姓は「矢代」で固定
第七話 あなたの瞳に映るもの
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文久三年十二月十九日
千鶴side
監禁三日目。
今日は一昨日とは打って変わったように、春の陽気のような暖かさのある日。
だから昼前頃に、部屋の外にいた弥月から「寒いから中に入れてー」と頼まれたことに千鶴は疑問を感じたけれど、断る理由はなかったし、断る術もなかった。
そうしてかれこれ一刻、弥月さんは特に私と話すでもなく、部屋の角で壁に背を預けて座って書物を読んでいる。私も彼に渡された童向けの読本を、すでに何冊か読み終えていた。
千鶴は持っていた本の最後の一行を読み終えたところで、彼へと視線を向ける。
何度見ても、不思議な髪色をした弥月さん。昨日の様子から、見た目よりは存外普通の人だとは分かっているけれど、こうして黙っていると、少し話しかけ辛いような雰囲気を持っている。
そうは言っても、彼は膝を立てて座っていたかと思えば、寝っ転がって書物を読んだりしていて、かなり寛いでいる様子ではあるのだけれど。
「…ふぁっ」
欠伸を噛み殺そうとしたらしい彼は、この陽気に微睡みそうなのか、半眼で幾分か宙を眺めた後に、首を反らし頭を壁にあずけて目を閉じてしまう。そのまま寝てしまうのかと思ったが、壁に押し当てた髪の結び目が邪魔だったらしく、それを解いて解すように頭を振った。
彼が手櫛で髪を梳くと、パラパラと金糸が踊る。そして今度は先ほどよりも下の位置で、また一束に纏めようとしていた。
あれ……結い紐じゃ、ない?
その時、千鶴の目に留まったのは、弥月が一度手首に通した黒い紐。
てっきり黒い結紐だと思っていたのだが、使い方が自分の知っているそれとは違う。
留める前から輪になってて……あれでどうやって結ぶの…?
千鶴は目を皿のようにして、弥月が髪を纏めるのを見ていた。
途中でそれに気づいた弥月は、彼女へと顔を向け、手を止めて首を傾げるが。千鶴の視線は“続けて下さい”とばかりに、弥月の意を介さず動かない。
「…えっと、あのさ、どうかした?」
「あ…いえ、すみません。それは一体何なのだろうと思って……普通の結紐じゃないですよね?」
「あぁ、なるほどこれね……いや、あんまりにも怖い顔でジッと見てるから、激おこの無言とか超怖ぇって思っちゃった」
言われて気づいたことには、私は大分不審な顔をしていたみたいで。少し恥ずかしくなって、取り繕うように「えへへ」と頬に手を当てる。
彼が説明してくれた伸び縮みするその紐は「ゴム」というものらしい、南蛮渡来の不思議な物。
千鶴はびよんびよんと両手でつまんだそれを引っ張って、ゴムと弥月を見比べながら、「あの、ずっとお伺いしたかったんですけど…」と、おずおずと言葉を発した。
「弥月さんは、異人さんですか?」
「違うよ。京生まれ、京育ち。両親は黒髪で、私はちょっと……いや、ちょっとじゃないんだけど、毛色が変わってただけ。間違いなく日本人、かな」
「そう、ですか…」
千鶴は弥月からの予想外の答えに、咄嗟に返す言葉が浮かばず、「すみません…」と呟きながら、視線を彷徨わせた。
訊いた質問は、あくまで異人の血縁がいるだろうと想定してのものだった。だから弥月さんは気分を害した様子もなく、まるで何でもないことのように応えてくれたけれど、おそらく訊かれて気持ちのいいものではなかったはずで。
毛色が変わっている……それは生まれてからずっと異端として扱われてきただろうことを推し測れる。それが後ろ指されるくらいならまだ良い。化物扱いされたり、幽閉されたり、村を追い出される。産まれてすぐに不吉だと言われ、殺されてしまうのも珍しくないはずのことで。
千鶴はそれを想像して、まるで自分のことのようにツキリと胸が痛んだ。
千鶴がそれ以上の言葉に詰まっていると、弥月は困ったように少し笑った後、居住まいを正してから話し出す。
「いやいや、なんで謝るのさ。よく訊かれるし、自分でも変だと思うもん。全然訊いてくれてイイよって感じ。寧ろ、そこんとこ触れられなかったら、逆にどう思われてるんだろうって心配になるし。
それに私はこの髪とか気に入ってるから、何言われても全然気にならないんだ。だって確かに変わってるけど、綺麗でしょ?」
指先で前髪をいじりながら、イタズラっぽく冗談めかしてそう言って、大したことでは無いと弥月はカラカラと笑う。
辛いことはなかったのだろうかと、千鶴は疑問を持つが、彼がこうして明るく笑い飛ばそうとしてくれているのを蒸し返すのも申し訳なく思い、追求できずに口を閉じた。
「…いや、マジでなんでそんな深刻な顔して……あぁぁ、もう何でも訊いてくれていいから! ほらっ、そんな顔されたら私の方が気になるから!! 言いたいことあるなら何でも言っていいから!」
身振り手振りで「ほらほら」と急かされて、千鶴は言葉を選びながら口にする。
「…もしかしたら、ずっと辛い思いをされてきたのではないのかと……悪口を言われたり、虐められたり……弥月さんがこんな所にいるのは、もしかして父様や母様から……家に居場所が無かったからなのかなって考えてしまったりして…」
千鶴はキュッと自身の襟元を握る。
人と違っても、父様は私を大切に育ててくれた
『これは神様からの贈り物だよ』
幼い頃から、繰り返し、繰り返し、父様に教えられた
『この力を人に知られてはいけないよ。みんな羨ましがって、千鶴を仲間はずれにしてしまうからね。』
優しい父様は私を愛し、優しい言葉で私を戒めた。
人と違うことは、いけない事なのだと。
この身を守る不思議な力は、隠すべきものなのだと。
化け物だと恐れられる、から
「…そうだなぁ……気持ち悪いとか、鬼子だからとか……まぁ、言われても否定はできないよねぇ…」
「そんなっ!すみません、そんなつもりじゃ…!嫌なことを思い出させるようなことを…!!」
「あぁ、違うちがう。噂に聞く話だよねってことで……兄妹に虐められたり、どっかに閉じ込められたり、ね。私は…」
そこで思い出すように、ぼんやりと空虚を見つめる弥月さん。
どれほど謂れのない罪悪で、虐げられてきたのだろうか
「…ふっ」
突然肩を震わせた彼に、一瞬千鶴が狼狽えた直後。
「ははは!! 駄目だ、そっ想像したら笑える!ありえない、無いない!」
きょとんとする千鶴を前に、弥月は「兄さんがヤンデレとか超ウケる!」とゲラゲラと笑う。
「ククッ…いやいやまぁね、こんな感じで生きてりゃ、世間様は厳しいから紆余曲折はあるわけだけども。こんな感じなるだけの育ち方してきた訳だからさ、そりゃあ元気いっぱいのガキだったのなんて想像つくでしょ?」
ひとしきり笑いを治めて滲む涙を指で拭った後、弥月はスッと優しい瞳を千鶴へ向ける。
「家族に超溺愛されて育ったからね。お陰様で愛されて十数年って感じ。
他人とは違ったけど、大好きな家族が『変じゃない』って言ってくれるから、みんなが大事にしてくれるから、自分を大事にしなきゃって思えた。自分を好きになれたし、他人に優しくなろうって思えた。
人と違う事って変なんじゃなくて、自信があればカッコいい個性だと思わない? 自信を持つのって、誰かに認めてもらえて初めてできることだけど……私は家族にも友達にも恵まれてたからね。
まあ、欲を言えばキリがないけど、少なくともこれのせいで不幸だなんて思ったことないよ」
そしてニイッと嬉しそうに、誇らしげに満開の笑顔をみせた。
「イイでしょ、この髪の色。くすんでるけど黄金色だよ」
人と違う事を厭わない彼は、自信に満ち溢れていて。
あぁ、なんて…
人と違う事をひた隠しにして生きてきた自分が、息を吹き返すように涙を流した。
「飴細工みたいにキラキラしてて、秋の一面の稲穂みたいな色で、とっても綺麗です」
輝いているのは、彼の心
弥月は吃驚して少し瞠目したまま固まっていたが。すぐにそれは綻んで、照れた様子ではにかむような笑顔をみせる。
「そんな風に誉められたのは初めてだから嬉しい」
ゆっくりと大切そうに「ありがとう」と紡ぐ彼の唇を見て、ドキリと千鶴の心臓が鳴る。
弥月さんは少し華奢だけど均整のとれた身体つきをしていて、高めの声と端整な顔は中性的な雰囲気がある。そしてそれを彩る黄金色の髪は、この世のものとは思えない美しい均衡を感じさせた。
もしかしたら、神様ってこんな感じなのかな…
「いやぁ、可愛い子にそんなに見つめられると、おじさんドキドキしちゃう」
「おじっ…かわっ…すっ、すみません!」
思わずまじまじと見てしまっていたらしい。
私が赤くなって慌てて謝ると、弥月さんはその繊細そうな見た目に似合わずやはり豪快に笑った。
「あはは!!うんうん、やっぱり良いね、千鶴ちゃんは笑ってる方が可愛い!」
そう言うと、彼は音もなく立ち上がってきて、正座する私の目の前で屈む。
不意に伸びてきた手に一瞬ビクリとしたが、ふわりと頭に乗せられたそれは、優しく私の髪を撫でた。首を傾げた私に、彼はニコリと笑う。
「不安だし、怖いし、緊張するだろうけど、気を張りすぎたら身が持たないよ。一先ず、のんびりしてなね。退屈なのは可哀想だけど、焦っても仕方ないし、大人しくしてることが解放されるための一番の近道だから」
慈愛に満ちた眼差しが一身に降り注がれていて。
頭を撫でながら、彼が何度も「大丈夫だから」と言ってくれる声に、ギュッと胸を締め付けられて、泣きそうになってしまう。下唇を食んで、袴を握って、涙をこぼさないようにクッと堪えた。
「はい…」
震える声で返事をしたら、大粒の雫が落ちてしまって。
彼は隣に座って、ポロポロと零れだした涙が収まるまで、私の背を撫で続けてくれた。
***