姓は「矢代」で固定
第八話 届かない距離
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文久四年一月二十三日
昨晩は数日ぶりに自室で横になった。
そして深く眠りについて、眼が覚めたら空が白んでいたことに驚き、存外すっきりしている自分に驚いた。食べて、眠って、回復するとは…我ながら、なんと単純なことか。
「今朝はここは使えん」
「…そうなんですか」
「境内を使うとしよう」
「…そうしましょうか」
いつもより半時ほど早く道場へ向かうと、何故か斎藤さんは戸の前に立っていた。斎藤さんが常よりも随分早起きなのはまあ良いとして、ものすごく不自然な会話をしたと思う。
もしかしたら壬生寺に何かあるのかと思ったが、移動した先で、本当に何もなくて拍子抜けしたまま、朝の稽古を皆より一足先に終えた。
そして朝餉の時間、千鶴ちゃんを迎えに来たのは斎藤さんだった。
「それじゃ、また四半時後にね」
「待て、矢代」
今日は少しは食べれるような気が……ん?
既に彼らに背を向けていた弥月は、振り返って斎藤を見る。すると、斎藤の瞳がほんのわずかだけ揺れたのを、弥月は目敏くみつけた。
なんか…緊張してる……?
「あんたにも話がある故、広間まで共にくるようにと言付かっている」
…!
一瞬だけ言葉に詰まって、唾液を飲み下してから返事をする。
「…そう、ですか」
なるほど、ね…
ついに山南さんの方から呼び出されたようだ。
かれこれ一週間前にはなるが、帰坂の翌日に山南さんを訪ねたら、ひとまず以前と同じように、千鶴ちゃんの見張りをしているように命じられた。詳しいことは後日、幹部全員で決定するからと。
「分かりました。言伝て、ありがとうございます」
千鶴が両手できちんと障子を閉めるのを待って、弥月 は二人の後に続いて歩く。
千鶴ちゃんが気遣ってか、チラリと後ろの私を振り替えったので、なんでもない風に小首を傾げて微笑んでみせた。
千鶴ちゃんがいる状況で呼んだことから察するに、恐らく、切腹などということはないだろうから、減俸などの騒ぎたてることもない処断に違いない。
けれど、山南さんの腕には代えられない……罰せられない罪があることを、私は心に刻んでおかなければならない。
たとえ皆が私を許してくれたとしても、私は自分を許せない…許してはいけないのだ。犯した罪の引け目をいつか忘れて、過去の事にしてしまわないように。
コンコン
「連れてきました」
斎藤が戸を開けると、すでにいつもの顔ぶれ全員が揃っているのを、弥月は斎藤の肩越しに確認する。
「えっ!?」
「おっ。来たな、千鶴はこっち。弥月はそっちな」
驚嘆の声をあげたのは平助。場所を指示したのは左之さん。
自然と、平助とは目を合わせないように、視線を動かした。
そっち…って…
斎藤さんは定位置なのだろう、滞りなく、上座の空いている座布団に腰を下ろす。
そっち…?
左之さんが私の席だと指したのは、紛れもなく「席」だった。平助と新八さんの間に、座布団が一つと、膳が一つ並べてある。
「おお、なるほど。弥月君か」
合点がいったとばかりに言う近藤さん。彼の左右に座る土方さんと山南さんは、最初だけ視線を私へ向けたものの、すぐに興味をなくしたかのように、正面へ向き直る。
…?
何か変だ。想ってたこの場の雰囲気と違う。
「なに突っ立ってんだ、座れよ」
左之さんが笑いながら言う。
「おう、ここ空いてるぜ~」
二カッと笑った新八さんが、右隣の座布団をポンポンと叩く。
「弥月さん、座りましょう」
真横にいた千鶴ちゃんが、いつの間にか半歩後ろに下がっていて、私は後ろから肩を押された。
「え、待っ、なっ」
「んなとこ突っ立ってられたら、飯食えねぇだろ。座れ」
縁(へり)を踏み越えるのをなんとか留まろうとした私へ、淡々とした声で、土方さんはそう言った。
そうして千鶴ちゃんに押しきられる形で、広間に足を踏み入れて、導かれるままに、指定された座布団へ腰を下ろす。
「それじゃあ、皆揃ったな。いただきます」
「「「いただきます」」」
近藤さんの音頭で皆が合掌するのを、唖然としながら見守る。
え
…
……んっ、と?
ど、どうすれば.……?
この状況を飲み込めていないのは、私だけということなのだろう。何もおかしな事は無いかのように、各々が箸をとり、食事を始めている。
私はいつも通り、皆の輪の真ん中に座るつもりだったのに、なぜ彼らと同じように並んで座っているのだろうか。
私が正座した膝の前にある、恐らく、私の分とおぼしき膳。
今日の献立は、あじの干物、ふろふき大根とほうれん草の辛子味噌添え、ごはんと味噌汁。
…うん、これはこれでいつも通り……いつも通りなんだけど…….
「えっと…あの、これは、一体ど」
「これやるよ」
ひとまず顔を上げて、この不可解な状況について誰かへ問うべくして、口を開きかけた時。視界の下で、隣の平助の腕が不自然に動いて、何をしたのかと思って、再び膳を見れば。
干物が二枚になってる
「弥月、体調悪ぃんだろ。全然稽古にも顔出さねぇしよ。ただでさえ細いんだから、ちゃんと飯食えよ」
……
当たり前のように、いつものように、普通に声をかけられた。
…何も言わないの?
平助が日々、私を捜し歩いていることは知っていた。屋根の上や、軒下で避けるのを初めとして、千鶴ちゃんの部屋の天井に隠れたり、彼が捜すのを諦めるまで後ろをついて回ってみたり。
最初は“未来を知っているのか”と、再び問い詰められるのが嫌だった。どうしても私には口を閉ざすことしかできないから。
けれど、何日かして、彼が悲しそうに顔を歪めた瞬間を見て……彼が本気で『疑うんじゃなくて信じたい』と……私へ願うように、乞うように言ったことを思い出した。
彼は本当はそういう人なんだと。彼はきっと私へ“疑ったこと”を謝罪をするだろうと。
だけど、『仲間だよな!?』と真偽を問う悲鳴は、私の耳にずっと残っていた。その不信感が彼の本音だと知っていた。謝られたくなかった。
そういう言い訳をして、私は彼から逃げ回りつづけた。
「弥月さ、前、オレから一本取ったままじゃん。勝ち逃げしてんなよな。お前が監察とかして道場来ない間に、オレ腕上げてんだからさ」
平助は自分の米茶碗に手を付けていた。
気にしていない風を装って話すものの、こちらを見ない彼の横顔は、どこか不満そうで。
どう声をかけて良いかは分からなかったけれど、私は逃げ回ったことを謝るべきだろう。
「あのさ、平助…」
「あっ、魚やるのは今日だけだからな! 特別だからな!」
そのとき、やっと平助がこちらを向く。半眼で私を睨みつける彼は、何故か泣きそうにも見えた。
「平助…ごめ」
「――あぁ、もう!!違うだろ!」
バシッと平助が自分の膝を叩いた音と、彼の箸が床に転げる音が鳴る。その音に、様子を耳で窺っていた皆が注目し、ハラハラとした気持ちで彼らを見守った。
そして考え込むように俯(うつむ)いた平助は、「いや」と一言溢し、そのまま呻るように声を出す。
「…いや、違うくはねぇんだけど……いや、そうじゃなくて……なんで言うかさ、そうじゃなくてさ…」
「落ち着け、平助」
そうなだめる声には出さなかったが、原田は訳知り顔で可笑しそうにする。
平助は自分の頭を鷲掴みにして、「ウ゛ウ゛ゥン」と何かを搾りだすように、身体を大きく捻る。
そして、「あっ!」と何か思いついたらしい瞬間に、バッと勢いよく居直り、弥月と顔を突き合わせた。
「今! オレ、魚分けただけじゃん! だから、弥月、何も謝ることなくね!?」
それは、どこか必死な顔だった。
目から鱗と言ったらよいのだろうか。弥月はパチパチと瞬きをして、彼の言いたい事を咀嚼しようと努める。
「う、ん……あ、りがとう?」
「…! いいって、気にすんな!」
彼は目を見開いた後、嬉しそうに、満面の笑みでニイッと笑った。
「そこの食い意地の張ったおじさんに盗られる前に、早く食っちまえ!」
「おい! そりゃ誰のことだ、平助!?」
「だーれも、新八さんのことだとは言ってないだろ!」
私越しに、新八さんから箸を向けられた平助は、ベッと舌を出す。
それから、また自分の膳に向かって、今度は揚々とした雰囲気で、味噌汁を掛けこみ始めた。
…
……
クルリと見渡すと、誰も私のことを見ていなかった。(千鶴ちゃんには慌てて顔を背けられたが。)
弥月は自分の膳をジッと見る。
「…いただきます」
手を合わせると同時に、ゆっくりと腰を折り、浅礼になる代わりに、長い時間、皆に頭を垂れた。