姓は「矢代」で固定
第九話 それぞれの一歩
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文久四年二月中旬
長く目隠しをしていると、自分が真っ直ぐ立っているのかさえ怪しく感じる。
最初は人が動く空気の流れを感じとれていたのだけれど、それは段々と薄れ、遂にその人の気配さえ分からなくなった。そうなってしまってから、かなり長い時間経った気がする。
極限まで気を張り廻らせなければ、音から距離を測ることもできない。自分の息さえも耳障りに感じた。
ヒュッ
「――っ」
カンッ
――当たった!
「…遅いですね。相手が本気ならば斬られています」
「はい…」
わざとゆっくりと振り下ろしたということだろう。厳しい批評にコクリと頷いた。
そして、未だにドキドキとしている心臓を落ち着けながら、腰に木刀を差し直す。
「もう一本、お願いします」
***
「集中力が足りませんね。途中からおざなりになっているのが、見ていて分かりました。それに何度も、私が前に居るか、横に居るか、見失っていたでしょう」
「うぅ……どうやって足音消してるんですか…」
「それが分からないようなら、まだまだ修行不足ですね」
これでも夜間の暗闇での稽古は何度もこなしてきたし、多少は自信があったのだけれど。
「…山南さん、きっと暗殺とか向いてますよ。必殺仕事人とか」
「ありがとうございます。貴女にはそれを仕込む必要がありそうですね」
「わお。もはやお決まりの鬼のスパルタ指導の予感…!」
最近、昼間に壬生寺で、山南さんと一緒に剣を振るのが、私の日課である。
『山南さん、リハビリしましょう』
山南さんがいつまでも患肢を吊っていることに気付いたのは、私が広間で食事をするようになってからすぐの事。
傷の癒合具合は、千鶴ちゃん曰く順調らしい。
帰京後、烝さんは患部を毎日水で洗って清潔にし、焼酎をかけ、私の銃創に使った薬から菜種油などで改良した軟膏を付けていたそうだ。
いつそんな薬の改良してる暇があったのか、烝さんに是非問いたい。
『傷口がくっつくまでは動かさないようにと、医者から言われていますが…』
『関節が固まってからじゃ時間がかかります。この際、傷口が裂けなきゃいいです。今すぐ動かします』
正直、動かすことが最良の選択かは分からないが、動かさないことが良いとも思えない。傷にほど近い肘は兎も角、指先や肩は積極的に使っていくべきだろう。
山南さんが痛みに強いのは、私もよく知っている。
他動的にでも動かすと、無言のまま苦悶様表情を浮かべたが、無理を押しても、動かした方が良い事を切に説いた。
しかし、それだけだと面白くもない。
彼は怪我して以降、私と同じく、全体稽古に参加していなかったことも知っていた。なので、肘を動かすことに慣れてきた頃、
『ついでに、私の稽古に付き合って下さい』
『それは…どちらが主な目的なのでしょうか』
『一石二鳥ってやつです』
『…本当にちゃっかりしてるというか、図々しいというか…』
『それ、どっちにしろ褒めてませんよね!』
という、会話をしながら木刀を渡したのだ。
今では、ゆっくりとならば両手で素振りもできるようになっている。
そして二人が立ったまま休憩していると、ゴーンと、昼七つの鐘の音が聞こえはじめた。
「さ。もう今日はこれくらいにしておきましょうか」
「ですね。ご飯に遅れると、煩い人達がいますし」
「遅れなくても喧しいですけれどね」
「ほんとに。…おーい!おまたせ、帰るよー!」
「はーい!」
千鶴はポンッと向拝階段から降りて、笑顔で二人の元へ駆け寄る。
「雪村君、いつも寒い所でお待たせしてすみません」
「いいえ、見てるの楽しいですから!それに、包帯の交換もお手伝いさせてください!」
「ありがとうございます」
二人が微笑みながら話すのを、弥月はニコニコと見守る。
まさか、一石三鳥になるとはね
私が山南さんと壬生寺へ行くことは不問だとしても、千鶴ちゃんを同伴させることを、土方さんがあっさりと許可するとは、夢にも思わなかった。
当然、他の隊士たちの目に、以前よりも留まることが多くはなったが、近くに山南さんの眼鏡……目が光っているせいか、あまり誰も寄ってこない。
包帯の交換は、最初は山崎から弥月が引き継いだのだが、興味をもった千鶴に委ねたところ、弥月より圧倒的に手際がよかったので、そのままそれが彼女の仕事になった。
山崎は専ら監察の仕事をしているが、時折その四人で医学について談義するのが、弥月らの楽しみの一つとなっていて。そのためいつの間にか、千鶴の部屋には医学書が積まれるようになっていた。
そんなこんなで、千鶴ちゃんは“できること”が増えたからか、嬉しそうなのである。
これなら、あれも上手くいくかな…
その作戦がある意味では、危険なことだとは重々知っていたが、今一歩、弥月は彼女のためにできることを模索していた。
山南と千鶴の後につづく弥月は、誰知らず不敵な笑みを浮かべた。