姓は「矢代」で固定
第五話 正しさの証明
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文久三年十二月十五日
冬の空気は冷たく澄んでいた。
弥月は地面を見て、凍結していないことを確認し、草鞋を麻の紐でいつもよりキツめに縛る。
月の明るい晩。満たされた月の高度は低く、美しい円を描くそれは不気味な程に赤々と輝いている。それは弥月が十数年、見てきたものと同じものではあるが、その輪郭はいくらかハッキリとしていて、手に掴めるのではないかと思うほど近くにあった。
赤い満月を見上げて、弥月は淡く微笑んでから、壬生寺へと足を向けた。
「…なんじゃこりゃ」
沖田に手合わせの事を口止めはしなかったから、ある程度は予想していたものの。あまりに立会人の多さに弥月は閉口する。巡察当番以外、殆どの隊士がいるのではないだろうか。
負けたら、この場で切腹…かな
それどころか、木刀で叩き殺されかねないが。
緊張の中、「ははっ」と内心空笑いして、そんなことを思う。
脅された時に、あっさりと引かれた刀。それは「今じゃなくても良い」、あるいは「今じゃない方が良い」と、彼が思ったからなのだろう。間違いなく、沖田さんは私を今日殺すつもりなのだ。
力量は、沖田さんが圧倒的に格上
だけど、そんな状況でやけに冷静な自分がいて、負ける気が全くしない……つまり勝つ自信がある。そう思えるだろう日を選んだ。
「おぉ、来たきた、弥月。これから総司と試合すんだって?」
「ついに因縁の対決ってやつか?」
噂を聞いたと、永倉と原田が寄ってくる。
「そんな良いもんじゃないって……てか誰さ、広めたの」
「さあ? 俺らは土方さんに報告しに来た、林さんから聞いたけどな?」
永倉が同意を求めるのに頷いてから、原田は少し心配そうに弥月を見る。
「止めなくて良かったかって、林さんも心配してたぞ」
「林さん…」
止めなくてって……いつから聞いてたんだろ…
諸子調兼監察方、林信太郎。別名、流しの用心棒・島原のおりん。
数日前に借家で彼に会ったときには、特に何にも言ってこなかったのだが……頭を抱えたくなる。
もし見られていたなら、一発で女だと分かる状況だったと思うのだけれど……烝さんや土方さんにも何も言われていないし、バレなかったのだろうか。
本当に、監察方が何処で聞いてるか分からないから恐ろしい。
「ならば、副長はこのことを知っておられるのだな」
「…斎藤さんも見物ですか」
「風の噂に、総司とあんたが試合をすると聞き知った。剣豪の他流試合なれば、見取り稽古をして己を研くのは当然のこと。 俺はどちらの流派でもない故、気付くことも多いやも知れぬ。
…それに、あんたの指南役も担っていた身だ。助言をしてやれることは多いと判断した」
「…ありがとうございます」
それっぽい理由をつけたが、試合を止める気もなかったようだし、どう見たって野次馬には変わりないことに、彼は気づいているのだろうか。まあ、講評がもらえるのは有難いので黙っておく。
それに、監察方業務に入ってからは全然稽古をみてもらえていなかったのに、今でも『指南役』だと思ってもらえていることに嬉しさがあった。
万が一……いや、三分の二くらいの確率で死闘になったら、止めに入ってくれるだろうしね…
野次馬が多くて、こちらとしては好都合だった。隙をついて逃げる場合も想定して、自分から広めてはいないが。
「うわぁ…なにこれ、誰が呼んだのさ」
そのとき、背にしていた門の方から声がして、ざわざわとしていた場は静まり返る。振り返ると、のんびりと歩いて来る彼がいた。
いつもの気だるそうな足取りに見えるが、私と目が合った沖田さんの双眸は、煌々と緑の炎を燃やしている。
沖田は弥月の目の前で立止まると、ニコリと笑顔で彼女を見下ろした。
「良い夜だね。真っ赤な月が、血みどろみたいで」
「そうですね。まるで返り血を浴びたみたいに」
そのやり取りにゴクリと息を飲んだのは、これから見守る観客のみ。
当の本人達はお互いが、この試合で何が起こるのか、同じ認識をしているのだと改めて確認しあい、それぞれが口元だけで不敵に笑う。
「夜更かしは身体に良くないし、さっさと終わらせちゃいましょう。折角いるんですし、斎藤さん、審判頼めますか?」
弥月が「保険」という気持ちを隠して、自分の隣にいた彼に願うと、彼は「承知した」と快く請け負った。
それから弥月の発案で、二人とも木刀以外の太刀を原田へと預けることとなる。沖田は渋々といった風だったが、文句を言わずにそれを渡した。
「でもさ、太刀以外の武器はありなの?」
「…」
沖田のその問いに、弥月がチッと舌打ちしたのは内心だけで、何も言わず懐から苦無を取り出す。
「まだ持ってるよね」
「…」
弥月が袴板と帯の間から手裏剣を出して、左之さんの手の上に置くと。その場に居た皆がじっと弥月を見ていたが、誰も何も言わなかった。
「さて、と。」
自然と二人を取り巻く空気が変わり、彼らが動くための空間ができる。
弥月が木刀を軽く振ってみたり、握る感触を確認していたりするのに対し、沖田は片手に木刀を握ってたまま、やることなさ気に小石を蹴飛ばしていた。
けれど、決して誰の緊張も緩むことは無い。
次に視線を合わせば、それが合図となるだろう。
「…約束、忘れないでくださいよ」
「男に二言はないんだよ、弥月ちゃん」
「それは良かった。二度とその『要らんこと言い』の口を、開けないようにしてあげますよ」
二人ともが相手を見て、鼻で笑った。
***
沖田side
…速い……いつもより格段に……
直接剣を交わしたことはなかったけれど、はじめ君や新八さんと打ち合うのを見て、彼の実力は把握している。平助より速くしなやかに動き、左之さんより繊細な剣技がある。
だけど総合的な実力として、実践値が足りないし、その反吐がでそうな信条のせいか詰めが甘い。副長助勤には誰よりも劣るだろう。
そのはず、なんだけど…
元々、その奇妙な容姿から視覚的に異質さを感じるが、今はそれ以上に、纏う覇気に得も言われぬ違和感がある。
以前、彼と口論したときに感じた、足の下を蠢くような不気味な殺気ではなく、剣先から伝わってくるのは直接的な獰猛さ。これを殺気と呼ぶには温いが、それに程近い威圧感。
まるで兎が牙を剥いたような
見えぬ底に、沖田の中には、今更ながら緊張感がゾワリと湧きあがる。
矢代の瞬発力と脚力は並大抵ではなく、僕の降り下ろした刃は容易く交わされる。だがその一方で、彼からの攻撃はあまりない。最初は避けるだけで精一杯なのかと思っていたが…
変、だよね
僕が疲労するのを待っているのか? 持久戦は苦手だと話していたのに。
何かの機を窺ってる…?
そう考えるも、彼の注意は僕から逸れることはなくて、間違いなく僕の動きにしか反応していない。瞬きする間すら惜しいように、大きく見開かれた目。ほんの僅かな動きも見逃さずに、指の先まで視線がまとわりつく。
そして、最初は彼の袖を掠っていた僕の突きだったが。段々と僕の攻撃に慣れてきたのか、身体を逸らせたり、脇を開けるだけで避ける余裕がでてきたらしい。
―――んとに、鬱陶しいなぁ!
しかし、右へ左へと交わされるのに苛ついている場合ではない。突きの精度と速度を上げて、確実に当てることだけに意識を向ける。
お互い、いつまでもこの集中力を保つはずがないのだ。こちらも一分の隙も見逃すな。
見ている以上に、見られていることを知れ
こちらに向く剣先
小さな腕の振り
手首の返し
当たらない突き
大きく間を詰めると、彼は後退した。
刀を返すべく指が動く
脚が半歩下がる
背を反らす
宙をかく薙ぎ
僕がさらに歩を進めると、拝段が彼の後ろに迫っていた。
重心が傾く
顎が上がる
離れない視線
交わされる突き
後退しながら彼は階段を昇る。
脚が後ろに運ばれる
こちらを向く剣先
左脇が開く
当たらない突き
変わらない息遣い
開いた指先
避けられる突き
落ちていく剣先
空いた両の手
目の前に突き出された両の手
パンッ
え?
頭の中が全て掻き消えた。
真っ白になった頭で理解したことは、彼の手から木刀が離れて、その手を差し出されたこと…そう、手を叩いたんだ。その音だ。
「ガラ空き」
―――っ!!!
すでに視界に彼はいなかった。横の髪に何かが触れて、「マズイ」と思った刹那、一瞬、世界か真っ黒になる。そして視界が色を取り戻すより先に、頭の横から圧してくる何かを知覚した。
世界は横向きになり、目の端に映っていただけの砂利が段々と近づいてきて、倒れ行く自分を認識する。
何が起こったか分かってはいなかったが、沖田は自分が負けたことだけを理解した。
***
弥月side
頭で考えるより速く、相手の動きに身体が反応する。剣筋が見えているわけではない。得物がそこに来ることを空気の流れで感じた。
まるで脊髄反射だけで動いているような、気づけば動いた後という不思議な感覚。
左へ右へと身体を反らせながら、時折、脇を開けて、背を反らして、相手……沖田の鋭い突きを避ける。
ただ見て、感じて、動く
止まらない突きの猛襲。弥月が避ける速さに、彼の方も慣れてきている。再び掠めだした剣先。それだけで射殺されるのではないかと思うほどの、髪の先までまとわりつく視線。
弥月は自分の剣先を動かすことを止めた。腕の一部のように宙に浮かす。
薙いだ刃に対して後退する。すぐ後ろに拝段がある。
後ろを見なくても、目の端に映る木々の位置だけで分かる。ずっとここで、死ぬような思いで稽古をつけてもらってきた。
あと一歩で、最上段
シュッ
斜め下からきた大きな突きを、脇を開けて避けた。
弥月の手の中の木刀がゆっくりと滑り落ちる。それを瞠目しながら追う、彼の視線を見るより速く、両手を彼の眼前に差し出した。
パンッ
手すりに脚をかけて、彼の頭上を飛び越えて後ろへ回る。逆さまになった状態から、腰を捻って、膝で彼の後頭部を自身を想像する。
捉えた
無防備な背中に、思わす言葉をかける。
「ガラ空き」
沖田が避けようとした分、膝は逸れて、脛が彼の側頭部に入った。だが、それでも彼に膝を着かせるには十分な手応えで。
沖田は前のめりに崩れていった。
ドサッ
トッ
彼が地面に頬を擦り付けて倒れたのと、弥月が一度両手を地についてバネのように跳ね上がってから、立位で着地したのは、ほぼ同時だった。
「悪いね。今日の私はいつもの三割増し」
満月の日ほど、集中できる日はない
「――っ一本!!」
斉藤の声が、静まり返った境内に響く。
それをホッとした面持ちで聞いた弥月ほ、詰めていた息をつくと同時に、力なく膝から崩折れた。
***