姓は「矢代」で固定
第一話 大切なものの守り方
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***
弥月side
時間との勝負。
弥月は屯所までの道を、かつてない速さで走る。途中、手拭いが頭から飛びそうになって、握って走った。
「あ、おかえりなさ」
裏の門番ににこやかに挨拶されるが、この際無視。
屋敷の裏へまわって戸板を荒々しく外し、自分の部屋に土足のまま飛び込む。
とりあえずジャージをスクール鞄に詰めて、空いた隙間に、行李の中の目についたものを入れる。それを背に担ぐ。胸元を確認、お金は持った。
腰に差していた真剣は手に持って、竹光をそこに放る、邪魔。
備えがないから憂いしかないけれども
「おし…!」
逃げろ
部屋から飛びだす。
「はい、ちょい待ち」
「!?」
大の字になって立ちはだかる人を避けきれず、誰かにぶつかった。この状態に危険を感じる。
身体を捻り、その大きく囲おうとしていた腕を払い除けて、圧しきって門へと足を踏み出す。
「おっ……と!」
しまっ…!
背負っていた鞄を今度はしっかりと掴まれた。咄嗟に肩から紐を外して抜ける。その時に、手から刀も落としてしまった。
「あっ、こら!」
弥月が声に釣られてチラと顔を見ると、その男は監察方の林。
なんで林さんが…………ごめん、見逃して!
「逃げるな! 脱走ンなるぞ!!」
切腹か、斬首か……殺されるなら一緒だ
振り返らずに走る。
林が「止めぇ!」と門番へ叫ぶが、男が狼狽えているうちに、突き飛ばすように外へ出た。
走れ、ただひたすらに
すぐそこの角を曲がったところで誰がとぶつかりそうになる。目に入ったのは飴色の着物。
「おぉ、驚いた」
「―っいません……!」
俯いてその横をぬけ、そこで止まることなく走る。よく通るその声が私を呼んだが、聞こえないふりをした。
近藤さん、本当にすみません。お世話になりました…
「待て! 矢代!」
断続的に続く声に振り向く。林が着いてきていた。
角を右左へと曲がりながら北へ進むが、途中人にぶつかりそうになって、仕方なく人通りの少ない方へ逃げた。
しかし、
!!? …速すぎるでしょ……くっそ、これが監察…!
少しずつ距離が縮まる。
何か罠をと思って辺りを見ながら走るが、大きな障害もなければ、小さなバナナの皮もない。
山崎さんにマキビシ貰っとけば良かった…!
見通しが良い所へ出たのは失敗だと気付く。逃げ切れる自信があったのに。
平助みたくに伸ばすか…
…いや、平助は油断してたからできた。林さんの実力を知らない……危険…
……
あ―――っ! もう!!
「――っ見逃してください! 林さん!!」
「駄目だ! 帰れ!!」
「無理!!」
「無理じゃない! あれは敵前逃亡違うって!!」
「……え?」
思わず振り返る。案外近くにいた。やばい。
「あ、こら!逃げんな!! いいから、話を聴けって! まだ間に合うから止まれって!!
「それは無理!!」
「とーまーれって! 脱走は確実に斬首だぞ!?」
それからもギャイギャイ言いながら走ったが、終に肩を掴まれて脚を止める。どのみちこの男の脚には敵わなかった。
こっちがフラフラだ。こんな状態で刀抜いたら、逆に斬られ兼ねない。
振り返りながら数歩下がると、間を詰められた。仕方なく彼の手の届く位置に腰を落とす。
お互い肩で息をする。弥月は喋ろうとしたが出来なかった。
一方で、林が天を仰いで「もー!矢代、逃げ足速いわ!」と叫んだのを、奇妙なものを見る目で見た。
あんたに言われたくない、まじで
「ハアッ……ちょ、待ってな。すぐ言うから…ちょっと休憩…」
それから林は「ふ――」と長い息を吐いた後、「逃げんなよ」と言う。
弥月も「もう止まったんだから仕方ない」と腹を括る。悪い知らせじゃないことをだけを祈って、いつでも抜けるように柄を意識しながら、こくんと頷く。
林さんが「顔怖い」などと余計なことを言うから、「早く話して」と催促したら、肩を竦められた。呆れたいのはこっちなのだが。
「矢代、あの長州浪士から逃げたって思ってるみたいだけどさ。違うから。ちょっと落ち着けよ」
……?
「だって、敵前逃亡…」
「はい、落ち着けて」
手をパンパンッと叩かれる。
「何が起こったか言ってみ?」
林が何を言いたいのか分からなくて、弥月は訝しげな顔で、首を傾けながら答えた。
「んと……一人は腹に突きました。あ、竹光でです。
もう一人は、刀抑えて…股間に蹴り入れた…ん、です、けど……どっちもあんまり大したことなさそうだったから、もう放っておいてこのまま逃げちゃえばいいやーって」
「はい、ちょい待ちな。大分はしょったのは良いけどな。浪士はどうなった?」
それは一応確認した。
「…痛みに悶えて、追いかけて来れなかった?」
「はい、正解!」
パチパチと今度は拍手されるが、何のこっちゃ。こちとら死活問題なわけで、いつもの遊び半分のノリには着いていけない。
私が呆れ顔で溜め息混じりに「だから何ですか」と問うと、林さんは「なんやノリ悪いなぁ」とわざわざ仕事用の口振りで。
山崎さん、ここに私がもう一人います。空気読まない奴がいます…
「今、巷で細々と広まってる新選組の噂知らないか?」
「噂?」
「新鮮な蛮人って話だけどな……まだ知らないか」
「…新鮮?」
『蛮人』は『野蛮な人』のこと。新選組隊士として言われることもあれば、『異国人』のことも指すらしく、弥月個人として言われることもあった。
新鮮な、蛮人……私…?
まあ私だって、あれだけグローバルな令和の世でも、 電車に黒人がいたらじっと見ちゃうんだよな。 どこから来たのかなーとか思うし。
だから物珍しくて新鮮ということか、上手いこと言う。
妙に納得して、ふーんという顔で頷いた。
「まあ『新鮮』は新選組とかけてあるな。
けど、新選組はもともと壬生狼って言われてるわけで。わざわざ改めて『蛮人』が指す相手なんて、あんたくらいのもんだ」
「…そんな野蛮人じゃないんだけど」
「まぁ、最後まで聞けって。
んで、その男は『竹光差し』で斬りあう変な浪士らしい」
「…絶対、私じゃん」
「そういうこと。
で、最初は貧乏だから「竹光差し」って笑われてたんだけどな。まあ元々目立つせいもあって、形振り(なりふり)構わない変な立ち回りするって噂になりだして。
そのうち斬り合いの中で『喧嘩』してる「変な奴」がいるって話になった。しかも、後ろ姿から異人だと思ったら、こっち向いたら全然顔が違うから、それがまた変らしい」
「…つまり、新選組に変な奴がいると」
「せや。新鮮な蛮人改め、新選組の変人やな!」
「…そんなドヤ顔で」
キラキラと最後を強調した林に、弥月はがくぅと肩を落とす。
どうせ変ですよ……知ってるからいいけどさ…
「まあ出来過ぎなくらいに、俺らが思ってたより早く展開してくれてるんんだけど……本人に届かないんじゃ、まだ足りなそうだな」
「……思ってたより?」
「新選組に変な奴がいるって、流し始めたのは川島だ」
「川島が? なんであいつ…」
川島勝治、諸子調兼監察方四人の内のひとりである。古参の隊士だが、その押しの弱い性格故に、弥月にすら使われる不憫な男。
「なんの恨みがあって……そこまで怒らせたっけ?」
最後に会ったのは、数日前の夕餉の時。別に普通だったと思う。
膳の片づけを手伝わせたくらいで怒るような小さい奴だったか? いや、身長の話じゃなくて。
「違う違う。嫌がらせじゃなくて、なんか面白いこと起こるんじゃないかってな。
この前、今でも刀抜かないのか確認しただろ?」
「…そういえば、刀抜くとか抜かんとか…」
「前から監察で少しずつ広めてたんけどな、さっすが俺らの布教活動は効果絶大でさ。
いつもの蝋屋のおっちゃんに聞いてみ? おもしろ可笑しく話してくれるわ」
クツクツと林は笑う。
…で?
訳がわからない。新選組の変人がいったい何だと言うのだ。
「えーっと……逃げていいですかね?」
「だめだって!なんでそうなる!!」
「えぇ…なんでって言われても……」
どう考えても、今ここで間抜け面してる方がおかしいことを指摘する。
「せっかちだなぁ、こっから本題だって。
さっきの大立回りな、幹部からすれば黒かもしれないけど、平隊士からすれば灰色かどうかも微妙なところだと思う。それだけでも謹慎処分やら、科料になる可能性はある」
「…いや、幹部の采配は黒でしょ」
渋い顔で首を振って応える。
それは無理だと、きっと見せしめに殺されるだけだ。
「確かにこれだけだと、そうかもしれない。けど、良い話がある。
さっきの続きになるけどな、あんたは今、新選組の公告塔になりつつある」
「公告塔……って、変人の話?」
「変人って言うと印象悪いけどな……町人はそうは思ってない。基本的に刀抜いたりする騒ぎは、不浄だっつって嫌いだからな。
さっきの騒ぎでもそうだけど、あんたは他の壬生狼と少し違うんじゃないかと思う奴も出始めてるはず」
これは弥月の強みだと。
この前の相撲興業のように、新選組が京で町人に話をつける時に、武力や金銭だけの関係ではなく、穏便に話をつける立ち位置を作れると。
林は「よく考えろ」と言った。
「逃げるなら、俺は一ッ月以内に絶対にあんたを捕まえる自信がある。だけど、今逃げないなら…手伝ってやる」
その至極落ち着いた声。
弥月はそう言う林の本気の顔に、疑う以上に驚いた。
「…なんで……」
そうすることに彼に得はない。それどころか、下手人を庇うことの危険性が生まれるばかりだ。
こうして自分のことを理解しようとしてくれて、嬉しくない訳じゃない。
だけど、彼の優しさに甘えて、危険に巻き込んではいけない。道連れにして、どこかに綻びが生じるかもしれない。
分かってるのに
眉をハの字に下げて複雑な顔をする弥月に、林は片目を瞑ってニヤリと笑う。
「山崎さんが『信じてやれ』って言ってたからさ」
「山崎さんが…?」
弥月は頷くことも、首を振ることも出来なくて。
林は「あの人の名前出しても、納得できないか?」と意外そうに言う。
「んー……釜どころか同じ小櫃(おひつ)の飯食った仲じゃん。あんたがどんな人かは、何となく知ってるつもりだけどな」
「……」
「…後はまあ、単純に考えて……こんだけ切羽詰まってるのに、油断してた藤堂組長にも刀向けないとことか、悪い奴じゃないなって思うくらいかな。
あんたの馬鹿っぷりに、ちょっと関心したんだけど?」
林は少し呆れたように小馬鹿にしたように笑う。
「んー……もういいだろって」
そう言って立ち上がり、弥月の肩を叩く林の手と、「ほら帰るぞ」という声に誘われて、弥月ものっそりと立ち上がる。
後ろから「はい、歩く!」と追い立てられて足を動かした。
テクテク
「下向いて歩くとぶつかるぞー」
「うん…気つけます」
テクテク
「そんなゆっくり歩いたら、夕飯なくなるぞ」
「それは嫌だなぁ…」
テクテク
「…小銭捜すなよ。貧乏くさい」
「!? それはしてへん!」
後ろを向いて声を出すと、もやっとした口から少し出たみたいで。
それに自分で驚いて、なんて単純なんだろうと思いながら笑うと、「なんだ、調子出てきたか」と彼も笑った。
***
弥月side
時間との勝負。
弥月は屯所までの道を、かつてない速さで走る。途中、手拭いが頭から飛びそうになって、握って走った。
「あ、おかえりなさ」
裏の門番ににこやかに挨拶されるが、この際無視。
屋敷の裏へまわって戸板を荒々しく外し、自分の部屋に土足のまま飛び込む。
とりあえずジャージをスクール鞄に詰めて、空いた隙間に、行李の中の目についたものを入れる。それを背に担ぐ。胸元を確認、お金は持った。
腰に差していた真剣は手に持って、竹光をそこに放る、邪魔。
備えがないから憂いしかないけれども
「おし…!」
逃げろ
部屋から飛びだす。
「はい、ちょい待ち」
「!?」
大の字になって立ちはだかる人を避けきれず、誰かにぶつかった。この状態に危険を感じる。
身体を捻り、その大きく囲おうとしていた腕を払い除けて、圧しきって門へと足を踏み出す。
「おっ……と!」
しまっ…!
背負っていた鞄を今度はしっかりと掴まれた。咄嗟に肩から紐を外して抜ける。その時に、手から刀も落としてしまった。
「あっ、こら!」
弥月が声に釣られてチラと顔を見ると、その男は監察方の林。
なんで林さんが…………ごめん、見逃して!
「逃げるな! 脱走ンなるぞ!!」
切腹か、斬首か……殺されるなら一緒だ
振り返らずに走る。
林が「止めぇ!」と門番へ叫ぶが、男が狼狽えているうちに、突き飛ばすように外へ出た。
走れ、ただひたすらに
すぐそこの角を曲がったところで誰がとぶつかりそうになる。目に入ったのは飴色の着物。
「おぉ、驚いた」
「―っいません……!」
俯いてその横をぬけ、そこで止まることなく走る。よく通るその声が私を呼んだが、聞こえないふりをした。
近藤さん、本当にすみません。お世話になりました…
「待て! 矢代!」
断続的に続く声に振り向く。林が着いてきていた。
角を右左へと曲がりながら北へ進むが、途中人にぶつかりそうになって、仕方なく人通りの少ない方へ逃げた。
しかし、
!!? …速すぎるでしょ……くっそ、これが監察…!
少しずつ距離が縮まる。
何か罠をと思って辺りを見ながら走るが、大きな障害もなければ、小さなバナナの皮もない。
山崎さんにマキビシ貰っとけば良かった…!
見通しが良い所へ出たのは失敗だと気付く。逃げ切れる自信があったのに。
平助みたくに伸ばすか…
…いや、平助は油断してたからできた。林さんの実力を知らない……危険…
……
あ―――っ! もう!!
「――っ見逃してください! 林さん!!」
「駄目だ! 帰れ!!」
「無理!!」
「無理じゃない! あれは敵前逃亡違うって!!」
「……え?」
思わず振り返る。案外近くにいた。やばい。
「あ、こら!逃げんな!! いいから、話を聴けって! まだ間に合うから止まれって!!
「それは無理!!」
「とーまーれって! 脱走は確実に斬首だぞ!?」
それからもギャイギャイ言いながら走ったが、終に肩を掴まれて脚を止める。どのみちこの男の脚には敵わなかった。
こっちがフラフラだ。こんな状態で刀抜いたら、逆に斬られ兼ねない。
振り返りながら数歩下がると、間を詰められた。仕方なく彼の手の届く位置に腰を落とす。
お互い肩で息をする。弥月は喋ろうとしたが出来なかった。
一方で、林が天を仰いで「もー!矢代、逃げ足速いわ!」と叫んだのを、奇妙なものを見る目で見た。
あんたに言われたくない、まじで
「ハアッ……ちょ、待ってな。すぐ言うから…ちょっと休憩…」
それから林は「ふ――」と長い息を吐いた後、「逃げんなよ」と言う。
弥月も「もう止まったんだから仕方ない」と腹を括る。悪い知らせじゃないことをだけを祈って、いつでも抜けるように柄を意識しながら、こくんと頷く。
林さんが「顔怖い」などと余計なことを言うから、「早く話して」と催促したら、肩を竦められた。呆れたいのはこっちなのだが。
「矢代、あの長州浪士から逃げたって思ってるみたいだけどさ。違うから。ちょっと落ち着けよ」
……?
「だって、敵前逃亡…」
「はい、落ち着けて」
手をパンパンッと叩かれる。
「何が起こったか言ってみ?」
林が何を言いたいのか分からなくて、弥月は訝しげな顔で、首を傾けながら答えた。
「んと……一人は腹に突きました。あ、竹光でです。
もう一人は、刀抑えて…股間に蹴り入れた…ん、です、けど……どっちもあんまり大したことなさそうだったから、もう放っておいてこのまま逃げちゃえばいいやーって」
「はい、ちょい待ちな。大分はしょったのは良いけどな。浪士はどうなった?」
それは一応確認した。
「…痛みに悶えて、追いかけて来れなかった?」
「はい、正解!」
パチパチと今度は拍手されるが、何のこっちゃ。こちとら死活問題なわけで、いつもの遊び半分のノリには着いていけない。
私が呆れ顔で溜め息混じりに「だから何ですか」と問うと、林さんは「なんやノリ悪いなぁ」とわざわざ仕事用の口振りで。
山崎さん、ここに私がもう一人います。空気読まない奴がいます…
「今、巷で細々と広まってる新選組の噂知らないか?」
「噂?」
「新鮮な蛮人って話だけどな……まだ知らないか」
「…新鮮?」
『蛮人』は『野蛮な人』のこと。新選組隊士として言われることもあれば、『異国人』のことも指すらしく、弥月個人として言われることもあった。
新鮮な、蛮人……私…?
まあ私だって、あれだけグローバルな令和の世でも、 電車に黒人がいたらじっと見ちゃうんだよな。 どこから来たのかなーとか思うし。
だから物珍しくて新鮮ということか、上手いこと言う。
妙に納得して、ふーんという顔で頷いた。
「まあ『新鮮』は新選組とかけてあるな。
けど、新選組はもともと壬生狼って言われてるわけで。わざわざ改めて『蛮人』が指す相手なんて、あんたくらいのもんだ」
「…そんな野蛮人じゃないんだけど」
「まぁ、最後まで聞けって。
んで、その男は『竹光差し』で斬りあう変な浪士らしい」
「…絶対、私じゃん」
「そういうこと。
で、最初は貧乏だから「竹光差し」って笑われてたんだけどな。まあ元々目立つせいもあって、形振り(なりふり)構わない変な立ち回りするって噂になりだして。
そのうち斬り合いの中で『喧嘩』してる「変な奴」がいるって話になった。しかも、後ろ姿から異人だと思ったら、こっち向いたら全然顔が違うから、それがまた変らしい」
「…つまり、新選組に変な奴がいると」
「せや。新鮮な蛮人改め、新選組の変人やな!」
「…そんなドヤ顔で」
キラキラと最後を強調した林に、弥月はがくぅと肩を落とす。
どうせ変ですよ……知ってるからいいけどさ…
「まあ出来過ぎなくらいに、俺らが思ってたより早く展開してくれてるんんだけど……本人に届かないんじゃ、まだ足りなそうだな」
「……思ってたより?」
「新選組に変な奴がいるって、流し始めたのは川島だ」
「川島が? なんであいつ…」
川島勝治、諸子調兼監察方四人の内のひとりである。古参の隊士だが、その押しの弱い性格故に、弥月にすら使われる不憫な男。
「なんの恨みがあって……そこまで怒らせたっけ?」
最後に会ったのは、数日前の夕餉の時。別に普通だったと思う。
膳の片づけを手伝わせたくらいで怒るような小さい奴だったか? いや、身長の話じゃなくて。
「違う違う。嫌がらせじゃなくて、なんか面白いこと起こるんじゃないかってな。
この前、今でも刀抜かないのか確認しただろ?」
「…そういえば、刀抜くとか抜かんとか…」
「前から監察で少しずつ広めてたんけどな、さっすが俺らの布教活動は効果絶大でさ。
いつもの蝋屋のおっちゃんに聞いてみ? おもしろ可笑しく話してくれるわ」
クツクツと林は笑う。
…で?
訳がわからない。新選組の変人がいったい何だと言うのだ。
「えーっと……逃げていいですかね?」
「だめだって!なんでそうなる!!」
「えぇ…なんでって言われても……」
どう考えても、今ここで間抜け面してる方がおかしいことを指摘する。
「せっかちだなぁ、こっから本題だって。
さっきの大立回りな、幹部からすれば黒かもしれないけど、平隊士からすれば灰色かどうかも微妙なところだと思う。それだけでも謹慎処分やら、科料になる可能性はある」
「…いや、幹部の采配は黒でしょ」
渋い顔で首を振って応える。
それは無理だと、きっと見せしめに殺されるだけだ。
「確かにこれだけだと、そうかもしれない。けど、良い話がある。
さっきの続きになるけどな、あんたは今、新選組の公告塔になりつつある」
「公告塔……って、変人の話?」
「変人って言うと印象悪いけどな……町人はそうは思ってない。基本的に刀抜いたりする騒ぎは、不浄だっつって嫌いだからな。
さっきの騒ぎでもそうだけど、あんたは他の壬生狼と少し違うんじゃないかと思う奴も出始めてるはず」
これは弥月の強みだと。
この前の相撲興業のように、新選組が京で町人に話をつける時に、武力や金銭だけの関係ではなく、穏便に話をつける立ち位置を作れると。
林は「よく考えろ」と言った。
「逃げるなら、俺は一ッ月以内に絶対にあんたを捕まえる自信がある。だけど、今逃げないなら…手伝ってやる」
その至極落ち着いた声。
弥月はそう言う林の本気の顔に、疑う以上に驚いた。
「…なんで……」
そうすることに彼に得はない。それどころか、下手人を庇うことの危険性が生まれるばかりだ。
こうして自分のことを理解しようとしてくれて、嬉しくない訳じゃない。
だけど、彼の優しさに甘えて、危険に巻き込んではいけない。道連れにして、どこかに綻びが生じるかもしれない。
分かってるのに
眉をハの字に下げて複雑な顔をする弥月に、林は片目を瞑ってニヤリと笑う。
「山崎さんが『信じてやれ』って言ってたからさ」
「山崎さんが…?」
弥月は頷くことも、首を振ることも出来なくて。
林は「あの人の名前出しても、納得できないか?」と意外そうに言う。
「んー……釜どころか同じ小櫃(おひつ)の飯食った仲じゃん。あんたがどんな人かは、何となく知ってるつもりだけどな」
「……」
「…後はまあ、単純に考えて……こんだけ切羽詰まってるのに、油断してた藤堂組長にも刀向けないとことか、悪い奴じゃないなって思うくらいかな。
あんたの馬鹿っぷりに、ちょっと関心したんだけど?」
林は少し呆れたように小馬鹿にしたように笑う。
「んー……もういいだろって」
そう言って立ち上がり、弥月の肩を叩く林の手と、「ほら帰るぞ」という声に誘われて、弥月ものっそりと立ち上がる。
後ろから「はい、歩く!」と追い立てられて足を動かした。
テクテク
「下向いて歩くとぶつかるぞー」
「うん…気つけます」
テクテク
「そんなゆっくり歩いたら、夕飯なくなるぞ」
「それは嫌だなぁ…」
テクテク
「…小銭捜すなよ。貧乏くさい」
「!? それはしてへん!」
後ろを向いて声を出すと、もやっとした口から少し出たみたいで。
それに自分で驚いて、なんて単純なんだろうと思いながら笑うと、「なんだ、調子出てきたか」と彼も笑った。
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