姓は「矢代」で固定
第五話 正しさの証明
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
文久三年十一月二十八日
山崎side
弥月が今日もどこかへ出掛けるようだったので、山崎がこっそりと付いてきてみれば、またもや湯屋。山崎は複雑な表情をしながらも、外で彼女が出てくるのを待つ。
数日前に、総長から「入らなくて良い」と指示を受けていた。
副長からの任を完遂できない非を感じるが、もうここは眼を瞑るしかない。臨機応変になれなければ、監察は務まらない。
…それに、本人の機嫌がすこぶる良いから、良しとしよう
機嫌というものは、やる気と比例する。勿論、機嫌が悪いから仕事をしないような弥月君ではないが、やる気のない発言が標準装備の彼女。島田君達も慣れてきてはいるが、あまりに不機嫌だと、彼らが不安を抱きかねない。
そんな事を考えながら、湯屋の目と鼻の先の物影から様子を窺っていると。カコンと下駄を鳴らして、弥月君はいつものように風呂桶を片手に暖簾をくぐって出てきた。軽い足取りで調子良く帰路につくのに、山崎はこっそりと後ろを歩く。
そして、一町ほど進んだ時のこと。
正面から来た浪士風の男二人組が、矢代君の目の前で立ち止まったため、彼女は歩調を緩めて避けようとしたのだが。その男達は足を一歩踏み出して、彼女の進行を阻止し、立ちはだかる意図を明らかにする。だらしなく襟元をゆるめて帯刀した、見るからに雰囲気の好くない男達。
バレたか…?
俺は歩調を緩めつつも脚を止めずに、懐にある苦無へ意識を向けた。
「お、別嬪さんやなー」
「ねぇちゃん、これからエエ所行かんか?」
......
......なぜ絡まれる
一瞬、ずっこけそうになった事はさておき。
分かっている、絡まれる側に非はない。絡む方が悪いのだ。これは偏に、京の治安が悪いということだ。決して弥月君が悪いわけではない。
自分宛の解説を入れながら、彼女に追いついてしまった山崎は、不自然にならないようにそのまま歩を進め、彼らの横を通り過ぎて、次の脇道で曲がる。その角から彼女たちの様子を窺い見た。
すると、男達と向き合っていた弥月君の顔が見える。普通の町娘のように、少し困ったように眉を寄せて、小首を傾げていたのだが。
...頼む、そこの阿呆達。悪いことは言わないから、彼女の目が死んでることに気付いてくれ。酔っ払いのふりでも何でも良いから、今すぐそこから逃げてくれ...
彼女のどこか冷やかな目付きは、間違いなく、新選組の『矢代弥月』だった。
「すんまへん、うち帰らなあかんさかい、ごめんください」
やんわりと断って、男達を避けるように再び足を踏み出した弥月だったが。男達はすかさず間を詰めて、一人は彼女の斜め後ろを、もう一人はその反対側から挟むように立つ。
正面から向き合っていた男は、「そない言わんと、ちょいと話くらい聞いてぇな」と、少し腰をかがめて下から掬うように彼女を見た。
「すまんなぁ、声のかけ方が悪かったわ。そない怖がらんでええて。わてらちょっと形(なり)は悪いかもしれんけどな、田舎者やさかい、この辺の事はあんま慣れてへんのや」
「そうそう、おらたち見た目は怖いかもしれんけど、めっちゃ良い奴やから。そんなビビらんでええて。あんまり姉ちゃんが別嬪さんやから、思わず声かけてしもうてん」
「せや。あてら、着物とか帯から、櫛みたいな小物関係まで扱っとる店のんなんやけどな。そういうのめっちゃ敏感やから、ええ感じの子がおったら気になってしゃーないねん」
「おらたち今な、ええ感じの娘っ子の仕事の仲間探しとんねん。姉ちゃんがぴったりやと思ってな」
「そういう訳やから、どうや。ちょっと話聞いてくれへんか? ちょっとした小遣い稼ぎの話やと思って」
「はあ、どうも......間に合ってますので」
矢代君は話を聞き流しながら、脚を出しつ戻しつ、間を抜ける時を探っているようだったが。それを察してか、男達は目配せをし合って頷き、少し口調が強くなる。
「姉ちゃん折角の別嬪さんやのに、そないボロッちい着物着て勿体ないっちゅうて、声かけてんのやって」
「そうそう、もっとええおべべ着たらええやろうに。おら、ほんま勿体ない思うわ」
「いえ、これで満足し」
「なんや、地味な格好して、素材殺しもええとこや。確かに、姉ちゃんならどんな着物でも似合うけどな、やっぱりエエもん着とったら、それだけで格が違うやんか。分かるやろ?」
それからも彼女が断るのを遮って、ペラペラと話す男達の間で、不満気に顔をこわばらせていた弥月だったが、「うん」も「ううん」と言わずに、ただ口を噤んでいる。
強攻突破しないのか...
俺は矢代君の行動を心底意外に思ったが、女性らしくふるまう事を意識しているのか......俺から見れば、彼女の今の心情は顔にダダ漏れだが、比較的大人しくしている。
それはそれで彼女の仕事への真面目さで良いことなのだが、この状況では幸か不幸か。押しに弱い女性だとでも思ったのだろう、男達は言葉をさらに重ねた。
「おら達と来たらガッポリ稼いで、もっとエエおべべ着れるがな」
「そうそう、そない暗い顔して......もしかして、少しタッパがあるん気にして、自分には全然関係ないこと思っとるんかもしれへんけどな。姉ちゃんみたいにスラッとしとったら、そないに気にするほどでもあらへん」
「そうや。寧ろ、おら達は姉ちゃんみたいな原石のままの娘っ子を輝かせるのが生業やねん!」
「そう!姉ちゃんは磨けば光る金の卵や! あてらと来れば、よし藤や芳年の被写体になるんも……いや、大橋太夫のように有名になるんも夢やない!!」
「せやせや! キラキラした明るい未来がすぐそこに見え取るわ!!」
語るうちにひとりでに熱の入りだしたらしい男達に、山崎は頭を抱えたくなった。
これはもう緊急事態として、俺が偶然を装って止めに入るべきか
「……そうかしら」
……
はあっ!!?
心の中で全力で叫んだ。山崎は眉根を可能な限り寄せて、弥月を凝視する。
少し離れたところから見る弥月君は、口の端にうすっらと笑みを浮かべ、顎を引いて上目使いに男達を見ている。
今さきほどの言葉が、本気のはずがないとは分かっているが…
突っ込みたい。すまないが、今すぐ彼女の頭を叩(はた)きたい
どう考えたって彼女が本気のはずは無いが、どうしてこうややこしい事態に、自ら飛び込もうとするのか。この状況を色々面倒に思っているのなら、強行突破した方が事無きを得られるだろうに。
山崎は弥月の襟首を引っ掴んで、そこに正座させたい気持ちを、胸の前で拳を握ってなんとか堪える。
...そうだ落ち着け、俺......もしかしたら弥月君も、何か考えがあるのかもしれない
そう気を取り直して、彼女を見たのだが......なんだか先程よりも、表情が生き生きと輝いている気がする。
風呂上がりのためか、血色の好い艶やかな頬に、三日月型に描かれた笑み。
過ぎる一抹の不安。
...本気ではない、な...?
弥月が小さく首を傾げて、普段より幾分高い声で言葉を発するのに、山崎は無意識にごくりと唾液を飲み下す。
この後どう転んだとて、彼女なのだから危険はないと思うが、その色艶の良い唇が紡ぐ言葉が気になって、やけに緊張した。
「ほんまに、そう思ってはるん?」
「おべんちゃらなんかや無いで! 姉ちゃんなら、道を歩けば百人が百人振り返り、男がみんな惚れてまうし、女がみんな羨望の眼差しを送るような、日本一の別嬪さんになるわ!」
「ほんまに? こんなうちでも綺麗になれるん?」
「成れるなれる!! 素材がエエから、ほんま魂消る別嬪さんになるわ! な、こんな所やのうて、あっちの茶屋で詳しい話しようや」
「あ、それなら、おらエエ店知っとんねん! 南蛮渡来のびいどろとかで茶出す、小洒落た店やねんけどな、そこ行こうや!」
「お! お前やるやないけ!!
よし! あてらの出会いと、姉ちゃんの門出を祝して、あてがおごったるがな! そこしようや、な?」
「ふふ……そうしましょか…」
あっさりと彼女は承諾した。
そうして、弥月が前方の男に風呂桶を渡し、後ろの男に肩を抱かれるようにして、横の路地へ入っていく。
山崎は半ば呆気にとられながらそれを見ていた。
「……」
しかし、やけに緩慢な動作で歩を進めた弥月が、路地への角を曲がる瞬間に落とした視線。一瞬、男達の視界から外れたときの彼女の笑みを見つけて、山崎は頬をひくつかせる。
それは一見して、未だ嘗て見たことないほどに至極穏やかなものだった。だけれど一方で、俺はその笑顔にとてもとても似たものを見たことがある。
そうと知らなければ、誰も気付かない。表面が白いだけで、中身が真っ黒なそれは...
...総長の笑顔...
確信めいた思いとともに、弥月らが入った所とは一本違う道を、山崎は全速力で駆けた。
***