姓は「矢代」で固定
第八話 届かない距離
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
文久四年一月十五日
千鶴side
雪の積もった後の、静かな冬の夜。
「いただきます」と手を合わせて、膳の上の箸へ手を延ばす。
「新八っさん、それいただきっ!!」
「うあぁ!!そいつは最後にとっておこうと思ってたのに!野郎っ、それなら…!」
…始まった…
すでに私にとっても日常になりつつあるこの光景。
最初は賑やかな食事が新鮮で、なんだか楽しいもののように思えたけれど、どうにも真横でドタバタとされると落ち着かないということが、ここ数日でよく分かった。
例えば、取っ組み合いになったときには、二次的被害に合わないように膳を避けたりしなければならないから、気が抜けないのだ。
「なにすんだよ!」
「なにすんだじゃねぇ、人の物食いやがって!」
正面で斎藤さん達が静かに食べているのが、とても羨ましい。
…原田さんが譲ってくれたこの場所って、そういう事だよね、きっと…
最初に原田さんと、永倉さんが隣同士だった間に入れてもらって、なんとなく固定になっている席位置だけれど、きっと原田さんもここで苦労していたのだろう。私と違って、原田さんの膳は永倉さんの獲物に数えられていたに違いない。
「何言ってんだよ!いつも人のおかず食ってるのはそっちだろ!」
「お前はちっこい男だな、平助!そんな昔の話持ちだして…っ!」
今日はいつもに増して白熱した戦いが繰り広げられている。数日ぶりに食事を共にしている近藤さんもやや顔を顰めていた。
そして原田さんが自分の方に寄るように膳を引いてくれたので、それに私は無言で会釈して従う。
「いや、昔じゃねぇ!今朝だ、今朝!俺のメザシ三本も食っただろうが!!」
はぁ…食べ物の恨みって、こんなにも面倒なのね…
全く動じていない斎藤さんを倣って、自分も一口の米を口に運んで咀嚼する。
「ったくよ、一度くら」
「――っ、やめさない二人とも!」
いつまでも終わらない言い争いに辟易した沖田が、チラリと井上の表情を窺う頃に、案の定、嗜(たしな)め役である最年長の彼がついに声を荒げた。
井上さん、ありがとうございます…
「…雪村君が呆れている、だろう…」
!!? そこで私に振るんですか、井上さん!?
こうして皆さんと一緒に膳を囲むようになって十日程にはなるが、あくまで私は監視対象であり、批評できる立場でないことくらい理解している。
だから、井上さんのそれに同意も否定もすることができずに、ただ苦笑いをして誤魔化した。
「あははは…」
コンコン
千鶴が次の言葉に迷っていると、廊下側の戸を叩く音がして、皆がそちらへ視線を向ける。中の返事を待たずして、スッと開けられた戸から姿を現したのは、羽織を着たままの土方であった。
「今戻った」
「おぉ、トシ」
土方が室内に足を踏み入れると、彼の陰にいた存在に皆が気付いて、一様に息を飲んだ。仲間の帰還を喜んだ彼らの表情が一瞬にして陰り、探るような視線で二人を見る。
山南の左腕は三角巾で首から吊られていた。
「総長、副長、お疲れ様でした」
斎藤さんの労いの言葉も、形式ばったものの様に聞こえる。
そして、それに「おぅ」と返事したのは土方さんだけだった。土方さんも、山南さんも、部屋に入って来た時から、ずっと張りつめたような表情をしている。
怪我、そんなに悪いのかな…
皆が固い表情をして、かける言葉に迷っていることは明らかである。
「おかえり、山南さん」
そんな中、次に声を出したのは意外なことに沖田さんで。真っ直ぐに山南さんだけを見つめて、そう柔らかに声をかけた。
山南は少し口元を緩めてから、沖田を真っ直ぐに見返して、いつもの穏やかな声で返事をする。
「…ただいま戻りました」
そこでようやく少し場の緊張が緩んだ。
「ご苦労だった…腕の傷はどうだ?」
「ご覧のとおりです……不覚をとりました」
近藤の問いにそう返して、彼は右手で一度、ゆっくりと左腕をなぞる。その姿はひどく痛々しかった。
そうして再び室内に落ちる沈黙に彼は気付き、困った風に笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ。見た目ほど大袈裟な怪我じゃありませんので、ご心配なく。では」
そう言って立ち去ろうとする彼を、藤堂は咄嗟に「あっ」と声をだして止めた。
「山南さん、晩飯は?」
「…結構。少し疲れたので、部屋で休ませてもらいます」
やはり彼の空気はどこか張りつめていて、誰もそれ以上声をかけられなかった。そして彼が部屋から遠ざかった頃に、誰ともなくフウッと息を吐きだす。
「土方さん。山南さんの怪我、本当の所どうなんですか」
「…なんとも言えん」
それは、もう動かないってことなの…?
数日前に、大坂からの書簡で事件の一報を聞いたときに、斎藤さんが『刀は容易に片手で扱えるものではない。最悪、山南さんは二度と真剣を振るえまい』と言っていた。その通りになってしまったということだろうか。
武士というものを理解できていない私は、この件に関しては特に迂闊に口を挟んではいけないことが、あの時に分かった。
「…何をしている」
その問いが自分に向けられたものだと、気付くのに少し時間が掛かった。
土方さんが私の方を向き、深く眉間に皺を寄せて、咎める視線を送っている。
「え…?」
「誰が部屋を出て、ここで食事をして良いと許可を出した」
「あ…」
スゥッと背筋が冷たくなる。
私に“部屋に籠っていろ”と指示を出したのは彼で、皆さんに許可を得たつもりで、彼の指示を軽んじていたことを理解した。
「ああぁ…いや、トシ。それは俺が…」
すぐに弁解の言葉が出て来なかった千鶴の代わりに、咄嗟に近藤が苛立つ土方をなだめるように、千鶴を擁護しようとした。それを皮切りに、次々と声が上がる。
「俺が誘ったんだ!一緒に食べようって!」と、藤堂が。
「いや、俺が言ったんだ」と、藤堂に重ねるようにして永倉が。
「いえ、私が…」と、年長者としての責任をとろうと井上が。
その結束に、土方が唖然としたのに畳みかけるように、原田が悪びれもなく宙を仰いで「俺が言ったんだよ」と。
千鶴は胸が温かくなるのを感じる。
弥月さんの言う通り、皆さん本当に優しいんだ…
この軟禁生活から解放されるまで「一緒に頑張ろうね」と言ってくれた彼のことを思い出す。
半ば閉じ込められて、怖かったり、不安なことばかりだけれど、彼らの事を信じて耐え忍べば、少しずつ何かが変わってきている。
大丈夫、大丈夫だから
心の中で繰り返し、何度もそれを唱える。心が折れてしまわないように、耐えきれず逃げてしまわないように。
「お前たち…」
土方は思わず閉口した。
元々に虜囚(りょしゅう)に甘い彼らだけではなく、土方の指示を優先するであろう斎藤が、申し訳なさそうに俯いていたり、沖田が“我関せず”という風に許容していることを鑑みると、雪村はすっかりこの場に馴染んでいるらしいことは明らかだった。
「…勝手な事を」
「いいじゃん飯くらい!千鶴は逃げないって約束して、実際この半月逃げようとしなかったんだから」
「たかが半月……」
そこで不自然に言葉を切った土方は、横を振り向く。そして彼は振り返った方向にスックと立ち上がって行き、その戸を開けた。
***