姓は「矢代」で固定
第九話 それぞれの一歩
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元治元年三月上旬
「猫だ」
屯所内にて、お猫様を発見しました。背が黄土色で、腹が白い毛の猫。
廊下を歩いていた時、何か目の端に動くものが映ったのに気が付いて、私がふと横を向くと、トコトコと中庭を通り過ぎる彼女と目が合った。すると途端に、彼女は私を凝視して固まってしまったから、私が少しでも動けば、脱兎のごとく逃げられるかと思ったのだけれど。
そのまま私が注視していても、しゃがんでみても、彼女は逃げずにそこに居る。そして徐に、彼女は私と同じように、チョコンとその場に腰を下ろした。
「え、え、逃げないの? ねえ、逃げないなら、ついでに触らせてくれたりする?」
めっちゃ触りたい
野良猫ちゃんも、飼い猫ちゃんも、いつも私が近づこうとすれば逃げてしまうのだ。だって猫だもの。
けれど、こちらの可愛らしい御猫様は、比較的人慣れしているようだから、餌で釣れるかもしれない。
「でも、そんな都合よく煮干しなんか持ってないよー…」
一瞬、勝手場に常備されている鰹節を思い出すが、取りに行ったところで、彼女はここで待っていてくれるわけではない。
猫ではなく、弥月が絶望して「うぅ」と唸り始めると。猫の方も餌をもらえるわけではないのだと理解したようで、スイッと向こうへ行ってしまう。
「あぁぁ、ごめんねぇ...また来てねぇ...」
どうやって今後、煮干しを携帯しておくか考えながら、彼女が長い尾を揺らしてどこかへ去りゆくのを見送る。弥月は名残惜しさに、彼女が見えなくなるまで、その場でしゃがんでいた。
***
「……んで。何がどうして、どうなったんですか」
最近の監察方はみんな、比較的気楽に過ごしていた。林さんと川島組、私と烝さん組で、それぞれ聞き込みや潜伏捜査をしているが、これといって目立った不穏な動きも見られず。
勿論、巡察組はそれなりに窃盗犯を捕まえて来たり、喧嘩を止めたりだとかはしているようだが。
寧ろ、私たちは隊内の平隊士の様子に注意しているよう命じられていた。山南さんの一件から、脱走者が増えることを危惧しているらしい。
そして外での任務の合間、数日ぶりに弥月が屯所に帰って来てみると。
なんだか幹部棟の方がバタバタと賑やかしいと思えば、『猫捜索隊』なるものが活動していた。
「それがなぁ、かくかくしかじかで…」
「…なるほど。それでお猫様をみんなで追いかけ回してる、と」
「まあ、そういうことだ」
しかも、土方さんを誤魔化すために派遣したのは、千鶴ちゃんと平助という、なんとも頼りない二人だと言うではないか。それはすぐにバレるに決まってるだろうて。
さっきまでいたらしい烝さんはいつの間にか消えたというから、影を薄くして体よく逃げるあたり流石だと思う。
そうして一同、再び千鶴の部屋で集まって、作戦会議をしていたらしいのだが。
真剣な表情で私に説明してくれた皆を、弥月は呆れた表情で見た。
「何やってんですか、いい大人が」
「んなこと言ったって、現実問題、猫に毎日のように飯掻っ攫われてるんだ。なんとかしなくちゃいけねぇだろ」
「まあそうですけど…」
間違ってはないが、なんだか間が抜けすぎていて納得できない。
洗濯物をめちゃくちゃにされたって言われたって、「洗濯バサミ作れよ」って思う。なんなら私が作ってやろうか。
うん。私も捕まえて懲らしめるとか反対だし、烝さん見習って、いい感じに逃―げよっと
「じゃあ、これから盗られた分のおかずは、君の分ってことで良いよね」
「ぅよーし、一刻も早く取っ捕まえましょう。さあ、サクサク探しますよ!」
沖田さんの一言で予定変更。
捕まえてどうするかは兎も角、屯所内にいたら、いつか彼らが殺生しかねないし、洗濯バサミの発明の方が時間がかかりそうだ。さくっと捕まえて、ポイと遠くに放ってきてもらうとかしよう。
状況としては、すでに屯所内は隅から隅まで歩いて探し、こんな所に住み着いているわけもないと気づき、網やら仕掛けやらを練り始めたところらしい。
んじゃま、それは任せた
弥月は一人聞き込みに出かける。
「あれっ、金ちゃんやん。久しぶり~」
「ちわっす、ユウ坊。あのさ、この辺で猫見んかった?」
「ねこ? そんなんよう見るけどなぁ…逃がしたん? どんなん?」
「茶色くて尻尾長いやつ。ご飯盗られて困っとるんよ」
「あ。それなら、三日くらい前にたぶん見たのとちゃうかな」
「ほんま!?」
「うん、たぶんな。なんか咥えて、そこの塀の上をスイスイーって歩いてたえ」
「どこ行ったかとか、どこから来てるか知らん?」
「知らんよ、屋根んとこ跳びはって見えんくなったもん。でもよう見かけるから、この辺に住んでるんとちゃう?」
「屋根、か…」
猫といえば、高いところ。
なるほど、そういえば屋根の上に逃げられたと、沖田さんも言っていた。
前川邸へ戻り、忍刀を使って塀へ上がり、そこから屋根へ移る。まだそれほど上手くなく、静かに出来ないが、そこはまぁご愛嬌。
「いてて…また膝打った」
患部をさすりながら立ち上がる。そして、カチャカチャと瓦を踏む音を立てながら、平部を慎重に素早く駆ける。
屋根瓦の歩き方は、最初に塀で練習したけれど、何回も瓦を割って、後から土方さんに怒られた。
ところで、以前は咎められると面倒なので使わなかったが、平助から逃げ回った折に、屯所の正しくない歩き方を熟知した。
床下、天井裏、屋根上。得意なのは床下で、今後移動しやすいように各所の畳の下の床板を、何枚か外しておいた。
そして、今日は瓦を割ることなく、勝手場の真上に着いて、そこに腰を下ろす。
「まぁ、気長に待ちますか。待ってたって通るとも限らないし」
***
「…とは、言ったものの……そんな、ねえ?」
やはりご縁があるのだろう。次の飯時前に再び目の前にいるのだ、当座の敵(かたき)。飯の敵。
でも可愛いから許すとか言ったら、ご飯抜きになる…
それも困る
「あのさ、鰹節とか煮干しなら、少しくらい譲ってあげるからさ……干物とか大物狙うの止めない? そんなさ、ハイリスク・ハイリターン狙う必要ないじゃん? 無難に行こうよ、無難に。時代は安定志向だよ」
どうしてそんなに落ち着いているのか。毛づくろいをする彼女に、思わず語りかける。
「ほら、猫って意外と色々食べるじゃん? うちの猫なんか、味噌汁ごはん食べてたよ。それで手を打たん?」
尿結石になるからおススメはできないけれど、キャットフードは無いし、魚を買ってあげる甲斐性もないから、それで勘弁してほしい。
おびき寄せるためにと渡されていた煮干しをちらつかせると、彼女はゆっくりと近付いてきたかと思えば、素早くそれを咥えて踵を返す。
「わ、ちょ、待って!」
慌てて手を伸ばすが、スルリと交わされて。
彼女が屋根から飛び降りようとした瞬間、
「あ! 居たぞ!!」
真下から大きな声が上がって、彼女が身体を跳ねさせた。それと同時に彼女がそのまま落ち行くのを、弥月は目にする。
だから弥月は気付けば、腕を伸ばして瓦を蹴っていた。腕の中に猫を閉じ込めて、宙を飛んだ。
ズザザザッドッ
「はっ、え!?」
「弥月!?」
「弥月さん!?」
転がりながら塀に突っ込んだ弥月は、硬くしていた体から力を抜いた。
「――たぁ…」
「大丈夫ですか!?」
「猫が降りて来るかと思ったら、なんでお前が落ちてくんだよ!?」
「いや、思わず…」
そう。後から考えれば、相手は猫だから、屯所の屋根から落ちたところで、クルリと回ってどうってことないのだろう。
けれど、彼女が平助の大声に不意に驚いて、落ちてしまうところを見たら、思わず飛び出していたのだから仕方ない。
顔を向けると、平助、千鶴ちゃん、新八さんがいて。そして、騒ぎを聞きつけたらしい沖田さんがこちらへ来ていた。
「まあ、なんにせよお手柄だな、弥月」
しっかりと腕に収まっていた猫を、指さして永倉は笑う。
そして、猫も驚き呆然としていたところから正気に戻ったのか、ジタバタと弥月の腕から抜け出そうとし始めていた。それをすかさず、沖田が襟首をもって掴みあげる。
「ミギャッ」
「さて、それじゃあこれは土方さんに見つかる前に」
「――っ沖田さん!そんな持ち方駄目です!」
突然、千鶴が声を荒げたことに、皆がギョッとした。
そうして皆が唖然としている間に、沖田から猫をとりあげた千鶴は、興奮する猫の頭を優しく撫でる。すると、猫の方も千鶴ならば害が無いと察したのか、ゴロゴロと彼女の腕の中で喉を鳴らした。
「猫は弱い生き物なんです! そんな乱暴に扱ったら可哀想です!!」
「ご、ごめんなさい…」
!? 沖田さんが素直に謝った…
思わず彼を凝視する。今日、雪でも降るんじゃないだろうか。
その視線に気づいたらしい彼に、ムスッとした顔で「なに」と問われたので、笑顔で「いえ、何でも~」と誤魔化す。
すごいな、千鶴ちゃん……控え目なのに、人に有無を言わせぬ何かを持ってる
「あ、すみません。どうぞ!」
そして彼女は我に返ったのか、沖田さんに抱えていたそれを差し出す。
「え?」
「ここを持ってください。脇の下を抱えて……そうです。あと、反対でお尻を支えてあげて…」
「こ、こう?」
「体にくっつけてあげると安定しますから…」
千鶴に当然のように猫を渡されて、オロオロと狼狽えながら抱え直す沖田に、弥月は笑いがこみあげるが、あからさまにすると怒るだろうからと、含み笑い顔で我慢する。
「ミャァオ」
「…で、これどうすればいいの」
とりあえず、沖田の試行錯誤の末、猫は彼の手の中で落ち着いたらしい。
しかし、持つ方は慣れないのだろう。冷静を装ってはいるようだが、未だ見たことがない困り顔で、皆を見渡した。
「ハハッ…案外落ち着いてるから、そのまま飼っちまえばいいんじゃねえの」
やはり沖田さんの様子が物珍しくて可笑しいようで、新八さんがそう笑ったが、沖田さんは「冗談でしょ」と。
それでも、さっきまで斬り殺しかねなかった沖田さんの殺(や)る気は削がれたらしい。溜息を吐きながら「参ったなぁ」なんて溢して。
ちょっと意外だなんて思いながら、弥月は沖田へ笑いかけた。
「ご近所で飼ってくれなさそうなら、ちょっと遠くに放してきてください」
「なんで僕が…」
「抱き心地良いでしょ? 抱かせてくれる猫って珍しいから役得ですよ」
持ってるのが嫌なら、とっくに他の誰かに渡してるはずだと思って、そう言えば。
少しだけ不満そうな顔をしながらも、彼は「八木さんとこ行ってくる」と私達に背を向けた。