのは確かだ。
「よーし、ではでは宜しくお願いします、千鶴先生!」
「だから、先生は止(よ)して下さいってば…」
最近は少し慣れてきたけれど、やっぱりその呼び方は、恥ずかしいから止めてほしい。
そして、ちょっと変わっているけれど、家事を楽しそうにしてくれる弥月さん。きっとこんな旦那様だったら楽しいだろうな、なんて少しだけ思った。
***