姓は「矢代」で固定
第九話 それぞれの一歩
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「おおきに、またお越しやす」
「ななしちゃん、今日はもう片付けてええって」
「はーい」
本日最後になるだろうお客さんを見送ると、もう一人の店番の子が外へ出てきて、そう言った。
彼女が出てきたついでとばかりに、腕を上げて取ろうとした入り口の暖簾を、ななしは横から奪い取るようにして下ろす。
「もう! ええから、そういうのん私するから座っててってば! 中で台とか拭いとってくれたらええから」
「はいはい」
「ハイハイ言いながら椅子持ち上げなや!?」
「はいはい」
「もー!」
暖簾をそこに放り出して、今度は彼女が片づけるために抱えようとした椅子を奪い取る。
「もう、はうちの台詞やわ。うちの後付いて回ったって仕事進まへんやないの。ちゃっちゃと終わらせるために別の事しいな」
そうして彼女はななしが立てかけた暖簾をまた拾い上げて、店の中に運び入れる。
「…そりゃあ、そうなんやけどさぁ」
ブツブツと小声で文句を言ってみるが、けれどもやはり店の先輩である彼女が言うのは尤もなことで。
「ななしちゃん、椅子片づけてくれるんでしょ? 早よしぃや」
「…はぁい」
ななしは肩を竦めて、椅子を両脇に抱えて暖簾の向こうへ消えた。
元治元年三月中旬
……
…
「…夢、か」
目が覚めた。
ここ数日間、茶屋で張り込みをしているからだろう、前の潜入捜査のときの他愛無い出来事を夢見たらしい。
妊婦だった彼女の代わりになるようにと、臨時で雇ってもらった茶屋。あの御用検めがあってから、もう三ヵ月が経つ。
事件のあと数日間はあそこで勤めたが、前もって探しておいた他の女性に変わってもらい、滞りなく店を辞めることができた。
親父さんも詳しくは訊かなかったが、私を不審に思っていただろうから、それからあそこには近寄ってもいない。
どうしてるかな
昼。
監察の仕事を終えて、屯所に朝帰りした。自室で昼寝をしようかと微睡んでいるところに、ガタガタッと突然に戸を開ける音がして、前触れもなく彼は現れた。
「ちょっと顔貸してくれる?」
「…は?」
例えば、それを言ってきた相手が平助なら「望むところだゴルアァ」とか冗談めかしたり、左之さんなら「ごめん、私何かしたかな?」と自分の所業を心配してみたり、土方さんなら先手を打つべく「すいやっせんっしたあぁぁぁ」ととりあえず謝ってみたりするけれども。
「…私、何かしました?」
それが、沖田さんである場合、私は警戒せざるをえない。
「命令だよ。君はただ付いて来ればいい」
「いやいや、だから前にも言いましたけど、私の指示系統は山南さんと繋がってますけど、助勤らとは上下ありませんから、偉そうにされても納得いきません」
「煩いな。斬られたくなかったら黙って従いなよ」
「…またそれですか……」
最近あまり聞かなくなったと思っていたら、これだ。
まあ以前と違って、冷えた目をした不穏な笑い顔でもなければ、挑発的な様子でもないし……とりあえず”言うだけ言う”といった、今までに無いそれではあるのだが。
これは誰かに遺言…じゃなくて、一筆残していくべきかな
「分かりました、すぐ行きますから、ちょっとだけ待ってください」
「僕だって暇じゃないんだから、早くしてよね」
「はいはい、アポなしで来てそれは勝手すぎますからね」
とはいえ、待たせると不機嫌になるのは目に見えている。
急いで、服を着て、髪の毛を一纏めにして、ボールペンでその辺の紙に【失踪したら沖田さんが犯人】とだけ書いてから、隣の部屋を覗いた。
「沖田さん、おっけーですよ」
「…」
沖田さんは何故か私を上から下へと観察した後、無言のまま廊下を歩く。それを付いて来いという事だと察した私は、トコトコとそれに従う。
しかし、草履を履いて、屯所を出ていこうというのに説明はない。
門番が私たちが連れ立って出て行くのを見て、明らかに動揺していた。それに苦笑いしてヒラヒラと手を振って通りすぎると、「お気を付けて」なんて心配そうな声で言われるのだから笑ってしまう。
そして一間歩こうと、二間歩こうと、彼は前を歩くのみ。
……
「どこまで行くんですか?」
「知らない」
「は?」
…はい?
「監察用の借家ってのがあるんでしょ。案内しなよ」
「…いや、それならそうと言ってもらっていいですか…」
脱力感に見舞われる。
恐らく大方の方向は知ってて歩いていたのだろうけれど、知らないなら最初からそうと言ってほしい。
彼の横へ来て、「こっちです」と案内をする。
「何するんですか?」
無視。
「山南さんの指示ですか?」
無視。
…わかったよ、連れて行きゃあいいんでしょ、連れていきゃあ…
でっかい溜息を一つ吐いて、弥月は彼に前もって説明してもらうことを諦めた。
***
沖田side
監察方の借家だという建物の上がり口に腰をかけて、それが仕上がるのを待つ。
そして四半時ぶりくらいに、それを始めてから無言だった弥月君が言葉を発した。
「そういえば、聞きましたよ」
その声がこちらを向いているのに気付いて、僕は反射的に彼女を振り返った。
すると、弥月君も作業の手を止めて、首だけでこちらを振り返っていて。紅をさした彼女の薄い唇は、綺麗な弧を描いている。
「猫、八木さんちで面倒みてくれてるそうですね。
子連れだったのはビックリしましたけど、沖田さんも協力してくれてるみたいで……ありがとうございます」
弥月君は二カッと白い歯を一瞬見せてから、わずかに「しまった」という顔になり、改めてはにかむように笑う。
彼女の淡い色の瞳は、まっすぐに自分を見ていて、なぜか僕の背がゾクリと粟立つ。そこから逸らせない視線に、心臓を鷲掴みにされたような気がした。
なんなのさ…
彼女が見慣れない髪色で、女装をしている事自体しっくりこないというのに、僕に『ありがとう』と言うなんて、もはや別人としか考えられない。
そんな弥月君らしき人物の視線がこちらを向いていることに意識が捕われて、落ち着かない気持ちになる。
ザワザワと波立つ心を、彼女に気付かせまいと、表情を消して、フイと顔を逸らした。
「ほんと…君、何様のつもり」
「…はいはい、今の言い方は私が悪かったです。『沖田さんが協力して下さってるみたいで』、千鶴ちゃんが喜んでましたよって言いたかっただけです」
僕の嫌味に対する、彼女のため息交じりの返答。
ほんの一時だけ和やかだった空気が一瞬で軋んだ。
「じゃあ、仕事の話をします。任務の詳細をお願いします」
すぐに彼女の声は事務的なものになる。ここにいる僕は話相手ではないかのように、彩ある調子が微塵もなくなってしまったことを不快に感じた。
ギシギシと軋むのは空気だけじゃなくて
「嫌なら嫌って言えば?」
「…はい?」
「僕も君と歩くなんて嫌だけどさ、嫌々一緒にいるのを上辺で取り繕われることほどムカつくことってないよね。どうせ後でぼくが居ない所で、グチグチ言う癖にさ」
言い終わってから、横目で彼女の気色を窺うと。
無表情からキョトンとして、それからみるみるうちに不機嫌な顔になっていく弥月君と睨みあう。
しばしの膠着状態の後、諦めたように先に視線を逸らしたのは彼女の方だった。
「相変わらず…」
弥月君はそう呟いてから、「ハアァァァ…」と恐ろしく長く深い溜息を吐いた。そして僕に背を向けて、タンタンと机替わりにしている木箱を何度か指で叩いてから、意を決したように、今度は身体ごと真っ直ぐにこちらを向く。
間違いなく険しい表情だけれど、怒っているわけではない様子で。
あぁ…うん、弥月君だ
ストンと腑に落ちたような感覚。
その表情は僕の知る彼女のものだった。
「誰が嫌って言ったんですか。確かに、沖田さんがそんな風だから、しょうもない話とかできないし、沖田さんが苛々してるの分かって、すっごく居辛いと思ったりもしますけどね。
でも、同じ空気を吸うのが無理ってほど憎いとか、同じ湯呑みは使えないほど気持ち悪いとか、そういう気持ちは私はないですから、仕事ぐらいは一緒にします。沖田さんがどんな理由で私を嫌いでも、正直今更ですから構わないですけど、子どもじゃないんですから、仕事だから仕方ないと割り切って下さい」
…こういう所、正論なのが嫌なんだよね
僕がそれに応えないのを承諾と受け取ったらしい彼女は、鼻息荒く続ける。
「さっ、仕事の話をしますよ!」
***