姓は「矢代」で固定
第五話 正しさの証明
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***
借家にて。
「あ゛あぁぁぁも゛ぉぉ!マジで超ゲロゲロォ!!!」
「…弥月君」
「大層おゲロゲロで御座いました!」
「…」
何も言ってくれるな烝さん。私は今、気分が最底辺なのだから。とりあえず叫んだらきっと気も治まるから、喋らせてください。
「だって折角、お風呂できれいさっぱりでルンルンだったのに、超マジでありえないと思いません!? あああぁぁもうキモい、痒い、最ッ悪!!
絶対あんなん根絶やしにしましょうね、ねっ!? 京にあんなん要らない!」
誰があんなの令和まで生かしておくものか。今この世で成敗してくれる。
「腰をこう、こう触られてですね! 視線が上から下へ舐めるように...ってあ゛あぁ、思い出したらまたゾワゾワしてえぇぇ!!」
「...分かった、君の怒りは分かったから、少し落ち着け。隣に響く」
土間でパタパタと足踏みをする弥月の、両手首をつかんで軽く振ってから、山崎はこっそりと細く長い溜息を吐いた。
弥月が借家へ帰宅してから、寸分をおいて帰ってきた山崎は、見ていた一部始終を彼女から詳細に語られ、今に至る。
「とりあえず、明日の打合せをだな…」
「あ、はい。んで、どうでしょう。林さんの書き置きには何て?」
男達に触られたところの不快感は消えないから、腰を左右に回してみたりして、誤魔化しつつ。だけど、いつまでも言っていても仕方がないと気を取り直して、弥月が烝さんへクルンと向き直ると。
彼は何か言いたげに一瞬こちらを横目で見たが、まあ気にしない。
烝さんが壁にかけていた野菜かごの中から、小さな紙を取り出して、カサカサとそれを広げる。彼の手元をのぞきこんで、思わず弥月は顔をしかめた。
そこには明らかに走り書きの、汚ならしい字が短く綴ってあった。
これは絶対読めないやつだわ
そう諦めて弥月はすぐに目を離した。
「…向こうに進展は無いそうだ」
「そっか。じゃあ、まぁ明日は予定通りでいきます。昼前からうどん屋の二階に上がって、ぼーっとしてます」
「もし昨日見た、細面でなで肩の背の低い男がいたら、すぐに合図を送ってくれ。明日の昼間、俺は島田君と交代しているが、彼にも何かあれば二階へ上がるよう伝えておく」
「了解です」
弥月は頷いた。
***
…
……
……めっちゃ見られてる
うどん屋の二階の座敷へ居座って、半時は経つ頃。
弥月はチクチクと視線が突き刺さってくる、そちらへ意識を向けながらも、絶対に相手の目は見なかった。
とはいえ、きちんと誰なのか確認はした。
『二度と来んなバーカ』と思ったのは記憶に新しい、団子屋に来た成金っぽい金髪の外国人。名前は……なんか言ってた気がするけど、忘れた。
ここはうどん屋で、彼は団子屋に来たわけでは無い。
だから、この二階の座敷に席は数えるほどしかなくて、仕方なく斜め前に向かい合ったのまでは、まあ良しとしよう。
だがしかし、なぜ見る
今日は団子屋の売り子業はお休みの日。お昼ごはんを食べに来たふりを……ごはんを食べて、そのまま窓辺に居座っている。
うどん屋のお上さんが「奥の部屋は今日は貸し切り」と言っていたことから、弥月達はそれが長州の浪士達ならば、多少の人数が集まるかもしれないと睨み、聞き耳を立てているのだ。
賑わう外の喧騒を邪魔に思うが、魁さんへの合図にしても何にしても、いざという時のために窓際を陣取っていた。
そして、今この時。
物思いに耽りながら外を見るふりをして、わずかに人の気配がする隣の部屋へ、耳を傾けていたいのに。この斜め前から、私の横顔に刺さってくる視線に、どうにも気が散ってしまう。
さりげなく視線をそっちへ投げてみたり、わざとらしく湯呑みを置くときにコトリと音をたててみたりもしたのだが、効果がない。
最初は、無視していればいつか飽きるだろうと思っていたのだが、いつの間にか、弥月の目は据わっていた。
素知らぬふりをするのにも疲れてきてしまうと……まあ、私はそんなに気も長くないわけで。
「何か御用どすか」
「…いや」
唐突にそう声に出したのだが、彼は自分に問われている自覚はあるらしい。なら、見るのをやめろ。
彼は特に抑揚のない声で否定したが、それでも私から視線を外さなかった。
「そうどすか? さっきから、えろう見られとるような気がするんやけど?」
「ほう、それは貴様が自意識過剰なのではないか?」
イラッとしたのは、絶対に私の短気のせいじゃない。片頬がつりあがるのは面白いからではなくて、平静を装うためだ。
どう考えても最近、男運が悪すぎる。絶対に今週の星占いは最下位
言い返すのはとても躊躇われる状況なのだが、ここで会話を終了すると『自意識過剰』を認めたことになり、間違いなく負けた気分だった。
弥月は大して気の無いふりをしながら、なんとか言葉を探す。
「見たところ、異国のお方のみたいどすけど...言葉は上手ぁても、まだこの国のお作法の方を知りはらへんみたいどすなぁ。それとも、お国柄やから仕方ないんやろうかねぇ」
「…そのように気が短いと、釣れる魚も逃してしまうぞ?」
禿げろ
昨日の一件で、今日の弥月の沸点は、普段にも増して低かった。プルプルと怒りに震えそうになるのを、さらに無理矢理に深い笑みを浮かべることでなんとか堪える。
そして感情的になる前に、一旦この人との会話から離脱しようと、ツイと意識して視線を外へ投げた時…
「は…」
ちょっと待って
思わず、窓の外へと前のめる。見間違いじゃないだろうか。見間違いであってくれ。
団子屋に沖田さんがいる
なんで、また、と焦りと疑問が生じるが、理由はすぐに思い至った。記憶を辿った結果、「やらかした」という思いで、小さく空をふり仰ぐ。
――しまった。土方さんに頼んでなかったのか…
自分で報告に行かなかったから、うっかりしていた。報告に行く烝さんに頼んでおくことを忘れていたし、気付いた時にも「烝さんなら気を利かして、言っといてくれるかな」と思った記憶がある。
...まじか、お気に入りか。確かにここのお団子最高だけどさ......今日も大人しく団子を食べたら帰ってよ。何かあったら、土方さんに怒られるし…
『うっかり』で、何事もなく済んだら良いのだが。
自分が団子屋にいなかったのは幸いだが、注意しなければならない所が増えてしまった。階下にいるはずの魁さんは、沖田さんに気付いただろうか。
コトッ
……!!
その時、隣の部屋で何かが動いた音がした。ピクンと反応した耳に釣られて、首が僅かにそちらへ動く。一方で、団子屋を主に、外の賑わいへ向けていた視線はそのまま向きを変えずに、ただ背後の部屋へと意識を向ける。
「――じゃけん、―」
「ほうじゃのう―――…」
人の声、と足音がする.........二、三...? 西側の言葉…
息をつめて、耳へと全神経を注ぐ。
内容が分かるほどには、大きな声を発してくれなかった。けれど、背後の部屋の人たちが、西から来ているのは間違いない。
弥月は窓枠に肘をついて、手背で顎を支える。壁の向こうへ意識を集中すると、耳は外の雑踏の音を遮断していった。
「そのような形(なり)をしてまで聞き耳とは、ご苦労なことだな」
その言葉が自分に向けられたものだと、そしてその意味を理解するのに、僅かの間が必要だった。
「―――!?」
バッと振り向いた弥月に、ニヤリと笑って見せた、金髪の男。
しまった、敵か...!
「騒ぐな。今、貴様とやり合うつもりは無い」
そう言いながら、男は軽く手を一振りした。
弥月は膝立ちになって、右手で胸元に忍ばせた苦無と、左手で手首に備えた笛を掴んだところで、なんとか押し留まる。
弥月は歯噛みする。不審な者がいると知っていて、同時に気を配れなかった自分の不器用さに腹が立つ。
敵......だとしても、どうするのが得策か。相手が何者か分からなければ、出方が分からない
『やり合うつもりは無い』の意図は何だ。『今』とはどういうことだ
苦無の柄をグッと握り直して、はやる息を覚られないように殺す。脈が速くなり、指先が熱を発していくのを感じた。緊張に張り付きそうな喉を、細く息を吸って開く。
「どこの手の者だ」
中腰のまま、座卓の向こうの男へ問いかける。
相手の素性を知りたくて口から出た言葉は、前回の任務で、敵方から自分がそれを問われ、死にかけた嫌な記憶を呼び起こした。
今度こそ、絶対に失敗しないと誓った……間違えるな
「隣にいる者の仲間か」
「噂通り『壬生狼』だな。野良犬のような噛みつく眼をする」
新選組とバレてるか…
好くない状況だ。だが、それを知っていて私と刃を交えるつもりがないと言う事は、隣の部屋の人達とは関係ないということか。それならば、幾度もここに現れるのは偶然なのか……なぜ私を見ていた。
「…目的は。私に何か用か」
「フン…田舎者のわりにはよく化けたものだが、よほど人手不足と見える」
「……」
言わせてもらうなら、古参組はともかく、私は京都市出身なんですけど。京都府じゃない、市内は都会だ。田舎者扱いしないでくれ......と思ったが、問題はそこではない。
どうも、会話が噛みあっていない気がする。というか、私の話聞いて無くない?
無視されてるというよりも、スルーされているような感じを鑑みるに…日本語が通じているフリをして、実は全然分かっていないのだろうか。
なんか雰囲気だけで喋ってないか、この男
「…とりあえず、こちらの敵ではない、ということでしょうかね」
「答える義務はないな。
それにしても、貴様も末席とはいえ、一介の武士(もののふ)と名のろう者が、そのような形(なり)をしてまで嗅ぎまわるとは、憫れにすら思うぞ」
質問を軽く流され、弥月は少し面食らうが、理解したことが一つあった。
ダメだこの人、私と会話する気がない
そして、弥月は自分の形......お世辞にも良いとはいえない衣装を見る。繰り返し洗われてくたびれた着物と、なれまくった質素な帯。
「…小汚くてすみませんね。臭うならどっか行って下さい」
風呂は入ってるぞ、数日おきだけどね! それに身体は毎日ちゃんと拭いてるし!! 髪は一昨日以来だけどね!
内心言い訳しながら、わずかに劣等感を感じないこともないが、誰がこいつのために、ここから動いてやるもんか。
何者かも分からなければ、声をかけられた訳も分からないが、もういい。あなたが無視するなら、私もそうする。勝手に一人で喋っててください。
ふいと弥月は顔を背けて、男を視界からはずす。しかし、外へと視線を向けられた横顔へ、男は片方の口端を上げながら鼻で笑った。
「そうではなかろう。遠目にだが、街を徘徊する貴様を見たことがある。みすぼらしい装いの群れから浮いた、一際貧相な犬をな」
貧相...
「みすぼらしい」はまあ認めるとしても、人を貶すその言葉に顔をしかめる。そして、とてつもなく失礼なことを言われている事実は理解できたが......ひとつ良いだろうか。
身に覚えがないと言うか…「貧相」とは未だかつて言われたことがなくて、どうにもしっくりこない。
寧ろ、頑丈そうな見た目に、中身も打たれ強いのが、私の“売り”なのだけれども…
…って。あぁ、そういうことか
隊内での身長は平均くらいだが、まあ多少は身幅が狭くないこともない、と思う。こちらに来て、腰回りの肉が減った気がするし。
だから、取り立てられるほどの事ではないと思っていたが、如何せん金髪の存在が目立つから、傍目には目につくのだろう。「貧弱そうな男だ」と。
貧相な男だってさ
成金男が言ったことを理解すると、その「分かっているぞ」とでも言いたげな勝ち誇った目に対して、悔しさや惨めさなどが生まれるはずはなく。
弥月は、彼が敵だと認識したときに、急激に上がった危機感による熱が、完全に冷めて冷静になるのを感じた。
視線をはるか山の向こうへ放る。
...うん、もう何でもいいよ。うん。勝手にして
訂正することもできなければ、訂正する気も起きない。ここまでしても男だと勘違いされているが、もういい。もうこの展開にも慣れた。開き直りは大事だと思う。
私が新選組とバレてることは、もうどうしようもない。だから、女とバレないと分かったことを、不幸中の幸いとしようじゃないか。
そう思っても、半ば無意識にこめかみを押して、ざわざわとする心を鎮めようと努める。気持ちを切り替えるために、できれば彼と「さようなら」したい。
「えっと、隣の部屋のお仲間さんってわけじゃなさそうですね」
「フン...一緒にされる覚えはない」
「なんだ、会話できるんだ」
「貴様…」
「なら、邪魔しないでください。さようなら」
「……貴様、人間か?」
「はい、人間です」
「…」
人間か否かを問われるほど、人道外れたことをした記憶はないのだが。ちょっと邪険にしたくらいで大袈裟さ過ぎやしないか、この男。見かけによらず蚤(ノミ)の心臓か。
それから、男が何も言わず、階下へと降りて行くのを物音で覚る。
結局、なんだったのかが全く不明だったが、きっと外国人にとっても、女装は珍獣扱いされるのだろうという結論に至るのだった。
***
借家にて。
「あ゛あぁぁぁも゛ぉぉ!マジで超ゲロゲロォ!!!」
「…弥月君」
「大層おゲロゲロで御座いました!」
「…」
何も言ってくれるな烝さん。私は今、気分が最底辺なのだから。とりあえず叫んだらきっと気も治まるから、喋らせてください。
「だって折角、お風呂できれいさっぱりでルンルンだったのに、超マジでありえないと思いません!? あああぁぁもうキモい、痒い、最ッ悪!!
絶対あんなん根絶やしにしましょうね、ねっ!? 京にあんなん要らない!」
誰があんなの令和まで生かしておくものか。今この世で成敗してくれる。
「腰をこう、こう触られてですね! 視線が上から下へ舐めるように...ってあ゛あぁ、思い出したらまたゾワゾワしてえぇぇ!!」
「...分かった、君の怒りは分かったから、少し落ち着け。隣に響く」
土間でパタパタと足踏みをする弥月の、両手首をつかんで軽く振ってから、山崎はこっそりと細く長い溜息を吐いた。
弥月が借家へ帰宅してから、寸分をおいて帰ってきた山崎は、見ていた一部始終を彼女から詳細に語られ、今に至る。
「とりあえず、明日の打合せをだな…」
「あ、はい。んで、どうでしょう。林さんの書き置きには何て?」
男達に触られたところの不快感は消えないから、腰を左右に回してみたりして、誤魔化しつつ。だけど、いつまでも言っていても仕方がないと気を取り直して、弥月が烝さんへクルンと向き直ると。
彼は何か言いたげに一瞬こちらを横目で見たが、まあ気にしない。
烝さんが壁にかけていた野菜かごの中から、小さな紙を取り出して、カサカサとそれを広げる。彼の手元をのぞきこんで、思わず弥月は顔をしかめた。
そこには明らかに走り書きの、汚ならしい字が短く綴ってあった。
これは絶対読めないやつだわ
そう諦めて弥月はすぐに目を離した。
「…向こうに進展は無いそうだ」
「そっか。じゃあ、まぁ明日は予定通りでいきます。昼前からうどん屋の二階に上がって、ぼーっとしてます」
「もし昨日見た、細面でなで肩の背の低い男がいたら、すぐに合図を送ってくれ。明日の昼間、俺は島田君と交代しているが、彼にも何かあれば二階へ上がるよう伝えておく」
「了解です」
弥月は頷いた。
***
…
……
……めっちゃ見られてる
うどん屋の二階の座敷へ居座って、半時は経つ頃。
弥月はチクチクと視線が突き刺さってくる、そちらへ意識を向けながらも、絶対に相手の目は見なかった。
とはいえ、きちんと誰なのか確認はした。
『二度と来んなバーカ』と思ったのは記憶に新しい、団子屋に来た成金っぽい金髪の外国人。名前は……なんか言ってた気がするけど、忘れた。
ここはうどん屋で、彼は団子屋に来たわけでは無い。
だから、この二階の座敷に席は数えるほどしかなくて、仕方なく斜め前に向かい合ったのまでは、まあ良しとしよう。
だがしかし、なぜ見る
今日は団子屋の売り子業はお休みの日。お昼ごはんを食べに来たふりを……ごはんを食べて、そのまま窓辺に居座っている。
うどん屋のお上さんが「奥の部屋は今日は貸し切り」と言っていたことから、弥月達はそれが長州の浪士達ならば、多少の人数が集まるかもしれないと睨み、聞き耳を立てているのだ。
賑わう外の喧騒を邪魔に思うが、魁さんへの合図にしても何にしても、いざという時のために窓際を陣取っていた。
そして、今この時。
物思いに耽りながら外を見るふりをして、わずかに人の気配がする隣の部屋へ、耳を傾けていたいのに。この斜め前から、私の横顔に刺さってくる視線に、どうにも気が散ってしまう。
さりげなく視線をそっちへ投げてみたり、わざとらしく湯呑みを置くときにコトリと音をたててみたりもしたのだが、効果がない。
最初は、無視していればいつか飽きるだろうと思っていたのだが、いつの間にか、弥月の目は据わっていた。
素知らぬふりをするのにも疲れてきてしまうと……まあ、私はそんなに気も長くないわけで。
「何か御用どすか」
「…いや」
唐突にそう声に出したのだが、彼は自分に問われている自覚はあるらしい。なら、見るのをやめろ。
彼は特に抑揚のない声で否定したが、それでも私から視線を外さなかった。
「そうどすか? さっきから、えろう見られとるような気がするんやけど?」
「ほう、それは貴様が自意識過剰なのではないか?」
イラッとしたのは、絶対に私の短気のせいじゃない。片頬がつりあがるのは面白いからではなくて、平静を装うためだ。
どう考えても最近、男運が悪すぎる。絶対に今週の星占いは最下位
言い返すのはとても躊躇われる状況なのだが、ここで会話を終了すると『自意識過剰』を認めたことになり、間違いなく負けた気分だった。
弥月は大して気の無いふりをしながら、なんとか言葉を探す。
「見たところ、異国のお方のみたいどすけど...言葉は上手ぁても、まだこの国のお作法の方を知りはらへんみたいどすなぁ。それとも、お国柄やから仕方ないんやろうかねぇ」
「…そのように気が短いと、釣れる魚も逃してしまうぞ?」
禿げろ
昨日の一件で、今日の弥月の沸点は、普段にも増して低かった。プルプルと怒りに震えそうになるのを、さらに無理矢理に深い笑みを浮かべることでなんとか堪える。
そして感情的になる前に、一旦この人との会話から離脱しようと、ツイと意識して視線を外へ投げた時…
「は…」
ちょっと待って
思わず、窓の外へと前のめる。見間違いじゃないだろうか。見間違いであってくれ。
団子屋に沖田さんがいる
なんで、また、と焦りと疑問が生じるが、理由はすぐに思い至った。記憶を辿った結果、「やらかした」という思いで、小さく空をふり仰ぐ。
――しまった。土方さんに頼んでなかったのか…
自分で報告に行かなかったから、うっかりしていた。報告に行く烝さんに頼んでおくことを忘れていたし、気付いた時にも「烝さんなら気を利かして、言っといてくれるかな」と思った記憶がある。
...まじか、お気に入りか。確かにここのお団子最高だけどさ......今日も大人しく団子を食べたら帰ってよ。何かあったら、土方さんに怒られるし…
『うっかり』で、何事もなく済んだら良いのだが。
自分が団子屋にいなかったのは幸いだが、注意しなければならない所が増えてしまった。階下にいるはずの魁さんは、沖田さんに気付いただろうか。
コトッ
……!!
その時、隣の部屋で何かが動いた音がした。ピクンと反応した耳に釣られて、首が僅かにそちらへ動く。一方で、団子屋を主に、外の賑わいへ向けていた視線はそのまま向きを変えずに、ただ背後の部屋へと意識を向ける。
「――じゃけん、―」
「ほうじゃのう―――…」
人の声、と足音がする.........二、三...? 西側の言葉…
息をつめて、耳へと全神経を注ぐ。
内容が分かるほどには、大きな声を発してくれなかった。けれど、背後の部屋の人たちが、西から来ているのは間違いない。
弥月は窓枠に肘をついて、手背で顎を支える。壁の向こうへ意識を集中すると、耳は外の雑踏の音を遮断していった。
「そのような形(なり)をしてまで聞き耳とは、ご苦労なことだな」
その言葉が自分に向けられたものだと、そしてその意味を理解するのに、僅かの間が必要だった。
「―――!?」
バッと振り向いた弥月に、ニヤリと笑って見せた、金髪の男。
しまった、敵か...!
「騒ぐな。今、貴様とやり合うつもりは無い」
そう言いながら、男は軽く手を一振りした。
弥月は膝立ちになって、右手で胸元に忍ばせた苦無と、左手で手首に備えた笛を掴んだところで、なんとか押し留まる。
弥月は歯噛みする。不審な者がいると知っていて、同時に気を配れなかった自分の不器用さに腹が立つ。
敵......だとしても、どうするのが得策か。相手が何者か分からなければ、出方が分からない
『やり合うつもりは無い』の意図は何だ。『今』とはどういうことだ
苦無の柄をグッと握り直して、はやる息を覚られないように殺す。脈が速くなり、指先が熱を発していくのを感じた。緊張に張り付きそうな喉を、細く息を吸って開く。
「どこの手の者だ」
中腰のまま、座卓の向こうの男へ問いかける。
相手の素性を知りたくて口から出た言葉は、前回の任務で、敵方から自分がそれを問われ、死にかけた嫌な記憶を呼び起こした。
今度こそ、絶対に失敗しないと誓った……間違えるな
「隣にいる者の仲間か」
「噂通り『壬生狼』だな。野良犬のような噛みつく眼をする」
新選組とバレてるか…
好くない状況だ。だが、それを知っていて私と刃を交えるつもりがないと言う事は、隣の部屋の人達とは関係ないということか。それならば、幾度もここに現れるのは偶然なのか……なぜ私を見ていた。
「…目的は。私に何か用か」
「フン…田舎者のわりにはよく化けたものだが、よほど人手不足と見える」
「……」
言わせてもらうなら、古参組はともかく、私は京都市出身なんですけど。京都府じゃない、市内は都会だ。田舎者扱いしないでくれ......と思ったが、問題はそこではない。
どうも、会話が噛みあっていない気がする。というか、私の話聞いて無くない?
無視されてるというよりも、スルーされているような感じを鑑みるに…日本語が通じているフリをして、実は全然分かっていないのだろうか。
なんか雰囲気だけで喋ってないか、この男
「…とりあえず、こちらの敵ではない、ということでしょうかね」
「答える義務はないな。
それにしても、貴様も末席とはいえ、一介の武士(もののふ)と名のろう者が、そのような形(なり)をしてまで嗅ぎまわるとは、憫れにすら思うぞ」
質問を軽く流され、弥月は少し面食らうが、理解したことが一つあった。
ダメだこの人、私と会話する気がない
そして、弥月は自分の形......お世辞にも良いとはいえない衣装を見る。繰り返し洗われてくたびれた着物と、なれまくった質素な帯。
「…小汚くてすみませんね。臭うならどっか行って下さい」
風呂は入ってるぞ、数日おきだけどね! それに身体は毎日ちゃんと拭いてるし!! 髪は一昨日以来だけどね!
内心言い訳しながら、わずかに劣等感を感じないこともないが、誰がこいつのために、ここから動いてやるもんか。
何者かも分からなければ、声をかけられた訳も分からないが、もういい。あなたが無視するなら、私もそうする。勝手に一人で喋っててください。
ふいと弥月は顔を背けて、男を視界からはずす。しかし、外へと視線を向けられた横顔へ、男は片方の口端を上げながら鼻で笑った。
「そうではなかろう。遠目にだが、街を徘徊する貴様を見たことがある。みすぼらしい装いの群れから浮いた、一際貧相な犬をな」
貧相...
「みすぼらしい」はまあ認めるとしても、人を貶すその言葉に顔をしかめる。そして、とてつもなく失礼なことを言われている事実は理解できたが......ひとつ良いだろうか。
身に覚えがないと言うか…「貧相」とは未だかつて言われたことがなくて、どうにもしっくりこない。
寧ろ、頑丈そうな見た目に、中身も打たれ強いのが、私の“売り”なのだけれども…
…って。あぁ、そういうことか
隊内での身長は平均くらいだが、まあ多少は身幅が狭くないこともない、と思う。こちらに来て、腰回りの肉が減った気がするし。
だから、取り立てられるほどの事ではないと思っていたが、如何せん金髪の存在が目立つから、傍目には目につくのだろう。「貧弱そうな男だ」と。
貧相な男だってさ
成金男が言ったことを理解すると、その「分かっているぞ」とでも言いたげな勝ち誇った目に対して、悔しさや惨めさなどが生まれるはずはなく。
弥月は、彼が敵だと認識したときに、急激に上がった危機感による熱が、完全に冷めて冷静になるのを感じた。
視線をはるか山の向こうへ放る。
...うん、もう何でもいいよ。うん。勝手にして
訂正することもできなければ、訂正する気も起きない。ここまでしても男だと勘違いされているが、もういい。もうこの展開にも慣れた。開き直りは大事だと思う。
私が新選組とバレてることは、もうどうしようもない。だから、女とバレないと分かったことを、不幸中の幸いとしようじゃないか。
そう思っても、半ば無意識にこめかみを押して、ざわざわとする心を鎮めようと努める。気持ちを切り替えるために、できれば彼と「さようなら」したい。
「えっと、隣の部屋のお仲間さんってわけじゃなさそうですね」
「フン...一緒にされる覚えはない」
「なんだ、会話できるんだ」
「貴様…」
「なら、邪魔しないでください。さようなら」
「……貴様、人間か?」
「はい、人間です」
「…」
人間か否かを問われるほど、人道外れたことをした記憶はないのだが。ちょっと邪険にしたくらいで大袈裟さ過ぎやしないか、この男。見かけによらず蚤(ノミ)の心臓か。
それから、男が何も言わず、階下へと降りて行くのを物音で覚る。
結局、なんだったのかが全く不明だったが、きっと外国人にとっても、女装は珍獣扱いされるのだろうという結論に至るのだった。
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