第一話 大切なものの守り方

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***



 林さんに伴われて屯所への帰路につき。先ほどは必死の形相で折れた町角を、足どり重くのろのろと曲がる。


「…あ」



  まずい、平助ほったらかして来た

  …ってか言い訳したところで、もはや彼が全てを知っているじゃないか

  ……


  うわ、やっぱ駄目だ



「い゛だだだだ!」
「やから、あかんて」


 繋がれた犬のごとく、髪の毛を引き綱にされて逃げ損なった。仕方なく丁重に謝ると、とりあえず髪を放してくれる。
 毛根がちょい浮いた気がする。危うくちょんまげ通り越して、尼さんになるところだ。

 頭をこすりながら恨みがましい目で林さんを見ると、彼はにっこりと笑う。


「屯所のことなら、先手打ってあるからな。帰ってみてから考えような」

「先手?」

「ほんとに矢代は運が良いな。連携ばっちりの監察方を味方につけてるなんてな」

「……?」


 弥月が訝しげな顔で林を見るも、彼は「さあ、あちらはどうなってるか」と煽るばかりで。
 「先手」と自信あり気に言う割には、どこか弥月の危うい状況を楽しんでいる様である。



  …着いた途端に捕縛、斬首もありえる、か……その時は…


バンッ

「――っい゛だい゛たい!!」


 左手で鯉口をこっそりと切ったら、右腕を後ろに引かれるのと同時に、脚を引っかけられて転んでしまい、胸部を地面に叩きつけられた。膝で押さえつけられる背中も、重みで潰される胸も痛いが、それより右腕を引き上げる力が尋常じゃない。


「…このまま外しといた方がええか」


 ボソリと恐ろしい言葉が聞こえて青ざめる。グッと右腕を掴む力が強くなって。


「ストップ、ストーップ!!」

「…なんや、すとおぷ、て」

「あぁぁ止めてってことです!!」


 痛いのは本当に嫌だ。脱臼の痛みとかまじ怖い。
 それに外れたら、はめたら良いってもんじゃない。関節が軟らかいために亜脱臼したことがあるが、 二回以上すると癖になるらしい。打ち合いの最中に外れるような肩とか恐ろしい。

 それを必死に説明すると、上から体重をかけてがっちりと抑えていた身体は解放してもらえた。



 …放してくれなかった右手首の握りは、一層強くなった気がする



「悪いけど、次はない」

「……はい」



  もうやだ、この人…



 林さんと逃走劇を始めた時点で、私が連行されることは決まっていたに違いない。完全に『署まで御同行』の体制になってしまった。

 最後の角を曲がり、前川邸の裏口が見える。
 そこには先ほどと同じ門番が立っていて、彼もこちらに気付いて、「あ!」と言うのが聞こえた。弥月はそれを見ながら、複雑な表情をして近付く。

 確か永倉組の隊士だったか、門番は固い表情をしていた。弥月は所在無さげに視線を泳がせながら、恐る恐る口を開いた。


「……あ、と、さっきはすみませんでした…」

「…いえ、特には」

「突飛ばしちゃって……怪我しませんでした?」

「…あっしは何もされてまへん、見てまへん。
 ところで突然不躾な話かもしれまへんのやけど…前から、矢代さんに頼んでみたいことがあって……明日、手合わせしてもらえまへんか?」


 返事の意図はなかったものの、つっかえて言葉にならなかった息だけを「は」と溢す。

 何を言っているのだろうかと、訝しげな顔で彼の顔を見ると、男はどこか「ほっ」としたような表情をしていて。


「…それと、その髪の毛……あっしも触ってみたかったんですわ。また今度…ええですか?」


 彼はすこし照れ臭そうに「年甲斐もなくすんません」と笑った。



  なにが…?



「良いって言っとけばいいんじゃねーの」


ドクン

 後ろから林のものでない声がかかり、聞き知ったその声に、心臓が跳ねる。

 振り向きたくない気持ちと、早急に振り向かなければならないという思いに駆られて、弥月はネジ巻き仕掛けの機械のように、ぎこちない動きで振り返った。


「……へ、すけ…」

「…なんだよ」


 不機嫌そうな彼の顔を見て、まず目についたのは顎の打撲痕で。


「……あ、の……顎、大丈夫……?」

「…こんなん怪我の内にも入んねーよ」

「そ、か……ごめん、咄嗟にそれしか思いつかなくて…」

「……にしては、舌噛まないようにってのに作為を感じたけどな」

「……」



  どうしよう



 ここで会うのは想定外とかそういう問題でなく、人としてもどう接して良いのか分からない。今の彼との関係は何だろう。



  加害者と被害者?
 
  裏切り者と元仲間?

  罪人と死刑執行人…?



「……なあ、それだけか?」

「!」


 責められる視線に堪えられなくて、俯いて眼を伏せる。

 ここまで来たら、どうしたもこうしたもない。散々抵抗を試みて、失敗に終わったのだ。なんだかよく分からない林さんの口車に乗せられて戻ってはきたが、おとなしく屯所に連れ帰るための、戯言だったのかもしれない。
 

 グッと一度を噛み締めてから、歯を食いしばって、一度唾液を飲み込む。唇が乾燥していた。ギュッと目を瞑った。


「…か、くごはできてます…」


 本当はできてない。最初からそんなものは自分の中に存在しなかった。
 けれど、もう一度目を開いたとき、最期に見るものが平助の蔑む顔だったら…




 どうしてか今、分かった

 仲間としての『切腹』が『受け入れられる』ことの意味を


 打ち首とは、なんて惨めなんだろうか




 平助が自分に近付くのが分かって身を縮こめる。何をされても文句は言えない。
 先程の方法で、平助に身体的な危険性がなかったわけではない。


弥月、『いー』って言え。」

「……」


 心の準備をしようと、きつく閉じていた瞼をゆっくりと開く。
 視線を上げると、目の前にはこの緊張した空気に似合わない、藤堂平助のいつもの爽やかな笑顔。


 彼の右手の握り拳。




 …

 ………まじで?



「……ごめんなさい」

「言えよ」


 弥月の口がひきつり、平助の拳と顔を、視線が何度も往復する。
 今、斬首される覚悟をしようとしていたはずなのに、なぜか目の前の素手が妙に恐ろしく見えた。
 ジリジリと後辞さるものの、平助が「当然の報いだろ?」と言うのに、返す言葉はなくて。


「ちょまっ……私、父さんにも殴られたことない…」

「安心しろよ、オレも親父に殴られたことはねーから」


 晴れ晴れとした顔で、平助は言う。



  あぁ、神様仏様。これが自業自得、因果応報ってやつですね

  …ただ……殴る心得も、殴られる心得も兄弟喧嘩で身に付いているのは、貴方様の思召しでしょうか…



「…歯、折れない程度でお願いします…」

「任せろ」





 それが頬に当たると、世界が暗くなって星が見えた。


「―――っいってえええぇぇぇ!!」



 マジで殴りよった!! てか痛え! 痛いわ! 痛いんじゃ何すんねん!!



 衝撃に尻餅をついたまま、左頬を手で 押さえる。痛みに生理的な涙が滲んだ。
 吹っ飛ぶまで本気で殴られたことはなく、驚くほどに痛い。



  ちょ、まじで痛い。涙止まんない



 涙が出てるせいか、若干鼻水も出てきた。啜ろうとすると頬が痛くて。垂れるよりマシと思って袖で拭う。

 一方、解いた拳をプラプラと振りながら、平助は弥月を見下ろして言う。


「これで貸し借りチャラな」

「あ、た……」


 喋ろうとして片頬の痛みに顔を歪める。
 口の中を噛みはしなかったが、殴られたところの粘膜が傷ついてたのか血の味がした。顔の形変わったんじゃなかろうか。


「ズッ……あーた、今から首飛ばされる奴に容赦ない…」

「誰が首飛ばされんだ?」

「…は?」

「帰ってくんの遅えよ。居ねぇのバレたら、オレが土方さんに怒られるとこだったじゃん」


 平助が目の間にしゃがみ、頬を庇っていた手の上から、更にグリグリとされる。やめて穴開く。


「それは、つまり…」

「なんだよ、察し悪ぃな。報告してねぇんだって。知ってんのは…ここに居る奴だけだぜ」


 彼が顔を上げるのに釣られて、私も回りを見渡せば。ここには平助、林さん、門番の彼……と、魁さん。


「さ、島田さん。余計な噂が入る前に仕事しよか」

「そうですね、善は急げと言いますから」

「へ、あ、林さん? 魁さん?」


 突然仕切りだした二人に声をかけるも、全くこちらに関心がないようで。一応、島田さんはチラリと目線をくれたが、軽く会釈されるだけだった。


「去り際に『命までは盗らねぇ、今すぐ去れ!』とか言ったら格好良くね?」

「自分は『弱い輩を斬るつもりはない』とかの方が、体裁も良いと思うのですが」

「あー、矢代にはそっちのが良いな。ヘタレな矢代でもそれなら言えないこともなさそ」

「『去れ』は逃がしたことになりますからね。奉行所に連れて行こうとして、逃げられたことにしておきましょう」

「あー、ならそこも吹聴しとかなあかんなー…」

「お得意でしょう」

「まあねー」


 何かを簡単に合意して、「じゃ、俺ら行くわ」と平助らに声をかける。そうして門の内へと遠ざかる二人を、弥月は呆然と見ていた。

 門番の彼も、後は任せたと言わんばかりに、定位置から動かなかった。



「…なにが…なんで…」

「なんだよ、切腹したかったのか?」

「そうじゃなくて…」


 今の話から私が逃げたのではなく、長州浪士に逃げられたことへ、事実が改変されるらしいのは分かった。
 けれど「何故そこまでしてくれるのか」という、疑問の答えに相当するものは得られなかった。



  当事者なのに、どうして置いてけぼり…?



 疑問符しか出ない頭で、意見を求めて平助を見る。彼も同じ目線の高さで、らしくなく真剣な顔でじっと私と眼を合わせた。


「…さっきはオレも早とちっちまったけどさ。弥月、浪士とやりあって勝ってたんだろ? 肝心なとこで捕まえなかっただけで。それなら敵前逃亡とは言わねぇんじゃねぇの?」

「なんでそのこと…?」


 林さんといい、何故それを知っているのかと問うと、「なんだ、聞いてねぇの」と逆に驚かれた。



 ……



 要するに、最初から林は目撃していたらしい。

 大立回りから逃げた弥月を少ししてから追ったら、遠目に弥月が平助を殴るのが見え。
 状況を察した彼は、座り込んでいた平助に敵前逃亡と決めるには早計だと伝えて、平助は放置して私を追った。屯所に着いてすぐさま島田さんを呼んだが、とりあえず弥月が飛び出してきたので止めようとした。

 そこで捕まえ損なったのは失敗だったが、島田さんに平助を拾いに行くよう声をかけて、その後に弥月を追っかけたという。


「……それ、マジで林さん一人でやったの?」

「らしい。咄嗟にスゲーよな」


 咄嗟に云々ではない。あの人、絶対に影分身できる。
 恐るべし、監察方という名の忍者部隊。実は新選組最強なんじゃなかろうか。


「…それで…」
「あのさあ……オレらそんなに信用できねえ?」

「……!」


 直球過ぎる質問に、瞬時に取り繕えなくて、視線が泳ぐ。



  まずい



 私が固まったのを同意と見てか、彼は返事を待つことなく、ポツリポツリと溢した。


「…確かに、最近嫌な事件続いてるけどさ………オレも知らなかったから、疑心暗鬼にもなっちまうの分かるし…」


 平助はぎゅっと膝の上の拳を握る。
 その視線は段々と落ちて、弥月の顔を見ていないが、弥月から見えたのは見たこともないような苦悶の表情だった。


「…無茶な規則で縛って、それ守れなかったら覚悟が足りねえって……必要なことかもってのは分かるけどさ……仲間なのに、お互いがお互いを見張るなんて、オレはおかしいと思う。そんなん怖ぇよ。
 ここ最近すっげーみんながギスギスしてるの分かってさ……上手く言えねえけど、違う気がすんだ」


 局中法度ができてから数名、脱走者が出ては尽く捕まっている。それが原因で切腹した者もいれば、知らぬ間に除隊扱いになっている者もいた。

 それだけではない、分かる人には分かる不審死が続いていて。

 平助は自分は知らなかったとはいえ、、幹部としての方針と、平隊士の声の間で、板挟みになっていたことに苦しんでいた。


「オレはさ、疑うんじゃなくて信じたい。裏切られたらそりゃ悲しいけどさ、信じなきゃ信じてもらえねぇじゃん。一緒に頑張ろうって思うから仲間なんだろ…!?」



 弥月は平助が悩んでいること全てを理解したわけでは無かった。

 けれど、彼がずっと思いを溜め込んでいたのだろうと。
 きっと弥月だけじゃなくて、恐怖で抑えつけられているみんなに、規則で繋がろうとするみんなに、もっと分かって欲しかったのだと伝わった。



  規則ではなく、絆で繋がりたいのだと



 彼は少し泣きそうな顔をしていた。


弥月がさ、人殺したくないのオレ達は理由もちゃんと知ってるし……そう思っててもちゃんと巡察とか稽古とかで、新選組のためになってるの、オレは認めるべきだと思う。
 今日のはさ……弥月もちょっとは悪いし、男らしくねぇと思うけど……お前にとっての譲れねぇ大事なこと貫いただけだし、悪いことしようしてたとか、オレらを裏切ったり騙そうとかした訳じゃねぇんだから……なにも殺すほどのことじゃねぇと、オレは思う」


「…平助……」

「…なあ、弥月。オレら仲間だよな?」


 乞うような視線と問いかけが、どうしようもなく心に刺さる。


「うん」


 そう答えた私の顔は、彼と同じ気持ちを共有している表情だったと思う。



   敵じゃないけれど、仲間のつもりもない



 一瞬、私が言葉に詰まったのに、平助は気付いたかもしれない。

 信じるから信じてもらえるなんて、それは無謀としか言えない。理想でしかない。
 だけど、隣にいるなら信じあって共に研鑚していたいのだと、心の底から訴える彼を、軽んじることはできなかった。


「仲間なら、助けるのに理由なんていらねぇじゃん」


 こんな中途半端な私を、責めるのではなく、信じようとする彼がいて。

 それは他人の生死の瞬間よりも、私と、彼が、ここで一緒に生きてるんだと実感させる。


 私は今どんな顔をしているのだろう。「なんだよ、変な顔して」っておどけたように言われた。

 だから私は笑う。「元からだ」って。

 そしたら「確かにな」って彼が笑うから。


 平助に「ほら」と差し出された手を取ると、グイッと引き上げられて立ち上がる。
 離した手で肩を叩かれながら、彼の後につづいて門へと足を踏み出した。


「ただいま、平助」

「……おっせーよ、馬鹿弥月



 荒くれた猛者達の中で、臆することなく、彼は無情を否定する。
 愛しい家族に対するそれのように、この人だけはこれからどんな関係になろうとも、恨みも憎みもできないのだろうと思った。


 男の友情ってやつが、どうしようもなく心にも身体にも沁みていった。

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