姓は「矢代」で固定
第六話 新たな出会い
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***
千鶴side
「信じて下さい、お願いです! 私本当に…っ!!」
「己のために最悪を想定しておけ。さして良いようには転ばない」
ひどく無表情な男性に、元の部屋で畳に捨てられるように転がされる。
詮議が終わり、「何も知らない」と言い張ったつもりだったのに、誘導尋問に吊られて『隊士が浪士を斬り殺すのを見た』と知られてしまった。
それから随分と時間が経ったが、何の音沙汰もない。そうして、暮五ツの鐘が鳴る。
このまま待ってて良いの…?
小太刀は取り上げられてしまったから、このまま待っていたら抵抗する術もなく、きっと殺されてしまうだろう。
千鶴は無策のまま半日経って、自身の立場を理解しているつもりだった。
昨日の夜のこと。
宿に着いて食事をとってから気付いたことには、江戸から一通しか持って来なかった父様からの手紙を失くしてしまっていた。心当たりは、ななしさんとぶつかった時だと気づいて、夜も大分遅かったが、探しに出かけることにした。
…それがいけなかった
道端でぶつかってしまった酔った浪士に、慰謝料だと小太刀を取られそうになったから、抜刀して威嚇しようとしたら、相手の手の甲が少し切れてしまって。すぐに謝ったけれど、逆上されて逃げるしかなかった。
「もう走れない」と思って隠れた私は、偶然居合わせた誰かが、その浪士達をなぜか殺すのを見た。そして、それが助けか否かの判断をする前に、私も殺されそうになった。
その男の顔を思い出して、ゾクッと背筋が冷たくなる。赤く鈍く光るそれは、正常な人間の眼じゃなかった。
だけど、そこを助けてくれた人がいて、
その人にも「逃げれば斬る」なんて言われたけど、彼らから恐ろしさを感じることはなくて。安堵してか気を失ってしまったらしい。
起きてみると縛られ目隠しされていることには混乱していたし、井上さんという方にここが“新選組”だと聞いて、自身の運の悪さを恨んだ。『近づかない方が良い』と助言してくれた人がいたのに、なんの因果か、その日に捕まってしまうなんて…と。
そして広間に連れていかれて、敵意を明らかにする彼らに、何を問われているのかと考えたが、やはり隊士さんが浪士達を斬り殺すのを見たのがいけなかったようだ。
ただ助けられたわけじゃなかったんだ…
私は偶然居合わせたと言っても過言ではないのに、都合が悪いから、一旦は助けたけど殺される。
逃げなきゃ
ここで私が動かなくちゃ、きっと事態も好転してくれない。幸いなことに、私の自由を奪っているのは後ろ手の手首の縄だけ。
「…うん」
きっと何とかなる
千鶴は立ち上がると、息を殺して障子に近づく。足のつま先をひっかけて、それを開こうとした。
「おぉ、案外行儀悪くて安心した」
「――っ!?」
パッと振り返るも、室内には誰もいない。
「もうすぐ皆来るから、閉じときな。逃げるのは一番マズいよ。脚の縄をはずしたままなの、たぶん逃げるかどうか試してるだけだし。特に逃げ切る自信もなくて、殺されたくないならおススメしない。
私も撤退するから、じゃね」
どこから聞こえたのか、声の主の姿は見えなかった。
そして、すごく早口で捲し立てるように告げられたことは、このまま逃げるのが一番危険だという事。
誰? 助けてくれるの…?
その声を信用した訳では無いし、「どこからか見られている」という緊張感も生まれた。けれど確かに、脚の速さにも、腕にも自信があるわけでもなかった。
大人しく彼の言うとおりに障子を閉める。
先ほどの尋問では聞かなかった声だと思う。敵意は彼らより明らかに少なそうだった。
それに、あの声どこかで…
そうして再び大人しく座っていたのだが。けれど、少しするとやはり誰の気配も感じなくて、外が気になって「覗くくらいなら…」と障子に手をかけた時、
「む?」
「あ…」
まずい。まさか障子の前に、人が来ていることに気付かなかった。
「おや…随分大胆な方ですね。まさか逃げるおつもりだったんですか?」
優しげな問いかけに、違うとも、そうですとも言えなくて言葉に詰まる。なにより向き合った男性の、眼鏡の下の一見穏やかな表情に、底知れぬ何かを感じた。
「勝手に動かれては困ります。君の身が危うくなるだけですよ?」
「逃げれば斬る。昨夜、俺は確かにそう言ったはずだが」
今度は、明らかに不機嫌な低い声。紫の上衣を着た男は、眉間に深い皺を刻んで私を睨みつける。
怖い…
千鶴はキュッと身体を縮こめた。
ダンッ
その突然の大きな音に、千鶴はビクッと身体を震わせる。
それは何の前触れもなく起こった事で。鬼のような形相の男は拳で横の壁を叩き、野生の獣が唸るような声を出した。
「…おい、矢代」
「……お呼びですか」
「お呼びじゃねえから、言ってんだろうが」
目の前の怒りを露わにしている男は、壁の向こうの誰かと応答しているらしい。それだけは分かったが、この場では、千鶴だけが土方の言葉の意味を理解しかねた。
誰かが隣に…?
ただ、目の前の若い方が呆れた顔で壁の方を見ていたり、眼鏡をかけた方がその弦を押し上げて、困ったように薄ら笑いをしていたので。
今怒られているのは私ではなく、この壁の向こうにいる『矢代さん』という人物であることを理解する。
「コソコソすんじゃねえ。今すぐ殺されてぇのか」
殺…っ
「…いえ、申し訳ございません」
そのやり取りでそんなに簡単に『殺す』ことがある人達なのだと。そして『矢代さん』が、立場の弱い人間であることを、千鶴は理解する。
「弥月君、ここにおいでなさい」
「なっ、山南さん!?」
「どうせ後で説明しなければいけないのでしょうから、良いじゃないですか。
それに彼なら万一、この方が逃げ出した時に、追いかけるのには適任ですよ」
土方が千鶴を横目に見たことで、千鶴は『この方』とは自分の事と知る。
そして山南の言葉に、土方は苦々しい顔をしたが、反対の言葉を発することはなく。そうして一人の人が縁側に姿を現して、そこに坐した。
黒い…
その人は全身真っ黒の衣服に身を包んで、頭まで布でグルグルに覆っていた。
「そんなところに居ずにさ、入ってきたら?」
「いえ、私はこの場を許されただけで十分で御座います」
「気持ち悪いくらいに殊勝な態度をとってくれてるけどさ、やっぱり君を殺しちゃうしかないかな。こそこそ不審な動きをしたり、約束を破る子の言葉なんて信用できないからね。
あれ? そうすると、今逃げようとしてた君も殺さなきゃいけなくなるね」
「――っ!」
「え゛っ!?」
驚いて声を出したのは、私だけではなかった。
『矢代さん』は、今までの落ち着きを払った態度とはちぐはぐな、素っ頓狂な声をあげたのだ。
彼はなぜか自分の心配など微塵もしていない様子で、その気遣うような視線は、私に注がれていた。
「うっそぉ…そんな約束しちゃったの? 逃げないって」
「――っしてません!」
声だけじゃなく、その軽快な話し方に確信した。
分かった、さっき助言をくれたのはこの人! 助けてくれるかもしれない…!
そう思って彼を見ると、彼は「ふむ」と考えるように頷いてから、「殺しちゃうしかない」と言った、若い男を見た。
「だってさ、沖田さん。嘘ついちゃ駄目じゃん」
「先に言ったのは土方さんだしー」
「駄目じゃん、土方さん」
「うるせえ、てめえはちっと黙ってろ……というより、やっぱりどっか行け」
「………失礼致しました」
「えっ…」
土方が追い払おうとするのに、一瞬、矢代は迷った様子をみせたが、今度は山南の声が掛からなかったためか、視線だけは残しつつも、サッと彼はその場を立ち去る。
山南が声を掛けなかったのは、弥月のせいで場の緊張感が瞬時になくなったことに、流石に邪魔だと感じてのことだった。
千鶴は彼に背を向けられたことで、絶望に似た、すごく心細いような気持ちになった。
けれど、『矢代さん』が残した気遣わしげな視線を思い出して、彼まで危険に晒そうとしていた自分を恥じる。
自分のしでかした事、彼まで殺される必要はない。
どうしたら良いのだろう…
「言い訳なんて聞いてくれないですよね…」
千鶴は唇を噛んで俯いた。
きっと、もう誰も助けてくれない……自分で、自分で何とかしなくちゃ…
理不尽な状況に怒りがこみ上げたけど、もう腹を括るしかない。
だけど、考えても考えても、自力では助かる手立てが見つからなくて。自分の不甲斐なさに涙が滲み、吐き捨てるように言った。
「…私のことは煮るなり焼くなり、好きなようにすればいいじゃないですか!」
バコンッ
え?
「どぅあめぇええ! そんなこと言っちゃ駄目!!!
こいつら炙(あぶ)る程度なら喜んでするから、阿呆なこと口走っちゃ駄目!!!」
音と声のした方向は天井で、何か黒いものが降ってきたと思えば、それはさっきと同じ『矢代さん』。
私が呆気にとられている間に、彼は私の肩を掴んでゆさゆさと振りだした。
「貴女の潔さには私感動したよ!?
でもこの人たち顔は怖いし非道なところあるけど、非情じゃないから、弁明でもなんでもしてからでも遅くないから!! 頼むから折角の神の申し子かと思しきその可愛いさを、そんな容易く投げ出さないでくれえぇぇぇ!!!」
「矢代。」
「弥月君」
彼に力一杯揺すられて、私が頭がグワングワンするのから立ち直る間に、今度こそ彼は部屋から放り出された。
代わりに騒ぎを聞きつけて、藤堂さん、原田さんや永倉さんが、部屋に顔をだして、結局最初の面々がこの部屋に顔をそろえていた。
そうすると、なぜか部屋に妙な沈黙が落ちる。
えっと……私しゃべっても良いのかな…?
先程の彼は「弁明してからでも遅くない」と言ってくれた。ならば、少しは話を聴いてもらえるだろうか。
「……あの、私、しなくちゃならないことがあって…」
「ふん…、年端もいかねえ小娘が、下手な男装までして何を果たそうってんだ?」
「それは……え?………今、小娘って…」
恐る恐るその単語を口にした私を見て、山南さんは納得したように頷いた。
「なるほど、やはり女性だったんですか、貴女は」
「え…」
「どう見ても女の子だよね。君はきれいに化けたつもりかもしれないけど」
「…あいつの反応見てりゃ、決定的だな」
はあ、と大きく溜息をついたのは土方さんで。
「俺も確信しました」
「女好きってすげえよな、オレ全然気づかなかったぜ」
そう言いながら、一番年若いであろう男の子が、じいっと間近で千鶴を見る。思わずそれに少し仰け反ると、赤毛の男性が「ビビらせんな」と、その男の子の頭を鷲掴んで後ろに回してくれた。
「どんなに綺麗な奴でも、弥月、男には興味ないからな」
「あいつが『可愛い』とか『神の申し子』とか叫んでるの聞いて、まさかとは思ったけどよ」
そこにいた男一同がうんうんと頷いた。ただ一人、私以外で「え、え?」と言いたげに左右に首を巡らしながら、ポカンとしていた近藤さんを除いて。
「なんと…!この近藤勇、一生の不覚! まさか、まさか君が女子だったとは!!!」
何かよく分からないことで納得していた面々に対して、さも吃驚したとばかりの近藤さんの純真な反応を見ていると、千鶴はなんだか安心した。
…昨日も同じようなことは言われましたし…やっぱり分かるんですね…
千鶴はなんとも言えない気持ちになって、内心で溜息を吐く。京までの道中、無事に過ごせたのは、本当に奇跡だったのかもしれない。
そのとき、ふと視界に黒いものが動いたのに気が付いて、視線をそちらに投げると。大きな男達の隙間から、ひょっこりと一瞬顔を覗かせて、ニイッと笑って見せた人がいた。
大きく拳を振って、私に何かを伝えようとしてくれている。
それが「がんばれ」に見えたのは、私の都合の良い解釈なんかじゃないって、彼の笑顔は語っていた。
だから雑然としだした状況の中で、少し落ち着いて彼らの姿を見ることができるようになったのだと思う。
「小娘だろうが、処遇に変わりはねえ。だが、命を懸けられる理由があるなら、誤魔化さずに全部吐け。…いいな?」
きっとこの人は私の話を聞いてくれようとしている
土方さんの真っ直ぐな眼差しを見返して、私は小さく頷いた。
千鶴side
「信じて下さい、お願いです! 私本当に…っ!!」
「己のために最悪を想定しておけ。さして良いようには転ばない」
ひどく無表情な男性に、元の部屋で畳に捨てられるように転がされる。
詮議が終わり、「何も知らない」と言い張ったつもりだったのに、誘導尋問に吊られて『隊士が浪士を斬り殺すのを見た』と知られてしまった。
それから随分と時間が経ったが、何の音沙汰もない。そうして、暮五ツの鐘が鳴る。
このまま待ってて良いの…?
小太刀は取り上げられてしまったから、このまま待っていたら抵抗する術もなく、きっと殺されてしまうだろう。
千鶴は無策のまま半日経って、自身の立場を理解しているつもりだった。
昨日の夜のこと。
宿に着いて食事をとってから気付いたことには、江戸から一通しか持って来なかった父様からの手紙を失くしてしまっていた。心当たりは、ななしさんとぶつかった時だと気づいて、夜も大分遅かったが、探しに出かけることにした。
…それがいけなかった
道端でぶつかってしまった酔った浪士に、慰謝料だと小太刀を取られそうになったから、抜刀して威嚇しようとしたら、相手の手の甲が少し切れてしまって。すぐに謝ったけれど、逆上されて逃げるしかなかった。
「もう走れない」と思って隠れた私は、偶然居合わせた誰かが、その浪士達をなぜか殺すのを見た。そして、それが助けか否かの判断をする前に、私も殺されそうになった。
その男の顔を思い出して、ゾクッと背筋が冷たくなる。赤く鈍く光るそれは、正常な人間の眼じゃなかった。
だけど、そこを助けてくれた人がいて、
その人にも「逃げれば斬る」なんて言われたけど、彼らから恐ろしさを感じることはなくて。安堵してか気を失ってしまったらしい。
起きてみると縛られ目隠しされていることには混乱していたし、井上さんという方にここが“新選組”だと聞いて、自身の運の悪さを恨んだ。『近づかない方が良い』と助言してくれた人がいたのに、なんの因果か、その日に捕まってしまうなんて…と。
そして広間に連れていかれて、敵意を明らかにする彼らに、何を問われているのかと考えたが、やはり隊士さんが浪士達を斬り殺すのを見たのがいけなかったようだ。
ただ助けられたわけじゃなかったんだ…
私は偶然居合わせたと言っても過言ではないのに、都合が悪いから、一旦は助けたけど殺される。
逃げなきゃ
ここで私が動かなくちゃ、きっと事態も好転してくれない。幸いなことに、私の自由を奪っているのは後ろ手の手首の縄だけ。
「…うん」
きっと何とかなる
千鶴は立ち上がると、息を殺して障子に近づく。足のつま先をひっかけて、それを開こうとした。
「おぉ、案外行儀悪くて安心した」
「――っ!?」
パッと振り返るも、室内には誰もいない。
「もうすぐ皆来るから、閉じときな。逃げるのは一番マズいよ。脚の縄をはずしたままなの、たぶん逃げるかどうか試してるだけだし。特に逃げ切る自信もなくて、殺されたくないならおススメしない。
私も撤退するから、じゃね」
どこから聞こえたのか、声の主の姿は見えなかった。
そして、すごく早口で捲し立てるように告げられたことは、このまま逃げるのが一番危険だという事。
誰? 助けてくれるの…?
その声を信用した訳では無いし、「どこからか見られている」という緊張感も生まれた。けれど確かに、脚の速さにも、腕にも自信があるわけでもなかった。
大人しく彼の言うとおりに障子を閉める。
先ほどの尋問では聞かなかった声だと思う。敵意は彼らより明らかに少なそうだった。
それに、あの声どこかで…
そうして再び大人しく座っていたのだが。けれど、少しするとやはり誰の気配も感じなくて、外が気になって「覗くくらいなら…」と障子に手をかけた時、
「む?」
「あ…」
まずい。まさか障子の前に、人が来ていることに気付かなかった。
「おや…随分大胆な方ですね。まさか逃げるおつもりだったんですか?」
優しげな問いかけに、違うとも、そうですとも言えなくて言葉に詰まる。なにより向き合った男性の、眼鏡の下の一見穏やかな表情に、底知れぬ何かを感じた。
「勝手に動かれては困ります。君の身が危うくなるだけですよ?」
「逃げれば斬る。昨夜、俺は確かにそう言ったはずだが」
今度は、明らかに不機嫌な低い声。紫の上衣を着た男は、眉間に深い皺を刻んで私を睨みつける。
怖い…
千鶴はキュッと身体を縮こめた。
ダンッ
その突然の大きな音に、千鶴はビクッと身体を震わせる。
それは何の前触れもなく起こった事で。鬼のような形相の男は拳で横の壁を叩き、野生の獣が唸るような声を出した。
「…おい、矢代」
「……お呼びですか」
「お呼びじゃねえから、言ってんだろうが」
目の前の怒りを露わにしている男は、壁の向こうの誰かと応答しているらしい。それだけは分かったが、この場では、千鶴だけが土方の言葉の意味を理解しかねた。
誰かが隣に…?
ただ、目の前の若い方が呆れた顔で壁の方を見ていたり、眼鏡をかけた方がその弦を押し上げて、困ったように薄ら笑いをしていたので。
今怒られているのは私ではなく、この壁の向こうにいる『矢代さん』という人物であることを理解する。
「コソコソすんじゃねえ。今すぐ殺されてぇのか」
殺…っ
「…いえ、申し訳ございません」
そのやり取りでそんなに簡単に『殺す』ことがある人達なのだと。そして『矢代さん』が、立場の弱い人間であることを、千鶴は理解する。
「弥月君、ここにおいでなさい」
「なっ、山南さん!?」
「どうせ後で説明しなければいけないのでしょうから、良いじゃないですか。
それに彼なら万一、この方が逃げ出した時に、追いかけるのには適任ですよ」
土方が千鶴を横目に見たことで、千鶴は『この方』とは自分の事と知る。
そして山南の言葉に、土方は苦々しい顔をしたが、反対の言葉を発することはなく。そうして一人の人が縁側に姿を現して、そこに坐した。
黒い…
その人は全身真っ黒の衣服に身を包んで、頭まで布でグルグルに覆っていた。
「そんなところに居ずにさ、入ってきたら?」
「いえ、私はこの場を許されただけで十分で御座います」
「気持ち悪いくらいに殊勝な態度をとってくれてるけどさ、やっぱり君を殺しちゃうしかないかな。こそこそ不審な動きをしたり、約束を破る子の言葉なんて信用できないからね。
あれ? そうすると、今逃げようとしてた君も殺さなきゃいけなくなるね」
「――っ!」
「え゛っ!?」
驚いて声を出したのは、私だけではなかった。
『矢代さん』は、今までの落ち着きを払った態度とはちぐはぐな、素っ頓狂な声をあげたのだ。
彼はなぜか自分の心配など微塵もしていない様子で、その気遣うような視線は、私に注がれていた。
「うっそぉ…そんな約束しちゃったの? 逃げないって」
「――っしてません!」
声だけじゃなく、その軽快な話し方に確信した。
分かった、さっき助言をくれたのはこの人! 助けてくれるかもしれない…!
そう思って彼を見ると、彼は「ふむ」と考えるように頷いてから、「殺しちゃうしかない」と言った、若い男を見た。
「だってさ、沖田さん。嘘ついちゃ駄目じゃん」
「先に言ったのは土方さんだしー」
「駄目じゃん、土方さん」
「うるせえ、てめえはちっと黙ってろ……というより、やっぱりどっか行け」
「………失礼致しました」
「えっ…」
土方が追い払おうとするのに、一瞬、矢代は迷った様子をみせたが、今度は山南の声が掛からなかったためか、視線だけは残しつつも、サッと彼はその場を立ち去る。
山南が声を掛けなかったのは、弥月のせいで場の緊張感が瞬時になくなったことに、流石に邪魔だと感じてのことだった。
千鶴は彼に背を向けられたことで、絶望に似た、すごく心細いような気持ちになった。
けれど、『矢代さん』が残した気遣わしげな視線を思い出して、彼まで危険に晒そうとしていた自分を恥じる。
自分のしでかした事、彼まで殺される必要はない。
どうしたら良いのだろう…
「言い訳なんて聞いてくれないですよね…」
千鶴は唇を噛んで俯いた。
きっと、もう誰も助けてくれない……自分で、自分で何とかしなくちゃ…
理不尽な状況に怒りがこみ上げたけど、もう腹を括るしかない。
だけど、考えても考えても、自力では助かる手立てが見つからなくて。自分の不甲斐なさに涙が滲み、吐き捨てるように言った。
「…私のことは煮るなり焼くなり、好きなようにすればいいじゃないですか!」
バコンッ
え?
「どぅあめぇええ! そんなこと言っちゃ駄目!!!
こいつら炙(あぶ)る程度なら喜んでするから、阿呆なこと口走っちゃ駄目!!!」
音と声のした方向は天井で、何か黒いものが降ってきたと思えば、それはさっきと同じ『矢代さん』。
私が呆気にとられている間に、彼は私の肩を掴んでゆさゆさと振りだした。
「貴女の潔さには私感動したよ!?
でもこの人たち顔は怖いし非道なところあるけど、非情じゃないから、弁明でもなんでもしてからでも遅くないから!! 頼むから折角の神の申し子かと思しきその可愛いさを、そんな容易く投げ出さないでくれえぇぇぇ!!!」
「矢代。」
「弥月君」
彼に力一杯揺すられて、私が頭がグワングワンするのから立ち直る間に、今度こそ彼は部屋から放り出された。
代わりに騒ぎを聞きつけて、藤堂さん、原田さんや永倉さんが、部屋に顔をだして、結局最初の面々がこの部屋に顔をそろえていた。
そうすると、なぜか部屋に妙な沈黙が落ちる。
えっと……私しゃべっても良いのかな…?
先程の彼は「弁明してからでも遅くない」と言ってくれた。ならば、少しは話を聴いてもらえるだろうか。
「……あの、私、しなくちゃならないことがあって…」
「ふん…、年端もいかねえ小娘が、下手な男装までして何を果たそうってんだ?」
「それは……え?………今、小娘って…」
恐る恐るその単語を口にした私を見て、山南さんは納得したように頷いた。
「なるほど、やはり女性だったんですか、貴女は」
「え…」
「どう見ても女の子だよね。君はきれいに化けたつもりかもしれないけど」
「…あいつの反応見てりゃ、決定的だな」
はあ、と大きく溜息をついたのは土方さんで。
「俺も確信しました」
「女好きってすげえよな、オレ全然気づかなかったぜ」
そう言いながら、一番年若いであろう男の子が、じいっと間近で千鶴を見る。思わずそれに少し仰け反ると、赤毛の男性が「ビビらせんな」と、その男の子の頭を鷲掴んで後ろに回してくれた。
「どんなに綺麗な奴でも、弥月、男には興味ないからな」
「あいつが『可愛い』とか『神の申し子』とか叫んでるの聞いて、まさかとは思ったけどよ」
そこにいた男一同がうんうんと頷いた。ただ一人、私以外で「え、え?」と言いたげに左右に首を巡らしながら、ポカンとしていた近藤さんを除いて。
「なんと…!この近藤勇、一生の不覚! まさか、まさか君が女子だったとは!!!」
何かよく分からないことで納得していた面々に対して、さも吃驚したとばかりの近藤さんの純真な反応を見ていると、千鶴はなんだか安心した。
…昨日も同じようなことは言われましたし…やっぱり分かるんですね…
千鶴はなんとも言えない気持ちになって、内心で溜息を吐く。京までの道中、無事に過ごせたのは、本当に奇跡だったのかもしれない。
そのとき、ふと視界に黒いものが動いたのに気が付いて、視線をそちらに投げると。大きな男達の隙間から、ひょっこりと一瞬顔を覗かせて、ニイッと笑って見せた人がいた。
大きく拳を振って、私に何かを伝えようとしてくれている。
それが「がんばれ」に見えたのは、私の都合の良い解釈なんかじゃないって、彼の笑顔は語っていた。
だから雑然としだした状況の中で、少し落ち着いて彼らの姿を見ることができるようになったのだと思う。
「小娘だろうが、処遇に変わりはねえ。だが、命を懸けられる理由があるなら、誤魔化さずに全部吐け。…いいな?」
きっとこの人は私の話を聞いてくれようとしている
土方さんの真っ直ぐな眼差しを見返して、私は小さく頷いた。