姓は「矢代」で固定
第五話 正しさの証明
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結局のところ、うどん屋に潜伏しているのは長州浪士ではなかったのだが、不穏分子として浪士たちを捕縛することになった。そうすると、決行の日までに準備を整えるために、昼夜問わず監察方は動いているわけで。
弥月も類には漏れず、昼は団子屋の売り子業、夜は単独でうどん屋の見張りなどを担っていた。万年人手不足の監察方は、弥月も一人として数えざるをえない状況となっていた。
弥月は連日の寝不足で、目の下にクマを作って、うっすら頭痛のする頭をなんとか動かしていた。見張りとは特にすることが無くて、果てしなく眠たいのだが、前回の失敗でうたた寝には懲りている。
「明日で終わり、明日で終わり、明日で……」
文久三年十二月五日
この日、斎藤、原田、藤堂、永倉そして沖田の隊に命じられたのは、2カ所同時の“検め”という名目の“捕り物”。
当然、監察方の情報をもとに日取りが決まったそれは、前日のうちには、敵方が選ぶであろう逃走経路・潜伏先などが網羅されていた。監察方の仕事は予定通り、完璧に遂行されていたのである。
天気は曇り。刻を知らせるための鐘が三つ鳴る。
「行くぞ」
土方の掛け声に勇ましく応じた隊士たちは、一組は土方を先頭に、一組は山南を先頭に二手に分かれて屯所を出掛けた。
***
弥月が外の腰掛に座った客に茶を渡していたところで、昼八ツの鐘が鳴った。
朝から緊張はしていたが、「そろそろか」と思った弥月の表情からは笑顔が消える。硬い面持ちで盆を胸に抱き、彼らが来るであろう外の通りに目をやる。それなりに人が行き交い、賑わいをみせるこの通りは、四半時も経たないうちに戦場となるだろうと。
ふ―っと細く息を吐いた。自分にも役割がある。何が起こったとしても、後悔する暇はない。
ひとまず店内に戻ろうと、もう一度視線を上げた時、道の遠くに見た予想外の光景に、ギョッと目を剥いた。
「―――っは!?」
早すぎ...!!?
そこに見た浅葱色の羽織の集団。道を左右に開けられて闊歩する彼らは、間もなくここに到着するだろう。
え、昼八ツの鐘が鳴ったら、屯所を出発じゃなかったっけ!??
混乱して、左右へと首を巡らすと、近くの建物の陰に潜んでいた烝さんから、合図が二つあった…“緊急事態”、“任務開始”という。
―――大きな捕り物に興奮した彼らが、昼八ツ前の“捨て鐘”で出立したことなど、弥月達が知るはずもない―――
「う、お、あ、えっ」
どうしよう、って、どうしようもない
昼八ツの鐘が鳴ってから、新選組が来るまでに、弥月にはしなければいけないことがあった。
ああぁぁ、もう! とりあえずダッシュ!
弥月は前掛けと盆を文字通りそこに放って、向かいのうどん屋に駆けこんだ。
「ごめん、緊急事態! 急いで一緒に来て!!!」
「え?」
店の中ほどに座っていた、同じ団子屋の売り子仲間の娘に声をかけ、彼女の腕をつかんで、無理やり立ち上がらせる。「え、なに、どないしたん?」と言う彼女を無視して、引きずるように外へ出た。
再びうどん屋の暖簾をくぐると、道行く人もざわざわとし始めていて、すぐそこに隊列が迫っている。弥月は横目にそれを見て内心舌打ちしながら、一番近くの路地を早足で駆け行った。
「どないしたん、ななしはん!?」
後ろから彼女の困惑する声が聞こえたが、あまり抵抗がないのを良いことに、弥月はグイグイと手首を引っ張っていく。
討ち入りに際して、多少の周囲の被害はやむを得ない。しかし、浪士たちの抵抗にあってそれが拡大した場合、最悪の事態に備え、逃げ遅れる可能性がある彼女を、現場から離しておきたかった。
...こっちは土方さん、新八さん、沖田さん......か。人数的にはこっちが少なくてもいけるけど...
山南と土方のどちらかが来るならば、山南がこちらに来ると予想していた弥月は少し意外に思う。
...まあどっちにせよ、一旦この人を預けてから、この邪魔苦しい着物捨てて...
「待って、ななしはん! どこ行くん!? お店…っ!!」
「そうだよ。君、ちょっと待ちなよ。どこへ行く気?」
……
聞き覚えのある声が、すぐ後ろで聞こえた...すぐ後ろで。
…
……やっべえ
***
沖田side
土方の真後ろで、自分の隊を率いていた沖田は、その整った顔立ちにうっすらと笑みを浮かべていた。最後に団子屋を訪れてから数日経ってはいるが、まだきっと彼女はそこにいるだろうという期待が、彼にはあった。
僕の目に件の店が見えた時には、まだ平穏な日常と賑わいが、通りにあったというのに。
まるで知っていたかのように、検めの対象であるうどん屋に、走って飛び込んでいく、臙脂色の着物を着た女の姿を見る。
動いた
沖田の翡翠色の瞳は、獲物の動きを慎重に追って、狩る時期を狙う鷹のような目をしていた。
今すぐその不審な動きを、土方さんに伝えるべきか否か。僕がその判断をしきる前に、彼女がもう一人、女を引き連れて店を出ていくのを目にする。
「――あ!? おい、総司!?」
背に土方さんの制止の声を聞いたが、それは好奇心と、確証に満ちた僕を止められるものではなかった。
道行く町人の驚きの声を掻き分けるのように走る。柄に手を掛け、鯉口を切って、遠ざかる彼女たちに狙いを定める。
逃げたってことは、間違いなく敵じゃない。知ってて逃がすわけにはいかないよね
今、土方さんの命を無視しようとも、後から理由ならいくらでも付けられる要素がある。
きっと土方さんも知らない事。不審な女を僕が捕まえるのだと、心が弾んでいた。
けど...
もし、抵抗するようなら…
沖田は無意識に頬が吊り上がり、ぞわりと背を這い上がるものを感じて、興奮しているのを自覚した。
止まらない...何かが僕を追い立てる......『斬れ』と刀が啼いている
逸る心に、足が遅れをとるのがもどかしい。
角を曲がった彼女達は一瞬見えなくなったが、速度を落とさないように足に力を入れて、同じようにそこを折れる。すると、すぐそこを急いで進む姿が見えた。
「待って!ななしはん、どこ行くん!?お店……っ!!」
無言のまま大股で歩く大女に、後ろの娘が手を引かれて小走りをしていた。その彼女たちと距離を詰めるのは、さほど難しいことではない。
「そうだよ、君。ちょっと待ちなよ、どこへ行く気?」
自分でも驚くくらいに、楽しげな声が出る。
僕がすぐ後ろでそう声をかけると、二人連れは立ち止まったものの、振り返ったのは後ろにいた娘のみ。彼女は「この間の…!」と言いながらも、僕の羽織姿に何者かを理解して、息を飲んで表情に恐怖の色を浮かべた。
そして先導していた肝心の大女は振り返らなかったが、彼女が空いていた右手で、懐から何かを出そうとしているのに気付いた。
「そうはさせないよ...!」
僕はそれが何か判別する前に素早く駆け寄って、得物を抜き放つと同時に、鋭く一突き浴びせる。
間違いなく一太刀で、相手が動けなくなるように......逃がさないように、獲物に爪を立てるべく。
風を鋭く裂く音が一つ鳴る。
「きゃあぁぁ!!!」
女の甲高い悲鳴が真横で上がった。興奮している僕には、それすらも自分を煽るように聞こえる。
けれど、僕の太刀には手応えが無い。
沖田が間を詰めるのに気付いて走り出した女は、剣先よりも先の方で、こちらを向いて頭垂れていた。手には恐らく、懐から出したであろう黒い何か。
避けた…のか
僕は追撃をかける必要など考えていなくて、一撃目をかわされたことに、最初はただ驚き、関心すらしていた。けれど、ふつふつと湧き上がるのは屈辱感と可笑しさ。
そして、彼女がそのまま逃げずに、そこに立ち止まっているという不可解な行動に、眉根を寄せる。
しかし、チラリと自分の横にいる、恐怖に腰を抜かした女に目をやって理解する。恐らく何も知らない、この子のためだろうと。
「...君...何者な」
バサッ
!?
僕が一瞬気を他所にやっている間に、彼女が手に持っていて、広げたのは大きな黒の布。
女は夜鷹のように頭からそれで被ると、片手で顔を覆ってから、真っ直ぐに腰を起こして、僕と正面で向き合った。
彼女の凛とした佇まいに隙は無く、武器を構えていなくても、発する気は鋭いもので、その秘めたる実力は明らかだった。
動き少なな彼女の意思を捕えるべく、向き合った顔を見ると、布の隙間から片目だけでこちらを見ている彼女と目が合った。
そして沖田の心臓は一つ大きく脈を打つ。
薄い瞼を縁取る長い睫毛の奥で、彼女は射抜かれるほどに、強い眼をしていた。
「その人は関係ない」
長いようで短い間の後、彼女は布越しにそう発した。その作ったような声に、僕は違和感を感じたけれど、女がそれを言うや否や、すぐに半身を翻らせようとするのに、身体が素早く反応する。
そのときに、ふわりと風に浮いた布の下からチラリと見えた、艶やかな紅をひいた形の良い唇は、美しく弧を描いていた。
握り直した刀とともに、駆けだそうとしたその時、
「待っ」
「沖田さん、その方々は一般人です!!」
背に届いたのは、焦ったような山崎君の声。
その声に僕だけでなく、大女も一瞬歩が緩んだが、彼女は再び真っ直ぐに走り出した。
「待て!!」
『一般人』と言われしまっては、問答無用で斬りかかる訳にはいかないが、遠ざかろうとはためく黒布に、沖田は足を踏み出した。
ザラザラッ
「―――った!?」
は!? まきびし!?
地面を見て、思わず次の歩を留める。すると、パッと顔を上げて「しまった」と悔いても、瞬く間に彼女とは、幾分か距離が離れてしまった。
忌々しげに遠ざかる彼女を見やる。追い付かないとも限らないが、追いつける自信はなかった。
逃げられた...
***