姓は「矢代」で固定
第八話 届かない距離
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***
今朝、千鶴が山南のために、別で手を加えた食事を運んだ。その後、彼女は一度落ち込んだ様子で広間へ戻ってきたのだが、すぐに山南自ら、広間で膳を並べて食事した。
そしてその日は昼も夕も、彼女が山南のいる所へ膳を運ぶと、彼は「あちらへ行きましょうか」と穏やかに言い、談話しながら一緒に広間へ来た。
そうして、ここ数日間、ひどく重苦しかった食事中の空気は晴れ、今この夕餉の時には、おかずの取り合いをする声が久しぶりに飛んでいた。
その喧騒を、今日ばかりは誰も不快には思わない。皆、最たる憂いが消え、平穏が返りつつあることを喜んだ。
しかし
「…どうしたんだい、雪村君? 難しい顔をして」
皆が淡い笑みを口元に浮かべる中、丁度、千鶴の正面に座っている井ノ上から、そんな声がかかった。
「あ、いえ…」
言いよどんだ千鶴の代わりに、原田は「俺が言う」と請け負う。
「千鶴は弥月のことが気にかかってるんだよな」
「弥月君がどうかしましたか?」
その名前に一番先に反応したのは、山南だった。
千鶴は思い過ごしかもしれないことを発言してもよいものか迷っていたので、斎藤へ視線を送るが、彼は首を一度左右に振る。
「雪村の話では、矢代があまり食事を摂っていないのではないかという見立てがあるため、確認すべき憂慮事項となっています」
「…なんかすごい大袈裟だね」
斎藤の報告に、沖田はうんざりとした風に呟くが、斎藤は全く意に介していない様子で話を続ける。
「本人はそれを指摘されると、『大丈夫』と言いつつ、『気をつける』と呟くなど、やや噛みあわないような返答をする始末でした」
「…今日は非番だったか」
土方が誰ともなしに言うと、原田が「そうなんだけどな」と応じた後、一つ溜息を溢す。
「屯所内にいるみたいなんだけどよ、あんまり誰とも関わってなくてな。どうにも飯時は特に、見かけた奴がいねえんだ」
「…オレなんか毎日何回も探し回ってるのに、姿形も見てねぇ」
「それは自業自得だろう」
藤堂が口をすぼめて言うのを、斎藤は冷やかな目で見る。
「ん? そんな事んなってたのか。でも俺は今朝、道場にいるの見たぜ。な、斎藤」
「あぁ。俺は一本交えた」
「はぁ!? オレも居たろ!?」
「平助が起きてきた時間には、既に消えていたということだ」
永倉と斎藤が今朝は早くから道場にいたから会ったが、矢代は彼らと少し打ち合うと早々に居なくなっていた。そしてやはり、それ以降、彼を日中見かけた者はいない。
「近藤さん、土方君、彼に外出許可を出しましたか?」
山南の質問に、二人はそれぞれ「いや…」と答え、顔を見合わせて訝し気な表情をするが、土方がふと思いついた様子で「そうだ」と言う。
「山崎なら知ってるんじゃねえか?」
「…申し訳ありません。今現在の居場所までは…」
「…そうか」
「…奴がいつも居る場所は知ってるのか?」
「え、今の誰もツッコまねぇの?」
「あぁ、いや…驚きすぎて、丁度いい時を見失ったというか…」
困惑する藤堂の声に答えた原田だけでなく、その場にいた殆ど全員が、顔を引き攣らせていた。千鶴だけは山崎の声の出所がわからず、ただ不思議そうにキョロキョロと見回していた。
土方はチラリと上に目線をやってから、眉間に皺を寄せて、前髪をかき上げる。
「…構わねえ。理由は後で聞くから、とりあえず、そのまま続けろ」
「承知しました。
彼の屯所内での移動方法については、俺が教えたので多少心当たりがありますが……酷く気落ちしているとは思っていましたが、まさか食事を疎かにしているとは思っもみなくて、今知ったところですので…」
「いや、俺も弥月に限って“まさか”だと思う」
「ホントにな。飯は“まさか”だわ」
頷きあう藤堂達をよそに、土方は考えるようにして言う。
「山崎……今、矢代は屯所内に居るのか?」
「恐らく…」
「でも、夜も部屋にいないよね」
沖田の指摘を受けるが、山崎は迷うことなく毅然として応えた。
「それは概ね、道場か、寺の方にいるようです」
「それな! 思ってたんだけど、いつ寝てんだ?」
「数日前に道場で寝てるところを見つけた島田君に聞いた話では、寝てはいるそうですが、寝れるまで寝れないので、気付いたらその辺で寝てるのだと話したそうです」
「…この時期にか。風邪をひく」
斎藤の不機嫌な声に、「そういう問題なの?」と沖田は思わず口を挟んだ。
しかし、近藤は困ったという風に、腕を組んで首を捻る。
「だがなぁ…それは一体どうしたものか…」
その不摂生の原因は言わずもがな…というよりも、皆が“なんとなく”察していたが、“なんとなく”口に出すのは憚(はばか)られた。
「…あの、明日から私が一緒に食事をしようと思ってて……前みたいに…そしたら、少しは…」
千鶴がおずおずとそう言うと、皆、ややホッとした表情になり、それに賛同しようとしたのだが。
唐突に、山南から発せられた「いえ」という声に、その空気は絶ちきられる。
「彼の居所については心当たりがあるので、山崎君、行ってみてもらえますか?」
「承知しました」
「とりあえずその前に準備をしましょうか……雪村君、お手数ですが、手を借りられますか?」
「え!? わ、私ですか!?」
不意に指名を受けた千鶴は大いに狼狽えるが、山南は「お願いします」といつも通りに微笑みを彼女へ向けた。
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今朝、千鶴が山南のために、別で手を加えた食事を運んだ。その後、彼女は一度落ち込んだ様子で広間へ戻ってきたのだが、すぐに山南自ら、広間で膳を並べて食事した。
そしてその日は昼も夕も、彼女が山南のいる所へ膳を運ぶと、彼は「あちらへ行きましょうか」と穏やかに言い、談話しながら一緒に広間へ来た。
そうして、ここ数日間、ひどく重苦しかった食事中の空気は晴れ、今この夕餉の時には、おかずの取り合いをする声が久しぶりに飛んでいた。
その喧騒を、今日ばかりは誰も不快には思わない。皆、最たる憂いが消え、平穏が返りつつあることを喜んだ。
しかし
「…どうしたんだい、雪村君? 難しい顔をして」
皆が淡い笑みを口元に浮かべる中、丁度、千鶴の正面に座っている井ノ上から、そんな声がかかった。
「あ、いえ…」
言いよどんだ千鶴の代わりに、原田は「俺が言う」と請け負う。
「千鶴は弥月のことが気にかかってるんだよな」
「弥月君がどうかしましたか?」
その名前に一番先に反応したのは、山南だった。
千鶴は思い過ごしかもしれないことを発言してもよいものか迷っていたので、斎藤へ視線を送るが、彼は首を一度左右に振る。
「雪村の話では、矢代があまり食事を摂っていないのではないかという見立てがあるため、確認すべき憂慮事項となっています」
「…なんかすごい大袈裟だね」
斎藤の報告に、沖田はうんざりとした風に呟くが、斎藤は全く意に介していない様子で話を続ける。
「本人はそれを指摘されると、『大丈夫』と言いつつ、『気をつける』と呟くなど、やや噛みあわないような返答をする始末でした」
「…今日は非番だったか」
土方が誰ともなしに言うと、原田が「そうなんだけどな」と応じた後、一つ溜息を溢す。
「屯所内にいるみたいなんだけどよ、あんまり誰とも関わってなくてな。どうにも飯時は特に、見かけた奴がいねえんだ」
「…オレなんか毎日何回も探し回ってるのに、姿形も見てねぇ」
「それは自業自得だろう」
藤堂が口をすぼめて言うのを、斎藤は冷やかな目で見る。
「ん? そんな事んなってたのか。でも俺は今朝、道場にいるの見たぜ。な、斎藤」
「あぁ。俺は一本交えた」
「はぁ!? オレも居たろ!?」
「平助が起きてきた時間には、既に消えていたということだ」
永倉と斎藤が今朝は早くから道場にいたから会ったが、矢代は彼らと少し打ち合うと早々に居なくなっていた。そしてやはり、それ以降、彼を日中見かけた者はいない。
「近藤さん、土方君、彼に外出許可を出しましたか?」
山南の質問に、二人はそれぞれ「いや…」と答え、顔を見合わせて訝し気な表情をするが、土方がふと思いついた様子で「そうだ」と言う。
「山崎なら知ってるんじゃねえか?」
「…申し訳ありません。今現在の居場所までは…」
「…そうか」
「…奴がいつも居る場所は知ってるのか?」
「え、今の誰もツッコまねぇの?」
「あぁ、いや…驚きすぎて、丁度いい時を見失ったというか…」
困惑する藤堂の声に答えた原田だけでなく、その場にいた殆ど全員が、顔を引き攣らせていた。千鶴だけは山崎の声の出所がわからず、ただ不思議そうにキョロキョロと見回していた。
土方はチラリと上に目線をやってから、眉間に皺を寄せて、前髪をかき上げる。
「…構わねえ。理由は後で聞くから、とりあえず、そのまま続けろ」
「承知しました。
彼の屯所内での移動方法については、俺が教えたので多少心当たりがありますが……酷く気落ちしているとは思っていましたが、まさか食事を疎かにしているとは思っもみなくて、今知ったところですので…」
「いや、俺も弥月に限って“まさか”だと思う」
「ホントにな。飯は“まさか”だわ」
頷きあう藤堂達をよそに、土方は考えるようにして言う。
「山崎……今、矢代は屯所内に居るのか?」
「恐らく…」
「でも、夜も部屋にいないよね」
沖田の指摘を受けるが、山崎は迷うことなく毅然として応えた。
「それは概ね、道場か、寺の方にいるようです」
「それな! 思ってたんだけど、いつ寝てんだ?」
「数日前に道場で寝てるところを見つけた島田君に聞いた話では、寝てはいるそうですが、寝れるまで寝れないので、気付いたらその辺で寝てるのだと話したそうです」
「…この時期にか。風邪をひく」
斎藤の不機嫌な声に、「そういう問題なの?」と沖田は思わず口を挟んだ。
しかし、近藤は困ったという風に、腕を組んで首を捻る。
「だがなぁ…それは一体どうしたものか…」
その不摂生の原因は言わずもがな…というよりも、皆が“なんとなく”察していたが、“なんとなく”口に出すのは憚(はばか)られた。
「…あの、明日から私が一緒に食事をしようと思ってて……前みたいに…そしたら、少しは…」
千鶴がおずおずとそう言うと、皆、ややホッとした表情になり、それに賛同しようとしたのだが。
唐突に、山南から発せられた「いえ」という声に、その空気は絶ちきられる。
「彼の居所については心当たりがあるので、山崎君、行ってみてもらえますか?」
「承知しました」
「とりあえずその前に準備をしましょうか……雪村君、お手数ですが、手を借りられますか?」
「え!? わ、私ですか!?」
不意に指名を受けた千鶴は大いに狼狽えるが、山南は「お願いします」といつも通りに微笑みを彼女へ向けた。
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