第五話 正しさの証明

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偽名

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 沖田side



 華奢だとは思っていた。身体が軽いから、あんな不思議な動きができるのだろうと……だけどそのせいで腕力が弱いのは、彼にとって最大の弱点であることは、刃を交えずとも見てとれる。



  見た目なりには重かったけど…



 意識のない彼をこの腕に抱えた夜、何の気なしに当たった彼の手は、指の皮が固くなっていた。普通に考えれば女のものではないし……左手の小指と薬指の間にできたタコは、長年そこにマメができ続けた結果だ。
 それは何よりも、あの男が本物の剣士であることを物語っていた。


ガタンッガタッ

 彼の私室である納戸を、荒々しく開け放つ。


「――っいない…」


 室内は人のいた気配がなく、数日主が帰ってきていないことを醸している。だが先ほど、確かに廁の方へ歩く彼を見かけている。



  そうだ、監察方の…!



 廊下をバタバタと走る僕に「ん、誰だ?」と、平助らしき声がかかるが、それどころしゃないと、そのまま走り去る。


ガラッ

 無断で開け放たれた監察方の部屋だったか、そこにも誰も居なかった。大方、今日の件の事後処理に追われているのだろう。



  一体どこに…



 焦る必要はないと分かってはいるのに、すぐに確かめなければならないと気が済まず、見つからない陰に心が急いた。
 丁度そこにいた平隊士を捕まえて訊くと、僕の顔を見ながら少し狼狽えた様子で「さっきそこで桶持って歩いてるの見ましたよ」と教えてくれる。


 そうして向かった、屋敷の裏手。

 冬は中頃まできていて、昼の時間はすっかりと短くなっている。
 先ほどまで曇天だったが、夕七つの今は雲が薄くなり、空の色が淡く朱くなっていた。東の空にうっすらと浮かぶのは青白い三日月。


 桶を足元に二つ置いて、黒の着物を着た彼が、地面に膝をついていた。深く礼をするように前のめりだった彼は、髪の結びをほどいて頭を下げて、桶の中に片側の頭ごと髪を浸けている。


 その後ろ姿は、日に焼けた項が、いやに僕の目についた。


 矢代を認めた沖田は、腰から得物を抜き放つ。足音を隠すことなく近づき、そしてすぐ近くで立ち止まった。


「ん?」


 誰かが自身の背後に立ったことに気付いたのだろう。矢代が頭を上げると、パシャパシャと水が落ちる。それを一絞りしながら「誰ですか?」と言って、ゆっくりと振り返った。


 見上げる薄い色の瞳……それが僕を認めて驚愕する。


 沖田の右手に無造作に握られた刃は、一日最後の光を跳ね返し、鈍く耀いていた。
 細められた翡翠色の瞳と目が合うと、矢代には彼が笑っているように見えた。

 矢代の背筋が粟立ち、考える前に腰を浮かせて、身体を向かい合うように捻り、腰の柄に手をかけたのだが。
 沖田は彼が体勢を立て直す前に、わずかな隙間を残して、その首筋にすらりと刃を添える。すると矢代はグッとそれ以上の動作を耐えるように止まった。

 
 彼の俊敏な動きは、さきほど大女が見せたものと似ているような気がした。
 けれど今度こそ避けられはしない。腰のものを抜く隙も与えはしない。


 僕がそのまま矢代の動きを見ていると、彼は視線を泳がせながら、刀身を辿っていき、僕と目を合わせた。そこには恐怖と嫌悪を孕みながらも、毅然とした強い瞳がある。

 僕を見上げていたのは、奇怪な金色の髪から雫を滴らせる、男とも女ともとれぬ容姿の少年だった。



  訊くまでもないのだと、心のどこかで思う
 


「正直に答えないなら、今ここで殺すよ」

「!?」

「君は何者。どこから来たの」


 その問いに、矢代は眉を潜める。そして一瞬、辺りを窺うように視線を流してから、再び正面の沖田を見据えた。


「……150年後から…何者とは…ふつうに普通の」
「これは何かって話だよ!」


ビュッ

 言い終える前に、首に添えていた刀を引き下ろした。十分に磨がれた刃は、彼の着物をすんなりと斜めに切り裂く。咄嗟に身を引いた弥月だったが、袴の結び目より上までの着物が左右に割れる。中に挟んでいた手拭いを残して、巻き付けていた更級がはらりと緩んだ。


「――っ!」


 矢代は慌てて両衿を左手でしっかと掴んだが、その動作すらも、沖田にとっては事の証明でしかなかった。
 隙間から見える更級が、縦にじんわりと赤に滲んでいく。少し切れたらしい。
 

「…はじめ君達たちと違って、僕は騙されるつもりなんて、これっぽっちもなかったんだけどね……これには流石に気づけなかったなぁ」

「……」


 目を見開いたまま青ざめる彼に、どうしようもなく浮かんでくる笑みを向ける。


「局中法度なんて面倒だと思ってたけど、土方さんもたまには良いことしてくれるね。ここで君を斬る正統な理由があるじゃない…『士道を背くべからず』だよ、嘘つき弥月ちゃん。最期に何か言い残すことは?」

「……」

「ない、そっか。短くしてねって言っといたもんね。よくできまし、たっ!」


 ジリと後退しようとする彼の足を見て、避けられることは分かっていたから、一撃目を飾りに棄てて、二撃目にかけたというのに、それでも避けられた。



  本当に…面倒な子…



「――っあ!」


 けれど不意にザバッと水音がなる。置いていた桶につまづいたらしい、彼の身体は傾いていた。


「フッ」



  終わりだ



 彼の胴をめがけて、縦に振り下ろす。


キンッ

 けれどいつの間に出したのか、彼が逆手に持ったクナイで軌道を逸らされた。だが、それは逸らす程度でしかなく、僕の刃は彼の身を捉え、脇腹を縦に裂く。


チリンッ

 そのとき不意に、繊細な高い音が足元で鳴ったのが、僕の耳に届く。彼女の意識もそちらへ瞬間に、僕の剣先を再び彼の喉元へ添えた。
 そうして彼女の動作が停止したのを確認してから、僕が足元へ視線をやると。彼女が帯に挟んでいたのか、地面に小さな根付けが転がっている。御守りらしいそれには『安産祈願』とあった。



『うちね、ここにやや子がおってね...』


 思いがけず僕の脳裏に、これから母親になる茶屋に居た娘の、幸せそうな笑顔が浮かんだ。


 彼女は左之さん達からの詰問中に、産気づいたと聞く。それから幾何かの時間が経つが、ずっと心に引っかかるものがあった。



  あの親子は無事だろうか、と



  ……



「……君が任務終了なら、あの妊婦はどうなるの」


 あの時、無事に産んでほしいと思ったのに……興奮に唆されて自ら害したのだと、僕の心にまだ残っていたらしい善意が、ずっと僕を責めていた。



  とっくに堕ちた人間なんだと思ってたんだけどな…



 近藤さんの手足として、彼の剣に、道具になれれば良いつもりだった。

 それでも善い人だと思われていたかったのかと、自分が可笑しくなる。
 たくさんの命をこの手で屠っておいて、たった一つの命を救ったくらいで、自分はどれだけの罪を背負っているのか忘れかけていたのではないだろうか。

 ただ……どれだけ自分を誹っても、心からの感謝の言葉が、僕の胸に小さな灯を残していた。


 矢代は驚いた表情で「どう…」と呟き、沖田の質問の意図が分からずに応えあぐねた様子だったが、少し考えてから再び口を開く。


「…手伝いの約束は産んで十日目までですから、それまではあの団子屋で手伝いをするつもりです」

「…巻き込んでおいて、ぬけぬけと?」

「……ななしとして、です」


 彼は「それが任務です」とハッキリと言う。だが、はじめ君が必要性を示すために、よく口にするそれとは違って、嫌なものを覆い隠すためだけの言葉に聞こえた。



  十日…



「…山南さんは知ってるってことだよね」


 喉元に剣先がある彼は、目だけで頷く。


「他には」

「…丞さん…と、近藤さんだけです」

「近藤さんも…?」


 少なからず驚く。そんな素振りは一度もなかった。


「いつから」

「…近藤さんには、二ッ月程前から…」


 なるほど。その間には、近藤さんが彼と接触しているところを見ていない。
 そう納得はしたものの…つまり『局長』が、彼女が男装した隊士であることを許している。そうすると、いくら『副長』が知らないとはいえ、理由なく斬り捨てることが自分には出来ない。



  …誰が知ってるか、訊かなきゃ良かった


  ……


  …どうしようかな…



 『局長』が許しているにも関わらず、隠す理由は分からないが、今その局長の権限を盾に使わないということは、それなりの覚悟があって秘密にしているということ。そして、この事を公にしたくないのだろう。

 ならば有効に使わない手はない。


 彼を斬るための大義名分はすぐに思いついた。
 そしてそれは、願ったり叶ったり、玩具として最大に面白い結末。


「バラされたくなかったら、僕と真剣勝負しようよ」


 まるで交換条件のように提示する。
 だがそれは矢代弥月にとって、微塵も拒否権がないことは明白だった。


「……それは“真剣に”勝負するのではなく、“真剣で”勝負するという意味ですかね?」


 その返しと嫌そうな顔に、僕は思わず笑ってしまう。そして「バレちゃ仕方ないな」と。


「真剣に、で構わないよ。君のせいで切腹なんて御免だからね」


 自分たちが試合をするとなれば、いくら「試合」と主張しようと、『私闘』と判断されておかしくない。

 矢代はしばし逡巡していたようだったが、パッと宙へと視線を投げる。それからぐるりと空へ向かって視線を巡らしていた。



  ……?



「…いいですよ、十日後の夜ならお付き合いします。けど、脅しは一度きりと約束してください」

「うん、いいよ」


 あっさりと引かれた刀と軽すぎる答えに、矢代は不審な顔をするが。沖田はそれには答えず、ただニヤリと笑った。



  二度目はないからね



 得物が木刀でだって『うっかり』で殺すことなんか容易だった。



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