姓は「矢代」で固定
第二話 はじめてのお仕事
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文久三年九月三十日
「……」
モゾモゾ
「…………」
モゾモゾ
「………………さむっ」
まだ九月末だが、あと一月半後には冬至らしい。
京を囲む山々も赤や黄に美しく色付き、早いものはその葉を散らして豊かな土へ返ろうとしていた。
道端や庭に降り積もったそれを踏み歩くと、サクサクと音がして楽しい。これで焼いた芋を食べたい。
そういうわけで、秋も半ばにやってきたようだ。
「百三十八、百三十九」
江戸時代の人間の朝は早かった。最近は夜明けより早く起きる者も増えてきていた。
「百五十六、百五十七」
まあ、それは大して問題ない。
家でも6時頃に起きて、兄と一緒にランニングと素振りをするのが日課だったから。
問題は、
「矢代、当番だが…」
「げ」
木刀を振っていた手が止まる。
濡れ縁から声をかけてきた斎藤は、溜め息をついて「わざとか?」と溢した。
うん、まあ半分は
「あはは、でも斎藤さんが一緒なら何とかなるかもー…」
「疲れているなら、構わんと言ったが」
「ああ、そういう事じゃなく、お察しの通りなのであははー…」
少し呆れたような顔の斎藤に、へらりと笑って見せる。
素振りで温かくなった身体から、「ほう」と温かい息を吐きながら、弥月は斎藤の後に続いた。
***
当番とは“飯炊き当番”のことで、ついに私も当番制に組み込まれていた。……といっても、主に補助。
斎藤・沖田組の朝餉と、藤堂・原田組の時を任されている。
前者がなぜ朝のみかは言わずもがな。ほぼ一人でやっていた斎藤への土方の配慮だ。
今日は斎藤さんと三日目。
斎藤さんは料理上手である。
今も素晴らしい速度と手捌きで芋を剥いている。才色兼備とはこのことか。…いや、あれは女性に使う言葉だったろうか。全然使えるけど。
ちらと横目でそれを確認しながら、綺麗に剥かれていく芋を見る。
あぁ、私も早くああなりたい……いや、芋の方ではなくて
私は全く料理ができない。
弁明するならば、正確には料理をしたことがない。台所に立つといえば、バレンタインの時に焼菓子を、本と睨めっこしながら作るくらいのものだ。
それに加えて、この時代の調理場に慣れることがなかなか難しい。初日は竈の火を興したことがないことに、心底驚かれた。
いやいや、令和っ子にそれは無理。なんだ、あの地味に高度な作業
内心でツッコミを入れながら、最近やっと様になってきた人参の皮むきの手を止めて、首を左右に振る。何事もボタン一つの電子音が懐かしい。
「…矢代、鍋」
「あ、はい」
危ない……また小松菜を原型も残らないくらい、デロデロにするところだった。
菜箸でつついて茎の固さを確認する。
「ゆだりました」
湯から上げた小松菜を、甕から出しておいた水で冷やす。 火加減さえ何とかなれば、このくらいは出来るようになった。斎藤さんのお許しも出た。
うん、良い色!
満足げに頷いた後、まな板の前に真剣な面持ちでしゃがむ。
左手は猫の手。右手の刀は押すのではなく、引く。
掲げた両の手を構えたその時、ドタドタッと軽快な足音がした。その姿を見るまでもなく、その長い尻尾が揺れているのを想像する。
「おはよー!朝飯……って、そうだ今日は弥月だった…」
「何が言いたいのかな、平助」
弥月が包丁を持ったまま、それはそれは良い笑顔で振り向くと。流石、刃物にこだわりのある集団だ。よく研がれた出刃包丁がキランと光る。
平助は「なんでもありません!」と言いながら走り去った。
それとちょうど入れ違いに、ひょいと顔を出したのは、この寒空にまださらし一枚で過ごしている赤髪のイケメン。
「お、そうか今朝も斎藤と弥月か」
「おはようございます、左之さん」
「おはようさん」
早朝稽古をしていた彼の首には、爽やかな汗がキラキラと輝いていた。もう一人の筋肉男なら、『暑苦しい』と表現したくなるこの差。
因みに、強制参加の朝稽古は朝餉の後にあるから、決してサボっているわけではない。
「なるほどなー。道理で平助の顔が変だったわけだ」
「……道理でとは、どういうことですかね?」
弥月が包丁から手を離して、ニコッと小首を傾げてみせる。
しかし、左之助も左之助で「しまった」という間があったものの、その笑顔を崩さなかった。
「ハハ……朝飯、期待してるわ」
そう言って背を向ける彼に、弥月は後ろから声をかけた。
「ありがとうございます、左之さんの膳だけ、私が仕上げときますね?」
「嘘だろ!?」
「左之さん」
彼は「冗談だ、冗談」と言いながら、今度こそ笑って去ったが、歩幅が先ほどより大きいのは気のせいではないはず。
「敵前逃亡。あいつら切腹な」
「ふっ」
………ふ?
横を見ると斎藤さんの背中。
「……今、笑いました?」
「…」
お湯はクツクツといっている。
「ねぇ、斎藤さん」
「……」
つかつかと寄っていって、彼の顔をじっと見ると、額にじんわりと玉の汗が浮かんでいた。熱気が籠もるなら、その襟巻き取ればいいのに。
小芋と人参が煮えてきた鍋を、彼は無表情に見つめながらクルクルとかき回す。それは煮っ転がしのための食材のはず。
それ、かき回す必要ないですよね?
「…笑いましたね」
「…」
「笑いましたよね」
「……」
「斎藤さん」
「………………あぁ」
――っ!
「やったあぁぁぁ!!」
「!!?」
バッと諸手を上げて、狂喜乱舞。
斎藤が驚きに目を見開いて「なにゆえ!?」と慌てて言うが、弥月はそれどころではない。
今度はグッと拳をにぎった。
「新八さん、新八さん! 斎藤さんの笑いをゲットしました!!!
小さな微笑みですが、これは大きな進歩です!今、その歴史的瞬間を私の目は捉えました!!」
この場にいない永倉に向かって力一杯報告する。
本当は駆け出したいが、この場を放り出そうものなら、後で斎藤に叱られることは目に見えている。巡察中、脇道に気を取られて何度叱られたことか。
「嬉しい!どうしよ!ありがとうございます、斎藤さん!!」
すばやく斎藤の両手をとって、ブンブンと上下に振ると、彼の握っていた菜箸から湯が飛んだ。
「ほんとよかった、嬉しいです!ありがとうございます!ありがとうございます!」
どこかの議員さながら、迷惑考えず「ありがとうございます」と繰り返す弥月に対して。困惑したままの斎藤は、大人しく両手を振られながら「なにゆえ…」と力無く呟く。
弥月が思う存分振ってから手を離すと、斎藤はいそいそと襟巻きで口元を隠した。
そのまま軽やかな足どりで、弥月が持ち場に戻り、ふんふんと鼻歌を歌いながら軽快に小松菜を切り刻む。
そして人数分皿によそい始めるころに、
「な…なにゆえ、やったぁなのだ…」
やっとのことで斎藤が再度疑問を投げた。
弥月は器を片手に、にやけ顔で振り返る。
襟巻に半分顔をうずめながら、こちらを見上げる彼の眉は、ハの字に下がっていてなんだか可愛らしい。
「それはですねー 、斎藤さんが私のに」
「おーい、弥月。絶叫が屯所中に響いてっから、意味不明な言葉使うなって土方さんが怒ってるぞ?」
「あ、新八さん!聴いて!斎藤さんがっ」
「だから聞こえたっての。よかったじゃねぇか、弥月」
「はい!!」
次に顔を出したのは永倉で。歯をむき出してニカッと笑う弥月の頭をわしわしと撫でた。
それから弥月は斎藤に説明の途中だったことを思い出して、パッと彼の方を向く。
「あのですね、この前、斎藤さんが平助と同い年だって聞いたんですけど、よくよく考えてみれば、私と一つ違いだって気づいて!
あ、私、数え歳だと十九やったんですけどね!」
年齢に関しては、幹部の若手三人が同い年という話に、思わず首を傾げたのだが。そうなのならそうなのだろう。苦労した分だけ、人は歳を取りやすいと思う。
「それやったら、何や、じゃあ笑いのツボ同じかもって思いまして! 箸じゃなくても転げたら面白いと思ってくれるんちゃうかって思ってですね!
やのに斎藤さん、私が真面目にしてたら、嬉しゅうて笑うてくれる時はあるんやけど、可笑しいから笑ういうのを見かけへんくてですね!
この前、新八さんに相談したら、そないあらへんからよう見とけって言われて! もっと斎藤さんの観察しよう思うたところで、原田隊に組み替えされてしもうて。なんでやの!って思うとったんです!!」
こうなったら、止める人がこの場にはいない。永倉はうんうんと微笑ましい様子で見守っているし、斎藤が口を挟むなどあるはずもなく。
弥月はそう身長の違わない斎藤の目の前に、期待の籠った眼差しで詰め寄る。
「――ってことで、可笑しなこと見つけたら、とりあえず斎藤はんに振ってもええですか!?」
ニコニコとする弥月。
何と返事して良いか分からない、といった顔の斎藤。
「…」
「…」
「……」
「……」
あれー……駄目だったー…?
あまりの温度差に、弥月が「気安くし過ぎたか」と心配になり始めた頃、その膠着状態に、助け舟とばかりに言ったのは永倉で。
「諦めろ、斎藤。仲良きことは美しきかな、だぜ?」
「…! うんうん、諦めましょう斎藤さん!面白いことは共有してこそ仲間!!」
「そうだ。何なら平助みたいに、お互い下の名前で呼べば良いんじゃねえか?」
「それは駄目! 斎藤さんは斎藤さん! お師匠様、いえ、お母様とお呼びしても良いくらいです!!」
そこは要らぬ提案をする新八さんに、キッと顔を向ける。
斎藤さんには料理の指導から、剣の稽古、赤ペン先生までしてもらっていて、「友達感覚」などと恐れ多い。
新八さんに「すっかり斎藤組の奴らと同化しちまったな…」と、気の毒そうな顔を向けられたが、全然可哀想なんかじゃないから止めて欲しい。喜んで「お母様」とお呼びする。
「…で、駄目でしたか…?」
再度振り返り、問う。
嫌われてはいないと思うが、たぶん引かれている。
眉を寄せて思案顔なのがそれを語っていて……もはやこんなくだらない事で、彼を考えさせていることが申し訳なくなってきた。
ダメ…ですよねー…
やっぱり自分から取下げようと思った時、斎藤さんは無表情のまま言った。
「そうだな」
「あぁぁぁぁ!そうですよね、駄目に決まってますよねすみません!
この軽口が勝手に気安くし過ぎました!身分不相応な口で、芋もまともに剥けないのに、口ばっかり動いてすいませんんん!!
空気読めない、人懐こい通り越してウザい人間ですいあっせんっしたぁ!!」
土下座。
いや、まじで空気読めなくてすみません、隊長。左之さんところで勉強してきます…
…あれ? 実は斎藤さんに放り出された? え、まじで? 普通に泣ける…
たぶんこの一月、このノリで過ごしてきたのだが。本当に嫌がられているとは思っていなかった。うわ、どうしよ。
しかし、ちゃんと小松菜だけは頭上に確保した。ここで怒られたら立ち直れない。
「そ、そうではなく!構わんと言っている!!」
「え!? まじですか!?」
「あぁ」
パッと顔だけを上げて見ると、彼は小松菜を私の手から受け取った。
見上げる私にその器の向こうで、彼は大きく頷く。
押され負けたとでも言いたげに、先ほどから変わらぬ困り顔ではあったが、目を緩く細めて、口の端を上げて。
弥月は驚き、目を見開く。
なんと自分の中で表現して良いか分からず、息を飲んだ。
彼の表情は、紫紺色の花の蕾が花弁を綻ばせたように美しく、時々彼が親しい者に見せる顔だと知っていて。
その視線が自分に向いていることを不思議に感じた。
巡察や稽古では決して見せない、温かい眼差しと緩められた頬。
いつもは見えにくい温かさが、そこに形として存在している。
完全に動作が停止していた弥月に、永倉が「どうした?」と問いかけたことで、慌てて立ち上がる。
なんとも言えない、面映ゆい気持ちを心に秘めながら、斎藤さんから小松菜を受け取り、「ありがとうございます」と一言。
イケメンパワーに悩殺される所だったと、にやけ顔で皿に小分けに向ったのだが。
ふと、斎藤さんの不審な動きに気付いて、「どうかしました?」と振り返る。
「……あ」
朝の煮物は、芋が溶けきって人参が浮いた、謎の汁と化していた。