姓は「矢代」で固定
第九話 それぞれの一歩
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元治元年三月初旬
私の明らかなる、自慢できる、千鶴ちゃんへの貢献度を話しても良いだろうか。
最近そればっかりだが、監視しかすることが無いのだから許してほしい。
「弥月さん、そっちのお鍋の大根に火が通ったら、出汁を大匙三くらいこっちで使うので避けておいて、残りは火から下してワカメ入れて、お味噌溶いてください」
「了解です。千鶴先生、その次は?」
「先生は止めて下さいってば! お皿並べて、昨日の晩に漬けた蕪、切り分けてもらって良いですか?」
「はーい」
食事当番に、“矢代/雪村”という組み合わせが登場した。
私が千鶴ちゃんを屯所内で連れ回した、その日。
案の定、私の声は近藤さんや、山南さんの所まで届いていたらしい。当然、平隊士の間でも“あの博徒みたいな声は何だったのか”という、色々な噂が蔓延した。
当然、後日、噂を聞いたらしい土方さんに、事の詳細の説明を求められた。
『…てめぇは一体何がしたいんだ』
『土方さんが私にくれた、アレ! 同じやつください!』
『…なんのことだ?』
『土方さんへの夜這い許可! 勿論、私たちが夜這いする側だから、土方さんにしてみれば可愛い女の子が襲いに来てくれてラッキー……っうそ!嘘です、ゲンコツは嫌!
ちょっと屯所内うろうろするくらい良いじゃないっすか!ここまでくれば一緒ですよ!!』
『お前、なんでアレとずっと一纏めにされてるか、本当に分かってねぇのか?』
『そんなん私らが可愛いから、保管し、観賞し、愛でるために決まってるじゃ…痛いたいっ!!』
『てめぇはすぐそれだから信用なんねぇんだ!』
『え!じゃあ、さっきまで信用してくれてたんですか!? まじっすか!』
『ちったぁ黙れ!!――っ避けんじゃねぇ!』
『やっぷー』
そんなこんなで、私の監視付きではあるが、千鶴の屯所内での自由行動が暗黙の了解になってから。あれよあれよという間に、彼女は炊事に参加するようになった。
そうすると、これまでは独自の方法で調理をしていた当番組も、千鶴が参加することで、奇天烈な味を生み出すことはなくなった。それが最も千鶴が居てくれて良かったことだろう。
はあ、今日の煮物も美味い…至福
「矢代。食事の後、部屋に来い」
「ほひ、ろーはいえす」
食事中に土方さんに言われて。口の中の芋をモゴモゴさせながら返事をした。
なんだろ……千鶴ちゃんの方ももう人員要らないし、巡察か監察か、また駆り出されるかな
個別に呼び出される心当たりはなかったが、大方そのあたりだろうと検討をつける。
日がな一日、軟禁の監視役では体は鈍ってしまうが、血生臭い所に出て行かなくてよいのが、何よりもありがたかった。
だがもうそろそろ、そうは問屋が卸さないだろう。
千鶴ちゃんと食器の片づけをした後、一目散に彼の部屋に向かう。
バタバタバタ
「入りま――すっ!」
高らかに宣言して、障子を開けた。
土方さんは珍しく仕事しておらず、腕を組んで、私を待っていたらしい。
なら、座布団ぐらい出しとけっつーの
態(わざ)とそういう気を回さないのだろう。腹が立つので、部屋の端にあったそれを三枚掴んで、重ねて座ってやる。
その私の所業を目にして、わずかに彼の目尻が動いたが、特に言及はしてこなかった。そしていきなり本題に入るらしい。
「山南さんの腕の具合はどうなんだ?」
「…? この前、私たちが稽古してるの見に来てましたよね? バレてましたけど。めっちゃこっそりなのに、バレてましたけど」
「うるせぇ。質問に答えやがれ」
近藤さんや斎藤さんみたいに、堂々と混ざれば良いのに…と、皆で笑っていたとまでは言わないでおいた。
「まだ二ッ月ですからね。まあ知っての通り、日常生活はそれなりですけど…」
「完全に治るのか?」
「分かりません。私は医師でもなければ、本人でもないんですから。本人に聞けばいいじゃないですか、具合はどうだ?って」
「訊いたんだよ。けどな、『大丈夫、良くなってます』としか言わねえんだよ」
「なら、良いじゃないですか。少しずつ良くなってるんですよ」
「…お前、本当にそう思うのか?」
「……」
思ってない
「なんでもいい。近くで見てる奴の見立てがほしい」
『誰にも言わないで下さいね』
山南さんはいつも何食わぬ顔で茶碗を持っているが、左の掌半分ほどは感覚がないそうだ。親指にも力が入りにくいと言う。
二ケ月経っても、何も変わらない。
怖いから、誰も言わないだけ、訊かないだけ
「矢代…」
「治らないなら、どうだって言うんですか…」
「…治す方法を探すしかねぇだろ」
「…それが見つからないとき、どうするんですか」
「見つかるまで、探すんだよ。絶対に諦めねぇ」
弥月はギュッと拳を握り、下唇を食む。
「…ずっと諦めないんですか?」
「当然だろ。探すのを諦めたら、治るもんも治らねぇ」
「――っ違います!治らなくても…!」
怖くて、言えなかった
「それを受け入れて生きていくしかないんです」
治ると信じて、それを口にして……いつまで彼を……彼が自分を誤魔化せるだろうか
「方法は探したらいいです。可能性は私だって欲しい。だから今、少しでも良くなってほしくて頑張ってます」
誰も治らないことを口にできなくて。
でも、治らないことに、苦悩し、気を揉み、苛まれ続けなければならないのか。
彼が
私が
みんなが
「方法がないとき、治らないとき、一番がっかりするのは山南さんです。そうなった時の山南さんを、受け入れられないようなこと言わないで下さい…」
大切なものを失ったって、彼が前を向いて生きられるように……彼も、私たちも足りないことを受け入れて、新しい生き方を探していきたい。
それは諦めるんじゃなくて、今の彼を大切にしていくことだから。
「彼はあの手で、ずっと生きていくんです」
私は酷いことを言う……努力が、祈りが実らないと。諦めろ、と
抱えた自身の腕に、爪が食い込んだ。叫ばないように、きちんと話せるように。
目を閉じて、頭だけ垂れて、「すみません」と呟く。自分にできることは、これ以上ないのだと言った。
「…もし」
土方さんの返答がそこで途切れる。
顔を上げて彼を見ると、彼も膝の拳を強く握っていた。そして、彼の眼は怪しげに煌々と輝いて、私をじっと見る。
「治る方法があれば……お前は協力するか?」
***
土方side
矢代は決して口にはしなかったが、完全に治す方法は無いと嘆いた。
けれど
「もし……治る方法があれば…」
思わず口にした。ここにはその可能性があるのを知っていたから。
それを使うことが、山南さんにとって必ずしも正解だとは思えないが、まだその可能性を秘めている。
「…お前は協力するか?」
矢代は眉を顰めて、意味が分からないと云う顔をする。
こいつが間者として送り込まれた者である可能性は、もうほとんどないと踏んでいる。
けれど、医学にも多少知識を持つという矢代は、このまま山南さんの近くに居続けると、“アレ”に疑問を持つだろう。
…いや、こいつのことだ。一度はもう考えているはずだ
山南さんが研究しているものはいったい何か、と。
できるだけ危険を遠ざける矢代は、蔵とそれに併設する小屋の存在には関わろうとしない。
けれど、山南さんの状況が変わり、妙に鋭いところのある矢代なら、何かに気付くかもしれない。もしくは誰かが口を滑らせるかもしれない。
ならば先手を打って様子をみるのが、俺のやり方だ
「…できることなら協力したいですけど、私、基本的に家に帰りたいので。即死必須みたいな無茶な事はしませんよ」
「いや……まず聞きたいことがある。これだけは真面目に答えろ」
「私いつでも割と真面目ですけど」
「…お前のいた未来に、不死……瞬く間に傷が治る薬みたいな物は存在するか?」
俺の質問はよほど予想外の事だったらしい。
彼はキョトンとした後、腕を組んで少し考え、さらに視線を明後日の方にして首を捻ってから、「ん?」と声をだした。
「…すみません。ちょっと意味が分からないというか……え、ポーション的な?」
「そのままの意味だ。斬れた皮膚がすぐにくっつくだとか」
「iPS細胞でも無理だとは思いますけど…塗り薬とかですか?」
「内服薬だ」
「え、石田散薬?」
「…もう少しはマシだ」
「石田散薬より少しマシ程度の薬なら、もはや、ちゃんと飯食って寝るだけで万能薬です。オロナインは魔法の薬」
「…本物の万能薬だ。服用した瞬間に、傷が治る」
「ふむ。仙豆系かぁ……流石にそれは150年じゃどうにもというか、1000年経っても無理っしょというか…」
石田散薬の効能と、よく分からない言葉は置いとくとして。変若水に類似するものは「無い」のだろう。
実用化できるほどの、改良は望めねぇってことか…
「え、もしかしてそんなもんあると思ってるんですか? もしや石田散薬の応用でなんとかなると思ってるんですか」
「…それ以上、石田散薬については言うな」
「了解っす。でも、それが山南さんが研究してる薬ってことですか?」
「…知ってたのか」
些か俺が驚いて聞き返すと、矢代はへらりと笑ってパタパタと手を振った。
「いや、まぁ、あそこで薬作ってるってことは知ってました。色々彼の本読みましたし。でも、まさかそんな夢みたいな薬とは思いも……ねぇ?錬金術師とかでもないのに…」
「そうかもな…」
「山南さんには言ってありますけど、解剖学程度なら兎も角、薬学は全く知識ないので、なにも手伝えませんよ」
「そうか……知識があるかないかは別として、それを手伝う気は全くねえか?」
「うーん…事によっちゃ手伝っても構わないですけど……正直言って、そんな薬絶対にできませんから、意味のないことしてる時間は勿体ないと思っちゃいますよね」
「…そりゃそうだな」
「まあ、薬学所の写経くらいは、治療の参考になるので手伝いますよ」
なるほど。そこまで知ってて、矢代が山南さんの研究室に近づかないとすれば、山南さんがこいつを“白”と考えていた線にも納得できた。
「分かった、下がれ」
「……何が分かったのか知りませんけど」
いつもなら命令されれば、さっさと退室する矢代が、溜息を吐いて、ジトッとした目で俺を見る。
おそらく最初に、俺に偉そうに説教垂れたことを念押ししたいのだろうが……んなこと、てめぇみたいな童(わっぱ)に言われるまでもない。
しかし、真顔だった矢代は、不意にニヤリとあくどい笑みを浮かべた。そして今度こそサッと立ち上がる。
「ホントしっかりして下さいよ、副長。
胃の痛い勝っちゃんが、またトシのてっぺんが禿げるんじゃないかって、副長のこと心配してますから」
「――っなんで知って…!」
「一緒に混ざればいいんですよ、稽古。気ぃ遣いで神経質な鬼副長!」
「あっ!こら待て!!…おい、閉めてけ!」
今度は俺が止める間もなく、矢代は障子を開けっぱなしで走って逃げた。
立って自分で障子を閉めながら、土方はひとつ溜息を吐く。
――ったく、近藤さんも余計なこと教えんなよな…
完全に、近藤さんは矢代を信頼しているようだった。そうじゃなくても、そういうくだらない話をするだろうが。
大坂での事件の時、山南さんと三人で背を預けあって、気付いたことがある。それは、彼が“護ることにただ必死だ”ということ。そして余裕のない顔で人を殺すということ。
会ったばかりの頃は『誰も殺したくない』と泣いていた。
けれど、矢代と本気で殺気を向け合った時、彼の眼に俺が映っていなかったから、口ではどう言っても、本当はきっとそういう顔で……自分には関係ないものとして、仕方ないことだと、冷えた目で人を殺すのだと思っていた。
それが本性か、変わったのか…
疑問にも思うが、真実はどちらもだと、何となく分かっていた。
少なからず、彼は新選組の一員としての意識があり、山南さんや近藤さんに情がある。
勝っちゃんほど人誑(たら)しな人間はそうそう居ないからな
もし矢代が自分の命を守るためだけでなく、山南さんや近藤さんために命を張れるならば、危険な任務も任せられる優秀な人材だ。
多少の欠陥ぶりも、本人が自覚してさえいれば、体裁くらいはどうにかなる……かは、ちょっと怪しいが。
「このまま監察に置いとくか」
山南さんが俺に気を遣わなくて良いように、総長補佐のままにしておくか迷っていたのだが。使い方さえ工夫すれば、使い勝手の良い駒であることは間違いない。
平隊士とは一線隔した彼の立場も、すでに固まっている。
ん? 適度に転がしてきたつもりだったが、実はあいつの掌にいるのか?
そう改めて思い、ふと気付く。
故狸ジジイとの化かし合いが、子狐とのそれに替わったようで、少し笑えた。