姓は「矢代」で固定
第四話 歩ける道 歩きたい道
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**(同、半刻前)**
幹部以外は接近禁止である蔵の一角。
宵も中頃、足音も気配も消してその戸を叩いた者がいた。
「…山南さん、ここに居られますか…?」
引き戸の内へ斎藤が抑えた声で呼びかけると、中で人の動く気配がし、少しばかりの間の後に戸が開けられる。
「斎藤君ですか、どうかしましたか」
斎藤が夜着なのに対し、現れた山南はまだ昼間の格好のままだった。その彼の『こんな夜更けに』という意味合いを含んだ言葉へ、斎藤は頷いて答える。
「矢代が、山南さんの部屋の前に座して、山南さんが来るのを待っている様だったのですが…」
「矢代君が…? 特に約束などはしていませんが、座しているとは……何か用事でしょうか?」
「…いえ、俺もそこまでは…」
斎藤が迷うように一呼吸置いて、言葉の出だしが遅れたことに、山南は訝しげな顔をする。
いくら彼女が蔵の周囲に近付きたがらないとはいえ、斎藤に呼びに行かせるような人ではない。例えそうだとしても、彼のこの応答は不自然だろうと。
山南は振り返って、机上の立てて並べたガラス管に一度視線をやってから、斎藤へと向き直る。
「こちらに呼んでも構いませんので、彼に声をかけてきて頂けますか」
「……そ、れは…」
今度こそ明らかに返答に詰まった斎藤へ、山南は眉をひそめて詳しい説明を求める。斎藤は記憶を辿るように視線を下げたまま、難しい顔をしていて、常よりゆっくりと、選ぶように言葉を並べた。
「俺は偶然見かけただけで…山南さんの部屋の前で…返事を待つようにきっちりと座っていた矢代を……ただ…」
「…ただ?」
斎藤は無意識に自分の衿元に手を伸ばしたが、襟巻きが今は無いことに気付き、気まずげに首筋に指を這わせながらその手を下ろした。
「…泣いているように見えた故…」
そう自信無さげには言うものの、目を見張る山南に対して、何も言い足すことはなく。ただ声をかけることに、彼は既に一度躊躇した後だということが窺えた。
山南は目線だけを、彼女が待つであろう自分の部屋の方へ向けて「分かりました」と、何かを考えながら呟く。
「…貴方は声をかけなかったのですね」
コクンと斎藤は小さく頷く。彼は視線を逸らしていて、山南が微かに眼孔鋭くしたのには気付かなかった。
「それでは…私は部屋に戻りますが……斎藤君には当分の間、誰も部屋に近寄らせないようお願いできますか」
「…誰もとは…誰もでしょうか?」
「ええ。誰が来ようとも、どのような手段を使おうとも、です」
それがどういう意味かは分かりかねたが、『誰か』が来るだろうことを見越して、それを阻むことを頼まれていると斎藤は理解した。
先程、物音に釣られて起きたときに、偶然見つけた矢代。どこにいくかと思えば、主のいない部屋の前に坐した。背筋を伸ばして、肩に力を入れて、灯の無い暗い部屋を見上げる彼の姿を思い出す。
泣いていると思ったのは、震えていても真っ直ぐに居ようとする背に、張りつめた空気に、そんな気がしたから。
涙など見られたくないだろうと......真実は泣いていなかったとて、彼が強い意思で何かを訴えたくて、そこに坐していることは明白だった。
そして、その思い丈の相手は俺ではない。
…大事ない、山南さんがいる…
斎藤は自らに不甲斐なさを覚えつつも、これで矢代は必要な助けを得られるだろうことに安堵する。そして自身に与えられた任務を、些か複雑な表情で承諾した。
山南が近藤の部屋に入ってしばらくした頃。
微かに人の話す声が聞こえる程度の静かだった廊下に、タタッと軽い足音がして、斎藤は顔を上げた。
誰かがこちらに向かって小走りで来るのに、そちらへ神経を注ぐ。すぐそこの角を曲がる気配がして、さらに警戒を強めると、相手も自分に気が付いたらしく、その者は暗闇の中で立ち止まった。
「誰だ」
「…斎藤さんですか?」
「…山崎か」
それに応じた後、もう数歩近づいたであろう山崎に、斎藤は再び警戒を少しだけ強める。
「斎藤さん、弥月君を見ませんでしたか? もしかしたら総長の所に来てるかと思って来たのですが……灯りは点いてませんね」
ここからでもその部屋が見えることに気付いたらしく、相対する俺の肩越しに確認した。
そして落胆したような、どこか焦ったような様子で、山崎はそのまま俺の返答も待たずに、すぐに踵を返す。
矢代を探すその背を見て、山南さんが追い払えと言った『誰か』とは、彼のことだと確信する。
矢代があのように居た原因は、山崎ということか...?
矢代は監察として勤めていると聞く。ならば、指南役を担っている山崎が『原因』となる可能性は十分にあった。
俺が訝しげな顔で見ていたことに、山崎は気づきもせず、次の心当たりへ行こうとしたようだった。しかし、急に足をピタリと止め、振り返る。
「...局長は起きてらっしゃるのですか?」
「...あぁ」
しばらくその薄ぼんやりと光る障子を注視していた山崎だったが、身体ごと向き直り、一歩こちらへ足を踏み出す。
……
斎藤は表情を暗くする。
そもそも、山崎はそこに矢代は行かないだろうと想定していたはずだ。それなのに『いるかもしれない』と、こんな夜更けに、他者を気遣うことには誰より長けている男が、局長を訪ねに行こうとしている。
それだけ重要な件で彼を探していた。けれど局長を最初から介さないところを鑑みるに、任務とは関係の無いこと。
あんたが『原因』か
「待て。この先は行かせぬ」
「……?」
「ここは誰一人として通さぬ」
「...どういうことですか?」
「そのままの意味だ」
「...それは局長の指示ですか?」
「答える義務はない」
それは斎藤がいつも通りに発する淡々とした声で、事務的な言葉であったが、少なからず棘のある言い様ではあった。
山崎は彼の肩越しにその部屋へ視線をやってから、再び彼へと首を戻す。
「…それでは監察方としてお尋ねしたいのですが、あちらに矢代君はいますか」
「…それにも答える義務はない」
その返答を聞いて、山崎の呼吸が深くなったのを察し、斎藤は気を鋭くして身構える。
「…斎藤さんは弥月君を見ましたか」
「…仮にあちらに矢代がいて、それが急な任務に関することならば、俺が仲立ちを承るが…….何かあったのか」
「…」
二人の間に沈黙が落ちる。
結果として、斎藤は局長の部屋に矢代がいることを隠していて、山崎は個人的な事で彼に用があることを、お互いに理解した。
俺の中で、矢代の精神面での評価は低くはなかった。
その矢代が山南さんへ上訴しなければ納得ができないほどの、誰かに助けを求めるほどの事が起こった。それは山崎が自ら、謝罪か弁明かに走らなければならないほどの事。
銃創を作った彼に、振り払われた俺の手。そして山崎に肩を支えられて歩いていた姿を思い出す。
矢代が最も信頼している山崎なら、望まぬ剣をふるう不安定な彼を導ける…支えられるのだと思っていた。だから俺は成長著しい、頼もしい彼を遠くから見守ることにした。
山崎に指南役を託したのは見当違いだったのか
「矢代の指南はあんたに任せたつもりだった。あんたも副長や山南さん達から、任務としてそれを受けたのだろう。
…確かに時として厳しくすることは必要だが、指南は不当な扱いをするものではない。いったいあれに何をした」
「不当な...っ、そんなことはしていません! 斎藤さんは…――ッ!」
噛みつくように言い出したはずが、そこで言いあぐねるように言葉を切った山崎は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。それに「俺が何だ」と返して、理由の無い謂れを牽制する。
しばらく固まっていた山崎に、そのままはぐらかされるかと思ったのだが、意外にも彼は顔を上げて、俺に強い視線を向ける。
「俺は矢代弥月がどんな人であろうとも、弥月君が望むのなら、ここで共に生きると決めました」
…どんな人?
山崎の言葉に違和感を感じるが、それを問い返そうと見た山崎の表情は堅いもので。俺の背後からの灯りに、微かに照らされる彼の眼は、俺の応えを待っているようだった。
『貴方はどうするのか』と、問われた気がした。
「…俺は最初にあいつと共に任務に出たときから、その覚悟はある」
そう言い切ると、じっと俺の目を見ていた山崎は一瞬眉根を寄せたが、「そうですか」と呟く様に発する。そして、つづく言葉もなく今度こそ踵を返した。
消える姿と足音に、今のは何だったのだろうかと、どのような真意で問われたのかと斎藤は思うが、問い返す相手は居ない。
振り返って、ほの明るい局長の部屋を眺めるも、答えは得られそうもなかった。
***