姓は「矢代」で固定
第四話 歩ける道 歩きたい道
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**〈半刻前〉**
山崎side
音もなく、矢代が後ろ手に道場の戸を閉めるのを、山崎は半ば茫然と見ていた。
初めは彼女の予想外の反応に、ただただ理解が追い付かなかった。けれど時が経つにつれ、矢代君を怒らせたのだと自覚すると、静かで暗い道場内に残された俺の内に、染みのように広がるのは罪悪感。
けれど、同時に『自分は間違ったことは言っていないはずだ』と、それが伝わらないもどかしさと苛立ちが、腹の底で渦巻いた。
俺はただ『女性だから無茶なことをしてほしくない』と思っただけだ.
片膝を抱えるように座り、心を落ち着けて冷静になろうと、目を閉じて項垂れる。膝に額を押し当てて、今、何が起こったのかを改めて考えた。
『結局、女やからあかんってことやんか』
それまでの緊迫した空気にそぐわず、突然クスクスと笑った彼女。陰から真っ直ぐに俺を見る眼が、いつも彼女が俺を見る時の表情ではなかった。
俺を映しているようで、何も映さない瞳。ゆっくりと開いた唇が紡ぐ音が、奇妙なほどに耳に残っていた。
ただ、『退いて下さい』と。
俺へ向ける感情が「怒り」から「無」へと転換した瞬間、彼女は何を思ったのだろうか。
軽蔑
それに近いものを向けられたように思う。
現に彼女は、呼び止めようとする俺を振り返らなかった。絶対にあんな形で無視をするような人ではないのに。
その考えに行き着いて、狂おしさが胸をざわめかせるのに、ここを立ち上がって追いかける理由が見当たらなかった。
放っておいてくれと、きちんと戻ると、矢代君は宣言して出て行ったのだから、変える意見を持たない自分が、彼女と関係を修復することに望みを持てなかった。
明日になればきっと矢代君は、何事もなかったように振る舞うのだろう。苦しくても、悲しくても、彼女は笑える人間だった。何も解決していなくても、最後は笑って隠してしまう。相手にも自分にも誤魔化してしまう。
一見、あんなに自分勝手に見えるのに、助けを求めるよりも諦めてしまう人だった。
だからこそ自分は頼られているのだと知っていて、その役を悪くなく思っているのに、彼のために何もできたことがない。一回りも歳の違う“彼”が、本当は“彼女”と知って、更に助けてやりたいと思う気持ちが強くなった。
なのに、“彼女”はそれを望んでいない。
「…俺にどうしろと言うんだ」
自分にばかり無理難題が降りかかってくるような気になる。
どうして総長は隠した。どうして俺はそれに従う
“彼女”には味方がいないから、“彼女”を助けるのを任じられた
…何のために……なぜ俺が、なぜ彼女が隠すのを助ける必要がある…
鬱々悶々とする思考に、首をもたげて天井を仰ぐ。
大切な何かを見落としている気がした。
『己が動く理由は、貴様と大差ない』
あの人が動く理由は何だったのだろう。まるで俺より俺の事を分かっているような口ぶりで言った言葉は、なによりも真実に近かった気がする。
…俺が、“彼”のために、動きたいと思った理由……理由…
最初は監禁されて不憫な“彼”を助けてやりたいと思った。
いつも俺と顔を合わせては、嬉しそうに笑ってくれる矢代君が、壊れるように泣くのを見たくない。無事に帰る道を探して欲しいと……それだけだった。
他の監察方に「異変があっても大目に見てやってくれ」と先触れしておいたのは、彼の師の死後に、隊務へ向かう雰囲気にどことなく不穏を感じたから。予想とは近からず遠からず事件が起こった。
俺は矢代君の新たな『覚悟』に驚きながらも、“彼”と共に活き、生きると決めた。いつだって少しでも良くなろうと、変わることを望む彼に、仕事の相方として信頼を寄せようとしていた。
それは“彼”が“彼女”になっても変わらず続いている。
つかの間の平穏の中で見せる、“彼女”の穏やかな笑顔も俺は好きだったけれど、“彼女”が最も活き活きと耀いているのは、稽古をしている時で。
明るい自信に満ち溢れた、大輪の花が咲いたような笑顔を見るのが、俺は一番好きだった。
そう
山崎は問いにつながる答えの一つに辿りついて、愁いた眼で宙を見る。注意深く手繰り寄せるように、取りこぼしの無いように、心の中で丁寧に言葉を繋いだ。
俺は最初から、その笑顔を失くして欲しくなかったんだ
彼女は「未来を変えないために」と、最初から死ぬ覚悟をした人。だから俺はその存在をずっと危うく思っていた。
けれど今、彼女が共に走ることを望んでいる。必死に生きて、未来を作ることを望んでいる。そのために力が欲しいのだと、彼女は切に俺に訴えていた。
俺は彼女の力になりたいと思った。彼女の笑顔を近くで見ていたいと感じた。
彼女を助けるために、共に走ることを選ぶために、これ以上に理由が要るのか
要らない
――っ矢代君…!
グンと起き上がって、勢い転げるように駆け出す。
俺は何を迷っていたのだろう。
彼女は最初からここに居続けられる方法を探していた。ただ訴えたのが“彼”という様相をしていただけ。
分かっているつもりだったのに、”本当は女性だった”という降って湧いた思いもよらない事実に、俺は勝手に責任を感じて、恐怖心を持ち、迷い、知らず知らず俺は彼を投げ出そうとしていた。矢代君が寄せてくれる信頼から逃げようとしていた。
一番大変な思いをしているのは、彼女自身だというのに。
“彼”でも“彼女”でも、あの笑顔が消えないならば、これが俺が選ぶべき行動のはずだ。
山崎は草履を履くのももどかしく、道場を飛び出る。けれど、随分前に出て行った矢代が、今どこにいるか考えて首を巡らせるも、ハッキリとは見定まらず。
それから二三度、足を彼方此方へと向けてから、彼女の部屋がある屋敷の裏手へと足早に進む。
俺は“彼女”のことは未だ何も知らない。俺が知らないという理由で“彼女”を拒絶したから、“彼女”も俺を拒絶した。それだけのことだったんだ
だけど、まだ手を伸ばせば、届く距離に矢代君はいる
「知らないなら…っ!」
知らないなら分かるまで話そう。君がボロボロになってまで剣をとる理由を教えてくれ
***